2008年03月 Archive

2008年03月01日

SOFT MACHINE - 1

ソフト・マシーンの1st-2ndでみられるのは
ビートジェネレーションの"Upbeat!" "On The Road"の
存在論とそのリアリズムに影響を受けたヒッピーのドラッグ世界
SOFT MACHINE-1
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 27

'90年代クラブミュージック以後ドラッグ・カルチャーといえば、いまや地中海スペイン領イビサ島がその本拠地だが、ブライアン・ジョーンズが死の直前に発表したアルバム「ジュ ジューカ(Ju jouka )」('71年)での伝統的な儀式音楽は、'68年にジョーンズがモロッコのタンジールで録音したテープを加工/編集したもので、"地の果て"アルジェリアから西に、目と鼻の先にある中世イスラム都市の要塞や迷路のような街路が残された街、そのタンジールのカフェで、'60年代にジェイン・ボウルズ、ウィリアム・バロウズ、ポール・ボウルズらタンジェリノたちが談笑している「エスクワイア」誌に掲載された古い1枚の写真をみたとき、当時のビート・ジェネレーションたちのスノッブで自由なボヘミアンとしての生き方にただただ嫉妬するばかりだった。'40年後半から'50年代に、ニューヨークのアンダーグラウンド社会で生きる若者のなかのひとり、'52年にニューヨーク・タイムズ誌に掲載されていた小説家ジョン・クレロン・ホルムズのエッセイ「これがビート・ジェネレーションだ(This is the Beat Generation)」が、この言葉の発祥源だが、特にビートニクスのウィリアム・バロウズとロック・ミュージシャンの関係は、カウンターカルチャーから新しい音楽が発生するとき、必ずといっていいほど取り沙汰される。新しいところでは、クラブミュージックが表出した'90年代初期のサンプリングやリミックス(いまでこそ音楽創造の常套手段だが)の時代に。バロウズの「裸のランチ」や「ソフトマシーン」での麻薬常習者、ホモなどが織りなす支離滅裂な物語り(?)、小説そのものにそれほど興味はないが、カットアップやフォールドインの手法が、ミュージシャンが音楽を創造するときの手法に、またバロウズの小説を読んでいるうちに、無意識やサブリミナルなメッセージが顕現してくるが、ロック・ミュージックやノイズ、音響系、クラブミュージックなどの音楽を聴くときに生まれる抽象的イメージと似ているところが多く、それが最も彼の文学に惹かれた理由だ。言ってみればバロウズの小説は文学ではなく音楽なのだ。ところでソフトマシーンという本来の言葉は精神病者の肉体、あるいは器官が未発達な生まれたばかりの赤ん坊にとっての世界を意味するのだが、オーストラリア生まれの世界を放浪するヒッピー、デイヴィッド・アレンが、パリに渡った際にビート文学の巨匠、ウィリアム・バロウズと出会うことによって名付けられた。ソフト・マシーンの1st、2ndで聴かれる音楽は、バロウズというよりもビートニクスの著作にもある"Upbeat!"、"On The Road"の思想に影響を受けたヒッピー、ドラッグ・カルチャーがダイレクトに反映されたものだ。

THE SOFT MACHINE/THE SOFT MACHINE
(GTT 2041)
'68年に発表された1st.。レコーディング・メンバーはケヴィン・エアーズ(b)、ロバート・ワイアット(Dr、vo)、マイク・ラトリッジ(k)の3人。デイヴィド・アレンも結成メンバーのひとりだったが、ライヴ活動中にドラッグによる入国問題が起きてフランスから出国することができなかった。音楽的にはベートーヴェンの第九、クラシック音楽とサイケデリック・ミュージックではまるで合致しないが、当時のドラッギーな時代を支配していた空気感からか、このジャケット・デザインをみるといつもボクは、後にスタンリー・キューブリックにより映画化されたイギリスの小説家アンソニー・バージェスの「時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)」をなぜかイメージしてしまう。いま再び聴くとポップな サイケデリック・ミュージックだ。

side one:1. Hope for Happiness 2. Joy of a Toy 3. Hope for Happiness (Reprise) 4. Why Am I So Short? 5. So Boot If at All 6. A Certain Kind
side two:1. Save Yourself 2. Priscilla 3. Lullaby Letter 4. We Did It Again
5. Plus Belle Qu'une Poubelle 6. Why Are We Sleeping? 7. Box 25/4 Lid
GOLDIES 33/PROBE 1968

http://www.youtube.com/watch?v=gETYS-sNI9E&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=xZ8vEKKQbQ8&feature=related

