KYOU-016 AUBE[2001 vol.1]

発売日:2018年1月21日(日)
定価:¥2,000(-税別)
品番:KYOU-016

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AUBE
2001 Vol.1

01. Fukugan Plus Osaka Japan 14 December 2001. From GRL-010RR [BAR 2.1-A 2000-2001] Disk B track02 Equipment: Monophonic Analogue Sequence Synthesizer Firstman SQ-01 Digitally Remastered At Studio MECCA March 2002 By Aube “Akifumi Nakajima”
02. SEQ0102 -Bears Osaka Japan 26 February 2001From GRL-009 [SEQ0102] Performed And Recorded Live At Bears Osaka Japan 26 February 2001 By A Software Synthesizer Digitally Remastered At Studio MECCA Kyoto Japan March 2002 By Aube “Akifumi Nakajima”

KYOU-016
21.Jan 2018 release
2.000yen+tax

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「ここからAUBEの新しい〈歴史〉が始まる。」

その第二弾『2001 Vol.1』は、洗練とマテリアリズムの 両極を行き来する電子ノイズが全編に横溢しており、 2000年代初頭のAUBEサウンドを捉えたドキュメント となっている。

<作品概要>
2016 年から2017 年にかけて京都のレーベル〈shrine.jp〉からリリースされた1990 年代カセット作品のリイシュー・プロジェク トによって再評価も著しい日本のノイズ/ミュージックの聖域 Aubeこと中嶋昭文(京都府出身;1959-2013)。新たにスタートした 本シリーズは、中嶋主宰のレーベル〈G.R.O.S.S〉から 00 年代に発表され、今や入手困難となっている CD-R /ライブ録音シリー ズから年代順にトラックを選出し、アーカイブ・アルバムとして再構築していくリイシュー・プロジェクトである。その第二弾『2001 Vol.1』は、『Bar 2.1-A 2000-2001』(GRL-010RR / 2002)か ら “Fukugan Plus Osaka Japan 14 December 2001”、 『SEQ0102』(GRL-009/ 2002)から “SEQ0102 – Bears Osaka Japan 26 February 2001” と、それぞれ 2001 年録音・ 演奏を収録。“Fukugan Plus Osaka Japan 14 December 2001” はアナログ・シークエンス・シンセザイザー SQ-01 を用いて 緊張感に満ちた持続音とシーケンシャルな電子音による瞑想的なサウンドを展開し、“SEQ0102-Bears Osaka Japan 26 February 2001” ではソフトウェアシンセサイザーによって清流/宇宙的な壮大な電子音響空間を生成する。洗練とマテリアリズム の両極を行き来する電子ノイズが全編に横溢しており、2000 年代初頭のAUBEサウンドを捉えたドキュメントとなっている。 デンシノオト

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<アーティスト情報>
1959年1月13日京都東山三条で生まれる。80年代初頭の大学時代から、シンセサイザー等の電子楽器を使用し、学友との展示会の音響制作などをおこなう。1990年、美術作家の有地左右一+笹岡敬による水のインスタレーション『Water1990』への参加を契機に、翌91年からAUBE(オウブ)として本格的に音楽活動を開始。京都「ヴァニラ・レコーズ」でデビューカセット『Hydrophobia』を発表。AUBE作品の特徴は、常に一つの作品に対して一つの素材(水、蛍光灯、金属、ガラス、心拍、脳波等)のみをサンプリング・ソースとしてエフェクト加工を施し制作されていることである。92年に自主レーベルでありデザイン・プロジェクト「G.R.O.S.S.」を設立。自身の作品も含め国内外のノイズアーティストの作品を50〜100本限定でリリース。本業であるプロダクト/インダストリアル・デザイナーとしての技術を生かしたハンドメイド・パッケージのカセットテープ作品をリリースし、レーベルの独自性を打ち出す。90年代中頃から国内外のレーベルからのオファ—を殆ど断ることなく、精力的に作品をリリースする。同じ時期に海外からの招聘も始まり、世界各国でライブ演奏をおこなう。2005年、イタリアのM.B.とのコラボレーションをおこなった頃より、健康上の理由で作品リリースが減りライブも停止する。2013年9月25日享年54歳で永眠。生前に制作したタイトル数は、ソロ、スプリット、コンピレーション、デザインワークなどを含めると300種に及ぶ。