VANITY INTERVIEW
③ ANODE CATHODE(Part 1)

VANITY INTERVIEW ③ ANODE CATHODE(Part 1)
インタビュアー 嘉ノ海 幹彦


『音楽の影を巡って』

金野ONNYK吉晃。70年代から音楽家としてのみならず文筆家としても活動されている。Web上に最近の文章が掲載されているので閲覧願いたい。

https://jazztokyo.org/?s=ONNYK

この会話が始まってから想定されていたことだが、音楽以外に多方面に展開されたので、今回とは別に掲載したいと思っている。併せて読んで頂くと金野ONNYK吉晃の世界はもっとわかる。
ここでは、「当時何を考えていて、そして今の時代の中で何を考えどのように読み取っているのか、そして金野ONNYK吉晃とって音楽とは」を中心にインタビューした。タイトルの『音楽の影を巡って』は『ロック・マガジン』01号 1981/01 に「この音楽家たち そして電気配線され」として掲載されていたAnode/Cathodeの「我々は《音楽》を聴き得ない、我々が聞くのは《音楽》の影である」から拝借した。

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◆Anode/Cathode:金野ONNYK吉晃
●嘉ノ海幹彦

●Anode/CathodeはVanity Recordsの『MUSIC』に入っていますが、リリースされた経緯はどのようなものだったのでしょうか?

◆たしか、坂口卓也さんだったと思いますが、この雑誌でコンピレーションを計画してカセットを募っているようだから出してみてはと薦められました。
送付の後しばらくして夜に自宅に電話が有り、『ロック・マガジン』の編集部を名乗る女性が「貴方の作品を使います」とだけ伝えられました。それは嬉しい事で、待っていたのですがその後何も連絡はなく、どうなったのかも分かりませんでした。私の地域では『ロック・マガジン』を入手するのが難しかったのです。しかしあるとき友人が、君の作品を収録したレコードが出ていると教えてくれ、しかもそれはもう入手不能で、名前も間違っているということが分かりました。これは非常に不服だったので、リリース前に確認すべきとか、当然もらう権利が有るのではないかなど、一度手紙を書いた事が有ります。しかし反応はありませんでした。その意味ではヴァニティに不信感を抱いた次第です。

●当時はそのあたりが当たり前にいい加減でした。申し訳ないです。言い訳にしかなりませんが、リリースするという想いの方が強くミュージシャンの事は考えられていませんでした。
「カセットを募っているようだから」とは1980年11月発刊の『ロック・マガジン』特集エリック・サティ Funiture MusicのLAST WARDで阿木さんがカセットテープの募集をしていました。このことだと思います。
ONNYKやAnode/Cathodeの由来は?また名前に対する想いなどあれば教えてください。金野さんはONNYKという名義を使い続けていますよね。最近、貴重な電子音楽や実験音楽のアーカイヴスをリリースしている「omega point」からの『Eary Electronic Works』を聴きました。ここではONNYK名義でした。

◆アノード/カソードは友人と計画したフィクションのひとつでした。そのような謎のバンドがアメリカの西海岸に存在して、彼等のデモテープだけが残され、それを所有していた知人も行方不明になったというストーリーです。後にアメリカにアノードというバンドがあったり、日本の某氏がそういう名前で活動されたのも知りました。単に電気的なニュートラルな、情念を感じないような名前をと思いました。
ONNYKはKINNOの綴りを逆にしてYに変えただけです。YKは私のイニシャルでもありますので。これは私の立場を逆さまにしたら、といった気持ちも有りますが、当時邦文をローマ字で書いて逆から読み、それを録音して逆に再生する、といったことが好きでしたから。たまには「鬼句」という名で定型詩を詠む事もあります。金野と吉晃の間に挟むのはジャズトーキョーで最初にそう記載されたからです。

●『ロック・マガジン』で好きだった(気に入っていた)号は何号でしょうか?

◆先ほど書きましたように殆ど入手不能で、関西エリアに住む友人がたまに送ってくれたのを眺めていました。あるいはコピーをもらいましたが、当時はモノクロコピーでも高かったですから。探せば出てくると思います。そういえば漫画ももらった覚えがあります。

●当時聴いていた音楽は?叉影響を受けたアーティストやレーベルは?

