remodel 21 V.A.『VANITY Music, Tapes&Demos』

発売日:2020年4月14日
定価:¥13,000(-税別)
品番:remodel 21
仕様:□ポスター
□ブックレット16P
□ヴァニティ ロゴステッカー(大判)
□オリジナルボックス(135×135×37mm)
□CD11 枚組(紙ジャケット)BOX SET
□CD-1,2,11 はオリジナルマスターテープよりデジタルリマスタリング
□CD-3,4,5,6,7,8,9,10 はオリジナルカセットテープよりデジタルリマスタリング
□ジャケットデザインはオリジナルをベースに再制作

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V.A.
VANITY Music,Tapes&Demos

CD-1 Music 1(2 枚組-①)
CD-2 Music 2(2 枚組-②)
CD-3 SALARIED MAN CLUB-Gray Cross
CD-4 KIIRO RADICAL-Denki Noise Dance
CD-5 DENSEI KWAN-Pocket Planetaria
CD-6 INVIVO-B.B.B.
CD-7 WIRELESS SIGHT-Endless Dark Dream
CD-8 NISHIMURA ALIMOTI-Shibou
CD-9 DENSEI KWAN-P’
CD-10 V.A.-Demos
CD-11 SYSTEM-Love Song

remodel 21
14.Apr 2020 release
13.000yen+tax

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2019年10月発売と同時にソールドアウトしたヴァニティ「Musik」(2CD)と「Vanity Tapes」(6CD)待望の再発!!未発表音源2枚と未CD化音源1枚を加えた11枚組CDボックス。

<作品概要>
CD-1,2 V.A.「Music」
全国各地からロックマガジンへ送られてきた100 本以上のカセット・テープの中から選出された13 組を収録した2 枚組コンピレーション。手頃になったシンセサイザーやマルチ・トラック・レコーダーの登場で80 年代中期から世界中のアンダーグラウンド・シーンで活性化するエクスペリメンタルな宅録テープ音楽発生初期のモニュメント作品。テープ・ヒス・ノイズまみれでロウファイな音質を超えた様々なアイデアとDIY スタイルの集積。オリジナルLP リリース時のスペル・ミス、曲名誤記を訂正。

CD-3 SALARIED MAN CLUB「Gray Cross」
ホワイトカラーとしてのアイデンティティを高らかに宣言するサラリーマン3 人組が奏でる頭脳労働インダストリアル・サウンド。京都dee-Bee’s でライヴ活動も行っていた。イーレムのコンピレーション・アルバム『沫』にも参加している。オリジナル・テープ・リリース時の曲名誤記を訂正。

CD-4 KIIRO RADICAL「Denki Noise Dance」
鳥取県米子市の持田雅明による『黄色ラジカル』。繊細で隅々まで計算の行き届いたミニマル電気ノイズの乱舞は阿木から「今の時点では日本のエレクトロニクス・ミュージックの頂点」と絶賛された。『Music』にも5 曲収録されている。

CD-5 DENSEI KWAN「Pocket Planetaria」
福島市の斎藤英嗣による『電精 KWAN』。オリジナル・テープには稲垣足穂めいた ” 因果交流、電燈は少年のズボンの隠しでカチコチなる一箇のビー玉でありま す(ポケット・プラネタリーム概論)” というテキストが添えられていた。電子の精が騒めく箱庭的ノイズ世界。

CD-6 INVIVO「B.B.B.」
逗子市のタチバナマサオによる作品。前半6曲は『In Vivo:生体内』、後半6曲は『In Vitro:試験管内』と生物学用語が付けられた顫動する音のバイオミュータント生成実験の記録。『Music』にも1曲収録されている。

CD-7 WIRELESS SIGHT「Endless Dark Dream」
ミニコミ誌『無線音楽』を発行するワカエ・クニエのプロジェクト。ピアノ、メトロノーム、ラジオ・ノイズだけを使い、静謐でポスト・クラシカルなアンビエント空間をスケッチ。映像と舞踏を絡ませたパフォーマンスも行う。

CD-8 NISHIMURA ALIMOTI「Shibou」
西村有望のソロ名義作『脂肪』ギター/ベース/ドラム/ヴォイスのバンド編成で初期アモン・デュール、メタボリストなどを想起させるプリミティヴで重く引き摺ったオルタナティヴ・サイケデリック・ロックを聞かせる。

CD-9 DENSEI KWAN「P’」(未発表)
阿木譲の所蔵カセットテープから発掘された未発表アルバム。CD-5の作風がより深化し構成力が高まっている。40年近く前の作品とは思えない斬新さ。

CD-10 V.A.「Demos」(未発表)
「Music」と「Tapes」に収録された3アーティスト(SALARIED MAN CLUB、ONNYK:Anode/Cathode、DENSEI KWAN)から新たに提供された当時のデモ音源を編集したコンピレーション。

CD-11 SYSTEM「Love Song」(初CD化)
大阪で短期間活動した女性5人組。ロックマガジン誌1981年36号付録ソノシート(Vanity8102)。オリジナルマスターテープを宇都宮泰がリマスタリング。ライヴではアーント・サリー、ティーネイジ・ジーザス、マラリア!を混合したようなアグレッシヴな楽曲を展開
していた。

remodel 30 V.A.『Demos / SALARIED MAN CLUB ONNYK DEN SEI KWAN』

発売日:2020年9月18日
定価:¥2,000(-税別)
品番:remodel 30

Amazon  https://amzn.to/310QYbE
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V.A.
Demos / SALARIED MAN CLUB ONNYK DEN SEI KWAN

1 SALARIED MAN CLUB / Perspective
2 SALARIED MAN CLUB / Close My Eye
3 SALARIED MAN CLUB / Intellectual Mirror
4 SALARIED MAN CLUB / Epilogu
5 ONNYK / Talk in the Dark
6 ONNYK / Homage to the Luminous Animal Living in a Far an…
7 ONNYK / My Stygma
8 ONNYK SOLO / Onnyk self trio
9 TOZAWA + ONNYK / TOZAWA + ONNYK
10 EXCERPT FROM HMN SESSION / Homemade Noise X
11 DEN SEI KWAN / Last

remodel 30
18.Sep 2020 release
2.000yen+tax

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『Music』や『Tapes』(ノイズ・ボックス)などへ収録された3アーティスト(SALARIED MAN CLUB、ONNYK:Anode/Cathode、DEN SEI KWAN)から新たに提供された当時のデモ音源を編集したコンピレーション。1981年前後に制作されており、当時のVanity Recordsが新時代の音として打ち出した “INDUSTRIAL MYSTERY MUSIC=工業神秘主義音楽” の光景を映し出す貴重な音源。特にSALARIED MAN CLUBの音源が放つ単独作に劣らぬ荒涼としたヴィジョンは必聴だ。

