2008年11月 アーカイブ

2008年11月18日

Recomposed by CARL CRAIG & MORITZ VON OSWALD -music by Maurice Ravel & Modest mussorgsky

ポストモダン以後の21世紀音楽
CARL CRAIG & MORITZ VON OSWALD -music by Maurice Ravel & Modest mussorgsky
AUTEUR JAZZ / TWO JAGUARS IN WARSAW

80年代以後のポストモダン消費論での脱合理主義、脱構造化、シミュラークルの優越化という価値観に添って考えるなら、我々が音楽、CDやレコード購入の際にとる態度は、感覚的にどれだけ21世紀音楽としての要素をその音楽が内包しているか、ということに尽きるだろう。スタイルなどはどうでもよろしい。ポストモダン以後の21世紀の時代感覚をいかにトリートメントしリアルに再現しているかということだ。
Recomposed by CARL CRAIG & MORITZ VON OSWALD -music by Maurice Ravel & Modest mussorgsky (Universal / Deutsche Grammophon 476 691 3)
モーリッツ・フォン・オズワルド とカール・クレイグがラヴェルとムソルグスキーの曲を再構築した"Recomposed by Carl Craig & Moritz Von Oswald"での音楽を聴いていてそんなこと思った。ロックでも、ダンスミュージックでも、クラブ
ミュージックでも、ジャズでも、クラシックでも、現代音楽でもないオルターネティヴな耳を持った、ノスタルジーでもなく、画一化もされず、またあれもこれも欲しいという分裂症気味の消費の多様化という欲求や罠をも避け、すべての音楽ジャンルを俯瞰したなかでの21世紀音楽としての価値観を聴くことのできる耳を持つことの必要性に迫られているように思うし、またそうした音楽が生まれつつあるように思える。それにしても、なんとまあ、不必要な音楽の過剰なことか。ボクの言うそうした新しい耳、21世紀音楽とは、ロックもジャズも現存する音楽のすべてを、滔々と流れる西洋音楽の歴史(クラシック)に組込み"21th Century Music"として定義付け、"Neue Music"として考えることなのだが。カール・クレイグとジャーマン・ニューウェイヴのパレ・シャンブルグでホルガー・ヒラーが脱退した後の、トーマス・フェルマンがバンドのイニシアチヴだった時期に加入したモーリッツ・フォン・オズワルド ( Basic ChannelやMレーベルでのヒプノティックなダブミニマリズムの数枚の作品がいまも鮮やかに記憶に残っている)が、カラヤンのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による80年代のオリジナル録音から、ラヴェルの"ボレロ"、"スペイン狂詩曲"、そしてムソルグスキーの"展覧会の絵"をリコンポーズしているが、デトロイトやテクノハウスの先端がここまで来ているのも必然的なことなんだ。我々はこうした作品をもはやテクノとクラシックの融合とかで捉えるのではなく21世紀音楽(現代音楽)として聴く時代に突入している。

Recomposed by CARL CRAIG & MORITZ VON OSWALD -music by Maurice Ravel & Modest mussorgsky (Universal / Deutsche Grammophon 476 691 3)
A: Intro / Movement 1 / Movement 2
B: Movement 3 / Movement 4
C: Interlude / Movement 5
D: Movement 6
original recordings: Berliner Philharmoniker・Herbert Von Karajan
original music by Maurice Ravel: Bolero, Rapsodie espanole
Modest mussorgsky: Picture at an Exhibition
recorded by Berliner Philharmoniker, Herbert von Karajan (original recordings)
Berlin, Philharmonie, 12/1985(Bolero); 2/1986 (pictures); 2/1987 (Rapsodie)
concept: Christian Kellersmann, Moritz von Oswald
executive producer: Kleopatra Sofroniou
UNIVERSAL / DEUTSCHE GRAMMOPHON 2008

Festival of Lights 2008 /Music by Carl Craig/Moritz v Oswald
http://jp.youtube.com/watch?v=5ZcBO5GSZNw
Moritz Von Oswald with Max Louderbauer and Vladislav Delay
http://jp.youtube.com/watch?v=x6vb3eWsemM

