2009年08月 アーカイブ

2009年08月29日

GREGORY COLBERT / Ashes and Snow

GREGORY COLBERT / Ashes and Snow

このいまという時代を色で表わすとするなら、茜さび色や蘇芳 ( すおう )、褐色の、茶系統のものだと、2000年頃からずっと思い続けてきた。jaz' room nu thingsを立ち上げたときも、チョコレート色のそれを意識して店作りしたし、ノスタルジックではあるが、失ってしまったどこかにひとの暖かさの感じるその色は、いつの間にかブルーが時間とともに色褪せ酸化してしまったボクの心の中の錆色を表現するものでもあった。カナダ・トロント出身の映像作家・写真家グレゴリー・コルベール ( Gregory Colbert ) が2005年に制作した " Ashes and Snow " という作品があるが、インド、ミャンマー、スリランカ、エジプト、ドミニカ、エチオピア、ケニア、トンガ、ナミビア、南極大陸などで10年以上にわたって世界各地を旅しながら撮影された人間と象や鯨、チーターなどの動物との交流が収められたDVDも、その和紙で作られた
GREGORY COLBERT / Ashes and Snow - the film ( ISBN-13 978-1-933632-19-3 )
パッケージから映像にいたるすべてが、茜さび色の世界で包まれていた。一昨年東京のノマディック美術館で催されていたグレゴリー・コルベール写真展「ashes and snow」を観に行けなかったので、そのDVDを買って彼の茜さび色の世界を堪能しているのだが、ボクが現在求めている音楽を映像で表わすとするなら、この " Ashes
and Snow " にも流れている地中海やアフリカ、カリブ海に面した地域や、バルカン半島、東ヨーロッパなどの文化にみられる多元世界を感じるものに違いない。アイデンティティの喪失やひととの繋がり、コミュニケーションが破綻した後の弧族のための故郷喪失のノスタルジア音楽や、ジャズ的なるものという記号を追い求めてきて、この " Ashes and Snow " に登場する人間たちの死んだように眠った無表情の、あるいはただひたすら祈っている表情をみるたびに、ボクの聴いている音楽は、まさにこの詫び寂びの時間の止まってしまったような感覚なのだということに思い当たる。このコルベールの映像には安っぽいヒューマニズムが排除されていて、より作為的であるゆえにボクには " この世には存在しない " リアルな幻想世界として映る。無理な話だけど、この映像のように、再びボクもキミと自然体で無邪気にコミュニケーションできたら、どんなに豊かな人生を過ごせて幸せだろうか・・。 ボクが小学低学年の頃、堀江にあった家の裏を流れている堀江川 ( いまは埋められて公園になってしまったが ) にハマって、もう少しで死ぬところだったという経験をしているが、気を失う前の何秒かの間、いまも印象に強く残っている水中の浮いたり沈んだりするスローモーション映像は、LISA GERRARDのSanveanとまるでそっくりで、レゴリー・コルベールの " Ashes and Snow " は、ボクにとっては、死のイメージそのものでもある。 " Ashes and Snow " の映像などをバックに投影して、近いうちに、この茜さび色の世界を最新のレコードやCDをコンパイルしながらDJイングで構築しようと前々から考えている。

Flying Elephants Presents Part I

GREGORY COLBERT / Ashes and Snow - the film ( ISBN-13 978-1-933632-19-3 )
music credits:
Devota - written and performed by Lisa Gerrard and Patrick Cassidy; conducted by Julie Rogers
Pasadena - written and performed by Michael Brook; string arrangements: Richard Evans and Michael Brook; percussion: Quinn
Gregory Colbert
Slow River - written and performed by Michael Brook: violin: Claude Chalhoub; duduk: Djivan Gaspayan
Mater Mea - written and performed by Djivan Gasparyan
Vesper - written and performed by Lisa Gerrard and Patric Cassidy; conducted by Julie Rogers
Womb - written and performed by Lisa Gerrard and Patric Cassidy
Slow Dawn - written and performed by David Darling; duduk: Djvan Gasparyan
Elephant Pond - written by Michael Brook, Nustart Fateh Ali Khan; performed by Michael Brook featuring Nustat Fateh Ali Khan; duduk: Djivan Gasparyan; vocal: Nustrat Feteh Ali Khan; piano: Michael Brook
The Absence Of Time - written by Heiner Goebbles, Cantor Samuel Vigoda; performed by Eastwestern String Ensemble and Cantor Samuel Vigoda
Wisdam - written and performed by Lisa Gerrard and Patric Cassidy
Tears Of Light - written by Count Dubulah, Rizwan Ali Khan, Muazzam Ali Khan, Neil Sparkes; performed by Temple of Sound & Rizwan-Muazzam Qawwali
Badnamgar - written and performed by Robert Een; produced by Michael Brook; treatments: Michael Brook
Salomon Rossi Suite - written by Lukas Foss; performed by Aether Strings; conducted and arranged by Julie Rogers
produced by Gregory Colbert
ASHES AND SNOW 2005