<作品概要>
『Music』や『Tapes』(ノイズ・ボックス)などへ収録された3アーティスト(SALARIED MAN CLUB、ONNYK:Anode/Cathode、DEN SEI KWAN)から新たに提供された当時のデモ音源を編集したコンピレーション。
これらの音源は1981年前後に制作されており、当時のVanity Recordsが新時代の音として打ち出した “INDUSTRIAL MYSTERY MUSIC=工業神秘主義音楽” の光景を映し出す貴重な音源だ。
SALARIED MAN CLUBの4曲はVanityからリリースした単独カセット作『GRAY CROSS』に通じるモノトーンな音の配列とそれが生み出す匿名的な世界観が印象的な作風だが、1曲目と4曲目ではより荒涼とした音風景が描かれ、また2曲目と3曲目ではリズムが強調されるなど、統一性を損なわないレベルではあるものの空気感に幅が感じられる。
Vanityからのコンピレーション『Music』にAnode / Cathodeとして参加していたONNYKこと金野吉晃の音源はエレクトロニクスやドラムマシンの機械的なループの上を自在に泳ぐあまりにも見事なソプラノサックスの演奏が印象に残る。彼がこの時期Vanityに関わったミュージシャンの中でも器楽的即興のテクニックを特筆すべき高いレベルで有していたことは1982年にEvan Parkerと共演を果たすことなどから明らかだが、本作の収録曲はそれをサウンドで実感することができる貴重なものである。同時にこれは工業神秘主義音楽とは異なる方向性への進歩を予感させるものでもあり、彼の音楽がVanityからのソロ・リリースなどへは結びつかず、レーベルAllelopathyの設立など独自の活動へ繋がっていくことが頷ける内容だ。
DEN SEI KWANはラストの1曲のみを提供。1979年か1980年の作で、コーネリアス・カーデューのピアノ曲「アイルランドおよびその他の作品に関する4つの原則」のアイルランド民謡が空間をぐるぐると回るノイズ・ドローン的な音響にかき消されていく。

よろすず

『ロック・マガジン』とVanity Recordsと音楽的背景と当時のことなど 後半
嘉ノ海幹彦(元ロック・マガジン編集/FMDJ)

嘉ノ海幹彦が関わった編集物リスト

■『fashion』について
『fashion』は音楽とは一線を引いた商品の表象としてのポータルマガジンとして発刊された。阿木は『ロック・マガジン』2004号で定期的に本を出すと宣言している。その段階では誌名は「ポップ」と考えられていた。しかし誌名が『fashion』になったのは、「ファッションは生活の中で、時代毎の世界観と宇宙観の反映であり、建築、芸術、モード、産業、そして音楽にいたるまでくまなく反映されるものだ。ファッションはひとつひとつ掘り下げて時代の読み解きを行う」というコンセプトによる。
レイアウトや装丁は阿木が行った。楽しそうに本というオモチャ箱を遊んでいる感じだった。細かい部分でのデザインセンスが光る。

fashion 1 1980/04 特集1960’s
1960年代の精神の系譜を特集。60年代の商品を中心とした生活スタイル、モッズ、消費社会としての文化を掘り下げ時代そのものを再評価することを目的として編集された。当時のモッズシーンについて羽田明子の取材記事が掲載されている。60年代の時代精神は一体何を残したのか。
なお『VANITY Music,Tapes&Demos』の意匠はこの号のブックデザインを踏襲している。

fashion 2 1980/06 特集Plastic
「私は、可塑性である/強靭である/軽量である/断熱性である/曲線的である/電気絶縁性である/重合する/流れる/全てのプラスティック・ピープルよ!「重合」し、「流れ」、「変態」せよ!! 」から始まる巻頭のプラスチック宣言では、性質の可塑性に注目し様々な要素を容体化させるプラスティック・フォースの現われを分子構造から生活用品まで展開している。「変容」を追求したゲーテ形態学との関連で「プラスチックの源流はゲーテである」と語る松岡正剛やプラスティック・ピープル、人口臓器メーカー、美容整形医師などへのインタビューも掲載した。本誌左下に仕掛けられたパラパラ動画のミスター・スポックがcontinuous photography(連続写真)により服を脱いだり着たりする。

fashion 3 1980/08 特集MACHINE
1968年にニューヨーク近代美術館で開催された「機械(MACHINE)….機械時代の終わりに」展についてのポントゥス・フルテンの翻訳である。レオナルド・ダ・ビンチから大阪万博のペプシ館のE.A.T.(Experiments in Art & Technology)グループまで記載した書物だ。MACHINE=機械というものを中心にそれに纏わる精神技術史といってよい。もちろんマルセル・デュシャンやジャン・ティンゲリーやナム・ジュン・パイクも紹介されている。ジャン・ティンゲリーの音響装置は、フランツ・カフカの『流刑地にて』の殺人機械や後のマイク・ポーリンのサバイバル・リサーチ・ラボラトリーを連想させる。