AUTEUR JAZZ / TWO JAGUARS IN WARSAW (RT 025)
A1: Two Jaguars In Warsaw
B1: Gui Do
B2: Marbles
Antti Hynninen (woodwind, keys, drums )
Jarno Lappalainen ( bass -A, B2 )
Eero Tikkanen ( bass - B1 )
Abdissa Assefa ( percussion )
produced by Antti Hynninen
photography by Maija Eirola
sleeve by Antti Eerikainen
RICKY TICK RECORDS 2008

マルチプレイヤー + プロデューサーAntti Hynninenによるジャズ・プロジェクトAuteru Jazz。"Marbles"に聴かれるスピリチュアルなセンスもやはりジャズだけではなく、彼らの血に流れるバロキスム、クラシックの歴史的背景があってこそ生まれるものだろう。こうしたnu jazzでの"ジャズ的なるもの"の世界も、ジャズの文脈としてではなくポストモダン以後の21世紀音楽の文脈にあるものと言えるだろう。エレクトロではなく生音のFinn Jazzにみられるnu jazzが表出してから5年もの時が流れている。しかし結局はいまもそれらはRicky TickとSchemaによって独占されている。

AUTEUR JAZZ
http://www.myspace.com/auteurjazz

NICOLA CONTE / RITUALS Volume 1 - 2 (SCHEMA 441/1-2)
Volume 1
A: The Nubian Queens / Caravan / Karma Flower
B: Rituals / Castles In The Rain / Love In
Volume 2
A: Macedonia / Black Is the Graceful Veil / Paper Clouds
B: Like Leaves In The Wind / The Shaman / I See All Shades Of You
Fabrizio Bosso , Till Bronner , Flavio Boltro( trumpet )
Daniel scannapieco ( tenor sax )
Rosario giuliani ( alto sax )
Timo Lassy ( flute and baritone sax )
Mario Corvini / Gianluca Petrella ( trombone )
Nicola Conte ( guitar ) ............
recorded in Bari at Sorriso Studio
sound engineer: Tommy Cavalieri
produced by Nicola Conte
SCHEMA RECORDS 2008

このアルバムで圧巻なのはTill Bronnerがトランペットでセッションしている"Rituals"だろう。アルバムタイトルになった所以がわかる。それとFabrizio Bossonoのトランペットが聴けるDusko Gojkovicの曲"Macedonia"のバルカン・スケープだろうか。ジャズヴォーカルものも嫌いじゃないけれど・・・。ファイヴコーナーズ・クインテット以後のnu jazzの作品群のなかでも円熟し完成された美しい2枚組アルバムである。
Nicola Conte - Rituals - EPK
http://jp.youtube.com/watch?v=Cr0cRZ2fZ-w
Nicola Conte - Like Leaves In The Wind ( clip colour )
http://jp.youtube.com/watch?v=XIcx6hl0kV0&feature=related

