ヴィオラ リネア『シギリア レディ』
LPライナーノーツ用メールインタビュー
――ヴィオラ・リネアなどのバンドが活動していた1980年代初頭の大阪の「シーン」について少しお伺いしますが、東京とはどのように違いましたか?またどのような特徴があったのでしょうか?
ヴィオラ・リネアが活動していた1984~85年頃の2年間は大阪にシーンは存在していませんでした。音楽がファッション=モードとなりロックエンドが具現化した時期だと思います。また東京の状況もEP-4の佐藤薫氏がプロデュースしたレコードレーベル「WECHSELBALG」での展開と当時、すでに英国のNMM紙に紹介されていたメルツバウの影響は個人的には大きかったがはたしてシーンと呼べるものであったかは疑問に思います。
――当時の大阪の音楽シーンの中でヴァニティ・レコードなどのレーベルの影響力は大きかったのでしょうか?
ヴァニティ=ロックマガジンの影響力は一部にはあったと思いますがリスペクトするリスナーと反発するリスナーが同じバランスでした。反面教師として新しくレーベルを立ち上げた人たちが後にシーンを形成していったのでやはり影響力は強かったのでしょう。
――ヴィオラ・リネアとは何者で、彼らにはどのようなストーリーがあったのでしょうか?
ヴィオラ・リネアのリーダー今村空樹はインディレーベル「かげろうレコード」を主宰。「ヴィオラ・リネアを聴くならば夢が現実に反撃するための一つのパワーを得ることになるでしょう。」という当時の今村空樹の言葉通りバンド活動とレーベル展開をしていたアーティスト集団がヴィオラ・リネアであった。
――このバンドは、いくつかのエレクトロニックな要素と、いくつかのゴシックな要素、そして際立ったエンジニアリングが混成した魅力的なサウンドを持っていたと思います。本作は非常に不気味なアルバムであり、曲のタイトルは離島や異国情緒あふれる場所について語っています。このアルバムのサウンドやストーリー性の背景にある考え方について教えてください。
ヴィオラ・リネアのサウンドは「未知の記憶」を打ち出す。その音はダイナミックなファンク・ベースと細やかな装飾リズムを打つドラムを基調に、マンドリンが波打ち、リーディア教と称する神秘学上に立脚した造語を主にヴォーカルが展開されるものだ。特にマンドリンの使い方は、ギリシャ民族音楽を想わせる。中近東やギリシャ、東欧の民俗音楽を研究している彼等は、どこか遠い記憶の底にあるメロディーと、テクノ・ポップに共通の「クリミナル・ワールドとしての未来」を融合させ、そこにシギリアン・レディというファム・ファタールを置く。
(REV Vol.2 1985.4.20 レコードレヴュー田中浩一より抜粋)
――Fantin Latourについて、このレーベルを立ち上げたアイディアやヴィオラ・リネアとの関係についてお話しいただけますか?
ファンタン ラトゥールというレーベルのネーミングはニューオーダーのセカンドアルバム「POWER CORRUPTION & LIES」のジャケットに使用された絵画を描いた画家の名前を使用した。「FACTORY」に対するリスペクトからだった。1984年ロックエンドを強く意識した結果、自分自身がどの程度感動出来たのかが唯一の目安でアーティストを選択。サロンキティ、ヴィオラリネア、THE BC LEMONS、3アーティストをリリースして終了した本当に小さな個人的なレーベルでした。
以上