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■1980-1981の『ロック・マガジン』について

『ロック・マガジン』2003号 1980/01 特集 MUSICA VIVA
戦後電子音楽スタジオが国を上げて開設されるが、特にドイツ、日本、イタリアなどの敗戦国ではすぐに取り掛かり、MUSICA VIVAの作曲家が活躍することになる。電子音楽はミュージックセリエリスムに応用され音の響きを重視した音楽へと変貌する。「耳は聴かない。聴くのは知性だ」とはMUSICA VIVAの作曲家で確率論を音楽に導入したヤニス・クセナキスの言葉だが、音楽を体験するためのヒントを与えてくれる。
さて、ここで少しこの特集号にまつわる当時の状況とこの本の必然性について述べたいと思う。MUSICA VIVA特集が出版された1980年という年は、70年代後半よりニューヨークに端を発したパンク・ムーブメントがイギリスで商業化されセックスピストルズに象徴されるようなロックミュージックに展開している時代であり、もう一方でROUGH TRADEのような反商業主義的な動きの中にあった。後者からはザ・ポップ・グループやスリッツ、キャバレー・ボルテール、スロッビング・グリッスルなどが出現し、日本ではミラーズ、ミスター・カイト、フリクション、SKENなどの東京ロッカーズやSS、アントサリー、イヌ、ウルトラ・ビデなどの関西NO WAVEと呼ばれたグループが活動していた時代でもある。
そしてイギリスのファクトリー・レーベルから出ていたジョイディビジョンのボーカリスト、イアン・カーティスの死によって決定的な相違が80年を境に出現してくる。先に上げたスロッビング・グリッスル達は歌詞を持たないミュージシャンであり、表現主義的なジョイディビジョンの終焉と共にインダストリアル・ミュージックとクラブ・ミュージックが出現してくるのである。言葉を持たない音楽は言葉以上に語りだすのである。


『ロック・マガジン』2005号 1980/05 特集 ROUGH TRADE
自らの手で自らの音楽を作り上げるシステムとしてイギリスの独立レーベルROUGH TRADEと呼応するように、阿木は「ソニック・デザイナーと呼ばれる新しい姿勢を持ったアーティストたち」を記載している。
「RNA ORGANISM」「Normal Brain」「SYMPATHY NERVOUS」をソニック・デザイナーと評している。「総てのハードウエアを自分のものにし、機械を自身の中枢神経の延長線上のシステムととらえ、音をデザインすること」をソニック・デザイナーと定義する。これは、『ロック・マガジン』次号の「日本のハイ・テック・マシーン達」への前哨であり、Vanity Recordsが果たす新たな役割を模索している。


『ロック・マガジン』2006号 1980/07 特集 Alternative Music
「cabaret voltaire」、「the pop group」と同等に「tolelance」、「rna・o」、「sympathy nervous」の名前が表紙に記載されている。「魚の側線のような触覚を持った、テクノ・ポップ以降に現れた日本のハイ・テック・マシーン達」と題してP8-15に8ページにわたってVanity Recordsのミュージシャンが紹介されている。「Mad Tea Party」と「Perfect Mother」をシングルリリースしたミュージシャンも加えて彼らが自らの言葉で自らの創作する音楽について語っている。


『ロック・マガジン』2007号 1980/09 特集 sordide sentimental
2006号と同様に「Throbbing Gristle」、「Joy Division」と「b・g・m」、「normal brain」の名前が表紙に記載されている。
『sordide sentimental』はジャン・ピエール・ターメルにより1978年にフランスで創刊された7inchレコードが添えられている書物だ。『ロック・マガジン』と同様にデザインと言語により音楽を通して時代を読み取るための思想を持つ雑誌であり、既に「Throbbing Gristle」、「Joy Division」などをリリースしていた。『sordide sentimental』と呼応するために急遽特集を組んだ号である。
また1979年設立のmute recordsや1978年設立のfactory recordsのその後展開される様子が羽田明子の取材を交えて掲載されている。「TAPE RECORDED DIALOGUE」とタイトルが付いた記事では、Vanity Recordsのミュージシャン達である「tolelance」、「b・g・m」、「sympathy nervous」、「normal brain」が参加してP82-87に6ページにわたり座談会形式でエレクトロニクス機器と感覚や感性について話している。


『ロック・マガジン』2008号 1980/11 特集 Erik Satie Furniture Music
「家具の音楽」とは元々エリック・サティが「家具のように、そこにあっても日常生活を邪魔しない音楽、意識的に聴かれることのない音楽」をコンセプトとして作曲されたものだ。ジョン・ケージがその考えを引き継ぎ「4分33秒」を作曲しブライアン・イーノが「Ambient Music」へと昇華した。Vanity Recordsの『BGM/Back Ground Music』(1980/09)も「家具の音楽」の系譜に位置される。特集ではサティの音楽を中心にベル・エポック時代の芸術と現代のロックを結び付けようとした。サティはグレゴリオ聖歌に代表される教会旋法を二十世紀に蘇えらせ神秘主義的教会音楽を多く作曲したが、スロッビング・グリッスルやキャバレー・ボルテールなどの音楽も同列に編集し、そしてサティの音楽や思想と1980年代に誕生したオルタナティヴな工業神秘主義音楽などを連続性を持って享受するための準備を行ったのである。


『ロック・マガジン』01号 1981/01 特集 INDUSTRIAL MYSTERY MUSIC=工業神秘主義音楽
2020年に亡くなったジェネシス・P・オリッジが「industrial music for industrial people」として展開したindustrial musicを工業神秘主義音楽と名付けた。紙面ではダンスミュージックと同時に音声詩、ダンス、シャーマニズムなどを同時に掲載。この号では以前からロシア構成主義やドイツ表現主義を生んだ時代の衝動について話を聞きたかった方々へのインタビューも平行して実施した。ロックではギャバレー・ヴォルテールやバウハウスが登場しアダム&ジ・アンツが「未来派宣言」を歌っていた。生まれたてのロックミュージックに20世紀初頭の未来派の精神が甦る。池田浩士はドイツ文学者でファシズムと大衆文学を研究している。また表現主義やフランツ・カフカを教養小説(人が体験を通して社会=時代の中で内面的に成長していく過程を描く小説)の文脈で読み解く人でもある。松岡正剛は「音楽の呪術的要素」と「第三商品論」を語った。土居美夫はスイスのチューリッヒで1916年に開店したキャバレー・ヴォルテールの店主でありボール紙の司祭フーゴ・バルの研究者である。バルの「時代からの逃走」を翻訳しただけではなくワシリー・カンディンスキーやパウル・クレーの研究者でもあるのだ。イギリスのシェフェールドのバンド、キャバレー・ヴォルテールやバルの音声詩「Gadji beri bimba」をロックにしたトーキングヘッズの「I Zimbra」の感想も聞いた。土居はバルがチューリッヒ・ダダの拠点となったキャバレーボルテールを閉店した後「キリスト教神秘主義」の研究をしていたと資料とともに教えてくれた。黄寅秀はヤンハインツ・ヤーンの『アフリカの魂を求めて』の翻訳者であり在日の韓国人。アフリカでは元々音楽は哲学であり医療でもありシャーマニズムの源泉でもあった。アフリカ人の移住に伴いその土地の音楽と融合し変化し新たな様式を生み出した。世界に広がった音楽そのものの有用性について聞いた。またこの号から版形も紙もレイアウトも全く変わった。阿木が表紙の片隅に、溺れた友人を助けようとして自らも溺死したドイツ表現主義の詩人ゲオルク・ハイム(1887-1912)の詩を余ったインレタを使ってローマ字で記載している。阿木流の編集である。
ここに全文を掲載したい、忘れ去られた幻視者(詩人)の声を。

