2007年10月 アーカイブ

2007年10月03日

NICO+ARPA

伝統的でアーシーな音楽の世界にも新しい風が吹いている
野沢香苗とKAYO

普段自分の関係するイヴェント以外には滅多にnu thingsに顔を出さないのだけれど(経営者としては失格だね)、最近はなにかと用事があって、振り返ればこの2週間は毎日のように店に出向いている。そんななかで、10月2日の「二胡コンサート奏音(kana-oto)in 大阪」での野沢香苗の奏でる、琴皮にニシキヘビの皮を使用している変わった中国の「二胡」(胡弓は以前からよく知っている楽器だが)という楽器と、9月28日の「Brazilian Night」でのKAYOの奏でる、南米パラグアイの民族楽器である「アルパ」を使った音楽を聴く機会があって、たまにはこうしたアーシーな音楽もいいものだなと思った。正直に言えば、音楽以前に、普段聴くこともない珍しい楽器を演奏しているふたりのミュージシャンが、そろいも揃ってとびきりの美人で存在感があり、そちらに惹き付けられた部分が大きいのだが、こうした伝統的な音楽の世界にも若い彼女たちのようなミュージシャンが現れ始め新しい風が吹いているんだなと、感心させられた。彼女たちの音楽のなかにもボクが言い続けている「ジャズ的なるもの」が聴こえているのだが、個人的な感想だが、バックを全員ジャズミュージシャンで固め、パーカッションや、可能なら管弦楽なども入れて展開したなら、もっとあの独特の民族楽器の音色が鮮やかに浮かび上がり、物語性のあるモダンな音楽として今以上に多くの人々に認識されるような気がする。ミュージシャンとしてだけではなく、ひとりは女優、ひとりはモデルとしても活動している彼女たちの持つ洗練されたタレント性は、伝統的な音楽を奏でているにもかかわらず都会的で美しく輝いていた。

野沢香苗(のざわかなえ)

野沢香苗(二胡)野上朝生(ピアノ)上地さくら(チェロ)
http://www.nozawakanae.com/

KAYO

Kayo(Arpa)
http://www.h2.dion.ne.jp/~bunchin/HTML/kayoPurofiru.html#TOP

2007年10月04日

Cut a vital connection

「ジャズ的なるもの」その1

「それは愛を語らず、それは心を慰撫しない。それはとり急いでいる。地下鉄に乗ったり、自動販売機から料理を取り出す簡易レストランで食事する人々のようだ。それは黒人奴隷達が百年間歌い続けた歌でもない。黒人奴隷のことなど気にもかけられないのだ」

「それは愛を語らず、それは心を慰撫しない。それはとり急いでいる。地下鉄に乗ったり、自動販売機から料理を取り出す簡易レストランで食事する人々のようだ。それは黒人奴隷達が百年間歌い続けた歌でもない。黒人奴隷のことなど気にもかけられないのだ」。1947年の「ニューヨーク・シティー」のテキストでサルトルがジャズについてこのように言説しているが、「ジャズ的なるもの」とは、魅惑するジャズ、慰撫なきジャズ、やさしさなきジャズであって、ブルースでもノスタルジックでも不良中年のジャズでもない。もはや我々が構築した日常と思い込んでいるものなど、構造改革などとプロパガンダしなくとも黙っていても内側から壊れ始めているのだ。家族も国家も自然も企業も、すべての群れとなって均衡を保っていたものが再構築されている。それは古いビルが壊された更地、あるいは駐車場の後に新しい超高層ビルが立ち、とり急ぐようにその顔を日々変容していく都市そのものに似ている。都市そのものこそ「ジャズ的なるもの」であり、郊外や田舎や地方に住んでいるいわゆる田舎者にとっては、関わりもない世界であり音楽だ。ボクは都市生活者と弧族のためにだけ、言葉を発し続け音楽を聴き続けようと思う。それもテクノ・サイバーパンクのようなスラム化した都市ではなく、「企業と生活者の共通認知である理念にもとづく商品化と買い手である生活者の文化によって形成される」趣味の悪い高価な商品で溢れるブランド・ショップが整然と並んでいる人工モダンな都市だ。もっと言うなら「ジャズ的なるもの」とは、青木保が80年代に「音楽の手帖 ジャズ /見えない音楽としてのジャズ」で、相倉久人との対談で語っていた的を得た正しい言説「現状を変革するとか、体制や組織とかいうものを引っくり返すとか、そういうものではなく、むしろ内部にあって、構造的なものをいわば溶かしていくような、あるいは構造のなかで反構造として存在するようなひとつの契機で、そのためにコミュニスタだとかのことばをつかうわけです。・・・つまり社会構造にはめこまれた、祝祭だとかカーニバルとかいった、反構造的なものとしての要素としてあるわけです」だ。
そしていま、内側から溶けだしたものから現出した90年代のレイヴ、テクノ、アブストラクトなどなどのクラブミュージックが終焉したあとの静寂、背中に遠くで壊れゆくものを聴くこと、それが「ジャズ的なるもの」の正体だろう。