◆私は日本以外のポップス、ロック、フリージャズ、即興演奏、現代音楽、民族音楽、音響彫刻など全般に聴いていました。
プログレは思春期の始めから、ジャズロックは高校時代、ザッパにもはまりました。パンクにはあまり関心がなく、テクノポップは機材が無く、二十歳あたりで、インダストリアル、ニューウェーヴに接し、丁度色々機材を持つ友人もいて録音を開始したのです。
あ、『NO NEW YORK』と、<ほぶらきん>はショックでしたね。前者についてはイーノへの関心が強かったので「そうきたか!」という印象。また後者には正直言葉を失いました。
もうひとつ、坂口さんからもらったSMEGMA、LAFMSのビデオは、なんというか、涙がこぼれましたね。いろんな意味で。根源的情動と超越的痴性。
しかし次第にINCUS, ICP, FMP, METALANGUAGEなどの即興演奏への傾倒が始まりました。
若い頃にはこう考えていました。
「非イディオマティック即興演奏は、どのような音楽文化、様式、技術からもメタ化した、構造化を拒否する演奏/聴取〜音楽体験である。従って現状の経済体制にも依存しない、所有権や固有名を拒否し、商品生産、経済活動たりえないものだ。だから我々その実践者は、社会体制への異議を唱えているということでもある」
まあ、理想主義です。社会主義革命を信奉するようなものです。
それが「第五列」を始め、Anode/Cathodeをやった頃ですね。Anode/Cathodeは敢えてロックを採用したのですけど。

●現在関心があるアーティストは?

◆音楽家という意味では作曲家が多いです。また忘れられた音楽家、作曲家、残された録音などに関心が有り、最新のものはあまり知りません。
最近は毎日ストラヴィンスキーを聴いています。友人が、ストラヴィンスキー自信が指揮した21枚組を貸してくれたせいもありますし、ザッパを語るには知らずにはおれません。
またかつては殆ど聴かなかった邦楽、民謡なども積極的に聴いています。自分でも邦楽器を触れています。
音楽以外の意味でも現代のものより、近代ですね。あるいは古代かもしれません。

●上記質問の関連ですが、2020年の音楽をどのように読み取っていますか?
(ヴェイパーウェイブなどの動きも含めて)

◆今の音楽を殆ど知らないので、友人のDJなどに教えてもらう程度です。しかし「あいみょん」とかはヤバいなと思いました。私が権力者で為政者なら即、放送禁止にするでしょう。それくらい言葉の魔力は有りますね。
椹木野衣の本を読んで「ああ、ポップスの歴史、いや音楽の歴史は、いちはやく終わったというか、少なくとも折り返し点は回ったのだなあ」と思いました。しかし即興演奏だけはその牙城を守るだろうなどと暢気に考えていました。しかし結局、いわゆる非イディオマティック即興も、ある種のクリシェとイディオムのプールに過ぎないと思うに至り、では俺は如何にすべきと思ったのですが、何も見えてません。
では現在の音楽をどうとらえるか。丁度ヴェイパーウェイヴという言葉が出たので流れを示されたかのようですが、元々其の種の音楽はPC上で製作されているので、よりネット依存、VRへの参入が進展するのでしょうね。ライブをすることがあたかも罪悪視されるような情況が来ているのですが、音楽という現象の機能が、20世紀までのそれとは全く違う位相に移行するのかななどと思います。では過去の音楽の機能的問題などというとかなりくどくなりますし、社会学的視点になるのでしょう。ちょっと措きますね。
また私の常なる見方として、対発生、対消滅、対称性ということからすれば、上記のネット型音楽と丁度正反対の位相を持った儀式型、独立型の音楽が必ずや成長するでしょう。その芽は常にあるので、あとはその機会をうかがうだけです。

●現在の後期資本主義的社会をどのように感じていますか?特に人と社会との関係性において。またNet社会や次世代5Gなどの環境にどのように対峙しようとしていますか?

◆上記の回答に書いた通りです。

●今後の活動のプランを教えてください

◆私は今幾つかの活動領域を持っていますので列挙します。
JAZZTOKYOと「ちゃぷちゃぷレコード」とDEADSTOCK RECORDS関連のサイト、ブログへの寄稿。ちゃぷちゃぷではレコードブック単行本の出版も既刊あり、さらに出す予定のようです。
口琴デュオMUNDIIの活動。エフェクター使用でテクノ的、またベースを加えてダブ的なサウンドも作ります。
3ピースバンドTUBEROSEでの演奏。ライブ予定無し。近日中にユーチューブに動画あげようかと。
個人的な即興演奏活動。サックスやギターを中心に。なるべく生音でのリアルタイムの。
年一度のバンド「飛頭蛮」のライブ。
現在停止中のバンド「チェーンソウマサカーリターンズ」のレコーディング。
花巻市在住の周尾淳一とのコラボ。下記をご覧下さい。他にも有ります。周尾のソロ「山海経」は私のプロデュースです。