ぼくらの病気は、ぼくらの仮面である。
ぼくらの病気は、際限のない退屈である。
ぼくらの病気は、怠惰と永劫の不休のエキスのようなものである。
ぼくらの病気は、貧困である。
ぼくらの病気は、ひとつの場所に縛りつけられていることである。
ぼくらの病気は、ひとりではいられないことである。
ぼくらの病気は、いかなる天職ももなたいことであり、もしなにか天職をもっているとすれば、その天職をもっていることである。
ぼくらの病気は、ぼくらにたいする、他人にたいする、知識にたいする、芸術にたいする不信である。
ぼくらの病気は、真剣さの欠如であり、いつわりの陽気さであり、二重の苦悶である。だれかがぼくらに言った、きみたちはそんなにおかしそうに笑っているではないかと。
この笑いがぼくらの地獄の反映であることをその人が知ってくれればいいのに。ボードレールの「賢者はただ身を震わせて笑うばかり」のにがい反対であることを。
ぼくらの病気は、ぼくらがぼくら自身に定めた神にたいする不服従である。
ぼくらの病気は、言いたいことの反対のことを言うことである。ぼくらは、聞き手の表情にあらわれる印象を見つめながら、われとわが身を苦しめざるをえない。
ぼくらの病気は、沈黙の敵になっていることである。
ぼくらの病気は、世界の日の終末に、その腐臭に耐えられぬほどに息苦しい夕ぐれに生きていることである。

興奮、偉大さ、ヒロイズム。以前はこの世界は時おりこれらの神々の影を地平線のあたりに見た。今日ではこれらは劇場の人形にすぎない。戦争はこの世界から出て逝ってしまった。永遠の平和が戦争をあわれに埋葬したのだ。
かつてぼくらは、こんな夢を見た。ぼくらはある名付けようのない、ぼくら自身も知らない罪を犯したのであった。ぼくらはある悪魔的な仕方で処刑されることになっていた。
ぼくらの眼のなかにコルク栓抜きをねじこもうというのであった。しかし、ぼくらにはどうやらまだ逃げだすことができた。
そして、ぼくらは――心に途方もない悲しみをいだきながら――むら雲の陰鬱な区画のなかをかぎりなく通っていく秋の並木道を、かなたへと逃げていくのであった。

この夢はぼくらの象徴ではなかったろうか?
ぼくらの病気。ひょっとするとなにものかがそれを治せるかもしれない。たとえば愛が。しかし、ぼくらはあまりにも重い病気にかかっているので愛でさえもできなくなっていることを、ついには認めざるをえないのであろう。

しかし、なにかがある。それこそぼくらの健康というものだ。三たび「それにもかかわらず敢えてなお」と言うこと、古参兵のように三たび手につばをつけること。
そしてそれから、西風に駆られる雲のように、ぼくらは街路を抜けて遠く、未知なるものへ向かっていくことだ。
「戯画」1911年6月19日 ゲオルク・ハイム 本郷義武訳


『ロック・マガジン』05号 1981/09 特集 SUR-FASCISM
ジョルジュ・バタイユの「コントルアタック」の時代とノイエ・ドイチェ・ヴェレを中心とした最先端の音楽を同紙面に掲載した。パリの「社会学研究所」コレージュ・ド・ソシオロジーとDAFの2拍子と強制収容所の音楽とジョルジュ・バタイユ、知らぜらる快楽主義者ピエール・クロソフスキー、ヴァルター・ベンヤミン、ロジェ・カイヨワなど。それらを「シュル-ファシズム宣言」として掲載した。
シュル-ファシズム(SUR-FASCISM)は、ヨーロッパ全土をパンデミックに席巻しはじめたファシズムに、哲学者であり作家のジョルジュ・バタイユや芸術家のアンドレ・ブルトンをはじめとした知識人や芸術家がファシズムの狂気を超える「狂気の超現実主義的ファシズム」(=シュル・ファシズム)で闘いを挑んだ。「コントルアタック」とは、この生死を賭けた芸術家のレジスタンスの名称のことである。西洋は、かつて経験のした事のない時代に突入した。強制収容所は現実化し、終末を歌わしてはくれない。
シュル-ファシズムと併せて音楽では、デア・プラン、DAF、ディー・クルップス、ヴィルトシャフツヴンダー、マラリア、アブヴェルツ、パレ・シャウンブルク、ディー・レミング、ソラックス・バッハ、ザオ・セフチェック、リーフェンシュタール、タンク・オブ・ダンツィッヒ、サイキックTV、ルイス・アンド・ギルバート、PIL、キリング・ジョークなどを紹介した。

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※ 文中敬称略

最後になりましたが、この文章を書くにあたり、機会を与えて頂いたスタジオワープの中村泰之さん、内容についてのアドバイスと校訂を担当してくださった能勢伊勢雄さんに

『ロック・マガジン』とVanity Recordsと音楽的背景と当時のことなど
嘉ノ海幹彦(元ロック・マガジン編集/FMDJ)

V.A.『VANITY Music, Tapes&Demos』

V.A. 『VANITY DEMOS』

TOLERANCE『TOLERANCE』

『ロック・マガジン』とVanity Recordsと音楽的背景と当時のことなど
嘉ノ海幹彦(元ロック・マガジン編集/FMDJ)