"オマエラノ、キイテイル、アタマニ、スリコマレタ、フルイ、フルイ、オンガクナド、ハヤク、ステテ、ココマデ、オイデ、テノナル、ホウエ"

**自分の写真をブログで使うのは初めてだな。

2007年10月11日

Accretion

今週の新譜

ヒトは同じモノを見ていても意識の違いから同じモノを見ているとは言えない イコール 同じ音楽を聴いていても 同じ世界を聴いているとは言えない

「ジャズ的なるもの」とは、音楽を聴く者の意識、感受性から発生するものであり、決して音楽ジャンルをさすものじゃない。ロックやクラシックのなかにもジャズ的なるものはある。だからブルーノート系のジャズすらロック的に聴いている人間もいるということだ。そうした聴く側の耳であるジャズ的な意識というのは、90年代から現在までのクラブミュージックをイニシエーションしてこそ、こうした記号論としてのジャズ的なる音楽が聴こえてくるんだ。キミの耳から文学性、情念、表現性などをはやく払拭してくれ。そうすると、アブストラクト・アートのようなジャズ的なるフォルムや見えない音がおのずと視えてくるものなんだ。ヒトは、同じモノを見ていても意識の違いから、同じモノを見ているとは言えない。イコール、同じ音楽を聴いていても、同じ世界を聴いているとは言えない。

BEN MI DUCK/Stepping Back(TREBLEO CAT NO.0003)
DOMUの新レーベルTREBLE-Oの第3弾BEN MI DUCKの7インチ。エリック・サティからシネマティック・オーケストラ、クリス・ボーデンの世界を彷彿とさせるオブスキュアなジャズ。Aサイドは女性ヴォーカルを配したモーダルなジャズで、Bサイドは正に初期のクリス・ボーデンのクラシックとジャズの融合といった感。近いうちにアルバム「Patterns」も発売される。こうしたオブスキュア・ジャズはThe Heritage Orchestra(http://www.myspace.com/theheritageorchestra)やNostalgia 77などが表出してきているが、源がカンタベリージャズの流れともいえるイギリスならではの「ジャズ的なるもの」への回答といえるだろう。今後英国ではこうしたオブスキュア・ジャズが主流となるかも知れない。
http://www.myspace.com/trebleo
http://www.trebleo.co.uk/

CHRISTIAN PROMMER'S DRUMLESSON/ Beau Mot Plage(Sonar Kollektiv SK163)
最近のドイツのソナー・コレクティヴからの新譜はどれもポップなものでパッとしなかったが、Turby Trio, Fauna Flashとして活躍していたChristian PrommerによるこのDrumlessonは買い!だ。Aサイドの「Beau Mot Plage」はリッキーチック、スケマなどのnu jazzのメインストリーム、ジャズサンバ。Bサイドの「Rex Drum」はタイトル通りのパーカッシブな懐かしやブリープハウスといった感。アルバム「Drumlesson vol.1」もクラブジャズのメインストリームを狙った直球のようで愉しみだ。
http://www.myspace.com/christianprommer