セクステット「NGAMOKAS」の活動。現在メンバーチェンジやコロナ騒ぎでライブ予定検討中。下記参照(右端が私です)

海外のレーベルから私の過去のソロやバンドのアルバムが、複数リリースされる予定です。2020年以内にという計画です。まあ80年代の日本のローカル、マイナーな音楽という意味で注目されているだけかもしれないのですけど、私が百歳くらいになれば、今やってる事が注目されて、新たなメディアに乗るのでしょうか。

●これからの音楽芸術はどのようになっていくと思いますか?
音楽を作成するに当たりどのようなことを考えていますか?またあなたにとって音楽とは?

◆複合的なご質問ですので一気にはお答えできません。
上記回答に関連してきますが、私はネット社会の一員としては最低レベルだろうと思います。あと二三年のガラケー使用者であり、ネットでの情報発信、収集もろくに出来ず、アナログ信奉者として、日々カセットのデジタル化だけせっせとやっている穴居人です。しかし自分の堀った穴の責任はとるべく、この穴を訪れる方にはなるべく誠実に接したいと思っています。しかし私が新たなラッダイトになるかとか、儀式的な部族的な方向にいくことはないでしょう。古い楽器を、古い音楽を愛でるハーミットなら格好いいかとか思いますけど。

●新型・コロナウイルス=パンデミックの同時代に対してどのような感想をお持ちでしょうか?生きている間にこのような時代と対峙することは、幸運にも(失礼)そうあることではありません。
金野さんに是非聞いてみたいです。

◆このウイルスは感染力が強く、症状は平均的には弱く、特定の条件の人に激烈になるというもので、感染は短時間接触でも、そして不顕性感染期間にも起こるという厄介な物です。ウイルス一個は生存サイクルが短いですからこの数ヶ月のうちにどんどん株の変異が起きるのは当然でしょう。じゃあワクチンも無駄?インフルエンザだってタイプ別のワクチンじゃないですか。何年もかけて作ったワクチンでさえ副作用が起きて社会問題になるほどなのに、あわてて作ったワクチンなんて危なくてしょうがない。それを接種義務化なんてされたらどうなるのでしょう。
と思ってはみたが、なんのことはない、パンデミック前から準備してたものがあるのだろうか。
この疾患騒動の一番の社会的問題は、個人意識の暗部に、また社会の構造にある「見えない差別」を助長して、市井の、無辜の、衆愚ほど行動に出ることではないでしょうか。善意の悪行というより、正義感の愚挙、デマゴギー推進性の「病い」です。放射性物質の汚染にも近い。
あるいはまた、攻撃的でない人は自虐的になり、引きこもり、他者との接触を極度に恐れる。
恐れの源と差別は不可視であるほど強調され、人と人を疎縁、隔絶する。と同時に、いかにもそれを補完するように見えるテクノロジーが幅を利かせてくる。
最近、盛んにCMでは高齢者のスマホデビューをあおり、家庭内、離れて住む家族間でのスマホコミュニケーションが重要だと売り込みます。
アフリカに感染者が増加しています。そこでも貧困層にさえスマホを持たせて、感染者への給付金をスマホ決済させる。スマホと、ドローンと、ロボットとが蔓延しているのです。
インフラの弱い地域こそ携帯電話、衛星放送の普及が早いということは知られていました。スマホ利用者に限れば、若者から壮年まででした。しかし給付金となれば、一斉に今まで関心の無かった世代や地域まで広がるでしょうね。まあそういうことなんですね。ある勢力が競って世界を乗っ取ろうとしている。単に利益が上がっただけではありません。支配域を広げています。テレワークだ、リモートだ、配信だ、そしてユーチューバーばかり持ち上げられる。この半年におけるIT産業とGAFA、マイクロソフトの収益が跳ね上がってるのはよく知られています。状況だけから判断すれば誰が得をしているか、誰が仕掛人かは見えてくるんじゃないですかね。一気に世界の支配の仕組みを変えようというのかな。しかし、そういう世界を望んでいる人々もある。
「プライバシー監視が嫌だとかいうより、生命の安全を「国家」が保障してくれるほうがいいじゃないですか、現金決済よりスマホでなんでも済ませられるのは便利じゃないですかという人達は少なく無い。あるいは「音楽なんてそのときかっこ良く聞こえていればいいんですよと。
構いませんよ。ただ、私はこんな世界が嫌だなと思うだけです。

●興味深い回答をありがとうございました。では、引き続き『「同時代精神」ある時代霊の働き』に移りましょう。