2020年4月14日(故阿木譲の誕生日)に「きょうレコード」からremodelとしてそれぞれのコンセプトにふさわしい意匠を凝らした3BOXがリリースされた。特に『VANITY Music,Tapes&Demos』のCD-BOXは、1980年4月に創刊されたポータル・マガジン『fashion』01号のブックデザインを踏襲しており表象そのものが経年の色彩を纏って音楽作品として甦った。今回リリースされたこれらVanity Recordsの作品群は、世界同時的に発生したインディペンデント・レーベルと呼応し、霊的衝動と呼ぶべき情動の中で生み出された1980年代音楽シーンにおける時代精神の痕跡である。
ここでの時代精神とは、80年代の社会のなかで音楽が告げたオルタナティブな精神のことである。それは多様な表現へと分化していった精神的な生命運動のようなものだ。しかも音楽は時代の「気分」と深く関わり、それゆえに最も影響力が強いものである。
『ロック・マガジン』が行ってきたことは、音楽を通して時代を読み解く行為であり、強い内的要請に基づくものだった。換言すれば、時代精神が『ロック・マガジン』を生み出したということだ。そして今も自分の音楽体験の基本となっている。

それでは未発表音源の響きを聞きながら当時の背景などを記述しよう。

■Vanity Records設立の時代背景と阿木の想い
Vanity Recordsは、1976年の『ロック・マガジン』創刊から2年後の1978年に設立された。CD-BOX(Vanity Demos)に同封されたブックレットには2010年の阿木譲が自分自身の言葉でVanity Records設立を思い立った経緯とインディペンデント・レーベルの功罪について記載している。阿木は独立レーベルを想起するにあたり、イギリスの新興レーベルであったVirgin Recordsでリリースされる音楽に大いに刺激を受けていることが分かった。また阿木は、一部のインディペンデント・レーベルが商業主義的影響を受けオルタナティブな新しい音楽をリリースしなくなったのも同時に見ていた。
阿木はそのことを踏まえレコード産業の思惑に左右されないミュージシャン主体の新しい音楽をリリースするレーベルを作りたいと思い、Vanity Recordsを1978年に設立したのである。当時の『ロック・マガジン』に記載されているが設立には阿木の並々ならぬ想いが溢れている。(拙文Vanity Recordsと『ロック・マガジン』1978-1981参照)
また『ロック・マガジン』誌上でも紹介したが、イギリス、ドイツ、フランス、ベルギー、アメリカなどにおいてVanity Recordsと同様に自由で何の制約も受けない自らの意思で運営できる新興レーベルが同時多発的に誕生するのである。これらの動きにも時代霊が大きく作用しているとしか思えないのである。
またこれら新興レーベルの運営主体はミュージシャンやプロデューサーであり、商業主義から影響を受けないようなディストリビュートの仕組みを含めて設立されている。

ちなみにこの時代に設立された代表的なインディペンデント・レーベルを列挙してみた。
これらのレーベルが1980年代の時代精神を牽引したのだった。
1972年
Virgin Records
Ralph Records
Cramps Records

1975年
Obscure Records
Sky Records

1976年
Industrial Records
Los Angels Free Music Society
Stiff Records

1977年
Beggars Banquet Records

1978年
Vanity Records
Lovely Music
Recommended Records
ZE Records
Fetish Records
Factory Records
sordide sentimental
Small Wonder Records
ROUGH TRADE
Cherry Red Records

1979年
2Tone Records
COME ORGANISATION
United Dairies
Mute Records
4AD
Crass Records
Ata Tak Records

1980年
Zickzack Records
LES DISQUES DU CREPUSCULE

■『ロック・マガジン』とVanity Recordsの1980年代よりの展開
「1980年までは、81年からの80年代音楽を準備する期間だった。だから1980年はまだ70年代なんだよ。」阿木譲は音楽と時代性との関連を話題にしたときに、1970年代というのは71年から80年までのことで1981年からが本当の80年代が始まるのだとよく話していた。
そのとおり1980年は『ロック・マガジン』とVanity Recordsにとって大きな変化があった年だった。
81年に入ると「時代性」に特化した『fashion』も03号まで出版したが休刊とした。04号は特集「スーパーマーケット」の予定だった。
第二期『ロック・マガジン』最後の号である1980年11月発刊の特集エリック・サティ Funiture Musicのlast wordで阿木は要約すると以下のことを書いている。
1.1年前までのロックマガジンのバックナンバーを処分
2.千駄ヶ谷にあった東京事務所を閉じる
3.大阪の編集室を引越す
4.11月5日に『B.G.M』を、12月5日に『ノーマルブレイン』をリリース
5.年内(1980年)にはカセットテープからLP2枚組みの「ノイズ」というタイトルでリリース
※実際は『MUSIC』としてリリースされた
6.11月までにカセットテープの送付を呼びかけ

第三期の『ロック・マガジン』から東京事務所を閉じた関係もあり『遊』の広告は掲載されているが、工作舎とも疎遠になった。『ロック・マガジン』と関係のある出版社はなくなった。もとより音楽他誌には関心がなかったし書店で手に取ることもなかった。当時Throbbing GristleやCabaret Voltaireをまともに紹介しているメディアもなかったからだ。
時代に先駆けて出現しつつある新しい音楽を現前させるという使命感で『ロック・マガジン』は再スタートした。ライターにしても松岡正剛をはじめそれまで掲載されていた個人原稿もなくなっている。
言葉で説明できる世界が大きく変わろうとしていた。70年代から80年代へと。そして『ロック・マガジン』は80年代に音楽で時代を読み解く独自な方向性を色濃くするのである。
『ロック・マガジン』はまず版形がA4からB5サイズになった。特集ごとに内容から細かく紙見本や色見本より選択し編集した。ただ雑誌を作る際に紙質も色も毎号異なる組み合わせは、手仕事に近い作業となり、製版、印刷、裁断、製本に至るまで様々な影響が出た。各工程でそれなりの手間がかかるため業者からは嫌がられたが、今思うと結果的には「オブジェ・マガジン」といっていた雑誌『遊』の初期に近い。そしてこの手作り感のあるデザインはその後『EGO』や『E』へと引き継がれていく。