Flying Elephants Presents Part 2
http://www.youtube.com/watch?v=5Dde5b_q2Hk

Ashes and Snow- Feather to Fire

サンプル用のyoutubeの映像は断片的なものだが、1時間からなるDVDの映像はより美しく素晴らしいこの世には無い未知の幻想が詰め込まれている。

Ashes and Snow
http://www.ashesandsnow.org/

Gregory Colbert - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/グレゴリー・コルベール

この映像の音楽を担当しているアーティストのひとりにデッド・カン・ダンス(Dead Can Dance)のリサ・ジェラルドがいる。'81年にオーストラリアのメル
ボルンで結成された彼女たちの、4ADレーベルから発売されていた'84年のファースト " Dead Can Dance " のジャケットにはニューギニアの儀式で使われる仮面がシンボリックに配され、耽美でアーティスティックなギリシャ神話、ルネッサンス音楽や民族音楽などをサウンド・コラージュしたサイケデリック・バロキスム世界が歌われていた。21世紀に入ってグレゴリー・コルベールの作品で再びリサの名前を目にするのも、きっとなにかの必然的な縁だろう。そういえば " Ashes and Snow " の映像を最初観たときに瞬時に感じたデジャヴュ ( 既視感 ) は、あのコクトー・ツインズやジス・モータル・コイル、バウハウスなどの4ADの世界だったのだ。

LISA GERRARD Sanvean

Lisa Gerrard
http://www.lisagerrardmusic.com/
http://ja.wikipedia.org/wiki/リサ・ジェラルド

Michael Brock
http://michaelbrookmusic.com/
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Brook

Patrick Cassidy
http://www.patrickcassidy.com/en/

**1900年のバルカン、オスマン帝国、アルベール・カーンの写真の世界、当時のスミルナの街などにみられる多民族国家に最近は興味があって、色々資料を調べてからトルコの都市イスタンブルやモロッコなどに近いうちに海外旅行しようかと考えている。ところで、アーカイヴ " Oblique Strategies " でやっているロック時代の評論や、あの時代のレコードや音楽の意味を考えることは、ほんと想像以上に疲れ果ててストレスになる。過去を振り返ることが苦手だったぼくが、毎日こうした古い資料を掘り起こして無益な作業を繰り返しているなんて、以前には考えられないことだが・・。これから取り上げるだろう80年代中期のロックといえばアメリカのジェームス・チャンスやDNA、リディア・ランチなどのNo Waveの流れを汲んだグレン・ブランカ、サーストン・ムーア、キム・ゴードンのソニックユース、マイケル・ギラのスワンズ、スティーヴ・アルビニのビッグ・ブラックなどのノイジーなオルタナティヴ・ロックが台頭していた時期で、現在40-50歳近いニッポンのノイズ・ジャンキー やミュージシャンたちはきっと" 出口無し" のそこから前進することもできなく、いまもノイズに呪縛されたままというのが実情だろう。これは40代の多くのロックファンが持つ重大なひとつの病理でもあるのだ。そうしたノイズ・ジャンキー・タイプの人間はクラブ系ではせいぜいがトランスやレイヴまで侵入してきているようだが、彼らは太陽の欠けるのを見るために奄美大島あたりまで出かけるのがオチで、それも考えればいま話題のSNの夫、自称プロサーファーの彼にみられるエコ・サーファーの世界で、病んだ精神の裏返しで、とても時代遅れのダサい話だ。 そうこうしていると、" そして阿木譲自身も時代の幕の裏に消えようとしている。Jazzに目覚めて以降の阿木はすっかり尖った完成を曇らせてしまった。それは彼のロック批評がJazzに対する反動形成でしかなかったことを露呈してしまった。 ( ふぁぼったー / 2009 / 08 /12 21:57:19 ) などという呟きが書き込まれる。まあ、どうでも言ってくれって感じだけど、21世紀に入ってからは、ほんとすべての音楽や人間が死んだように眠ったまま無表情で、前に行きたくとも時間が静止してしまっているのだ。nu jazzやジャズ的なるものとは、そうした詫び寂びの時間の止まってしまったような感覚でもあるのだ。ところでボクを " ふぁぼったー " の書き込みで批判したvoidphrenia君、 " 完成 "という字,間違っているよ、" 感性 " だろ? それと批判するのは結構だが、ビビらないで、これからは実名で頼むよ。

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