阿木 譲とVanity

『阿木 譲とVanity』
テキスト:東瀬戸 悟

まず、1968年終わりに歌謡曲歌手を辞めてからVanity Records設立に至るまでの阿木譲の足跡をざっと辿ってみよう。1969年に大阪へ戻ってからは関西フォーク・シーンに関わり、1970年にシングル『生きてるだけのことなんだ / 俺らは悲しいウィークエンド・ヒッピー』を自主制作。1972年サンフランシスコ、1973年入間ヴィレッジでのレイドバックしたコミューン生活を経て、都会的でアンダーグラウンドなロックの世界へと足を踏み入れる。1974~75年にかけては、裸のラリーズ、クールスらのコンサート企画、ファッション・ブランド『I am a boy』立ち上げ、近畿放送のラジオ番組『Fuzz Box In』のDJも始める。1976年にロック・マガジンを創刊。そして1978年にVanity Records始動。1960〜70年代のポップ・カルチャーそのものが、現在と比較にならないほど目まぐるしいスピードで変容してきたとは言え、わずか10年でこれだけの転身を重ねてきたことに驚嘆する。

1977年7月に阿木は、ブルースとアメリカン・ロックが主流だった関西で、英欧プログレッシヴ・ロック/ハード・ロック志向のスタイルで活動していたグループ《飢餓同盟(後にDADAに発展)、天地創造(後にAIN SOPHと改名)、だててんりゅう、連続射殺魔、SAB、ヒロ・グループ》をピックアップし、NHKラジオ『若いこだま』で6夜に渡って放送(1977年8月8日〜13日)。この流れを受け、ロック・マガジン9号(1977年8月)に於いて『今まさにしっかりと感じとれる日本ロックの息吹き』と題した記事で、だててんりゅうと飢餓同盟を紹介。だててんりゅうのリーダー、隣雅夫のソロ・アルバム制作を皮切りにしたレコード・レーベル立ち上げを告知した。同誌11号(1977年12月)ではレーベル名『Vanity Records』を発表、初めての広告が掲載された。この広告で確認できるアーティスト・ラインナップは、飢餓同盟、AIN SOPH、だててんりゅう、隣雅夫、SAB、鵺(ぬえ)の6組だった。
阿木の所蔵カセット・テープの中から、隣雅夫のデモ録音と詳細不明のデュオ:鵺の『Electric Delirium』が発見されている。隣の作品は雅やかな和テイストが香るミニマル・シンセサイザー音楽で、ジャズロック的なサウンドを展開していた当時のだててんりゅうとは趣を異にする。鵺はエレクトロニクスとドラムのノイジーなインプロヴィゼイションで最初期クラフトワーク~ノイ!を荒々しくしたようなサウンドが興味深い。最終的に、デュオとなって間もないDADAを起用し、1978年4月19日に西天満スタジオ・サウンド・クリエイションで録音した『浄』がVanity第一弾として同年7月に発表された。

大半のVanity作品の録音とミックスを担ったスタジオ・サウンド・クリエイションは、1974年に桑名正博グループ、パフォーマンス(山本翔)、ユグダラジル(加賀テツヤ)、だるま食堂らを収録したコンピレーションLP『Introduction I』を自主制作。24ch機材を備え、ディランII、大塚まさじ、河内音頭の録音などを手掛けていた。エンジニアの奥直樹はNOMAL BRAIN:藤本由紀夫の先輩(大阪芸術大学・音響工学科)にあたり、AUNT SALLY、あがた森魚のアルバムではテープ・ループの編集も行っている。
レコードをプレスしたコジマ録音は1974年設立、現在も存続する老舗会社。自社レーベル『ALM Records』では、主に現代音楽(湯浅譲二、佐藤聡明、高橋悠治)、フリー・ジャズ(阿部薫、スティーヴ・レイシー、土取利行、吉沢元治)など、非商業的だが質の高いアルバムをリリース。外注のレコード・プレス会社として、ロック、フォーク、舞台音楽、民謡、80年代インディーズ・ブーム期の様々なレーベルに至るまで、多くのレコードを製造し、自主制作音楽のシーンを支えてきた。Vanityの盤面外周部分の刻印『LM』はコジマ録音のプレス品番である。
Vanity初期4枚(DADA、SAB、AUNT SALLY、TOLERANCE)のレーベル・ロゴ・マークは、スケルトン仕様のフィギア『変身サイボーグ』(タカラ)がモチーフで、ロック・マガジン2号(1976年5月)に掲載されたイーノやプログレッシヴ・ロックに関するテキスト『サイボーグ・ジャガー:半機械豹論』の世界観を受け継ぎつつ、オモチャ・コレクターだった阿木の趣味を反映するものだった。
1980年の7作目SYMPATHY NERVOUS以降は、版下編集の際に多用していたインスタントレタリング(レトラセット)の男性マークをそのまま使用。スマートで即物的なデザインに変化した。