Vanity Recordsに関しても変化があった。『SYMPATHY NERVOUS/SYMPATHY NERVOUS』、『BGM/Back Ground Music』、『Ready Made/Normal Brain』を連続してリリース。リリース直後からVanity Recordsと『ロック・マガジン』の動きに触発された無名のアーティストの手によるカセットテープが全国から多数編集部に送られてきた。
そのことから『ロック・マガジン』と連動した「動き」となっていたことが分かる。この「動き」を受けてVanity Recordsでは、音に宿る時代の雰囲気をそのまま生かしマスタリングなどの処理を施さないかたちでリリースしようということになった。
音源が多種多様なカセットテープであり、ヒスノイズが内在する音という意味で、最初に付けられたアルバムタイトルは『ノイズ』だった。しかし結局阿木より「『ノイズ』ではなく、ずばり『音楽』にしよう。」ということになり『MUSIC』と名付けられた。時代を先取りしているものが、「音楽」であるという感覚が『ロック・マガジン』にはあったからだ。
「ロックはあらゆる要素を吸収するスポンジだ。」というブライアン・イーノの発言にも裏付けられている。ここでいう「ロック」とは、パンクでもロックンロールでもJAZZでもなく「音楽」のことである。つまり音楽が全ての世界現象(リアル)を水のように溶解し、スポンジのように吸収し保持し現前化(リアリティ)させるということであり、『MUSIC』を出すことで音楽とはまさにプラスティック・フォースを内在化した可塑性芸術であるということを示したかったのである。
そして『MUSIC』は阿木の「1980年末までが1970年代である」と言う考えに基づき1980年の12月にリリースされた。しかし募集の締め切りが過ぎたにも関わらず、その後もカセットテープが無名のミュージシャンから日々編集部宛に郵送され、第三期最初の『ロック・マガジン』01号 1981/01 特集 INDUSTRIAL MYSTERY MUSIC=工業神秘主義音楽の2ヶ月後の『ロック・マガジン』02号1981/03 特集WHITE APOCALYPSE FEMALE では、カセットテープ・ミュージシャンを特集することにした。「騒音仕掛けの箱に吹き込まれた風景」と題したセクションではカセットテープのレイアウトやデザインと共にP80-100まで21Pにわたって阿木と当時編集者であった明橋大二の対話形式により紹介されている。(VANITY Music,Tapes & Demosブックレットに掲載)
Vanity Recordsではそれら様々なミュージシャンを『MUSIC Ⅱ』、『MUSIC Ⅲ』のように連続する作品としてリリースすることも考えたが、LPでのリリースとはならなかった。理由は、時代の変化に追いつくよう、スピードを重視したからだった。
しかし一方でひとつの試みとしてVanity Recordsのリリースとは別にソノシートを利用することを考えた。それまでソノシートは『ロック・マガジン』の特集を強調するための補足的な意味で「おまけ」として添付していた。
カセットテープ・リリースの時に試みたと同様に、『ロック・マガジン』の読者参加でバンドをピックアップした。『ロック・マガジン』のレコードコンサートに参加したり、編集部へ遊びに来たり翻訳を手伝ったりしていた青木寶生の『ほぶらきん』や佐用暁子の今回CDリリースされた『Love Song/System』がこのケースに該当する。『ロック・マガジン』誌編集行為の一環といってもいいだろう。
またこの時期、Vanity RecordsのLPとしては最後の作品となる『TOLERANCE/DIVIN』がリリースされた。
その後もっと簡易にもっと容易にもっと安価にもっとシンプルにリリースできるものとして、後期のVanity Recordsではカセットテープでのリリースという形態をとった。
当時の時代背景としては、都市生活者が遊民になり快適に過ごすためのツールとしてのカセットテープ文化が一般的になりつつあることにあった。既に1979年にソニーより「音楽を持ち歩く」というコンセプトの元にウォークマンが発売され、都市機能の一部を有していた。その後1981年には細川周平の『ウォークマンの修辞学』(朝日出版社 エピステーメー叢書)が出版されている。
遊民(フラヌール)とはヴァルター・ベンヤミンがボードレール論を展開する中で使用している概念である。市民社会が形成される歴史的背景の中で民衆は定住の場所を持たず都市の街路の中で遊民化する。ベンヤミンは遊民のことを次のように説明している。「エドガー・アラン・ポーの<群集の人>はいわば探偵小説のレントゲン写真である。そこにあるのはその備品、すなわち追跡者、群集、ロンドン市内をたえずその中心から離れないようにしながらうろつく見知らぬ老人だけである。この見知らぬ老人が遊民である。」
また1981年にはレコードから、手軽にリリースできるカセットテープへと変化していった。アンダーグラウンド・シーンでは国内外を問わずカセットテープでのリリースが始まっていた。
次にハードウエアについてもカセットテープのダビング機能が付加されたダブルカセットデッキへと技術的進歩は続き、音楽制作とダビングによるリリースを身近なものとした。このような時代へのアプローチ、リリースの速度感覚、デザイン感覚などの綜合が『VANIY TAPES』として結実する。

前述の『ロック・マガジン』02号では「SALARIED MAN CLUB」「KIIRO RADICAL」「DEN SEI KWAN」「INVIVO」「WIRELESS SIGHT」「NISHIMURA ALIMOTI」など多くのカセットテープを送ってきたミュージシャンが紹介されている。Vanity Recordsでは、時代の風景としての騒音群という意味を込めて『ノイズ・ボックス』と名付けられてセットリリースされた。後に『VANIY TAPES』としてリリースされるものである。『ノイズ・ボックス』の中には「私の耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ」というジャン・コクトーの言葉がカードにされ同封されていた。
また羽田明子が送ってきたレ・ディスク・ドゥ・クレプスキュールよりリリースされたカセットテープ『From Brussels with Love』が紹介されている。内容はジョン・フォックス、ドゥルッティ・コラム、デア・プランの音楽の他にブライアン・イーノやジャンヌ・モローのインタビュー(声)も含まれている。

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■V.A.『Vanity Demos』
それではBOXに格納された作品を紐解いていこう。