PERCEE P/PRESEVERANCE(STONE THROW STH2120)
ジャケット全体を支配している部屋の壁紙の模様にみられるように、彼らの音楽はある意味でバロキシズムと言える。それも歪んだ真珠に象徴されるバロックの、サイケデリックな、音楽でもある。様々な音響と声がヒップホップ・ビートのうえにコラージュされストーンスルーしたスリリングでキラーなロック的なるものとも言える。単にラップやヒップホップとカテゴライズしては間違いを犯すことになるだろう。アブストラクト・ヒップホップは21世紀のロックなのだ。こうした音楽に惹かれる奴らはロックが好きなんだ。だけど、Stone ThrowのMADLIBが手掛けた作品だけはボクにとっては特別扱いしている音楽だが、例えばマッドリブのフィルターを通して強引にジャズ的な音楽だと解釈して聴くと、また違った世界が聴こえてくるから不思議なものだ。

ROLF KUHN QUINTETT/SOLARIUS(LYCY-6247)
「1929年ケルン生れ。ヨーロッパトップのジャズクラリネット奏者。50年代初期アメリカに渡りベニー・グッドマン楽団に在籍、61年本国ドイツに戻りコルトレーンスタイルの革新的な奏法を目指し、64年のリーダーアルバム゛Solarius゛でクラリネットに於けるモード奏法を確立、高い評価を得た」といわれ復刻されたロルフ・キューンのCDがこれだ。当時のヨーロジャズを調べるためのひとつの資料として購入したのだが、ヨーロッパ・ジャズの多くにある硬くクールで静謐なリリシズムはハードバップを聴いたあとの感性には、ちょっと物足りなく、やはりまだこうしたジャズには行きたくないなと思う。"ジャズ批評「ヨーロッパのジャズ・ディスク1800」で紹介以来、マニア垂涎であったヨーロッパ・ジャズ金字塔の一枚"というコピーにどれだけの新世代のジャズファンが惑わされることだろう。唯一6曲目「Soldat Tadeusz」は素晴らしい。

IDEA6/STEPPIN OUT(djv2000033)
Dejavuからの前に発表された「Metropoli」にはそれほど感動しなかったので、あまり期待せずに、Exciting6(バッソ=ヴァルダンブリーニ・セクステット)に収録の曲ジャンニ・バッソ の"Mr. G.B."、バッソ=ヴァルダンブリーニ スタイルのタイトルトラック"Steppin Out"にひかれてこの「IDEA6/STEPPIN OUT」2枚組を買ったのだが、現在のnu jazzの洗礼を受けた感性に響く60年代イタリアンジャズが収録されている作品だった。nu jazz好きのひとは安心して購入OK。

GRANT GREEN/SOLID(BLUE NOTE LT-990)
キングから国内盤でリリースされていた未発表シリーズのひとつ64年録音の『SOLID』がUS盤ブルーノートで復刻された。ジャズギターはホーンに比べあまり興味のない楽器だが、このアルバムではグリーンのリーダーアルバム、ギターは前面という感じではなく、全編を通じてドライヴ感あるハードバップで新しい。マッコイ・タイナー(piano)、エルヴィン・ジョーンズ(drums)、ボブ・クランショー(bass)のリズム・セクション3人、そして、ジョー・ヘンダーソン(tenor sax)、ジェームス・スポールディング(alto sax)が参加。



おまけ:YVES SAINT LAURENT 「LIVE JAZZ」

ある女性からお土産にもらったYVES SAINT LAURENT (イヴサンローラン)の香水で、「JAZZ」の弟版。レモンとかグレープフルーツ、ミントの柑橘系でかなり爽やかな後からバニラの香りもしてくる。普段あまりこうしたオーデコロンはつけないけれど、こうしたところにも「LIVE JAZZ 」なんて名前が付けられるジャズ的なる時代がやってきているんだな。

