KEITH TIPPETT - 2

ジャズの始源であるアフリカの大地
ゴスペルから都市のファンク、フリーまでを
奔放無尽に横断するポストモダン・ジャズ
または「右脳を活性化させ、左脳を休ませる」ための
"1/fゆらぎ"ミュージック
KEITH TIPPETT-2
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 35

現代思想には色んな考え方があって、生きてる"今"の時代を考察したりするには、必要なものだが、思想そのものに振り回されるバカバカしさを体験してから、出来るだけ言語での知そのものに依存しなくなり信じることもなくなった。グローバリゼーション、ポストモダン社会に生きる我々は、複数のアイデンティティを使い分けた解離性人格障害(多重人格)者にも似て、ロック・ミュージシャンと大手企業サラリーマンの2つの顔を持つ40代の知人は、精神安定剤を飲みながら単一性と多数性が拮抗する社会のなかで辛うじてバランスを取り生きている(ボクには出来ない行為だね。だっていずれ精神的破綻をきたすのは明らかだ)。フリー・インプロヴィゼーションという音楽を考えるとき、やはり60年代から70年代にかけて表出したフランス現代思想でのポストモダンという言葉なくしては語れない。ポストモダンは、この日本では80年代初頭の“広告代理店文化”と非常に密接に結合して、一気に流通し、あっという間に消費され尽くされてしまったが、モダニズムを批判することで近代の行詰りを克服しようとしたそうした風潮は、70年代の音楽の世界でもフリー・インプロヴィゼーションという形であらわれていた。ボードリヤール、ドゥルーズ、ガタリ、ネグリ、デリダなどの、脱構築(ディコンストラクション)、リゾームや差異、大きな物語の終焉などなど、ボクも当時こうしたニューアカ被れの風潮に遅れまいと、みすず書房の哲学書、思想書などを読み漁っていたが、今考えてみると無駄な行為だった。だけど様々なポストモダンに関する言説のなかで唯一「遊戯的な引用と自由な折衷」という定義に、無神論的実存主義者のボクは、ひとつの完結な結論を視た気がした。音楽におけるポストモダンは、1950年代の現代音楽でのピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼンなどのトータル・セリエリズムがその始まりだが、その後ジェルジ・リゲティ、イアニス・クセナキス、ジョン・ケージなどに引き継がれ、多様式主義、スペクトル楽派、新しい単純性、新しい複雑性、ヴァンデルヴァイザー楽派、ミニマル音楽など様々に変容し、これら全てがポストモダンと位置付けられている。西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に右脳=音楽脳で処理するのに対し、日本人は左脳=言語脳で受けとめると言われているが、フリー・インプロヴィゼーション、フリーミュージックを考えるとき、このことの弊害も大きいように思う。どんな音楽であっても、言語や思想で防備され保護され美化して解釈されるものではないし、音楽を言語脳で捉えること自体愚かな行為だと考えている。頭で理解し、意味を明らかにすることが音楽の目的ではないからだ。自然音を言語脳で受けとめるという日本人の生理的特徴と、擬声語・擬音語が高度に発達したという日本語の言語学的特徴は、それはそれで豊かな言語の独創性を生むだろうけれど、いままでボクは、繰り返し何千回と言ってきたけれど、音楽は感じるだけで充分その機能を果たしているのだ。だから感じない音楽は音楽ではない。言語的解釈こそがフリージャズ、あるいはフリー・インプロヴィゼーション・ミュージックを誤解し、つまらなくさせている大きな原因だ。"日本人にありがちなインプロまがいの駄演は毒の垂れ流しだと思う。 究極のテクニックと究極の精神性があいまってこそ聞く価値のあるフリーインプロなのであって、テクニックの無さや精神性の低さを隠すための、フリーインプロなど本当に糞以外の何者でもない。 フリーインプロ・ファンを減らすだけなので頼むからやめてくれ”といった人がいたが、その発言をそのままボクもフリー・インプロヴィゼーションという音楽に対する回答にしたい。