Vanity 8102『Love Song/System』
『ロック・マガジン』02号 1981/03 特集WHITE APOCALYPSE FEMALEの付録としてリリースされた。『ロック・マガジン』では世紀末特集としてWHITEHOUSE(ウィリアム・ベネットが1979年に設立したCOME ORGANISATIONからリリース)を全面的に紹介。同じく1979年に設立されBAUHAUS LEWIS&GILBERTなどをリリースしていた4ADレーベルを紹介している。また同じく1979年のCrass Recordsも紹介。Nurse with Woundのスティーヴン・ステイプルトン設立のUnited Dairiesも1979年だ。
「SYSTEM」は佐用暁子のバンド。メンバーは沢田弥寿子、大前裕美子、初田知子、芦田哉女の5人。『ロック・マガジン』01号 1981/01のP88-89に紹介されているが、文字通り、パフォーマンス的感性を身体化させているバンドだ。メンバーに翻訳のお願いをした記憶がある。それだけ『ロック・マガジン』との繋がりが強かったバンドといえる。
「SYSTEM」について阿木はアントサリーと違ってパフォーマンスの必然性を持っていないと語っていた。しかし彼女たちは時代のスタイルに合わせてその中で踊っているだけだ。楽しむための音楽、だから「Love Song」。「SYSTEM」は5人の情念的な織物のようだ。歌詞を紹介しておく。

「Love Song」
あなたの血管が動く/空気が動く/ねえ、地球っていつまでもつと思う?
あなたの心臓きこえる/時間がきこえる/ねえ、地球っていつまでもつと思う?
大きく口を開けてみて/私が手を突っ込むわ/あなたの心臓をつかんで/吹き出す夢、リズムの連続
あなたの血管が動く/あわせて私は踊る/あなたの心臓の音/あわせて私は踊る
空気が動く、時間が動く/私が動く、あなたが動く/記録する夢、リズムの反復/ねえ、地球っていつまでもつと思う?

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Vanity 2005『Today’s Thrill/Tolerance』
『ロック・マガジン』2006号 1980/07 特集ATTERNATIVE MUSICの付録としてリリースされた。Toleranceが一番進化した頃の音源であり既にエレクトロニクスの特性を発見していた音楽。歌ではなく声の中の響きと電子音の響きが同じものであると感じさせる。響きのコンクレート(具体)化はエロティシズムへの昇華する。ワクワクする快感とぞくぞくする恐怖は同義語であること理解させる。『ロック・マガジン』では「トレーランスは感性機械だ。論理ではない、運動力学とエロスが合体したものだ。」と表現した。まさしくリゾーム的音楽である。
Tolerance丹下順子が『ロック・マガジン』でのインタビューにこのように語っていた。
「私にとって音楽ってのは、言葉とか考えだけで言うと、文学ってのは本だけで終わりだけど音っていうのは生活として重要だし、食事をするとか眠るとかと同じレベルで私の中で重要です。」
サイコロの1から6以外の目が次々に出てくるような興奮を憶える。それはToleranceを意味する寛容/受容の差異が生み出す震えるような感覚である。

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『VA/Demos』
今回のBOXセットのために提供された1981年当時に作られた未発表の音源集。この中に痕跡/意味を見出すことを試みる。非常に『ロック・マガジン』的な特徴を持ち無機質な物語の短編集のようなアルバム。工業神秘主義音楽であり、繰り返しの中に時代を逆なでする響きが潜んでいる。
リズムは感性のダンスミュージック。1980年代にこんな音楽を作っていたのかと驚いた。これら工業神秘主義音楽群は時代を予感するイメージを次々と提示してくれる。
収録されたのは、SALARIED MAN CLUB、ONNYK:Anode/Cathode(陽極/陰極、電解槽・電子管)、DEN SEI KWAN(電精館)の3アーティスト。

・SALARIED MAN CLUB
『ロック・マガジン』03号 1981/05特集DANCE – MACHINEの誌面でSALARIED MAN MANIFESTを掲載している。ここでは都市生活者の欲望と情報、消費と変容が記載されている。少し引用してみよう。「人間は、この世界の終わるまで、あらゆる物質を創造し、流通させ、消費する。そして、その回転をますます速めていくだろう。」
これは1981年に書かれたが、やがて自滅するであろう資本主義社会を、自覚的に崩壊させようとする加速主義のファクターを告げた宣言とも読めなくはない。
1.Perspective
遠近(画)法、透視画法、遠近図、遠景の見通し、眺望、前途、将来の見通し
2.Close My Eye
瞳をとじて
3.Intellctual Mirror
知性のすぐれた、理知的な、鏡
4.Epilogu
Epilogue 終章、終曲、または物事の結末 ⇔ プロローグ
・ONNYK
ONNYKこと金野吉晃の音楽は、ブライアン・イーノがプロデュースした「NO NEW YORK」(1978年)にクレジットされているザ・コントーションズのジェイムス・チャンスを彷彿とさせる。ただのファンクだけでなく、パンクとインダストリアルとテクノと即興と時代が加算されている音楽。
『ロック・マガジン』01号 1981/01 特集 INDUSTRIAL MYSTERY MUSIC=工業神秘主義音楽の誌面では、『Music』に参加したミュージシャン達の言葉とイメージをそのまま掲載した。その中で金野吉晃は「Anode/Cathode」名義での「-..Of The Passive Voice Through The Light 光を通しての受動態の・・・・・」について以下の文章を寄せている。
「『我々は《音楽》を聴き得ない、我々が聞くのは《音楽》の影である』とはロナルド・ザースの言葉であるが。我々が粗末な聴覚器を通じて、何の脈略もない空気振動に幻を見る(?)のは勝手であり、許された暴力だ。何も今更こんな事をいう必要もないのだが、この利用価値のない単なる磁束線密度の変化パターンは、磨滅しながらも拡散しつづけ、何の「イメージの裏うち」もないところである時突然に逆転され、回路を断たれる。つまりテープはそこで切れてしまうのだ。《音》は我々を記憶してくれないだろう。「見る」のを見ることはできない。では、「聴く」のを聴くことは・・・・・・?」
5.Talk in the Dark
暗がりでの会話
6.Homage to the Luminous Animal living in a Far an…..
敬意、尊敬  発光動物 遠くに住んでいる
7.My Stygma
汚名、恥辱
・ONNYK SOLO
8.Onnyk self trio
・TOZAWA+ONNYK
9.TOZAWA+ONNYK
・EXCEPT FROM HMN SESSION
10.Homemade Nosie X
・DEN SEI KWAN
11.Last
電精館1979年か1980年の作品。
遠方からイギリス人作曲家コーネリアス・カーデューのピアノ曲「アイルランドおよびその他の作品に関する4つの原則」のアイルランド民謡が幽かに聞えるが、弱い電磁気力でかき消されていく。聴き終わったら痕跡だけが残った。残った音は宇宙の縁にでも張り付くんだろうか。