2007年10月18日

Shut the door and listen from outside

三田村管打団?
2007.10.17 at nu things

ジャズが発生するときの ニューオーリンズの「コンゴ・スクゥエアの祭りの輪」に通じる歓喜と狂気 アフリカの思い出のようなロマンチック且つノスタルジックな魅惑的グルーヴが聴こえてくる

音楽というのは本来このように愉しいものであったはずだ。子供達に好きな玩具楽器を選ばせ音を一斉に奏でさせたら、きっと三田村管打団?のような世界が生まれるだろう。だけどいつのまにかミュージシャンも音楽を聴くがわの我々も、現実に押し流され、音楽ほんらいの愉しさを忘れてしまうのだろう。彼らのステージを観ていて一に、そのことを思い知らされた。彼らの音楽にはブラジリ、アフロ、行進曲、ニューオーリンズ、クラシックまでのロマン渦巻くジャズ的なるグルーヴが流れていて、ロンドンでペンギンカフェ・オーケストラやマイケル・ナイマンなどの音楽に触れた80年代の様々なことを思い出してしまった。三田村管打団?は、森本アリを核にしたトランペット、アルトサックス、トロンボーン、クラリネット、フルート、チューバなどの管楽器とパーカッション、ドラムスの打楽器による流動的20名弱のメンバーからなるオーケストラ(? ビッグバンド?)で、彼らの音楽を聴くまではチンドン屋のような音楽かなとイメージしていたけれど、とんでもない、曲の構造もコンセプトも明確ですべての演奏曲の底には「ジャズ的なるもの」が流れていた。イヴェントごとに無料配布されるCDに収録された曲「管打団、西へ」や「バイアォン・ジ・ラカン」を聴いた限りでも、これはジャズだ。そこらへんのジャズミュージシャンが演奏するジャズよりも、より「ジャズ的なるもの」が聴こえてくる。三田村管打団? 彼らの音楽を侮っていてはいけない。もういちど言っておこう、彼らの音楽はジャズだと。

三田村管打団?/1.26.2005 神戸元町 BIG APPLE!
三田村管打団?/2007.10.17 @nu things
三田村管打団?/!(compare notes CN-009)

この3枚のCDのどれもに、ジャズが発生するときの、ニューオーリンズの「コンゴ・スクゥエアの祭りの輪」に通じる歓喜と狂気、アフリカの思い出のようなロマンチック且つノスタルジックな魅惑的グルーヴが聴こえてくる。3枚目のCDはcompare notesからリリースされた彼らの最新盤。録音には、このnu thingsのイヴェントをオーガナイズしたBRIGEの元スタッフでもあり、現役のミュージシャンでもある西川文章がエンジニアを務めている。
http://www.geocities.jp/kumacoopdisc/mkdd/index.html

One step beyond

【vaibrafoun】ヴァイブラハープ ヴァイブ  


ジュラルミンの、金属の残響、共鳴音でもあるSwiftなスピード感のあるヴィブラフォンの音色を聴くと、古くはマン・レイの写真集にあったアーバン・フォトグラフィの、建築よりも街路〔ブールヴァール〕を、街路よりも空間〔スペース〕を撮ろうとする視点、都市に秘められた集合意識を写しとろうとする視線を思う。ボードレールがいった「見る」ことによってすべてをとらえてしまおうという「情熱的な観察者」たる「遊歩者(flaneur)」の視点だ。舗道を歩きウインドウショッピングする女性のハイヒールの踵、あるいはショーウィンドウのなかにあるものの美のようなもの。現代ではValérie Weil(ヴァレリー・ヴェイル), Philippe Chancel(フィリップ・シャンセル)の「Souvenirs de paris」などにみられる世界の都市、パリ、ロンドン、ニューヨークのショーウィンドウのなかの商品ばかりを集めた数冊の写真集にみられる写真家の視点。カメラアイだ。
それにボクにとってはなぜかヴァイブというと「女性的なもの」と断定してしまっているから不思議だ。