CENTIPEDE/"SEPTOBER ENERGY
(Neon/RCA 9)
70年、この時期はティペット以外のメンバーはソフトマシーンへ参加しており、ティペットはというと問題の大作、キング・クリムゾンのロバート・フリップのプロデュースの下、'71年の2枚組「Centipede: Septober Energy 」を発表、この作品はパート4から構成されたすべての曲の作曲/編曲を彼が手掛けていて、カール・ジェンキンス(oboe)、イアン・カー(tp)、ドゥドゥ・プクワナ、エルトン・ディーン、イアン・マクドナルド(as)、ブライアン・スミス、アラン・スキッドモア、ゲイリー・ウィンドウ(ts)、ニック・エバンス、ポール・ラザフォード(tb)、ジョン・マーシャル、ロバート・ワイアット(ds)、ブライアン・ゴッディング(g)、ジェフ・クライン、ハリー・ミラー、デイブ・マクラエ、ロイ・バビントン(b)、ジュリー・ティペット(ドリスコール)、マギー・ニコールズ、ズート・マネー(vo)など参加ミュージシャンは50人を超えるソロイストを集結させたプロジェクトを展開している。(上に掲載している写真を参照/英国ジャズの尖鋭、ディーン、チャリグ、エヴァンス、イアン・カーからソフト・マシーンのロバート・ワイアット、初期クリムゾンのイアン・マクドナルド、そしてカール・ジェンキンスたち70年代のブリティッシュ・ミュージック・シーンを率先する錚々たるメンバーが集っている)。"「Septober Energy」は壮大なフュージョン・アルバムである"とか、"随所にロック的イディオムが感じられる"とか評してる評論家がいるが、これもまた大きな誤解である。ジャズの始源であるアフリカの大地からゴスペル、都市のファンク、フリーまでを奔放無尽に横断するポストモダン・ジャズである。このアルバムのロック的イディオムって何だ? これはジャズの文脈にある音楽だ。当時から今日まで、ニッポンの音楽業界、ジャーナリズムの立ち位置は常にロックにあり、そのフィールドから間違った解釈を繰り返してきた。ロックに呪縛されたロックの耳しか持っていない評論家やリスナーが、このアルバムをキングクリムゾンの流れに組込もうとする。そこから間違いが生じるのだ。"モダン・ジャズにロックの味付けを施したプログレッシブなロック・ジャズ"か? 笑わせる、な。言いたくないが、 当時リアルタイムにこうした音楽を聴き正当に評価していたのは、間章と北村昌士とボクの、ほんの数人だったけどね。

side one:1. Septober Energy side two:2. Septober Energy
side three:3. Septober Energy side four:4. Septober Energy
VIOLINS:Wendy Treacher, John Trussler, Roddy Skeaping, Wilf Fibson, Carol Slater, Louise Jopling, Garth Morton, Channa Salononson, Steve Rowlandson, Mica Gomberti, Colin Kitching, Phillip Saudek, Esther Burgi
CELLOS:Michael Hurwitz, Timothy Kramer, Suki Towb, John Rees-Jones, Katherine Thuulborn, Catherine Finnis
TRUMPETS:Peter Parkes, Mick Collins, Ian Carr ( doubling Flugel Horn ), Mongesi Fesa ( Pocket Cornet ), Mark Charing ( Cornet )
ALTOS:Elton Dean ( doubling Saxcello ), Jan Steel ( doubling Flute ), Ian McDonald, Dudu Pukwana
TENORS:Larry Stabbins, Gary Windo, Brian Smith, Alan Skidmore
BARITONES :Dave White ( doubling Clarinet ), Karl Jenkins ( doubling Oboe ), John Williams ( Bass Saxphone - doubling Soprano )
TROMBONES:Nick Evans, Dave Amis, Dave Perrottet, Paul Rutherford
DRUMS:John Marshall ( and all percussion ), Tony Fennell, Robert Wyatt
GUTARS:Brian Godding BASS GUITAR:Brian Belshaw VOCALISTS :Maggie Nicholls, Julie Tippett, Mike Patto, Zoot Money, Boz
BASSES:Roy Babbington ( doubling Bass Guitar ), Jill Lyons, Harry Miller, Jeff Clyne, Dave Markee
PIANO:Keith Tippett
Producer : Robert Fripp.
Neon/RCA 1971