2008年11月27日

Kuniko Mukoda + Milli Vernon

ミリー・ヴァーノンと向田邦子

最近、女性のことに触れた文章を書いたことがないのに、気付いた。もうずいぶん前のことだが、夜中にTVのスウィッチを入れると、NHKで向田邦子の"父の詫び状"の再放送が流れていた。この物語りは以前にも何度も観ていたので、ソファーに寝転がりながらそれとなく画面に目をやり向田邦子のことを考えていた。ひとには言ったことがないが、ボクは若い頃からずっと理想の女性が彼女だった。 "父の詫び状"には、彼女が常に家庭の中で怒鳴り散らすことで
しか父親の威厳を保つしか無い男の存在の危うさを見抜いていたし、彼女の実生活での愛する既婚者のカメラマンに献身的に尽し、その果てにある、首つり自殺するほど悩んでいた男になにひとつ救いの手を差し伸べることのできない、男と女にある深い溝、女としての不甲斐なさを感じていただろうこと、などなどに思いを馳せていた。若い頃の向田邦子の切れ長の目と、だんご鼻、この顔もボクが彼女が好きな要因のひとつだが、なによりも、“女はうまれたときから死ぬまで女”という彼女の、絶対に自分の弱さをひとにさとらせない、凛とした心の襞の細やかさに理想の女性像をみていた。
先日レコード整理をしていると、向田邦子の好きだったジャズ・ヴォーカリスト、ミリー・ヴァーノンの埃を被った"Introducing"が出て来た。久しぶりに聴いてみると、余りにもノスタルジックでいまではピンとこないが、聴いているうちに人との関わりのなかで、心の襞にある情念をほとんど人に見せないで、クールに振る舞ってきている自分にふと気付かされた。 "智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。"とは夏目漱石の草枕のなかの一節だが、彼女がこうしたノスタルジックで情念的な音楽を裏で聴いていたのも、向田邦子の世界がそうした情念や涙で成立している人の世の裏返しにある乾いた視線で人間模様を眺め描いていたからだろう。だからこそ"父の詫び状"などをみていると、心の中の痛みが呼び戻され泣いてしまうのだ。ロックミュージックに関わってからというものは情に棹させば流され生きるひとびとを極端に嫌悪し、情緒的なものに左右されない、"泣き"を突き破った人間関係を確立させることも可能なのではないかと思い続けてきた。言葉や態度で言い訳しなくとも、心の襞の細やかさを持つ人間ならば、分かり合えるだろうと・・。だけど、ボクのそうしたクールな振る舞い、人の体温が重なることを拒否し続けてきた態度、そうしたものがボクの人生をより豊かに楽しいものとさせたかどうか、いまは分からない。でも、乾いてしまったボクのなかの涙をいつか取り戻さなければならないことも、分かっている。ひとのこころの深みをみつめる向田邦子のあの視線がたまらなく愛おしい。

Milli Vernon / Introducing (STORYVILLE STLP 910)
1.Weep For The Boy 2. Moments Like This 3. Spring Is Here 4. St. James Infirmary 5. My Ship 6. This Year's Kisses 7. Moon Ray 8. Everything But You 9. Blue Rain 11. I Don't Know What Kind Of Blues I've Got 11. I Don7t Know What Kind Of Blues I've Got 12. I Guess I'll Have To Hang My Tears Out To Dry
Milli Vernon (vocal)
Ruby Braff (trumpet)
Jimmy Raney (guitar)
Dave Reuther (bass)
Jo Jones (drums)
recorded at NYC - 2/1956

The Song Is You / Millie Vernon
http://www.youtube.com/watch?v=ThF-M_8eJKs

2008年11月30日

"it's time" 29 November 2008

"it's time" 29 November 2008
NATIVE / Marchenco

NATIVE
2004年の11月にInpartmaintからリリースされたネイティヴの " Snobbism " を手にしてからもう4年もの時が経っている。当時の彼らの音楽はそのアルバムの収録曲 " Zoo " に象徴される中村智由のアルトサックスと椎原寛基のギターがクールに絡み、そのなかをフランス語のポエトリーディングが織り込まれるスタイリッシュなジャズボッサ、カフェミュージック的でモーダルなグルーヴを持つものでボクはもう既にニッポンでのnu jazzの始まりをこの " Snobbism " とネイティヴの音楽にみていた。そのアルバムはニッポンよりもヨーロッパでの耳の肥えたクラブジャズ・ファンや業界人に支持され、一時タイムワープレーベルからもリリースされるという噂が流れたほどだった。ネイティヴが結成されたのは99年で、当時すでに2枚の自主制作アルバムを発表していたし、そのアルバム " Snobbism " でのグルーヴを聴いて、いずれフィンランドのリッキーチックから2003-4年にかけてリリースされていたファイヴ・コーナーズ・クインテットの " Trading Eights / Blueprint " (RT001)、" The Devil Kicks" (RT002)、" Different Corners EP " (RT003)の3枚の10インチシングルでのスタイリッシュ・ジャズ、ポストモダンジャズの流れに組込まれるであろう新たなジャズの始まりをも予感していた。