BOBBY HUTCHERSON/Patterns(BLUE NOTE 33583)
ANTHONY WILLIAMS/Life Time(BLUE NOTE 84180)

JACKIE McLEAN/Destination... Out!(BLUE NOTE 84165)
MILT JACKSON/with john lewis,percy heath.....(BLUE NOTE 81509)

ANDREW HILL/Judgement!(BLUE NOTE 84159)
DONALD BYRD/A New Perspective(BLUE NOTE 84124)

LEE MORGAN/All Star Sextet(BLUE NOTE 84023)
HANK MOBLEY/And His All Stars(BLUE NOTE 81544)

http://www.youtube.com/watch?v=-zHuZ5B0Pus&mode=related&search=

http://www.youtube.com/watch?v=VAPCUTj8wJU&mode=related&search=

**10/20の「One Step Beyond」はブルーノートでのこうしたアルバムやERIC DOLPHY、DEXTER GORDON、他にCAL TJADER、ETHIOPIAN QUINTET、WALT DICKERSON、JOHNNY LYTLE、プレステッジでのTHE MODERN JAZZ QUARTETなどなどヴァイブのグルーヴを主流にクールな都市の持つスピード感とショーウィンドウを覗くようなオサレな空間をグルーヴセット、エディトリアルし構築しようと思っています。

**1921年頃にアメリカの楽器メーカー、ディーガン社が開発した楽器がヴィブラフォンの誕生とされ、その直後に後の世界のスタンダード機種となる同じアメリカの楽器メーカー、ムッサー社も製造を始めた。クラシック音楽では、アルバン・ベルクのオペラ『ルル』(1935年未完)の中で効果的に使用されたのが最初期の例である。この楽器が最初にポピュラリティーを得たのは1930年代に録音された元ドラマーのライオネル・ハンプトンによる「Memories of You」からで、【vaibrafoun】電気共鳴装置付き鉄琴《楽》ヴァイブラフォン、『英』ヴァイブラハープ、『略称』ヴァイブ 日本語だとビブラフォンと書くケースが多い。アルミ合金(ジュラルミン)製の鉄琴に共鳴させる管(パイプ)が付いており、そのパイプの入り口を回転するファンで開閉し、共鳴する音にヴィブラートを付けることの出来る楽器。特にジャズ演奏でベニーグッドマン楽団のドラマーであったライオネルハンプトンがこの楽器を演奏するようになって以来、ジャズではメインの楽器の一つにもなっている。ジャズ以外にもハワイアンやボサノバ、最近はピップホップにも使われている。通常の鉄琴や木琴と同様、ピアノの鍵盤の順番に並べて置かれた音板をばち(マレット)で叩いて音を出す。普通用いられる鉄琴よりも大きく低い音の出る音板が用いられ、マリンバ同様の音板の下に共鳴管を並べる。共鳴管の上端に丸いはねを設置し、このはねを電気モーターによって回転させる。はねが回転しながら管の上端を閉じたり開いたりすることによって、振動の共鳴管への伝わり方が増減する。それによって共鳴管の共鳴量が変化し、音量が増減を繰り返す。それによって音のふるえ(ヴィブラート)を起こすのである。楽器の名称はここから来ている。はねの回転の速度は変化させることができ、また、停止して演奏することもある。 音の余韻をコントロールするダンパーペダルによってロングトーンを演奏する事が可能で、マリンバや木琴と大きく異なる機能である。ヴィブラフォンがVibraphoneと呼ばれるのは、このロングトーンによる残響・共振(ヴァイブレーション)に起因するとも言われている。 ダンパーペダルを踏むと装置が離れ、離すと装置が音板に触れ、残響を停めるのである。音色の変化ははねの回転速度の他に、マレットの材質(特に堅さ)や大きさ、叩く位置などによって得られる。
ヴィブラートを使う奏者は左右に1本ずつのマレットを使う2マレット・スタイルが多く、ノン・ヴィブラートの奏者は片手に2本ずつの4マレット・スタイルが多いのも特徴と言える。音域はF2-f5までの3オクターブだが、c2-c6の4オクターブのタイプもヤマハ、斉藤楽器、マーコン、ベルジュローが製造している。このタイプはオーケストラの中に滅多に現れないが、それでもハンス・ヴェルナー・ヘンツェのように4オクターブタイプを指定する作曲家もいる。
尚、Vibraharpというネーミングは足元のペダルの部分にハープの飾りを施した物があった為そのように呼ばれた時期があり(初期のムッサー社のカタログ等)、70年代にはビブラートを使わない奏者がアルバムクレジットに用いた事もある。 日本語の場合はviの発音表記の違いから、ヴィブラフォン、ヴァイブラフォン、ビブラフォン、ヴァイブ、バイブ、と表記が様々であるが統一はされていない。(ネットから引用)