KEITH TIPPETT/BLUEPRINT
(RCA 8290)
セカンド「Dedicated To You,But You Weren't Listening」発表後のティペットは、センティピートを少数精鋭化したユニットで、ソロ名義のアルバム「Blue Print」(1972)を手掛けるが、このアルバムもプロデュースはロバート・フリップが担っているのだが、当時、彼やキング・クリムゾンの音楽にしてもなぜかその音楽の底に流れている微かに匂う欺瞞に似たものを敏感に感じていたリスナーも多く、フリップの名前がクレジットされていると、ちょっと二の足を踏むという感じだった。その原因は、当時キング・クリムゾンに関してはレッド・ツェッペリンとともに雑誌「ロッキン・オン」の大きなひとつの顔で、岩谷宏や渋谷陽一の"ボク"と"キミ"といった言葉を使うことによって、雑誌の売り上げを伸ばす目的のための、ロックファン間のコミュニティ形成への戦略を冷ややかな態度で見ていたひとつの反動だったのだろうが、これはきっとボクだけが感じていたことだろうか(それにしても渋谷氏の事業家としての秀でた才覚と成功には頭が下がる)。このアルバムでのジョン・ケージを意識した現代音楽的アプローチや、シャーマニックな原始回帰のグルーヴ、緊張感と静/動の対比を生かした音楽は絵画で言えば、ラフスケッチされた素描のようなものだろう。80年代初頭、ロンドンでフランク・ペリーのパーカッションだけのインスタレーションのようなイヴェントに接する機会があったが、フォークロリックな打楽器によるポリリズムはコンテンポラリー・ミュージックとして多くのイギリスのフリージャズ・リスナーに支持されていた。

side one:1.Song 2.Dance 3.Glimpse
side two:1.Blues I 2.Woodcut 3.Blues II
KEITH TIPPETT(piano) ROY BABBINGTON(bass) KEITH BAILY(percussion)
FRANK PERRY(percussion) JULIE TIPPETT(guitar/voice)
Recorded :1972 - Command Studios, London
Engineer: Andy & Ray Hendrickson
Produded: Robert Fripp
RCA 1972

KEITH TIPPETT,HARRY MILLER,JULIE TIPPETTS,FRANK PERRY
/OVERY LODGE
(ORUN OG 600)
キース・ティペットはCENTIPEDEを解体した後の、「Blueprint」での音楽をより発展させるために彼の妻でもあるジュリー・ティペットのヴォイス、ハリー・ミラーのベース、フランク・ペリーのパーカッションによる即興ユニットによって'73年にアルバム「OVARY LODGE」を発表している。このアルバムは'78年に発表されたセカンドで、ロンドンのNettleford Hallでのライヴが収録されたものだが、次第に観念的なインプロヴィゼーション主体のジャズ、現代音楽的アプローチ、フリーフォームな音楽へと突き進んでいく(このような言語的、観念的音楽にあくまでもボクは否定的だが)。こうした音楽が持つ観念的欺瞞を振り払うには、一種の環境音楽のように、自然界、生体、音楽に共通する"ゆらぎ"、人間の感じる最も快い感覚の"1/fゆらぎ"として対応するのが賢明だろう。音響の変化が激しすぎも少なすぎもせず、適度な刺激量の時間的変化がある場合に1/fゆらぎは生じると言われているのだが、フリー、あるいはインプロヴィゼーションは「右脳を活性化させ、左脳を休ませることが音楽のもつ大きな効用である」という説を実践するためのBGMで充分だ。右脳の音楽脳だけを使い、決して言語脳で理解しようとしないことだ。そうすると鮮やかに空間的音響として変容する。

side one:1.Gentle One Says Hello 2.Fragment No.6
side two:1.A Man Carrying A Drop Of Water On A Leaf Through A Thunderstorm 2.Communal Travel 3.Coda
KEITH TIPPETT(piano,harmonium,recorder,voice,maracas) HARRY MILLER(bass) FRANK PERRY(percussion,voice,hsiao,sheng) JULIE TIPPETTS(voie,sopranino recorder,er-hu)
live recording at Nettleford Hall,London SE27, 6 August 1975 by Keith Beal.
produced by Keith Beal and Overy Lodge
ORUN 1976

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