CD-7 BGM – Back Ground Music(1980 年)VANITY 0008
BGM
Shiraishi Takayuki – g. v. sy
Kawashima Harunobu – b.g.
Hashimoto Syuichi – sy.
Ebisawa Kenichi – d
recorded and mixed at Studio Sounds Creation
on July 1980
engineered by Oku Naoki
produced by AGI Yuzuru
VANITY RECORDS 1980
当時、17歳の高校生だった白石隆之が自身の音楽ヴィジョンを具体化するために旧友の川島晴信らを誘い1980年夏に東京から大阪へ遠征し1日で録音。ポスト・パンク、ファンク、ディスコビート、ダブ、インダストリアルのエッセンスが混在する早熟なティーネイジ・エクスペリメンタル・スタジオ・ユニット。ライヴ活動は行っていない。無駄を省いたベース・ラインを弾き出す川島は後に『Der Zibet』に参加。
白石は、本作発表後、園原潤とのデュオ『MLD』『Tristan Disco』でセルフ・プロデュースと録音スキルを学びながらシングルを制作。80年代末にデトロイト・テクノと出会ったことを契機に90年代以降はテクノ/ クラブ・ミュージックへとシフト。国内外の様々なレーベルからソロ作品を発表し、テクノ、ハウス、ブレイクビーツ、アンビエントと柔軟にスタイルを横断しながら活動中。
Ⅱ 嘉ノ海幹彦
白石隆之の作品。まだ高校生だった彼は大阪に来てVanity Records作品の多くをレコーディングしたサウンドクリエイションにおいて1日で録音した。
『ロック・マガジン』では「家具の音楽」を特集していたが、「家具の音楽」とは、元々フランスのベル・エポック時代の作曲家エリック・サティが「家具のように、そこにあっても日常生活を邪魔しない音楽、意識的に聴かれることのない音楽」をコンセプトとしていたものだ。「家具の音楽」の思想はその後ブライアン・イーノによって「Ambient Music」へと昇華させた。
Vanity Recordsの『BGM/Back Ground Music』(1980/09)もこの系譜に位置される。
1980年代以降音楽が新たな展開を見せる前夜に出された「Erik Satie Funiture Music特集」号(1980/11)では、サティの音楽や思想そのものの捉えなおしを行い、工業神秘主義音楽などオルタネイティヴな世界への準備を行ったのである。
その展開としての”Back Ground Music”は、ブルガリアの思想家エリアス・カネッティ『群集と権力』で記述されているアーケードの中の群集、大衆の中に存在する潜在意識、意識下で蠢く醒めた欲望機械のための音楽だ。
群集の複数の足音は、ある瞬間から創発性をおび時代の意味深長なリズムとなり、体内整流音楽へと変化する。『BGM』は突如として身体に現れる創発性の音楽として意識された。
ちなみに同じタイトルの「YMO」の『BGM』は1981年3月にリリースされたが、全く異なる音楽である。
なお現在、白石隆之は80年代に体験した音楽を昇華し今日の音としてリリースを予定しているときく。さてどんな響きを提供してくれるか楽しみだ。
Ⅲ Y.Hirayama
「Neo Dancer」と名付けられた曲が象徴するように、モダンなダンス・ミュージックとしてのファンクに執心した作品。同時代にパンクとファンクを交配させていたジェームス・チャンスよりも、ダブの催眠的なグルーヴをも取り入れたパブリック・イメージ・リミテッドなどに共鳴したサウンドである。同じくしてダブとファンクに触発されたRNAはエレクトロニクスに特化し、ミックス≒作曲な方法論をとっているが、こちらはあくまで演奏が主体となっており、終始ベースがギターやシンセを押しのけつつ活躍しているところもポストパンクという時代を感じさせる。中心人物の白石隆之は後にテクノやアンビエントに居場所を見つけるが、言葉を伴うことなく「アブストラクト」と曲名でも示されるように抽象であり続ける音楽を考えれば、それも必然に思える。