2007年10月22日

Ask your body

近藤等則のエレクトリック・トランペットと東野祥子(BABY-Q)のコンテンポラリー・ダンスによるコラボレーション「BENDING NEW CORNERS」
'07 10.19 at jaz' room nu things

「テクノロジーと人間の力をミックスしたものが21世紀型の新しいバンド」「機械は機械の音として使えばいいのでね、機械を人間的にしようなんて、おかしなことだよ」。近藤等則が彼のブログでテクノについて発言しているこれには、ボクも同感だ。ステージが終わってnu thingsのソファーに座っている彼に、ひとつだけ意地悪な質問をした。「なぜいま、機械でマニュピレートしながら、ひとりで音楽を演奏しているんですか?」と、「いや、俺はビル・ラズウェルやジョン・ゾーンなどとも演奏しているよ」と彼は答えた。その後、2言3言話しているうちに、若いファンが我々の会話を遮ったのでそれで話が中断し、それっきりでボクは席を立った・・・。ボクが聞きたかったのは、そうしたジャズトランペッターとしてのセッショナリーな答えではなく、自分の理想とする音楽を演奏するには、ひとりでやらざるをえない時代だからなんだという言葉だったのかも。それにしても近藤等則もつねに孤高のアーティストだと思う。彼の名前を初めて聞いたのは、80年初頭にロンドンでデヴィッド・トゥープ(David Toop)に会った時だ。当時、トゥープはオブスキュア・レーベルでイーノなどとも関わり、また自身のQUARTZレーベルを立ち上げニューギニアの「Sacred Flute Music...」などの数枚のアルバムをリリースし実験的な試みを始めていた時期で、「阿木、キミは近藤等則というニッポン人を知っているか?」というのが、彼の名前や音楽を知る契機だった。先日レコード倉庫を整理していたら、当時のQUARTS、Y−RECORDSの全作品がでてきて、そのなかに82年にY-RECORDSからリリースされた「IMITATION OF LIFE/Tristan Honsinger, Steve Beresford, Toshinori Kondo & David Toop」を見つけたが、あれからもう25年もの歳月が経っているんだと、懐かしかった。
近藤等則の時代とともに変わり続けようとする実験的姿勢、そして、どこにも属さないフリーでグローバルなスタンスは、いまも当時と変わらない。


近藤等則+東野祥子

nu thingsでの近藤等則のエレクトリック・トランペットと東野祥子(BABY-Q)のコンテンポラリー・ダンスによるコラボレーション「BENDING NEW CORNERS」は、打ち込みによるシャーマニックでうねるグルーヴが1時間もの間、延々と続き、イコライザーで加工されたトランペットの音が、まるで彼の魂の声と、熱くクールな息を聴いているかのように、うねる音響の流れを切り裂いていた。東野祥子のダンス・パフォーマンスもそのうねる音の波にのるサーファーの身体のごとくトランスし共鳴していて美しかった。こうした音楽は40代のオーディエンスのためのものかなと思っていたにも関わらず、10-30代の若いオーディエンスたちで席は埋めつくされていた。いったい40代の彼らはどこに消えてしまったのだろう。聞くところによると、ロックやノイズ、スカムを聴いていたあの世代は、少なからずみんな病んでるんだとか。そうだろうな。

