CD-3 NORMAL BRAIN – Lady Maid(1980 年) VANITY 0009
Normal Brain are Fujimoto Yukio
Shimura Satoshi
Torii Ayumi
produced by AGI Yuzuru
VANITY RECORDS 1981
幼少期よりテープレコーダー、カメラ、映写機で遊び、大阪芸術大学音楽工学科で電子音楽を学んだ藤本由紀夫のユニット。アナログ・シンセサイザー、リズム・マシーン、学習玩具スピーク & スペル、英会話学習用テープなどを使用し、その簡易性と特質を最大限に生かした知的で機知に富んだ音楽を組み立てる。アルバム・タイトルはマルセル・デュシャンを信奉する藤本らしいトリック。
80年代半ばに従来の電子音楽を捨て、日常の中に潜む聴覚、視覚、嗅覚、触覚を喚起する美術家/ アーティストとして、様々なサウンド・オブジェの制作やインスタレーションを始める。2001年と2007年にヴェニス・ビエンナーレに出品。国立国際美術館、西宮市大谷記念美術館、和歌山県立近代美術館にて同時個展を開催するなど国内外で高い評価を得ている。
Ⅱ 嘉ノ海幹彦
藤本由紀夫の『Ready Made/Normal Brain』は、”Kraftwerk”の「The Man Machine」の『ロック・マガジン』的回答としての音楽だ。
藤本由紀夫は、”Kraftwerk”の音楽についてエレクトロニクスをピュアに使用していることを評価していた。ピュアでありながら緻密、ジョン・ケージの音楽にも通低する。
1962年10月に来日した際にジョン・ケージが鈴木大拙と交わした会話で、ケージが「先生の講義で忘れられない言葉は、”山は山である。春は春である。”という名句です。私はその時に”音は音である”と霊感のように思ったんです。」と話している。
この大拙の言葉は、十牛図第9の「返本還源」のことを示している。
続けて大拙の「現代音楽というものは、非常に知的なものだということをいう人がおるが」という問いに対して、ケージは「それがあんまり、知的なものにならないように、一生懸命努力しているのです。知的なものじゃつまらない」「音は、ただ音であるようにしたいと」と答えている。(『芸術新潮』1962年11月号より)
『Ready Made/Normal Brain』に関連して『ロック・マガジン』01(1981年01月号)では”Normal Brain”のコンセプトシートを掲載した。
”Normal Brain”の由来は、19世紀イギリスの作家メアリー・シェリーのゴシック小説の『フランケンシュタイン』では若きフランケンシュタイン博士が死者を蘇えらせようとして、Normal BrainとAbnormal Brainとを取り違え「怪物」を生み出してしまった物語だ。藤本由紀夫は1世紀以上を経て、フランケンシュタイン博士が取り違えた「怪物」の脳を”Normal Brain”として蘇えらせた。
また、アルバムタイトルの『Ready Made』はフランスの美術家マルセル・デュシャンが、1917年に男性用小便器に偽のサインを入れ、「Fountain(泉)」というタイトルをつけて公募展に応募し、これは「これはアート作品だ」と言って、本人自らが「レディメイド」と呼んだことからの引用である。
デュシャン・フリークである藤本由紀夫らしい。
デュシャンは、音楽芸術に対しても「音楽的誤植」という概念も打ち出している。
イギリスの作曲家デヴィッド・カニンガムの「Grey Scale (1977)」の「Error System」もデュシャンを強く意識した作品だ。
藤本由紀夫は2015年デヴィッド・カニンガムとロンドンで二人会を開催したり、現在も交流しているそうだが、音楽へのアプローチはお互い影響を与え合っているのだろう。
藤本由紀夫は、”Normal Brain”以降も「音は、ただ音であるようにしたい」と思索し続けている。
Ⅲ Y.Hirayama
シンセサイザーに加えて、当時日本では珍しかったスピーク・アンド・スペルを採用したサウンド。シンセサイザーが身近な存在になったポストパンク時代は良くも悪くもそれに依存したものになりがちだが、ここではクラフトワークとキャバレー・ヴォルテールの中間に立つような感覚、ポップであると同時にドライなそれが提示されている。ネタがわかると途端にユーモラスに感じる「You Are Busy, I Am Easy」を筆頭に、アマチュアイズムの活かし方・殺し方がコントロールできていると書けばよいのか、アカデミックなルートを辿ってきた藤本由紀夫氏ならではのバランス感覚が冴える。「Fragment」は初期タンジェリン・ドリーム的なエレクトロニクス実験に挑戦した記録で、イーノのオブスキュア・レーベルからのリリースにも近い。