その後、ピアノの杉丸太一の新加入というメンバーチェンジがあり、05年の " Intention "、'06年のアルバム " Upstairs " を発表した後、予想通り'06-'07年の春にかけてドイツのInfracom!から " Guess Who ( For A While - native Jazz It Up version ) "、" Historory is pershaped (What nature brings - native rmx) "、ニコラ・コンテによる" Prussian Blue "のリワークのシングルとそれを含めたアルバムが立て続けにリリースされ、ネイティヴはニッポンでのnu jazzの先駆者として冠たる存在として成功を収めることになる。"jaz' room nu thingでは、彼らのイヴェントを一昨年までは夜を通して行われるクラブイヴェントとして位置づけ展開し、それなりの動員数もあり成功を収めはしたが、nu jazzやclub Jazzに集うクラウドというパーティピープルの存在とネイティヴの本質的な音楽とのギャップなどに疑問がわき、去年からはクラブやダンスミュージックという記号を排除し、ひとつの生ジャズライヴ/ギグとして展開してきた。このニッポンでネイティヴの音楽と存在の重要さに果たしてどれほどのひとが気付いているのだろうか。ネイティヴの音楽はもはやクラブジャズやダンスカルチャーに位置づけるものじゃないかも知れない。彼らの音楽は21世紀に対応するジャズの新しい方法論であり。ジャズの未来を予見したものである。nu jazzが少々社会的に認知されだし、大学のジャズ研の延長線上や、サラリーマンをやりながら趣味でnu jazzの領域に侵入してくるアマチュア・ジャズミュージシャンも多くなった昨今、中村智由、大久保健一、山下佳孝、杉丸太一たちで構成されるネイティヴは一種の頭脳集団でもあり、生粋のプロのジャズミュージシャンでもある。メンバー間のコミュニケーションと志がこれほど信頼感で固く結ばれているのも奇跡だ。プロのジャズミュージシャンが何年も固定されたメンバーで活動することがどんなに至難なことか、それが可能なのは、なによりもリーダーの中村智由の懐のひろい人間性にあるのだが。昨夜のネイティヴのイヴェント" It's Time! "は、現在のネイティヴジャズに無くてはならない堀嵜ひろきのパーカッションまでもが見事に溶け込み、もはや堂々と世界を相手にしても揺らぐことのないひとまわりも、ふたまわりも成長しスケールが大きくなったグルーヴとサウンドが空間を占領していたし、観客を湧かせていた。

29 sat pm19:30-pm23:00
"IT'S TIME"
Native
中村智由(sax&flute) 大久保健一(b)
山下佳孝(ds) 杉丸太一(p)
堀嵜ひろき(per)

Marchenco
この夜のネイティヴの対バンとしてnu thingsで初ステージを踏んだ、今後注目に値するユニットが表出してきた。ジャズの世界で活動するマリンバ、ヴィブラフォン奏者の影山朋子率いる7人編成の新しいユニット " Marchenco " (メルヘンコ)だ。" 待ち合わせ "、" 海遊館 "、" 星空と "、"しんとした"、" すずのマーチ "という曲のタイトルからも想像できるだろうが、ユニット名からフィンランドのファッション、インテリア、バッグ、生活雑貨などを取り扱う有名ブランド"マリメッコ"のカラフルな花柄のテキスタイル・デザインをイメージさせられ影山朋子らしい、とても女の子ぽくってかわいい世界を描いていた。

音楽的にはジャズという太い幹にフリー、ロック、ポップスという葉っぱが散りばめられた過去には聴いたことの無い、誰もやったことのない新らしい感覚を持つ未体験な " ジャズ的なる " アヴァンポップ世界を繰り広げていた。" ロック " や" 雨の日 "、" 朱色のへや "という曲では影山朋子のヴォーカルも聴けるというおまけ付き。現代の20歳世代のミュージシャンの頭の中を覗き込むと、きっと様々な音楽がポテンシャルに混在して詰め込まれていて、彼女たちが音楽創造するときには、自然とそれらが具象化されたポストモダン世界が描かれるのだろう。すべての21世紀音楽は、このメルヘンコの音楽のようにジャズにもフリーにもポップにもロックにもカテゴライズされないものであることに違いないだろう。それでいてメルヘンコの音楽は誰も手をつけたことのない斬新で新感覚な幻想的世界でもあった。彼女たちの今後の活動と、ヨーロッパの飛び出し絵本のページをめくると聴こえてきそうな夢の世界がどこまで広がっていくのか、楽しみでもある。こういう世界が描けるのも影山朋子が音楽理論をきちんと押さえ学んだプロのジャズ・ミュージシャンだからこそ可能なのである。

Marchenco
kage(vib) nozu(gt)
yohey(tp) ameck(p)
mochie(electric-per) koichi hara(ba)
ミレ(ds)

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