2007年10月29日

Don't stress one thing more than another

STYLIN'

LIVE:Some Jazzy Bits/Tatsumi Tatsuya
27 October '07 at jaz' room nu things

辰巳哲也のジャズの本質はきっと昭和初期や大正生まれのトランペッターがジャズをやるように、「日本のジャズ、黎明期」のようなジャズとクラシックの狭間にあるものと言えるのじゃないだろうか

辰巳哲也と関わってもう6年も経過しているんだな。2枚のアルバムをプロデュースしてから、この2、3年、辰巳哲也の音楽に対して直接関わることなく、ただあれこれ助言だけをし、そのなかで彼が提示してきたnu jazzといわれるものには、どうもボク自身はスッキり受け止められなく、最近ではユッカ・エスコラとのセッションなどをオーガナイズするなど、彼の音楽をnu jazzの流れに組込もうとあれこれ戦略をたてたけれど、どうもうまく行かなかった。しかし、10月27日の「Stylin'」での打ち込みによるラップトップ・ジャズを聴いて彼の音楽の正体が初めて垣間みれたように思う。プロデューサーとしてボクはパーソネイジ・レコーディングスから2002年の「Aspect From Both Side 」、2003年の「Reflection and Integration」の2枚のアルバムを制作し、nu jazzの記号をニッポンでは誰よりも早く強引に彼のジャズに移植し、北欧のクラブシーンで絶賛されはしたが、いまとなっては、それは間違いだったように思う。彼の本質はきっと昭和初期や大正生まれのトランペッターがジャズをやるように、「日本のジャズ、黎明期」のようなジャズとクラシック(近代と現代音楽)の狭間にあるものと言えるのじゃないだろうか。彼はきっと蓄音機で75回転のジャズのレコードを聴くように古き良き時代の「ノスタルジア」と「ロマンチック」なサウンドスケープが好きなんだろう。あるいは横浜ランドマークタワーで展開していたビッグバンドでのウェストコースト・ジャズやスウィングジャズだろう。それがジャズトランペッター辰巳哲也のジャズの正体だと思う。当日の「Stylin'」での演奏を録音したCDRを聴き直したが、彼の書き下ろしによる数曲の新曲、それは打ち込みによるものではあるが、やはりノスタルジックなセピア色のnu jazzやラテンボッサ・グルーヴであり、そのなかでも4曲目にやったシベリウスのValse Tristeのワルツによるリアレンジが特に辰巳世界を象徴したものと言えるだろう。それと、最後にやったザヴィヌルのIn A Silent Wayの音響系的な構造を持ったジャズとクラシックの融合、リアレンジなどが彼の本領であり今後追求していく世界だろう。この日の佐藤真也のキーボードはクラシカルでノスタルジックなグルーヴの上を泳ぎ、辰巳哲也の曲をより映えたものに変容させていた。

  
辰巳哲也(tp, program) 佐藤真也(key) DJ:Musica(Lounge Grooves)

来年の2月からは定例的にこの「Stylin'」を、東京で活動しているジャズミュージシャンやラウンジグルーヴのMusicaクンたちDJとオーガナイズしてくれる約束をしたが、きっとボクの手から離れた方がイキイキと彼本来のジャズを展開してくれるように思える。今回のイヴェントには女性ファンもみられ、CD「Reflection and Integration」も売れていたし、ニューアルバムがリリースされるだろう来年が楽しみだ。アルバムを創るに、一つ助言するなら、リッキー・チックからリリースされたKerkko Koskinenの「AGATHA」やシネマチック・オーケストラのように、ストリングスなども多用したクラシックとジャズ、現代音楽(音響系)などの融合による壮大な物語性のあるものにしたらどうだろうか。アレンジャー、コンポーザーとしての辰巳哲也をボクは高く評価し続けているのだから。

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