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DEN SEI KWAN P’ remodel 19
『ロック・マガジン』02号 1981/03の評を受け1981-1982年に作成された。完成度が高くこのままToleranceの次にVanity RecordsLP13枚目の作品としてリリースしたかもしれない。
DOME的で工業神秘主義音楽の系譜の音楽だ。亡霊の聞えるはずのない声のようなリズムに内在する轣轆(車の軋み)。DOME(ドーム)とは天蓋の意味であり、古くからある平行宇宙説で語られる天蓋のことだ。地上界と天界は写し鏡となり結び付いた因縁を持つとされた。しかしながら天蓋に描かれた星辰も地上的な投影でしかない。この地上的な投影から天球儀が生まれて来た。カールハインツ・シュトックハウゼンは晩年最後の来日の際に、究極の音楽は完全な球形の中で平等にあらゆる方向から響く空間で体験することであると語っている。そして作品「リヒト・ビルダー(光=イメージ)」をそのような空間芸術として夢想していたのかも知れない。
DEN SEI KWANの天蓋音響もこのような体験が可能だろう。だからこの音楽には懐かしさや郷愁(ノスタルギア)みたいなものを感じる。前世に遠いどこかの惑星にいて聴いていたような音楽。

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Tolerance DOSE remodel 25
Toleranceは感性機械が奏でる言葉の音響としての織物だ。過去の空虚な亡霊の眠りを伴って、有毛運動の長い響きは幽かに渦巻きのような回転を繰り返す。
このアルバムは機械の中の異世界に誘われる心地よさがある。この時代の文字通りプログレッシヴ・ロックなのだ。
DOSEとは投薬/服用であり受動/能動の関係である。またToleranceは別に依存症薬物が効かなくなる耐性を意味する。まるで人間が存在しなくなった世界(地球)の映画館で上映される映画音楽、または壁紙と化してしまったタブローのようである。

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Tolerance DEMO remodel 26
天蓋に木霊するハルモニアの音楽のようだ。電子音と人間との合体。柔らかな水の中で手で触れられる耳毛細胞を振動させ電流を通して音のパルスを発信し続ける。
当時丹下順子はクラフトワークが好きだった。そして好きな理由は機械と人間との合体だといっていた。自分が機械に同化したサイボーグの内なる器官を感じながらエレクトロニクスと接していたのだろう。
しかしこの後なぜ封印してしまったのだろう。感性機械はもう動かないのだろうか。
否!今も彼女の生活の中で密かな拍動と共に響いているのだろう。
でもこのような音楽を聴いたら、これはこれで美しい。

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remodel 28 V.A. 『VANITY DEMOS』

発売日:2020年4月14日
定価:¥7,000(-税別)
品番:remodel 28
仕様:□ブックレット8P
□ヴァニティ ロゴステッカー(大判)
□オリジナルボックス(135×135×22mm)
□CD6 枚組(紙ジャケット)BOX SET
□CD-1,2,4,5 はオリジナルカセットテープよりデジタルリマスタリング
□CD-3, はオリジナルマスターテープよりデジタルリマスタリング
□CD-6 はソノシート(flexi disc)よりデジタルリマスタリング

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V.A.
VANITY Demos

CD-1 DENSEI KWAN-P’ /
同時リリースVanity Music,Tapes&Demos(11CD BOX)の CD-9 と同内容
CD-2 V.A.-Demos /
同時リリースVanity Music,Tapes&Demos(11CD BOX)の CD-10 と同内容
CD-3 SYSTEM-Love Song /
同時リリースVanity Music,Tapes&Demos(11CD BOX)の CD-11 と同内容
CD-4 TOLERANCE-Dose /
同時リリースtolerance(5CD BOX)の CD-3 と同内容
CD-5 TOLERANCE-Demos /
同時リリースtolerance(5CD BOX)の CD-4 と同内容
CD-6 TOLERANCE-Today’ s Thrill /
同時リリースtolerance(5CD BOX)の CD-5 と同内容

remodel 28
14.Apr 2020 release
7.000yen+tax

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ヴァニティから作品を発表した5アーティスト:TOLERANCE、DENSEI KWAN、SALARIED MAN CLUB、ONNYK:Anode/Cathode、SYSTEMの未発表音源と初CD化音源を収めた6枚組CDボックス。阿木譲の所蔵カセットテープから発見された作品や今回新たにアーティスト側から提供された楽曲、ロックマガジン誌付録ソノシート曲など貴重な記録作品集。

<作品概要>
CD-1 DENSEI KWAN-P’(未発表)
阿木譲の所蔵カセットテープから発掘された未発表アルバム。40年近く前の作品とは思えない斬新さ。

CD-2 V.A.-Demos(未発表)
「Music」と「Tapes」に収録された3アーティスト(SALARIED MAN CLUB、ONNYK:Anode/Cathode、DENSEI KWAN)から新たに提供された当時のデモ音源を編集したコンピレーション。

CD-3 SYSTEM-Love Song(初CD化)
大阪で短期間活動した女性5人組。ロックマガジン誌1981年36号付録ソノシート(Vanity8102)。オリジナルマスターテープを宇都宮泰がリマスタリング。

CD-4 TOLERANCE-Dose(未発表)
阿木譲の所蔵品から発見されたカセットテープをデジタルリマスタリング。「Dose」とのみ記されており各曲名は不明。「Anonym」(79 年)と「Divin」(81 年)の中間に位置付けられる音楽性を持ち、1 枚のアルバムとしてほぼ完成している。

CD-5 TOLERANCE-Demo(未発表)
CD-4 と同様、発掘カセットテープからの音源。荒涼としつつ何処か安らぎのある風景が走馬灯のように浮かんでは消える音のエスキース。

CD-6 TOLERANCE-Today’ s Thrill(初CD化)
ロックマガジン誌1980 年 32 号付録ソノシート(Vanity2005)となったアルバム未収録曲。ソノシートから宇都宮泰がリマスタリング。