阿木の一周忌にあたる2019年10月21日にリリースされた3種類のCDボックス、Musik 2CD (400部 Remodel03)、Vanity Tapes 6CD(300部 Remodel03)、Vanity Box 11CD (500部:黄色箱250部/ピンク箱250部 Remodel05) ついて説明しよう。これらは初めてVanityの全アルバム、シングル、コンピレーション、カセット・テープを集大成したもので、2011年7月にStudio Warp:中村泰之が、阿木への原盤権使用料、JASRACへの著作権使用料、スタジオでのリマスタリング、パッケージ印刷、CDプレス費用などを全額出資し、阿木の監修によって制作されたものだ。この際に阿木はアーティスト側への連絡を一切しないまま完成させ、発売告知を行ったため、アーティスト達の大半から抗議と発売差し止めの声が上がる事態となり、現物が既に出来上がっていたものの世に出せずお蔵入りとなってしまった。

雑誌の編集であれ、レコードの制作であれ、阿木は自分の直感でのみ反射的に動き、細かな確認や配慮を行わないまま突き進むことが多々あった。この点は本書の各アーティスト達のインタビュー発言からもうかがい知れるだろう。阿木の前のめりで強引なまでのダイナミックさがあればこそ、ロック・マガジンもVanityも特異な存在として際立っていたわけだが、常に卓越した先見の明と行動力を持ちながら、その性格ゆえビジネスとして成立出来なかったことは残念である。

阿木の死去後、Studio Warpは所在が判明しているアーティスト達に改めて連絡を取り、2011年から倉庫に眠ったままだったCDボックスの発売許諾を得るとともに、原盤権の譲渡とマスター・テープの返却を行って、8年越しでようやく日の目を見せることが出来た。元々の制作部数が少なかったこともあり、このボックスは予約のみで完売。半数以上はスイスWRWTFWW(We Release Whatever The Fuck We Want)によって海外配給された。

2011年制作のCDボックスは一般にほとんど行き渡らなかったため、2020年に入ってStudio Warp傘下Kyou Recordsは、原盤権を譲渡したアーティスト達から再び許諾を取り、新たに発掘された未発表音源も加えながら『Remodel』企画の下、ボックスあるいは単独CDで順次リリース。限定プレスではあるが以前より容易に全作品が聞ける状況が生まれた。

70年代末~80年代初頭のインダストリアル/エクスペリメンタル/ミニマル・シンセ音楽に関して世界有数のコレクターであり、マニアックな再発を数多く手掛けるドイツのフランク・マイヤーは、阿木の生前から自身が主宰する『Vinyl On Demand (VOD)』でVanityの再発をオファーしていた。80年代からVanityの諸作品は海外マニア間で人気があり、高値のプレミア・アイテムとして知られていたが、近年はインターネット経由でさらに情報が広まり、数種類の海賊盤LP/カセットが出廻ることになってしまい、正式再発が望まれていた。海外でVanityの再発を任せるにあたって、レーベルの方向性と質の高い仕事ぶりから考えてVODが最も相応しい存在であることに間違いはない。
VODは、2020年5月に2LP『Music』(500部限定)、6LP『The Limited Edition Vanity Records Box Set VAT 1-6』(500部限定:Vanity TapesのLP化)の2タイトル。2021年に4LP+7″『TOLERANCE』(800部限定)、5LP『Vanity Box I』(800部限定:R.N.A.ORGANISM、BGM、SYMPAHY NERVOUS、SAB、7”singles – SYMPATHY NERVOUS/MAD TEA PARTY/PERFECT MOTHER) 、4LP『Vanity Box II』(800部限定:DADA、あがた森魚、NORMAL BRAIN、R.N.A.ORGANISM – Unaffected Mixes)の3タイトルをリリース。AUNT SALLYを除くカタログがLPボックス化された。

1960年代初頭のアメリカン・ポップスに始まり、R&B、フォーク、プログレッシヴ・ロック、現代音楽、グラム、パンク、ニューウェイヴ、インダストリアル、ノイズ、アンビエント、ハウス、テクノ、Nu-jazz、『尖端音楽』と名付けて晩年に展開した暗く終末的な響きのエレクトロニック・ミュージックに至るまで、阿木は常に新しく発売されたばかりのレコードを買い続けながら終生流転していった。
「自分がつくったものにいつまでもこだわっていると、前に行けない。」と語っていた阿木にとっては、Vanityも一つの通過点にしか過ぎなかったのだろう。しかし、ここには次世代に聞き継がれてゆくに値する音楽が並んでいる。  (東瀬戸悟)