THE SOFT MACHINE/VOLUME TWO
(SPB 1002)
ケヴィン・エアーズの跡をヒュー・ホッパーが埋め、新たにソプラノ/テナーサックスのブライアン・ホッパーをフィーチャーして制作した2nd。英国での事実上のデビュー作になるこのアルバムは、サイケデリック・ミュージックからフリーフォームのジャズロックに向かう過程でマイク・ラトリッジのイニシアティブが強くなりジャズ的なグルーヴが全面に聴こえ始める。ワイアットの歌からも、ジャズのコード進行をきっちり押さえたメロディーも聴こえてくる。全体が短かい17の組曲によって構成され、「Dedicated to You but You Weren't Listening」のようなクラシック・テイストの曲もあるが、フリージャズを意識した当時としては実験的な試行が感じられる作品だったのだが・・・。しかしラストの曲「10.30 Returns to The bedroom」は現在の"ジャズ的なる"耳でも充分耐えうるだけの曲が収録されている。

side one:1. Pataphysical Introduction, Pt. 1 2. Concise British Alphabet, Pt. 1 3. Hibou, Anemone and Bear 4. Concise British Alphabet, Pt. 2 5. Hulloder 6. Dada Was Here 7. Thank You Pierrot Lunaire 8. Have You Ever Bean Green? 9. Pataphysical Introduction, Pt. 2 10. Out of Tunes
side two:11. As Long as He Lies Perfectly Still 12. Dedicated to You But You Weren't Listening 13. Fire Engine Passing with Bells Clanging 14. Pig
15. Orange Skin Food 16. Door Opens and Closes 17. 10: 30 Returns to the Bedroom
PROBE 1969

※ソフト・マシーンのバイオグラフィーはWikipediaを参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ソフト・マシーン

※ビート・ジェネレーション
http://ja.wikipedia.org/wiki/ビート・ジェネレーション

2008年03月02日

SOFT MACHINE - 2

ジャズの文脈で語られるべきソフト・マシーンのアルバム「THIRD」「FORTH」
SOFT MACHINE-2
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 28

SOFT MACHINE/THIRD(CBS 66246)
ソフト・マシーンの音楽が初めて確立されたのは、'70年から'73年にかけてだ。それはエルトン・ディーンの存在がそうさせたのだが、「Third」「Forth」はもはやジャズの文脈で語られるもので、フュージョンの始祖の一人とも言えるウェザーリポートのジョー・ザヴィヌルが、レコーディング・セッションで参加したマイルス・デイビスの「In A Silent Way」がフュージョンの基礎となったと言われている歴史的セッションにも匹敵するものかも知れない。それはリード楽器として当時キース・ティペット・グループに在籍していたエルトン・ディーン(Alto Sax, Saxello)を起用したこと、キース・ティペット・グループのメンバー5人(ジミー・ヘイスティングズ、ラブ・スポール、ニック・エヴァンズ、リン・ドブソン)が参加していることなどが挙げられる。本来このアルバムはロックではなくジャズの地平に並べられるものだ。
8人編成になったソフト・マシーンは'70年に3枚目のアルバム『Third』を制作、このアルバムは2枚組で全4曲収録された大作。当時、イギリスよりもフランスのジャズ界で最も支持されていたソフト・マシーンだが、後にフランスで「Third」はポストモダンとしての現代的解釈を取り入れて録り直し再構築されている。ソフト・マシーンの代表的作品と言われている「Third」には、ジャズ、現代音楽、ロック、ポップスなど複数のジャンルをクロス・オーヴァーしているエクスペリメンタル精神が色濃くみられる。全体的にはスピリチュアル・ジャズとも言えるし、このアルバムに特徴的なテーマの反復、断片的フレーズのミニマル・テクニックによる催眠性は現代音楽としても解釈可能だ。初期ソフト・マシーンの顔だったロバート・ワイアットのヴォーカルは「Moon in June」1曲だけで、完璧にインストゥルメンタル・グループ化してしまった新たなソフト・マシーンの始まりを意味する作品。

side one:1.Facelift side two:2.Slightly All The Time side three:3.Moon In June side four:4.Out-Bloody-Rageous
Mike Ratledge (organ and piano) Hugh Hopper(Bass guitar) Robert Wyatt (Drums and vocal) Elton Dean(Sax and saxello) Rab Spall(Violin) Lyn Dobson(Flute ans soprano sax) Nick Evans(Trombone) Jimmy Hastings(Flute and bass clarinet)
* Facelift was recorded live at Fairfield Hall Croydon January 4th 1970 and at Mothers Club Birmingham, January 11th 1970
Engineering : Andy Knight I.B.C recording studio , Bob Woolford : concert recordings
CBS 1970

http://www.youtube.com/watch?v=51LYKbXV9SE&eurl=http://209.85.175.104/search?q=cache:knTEk67Vga4J:musictv.jp/artist/show/%2525E3%252582%2525BD%2525E3%252583
http://www.youtube.com/watch?v=ahBzZ55De8k

SOFT MACHINE/FOURTH(CBS 64280)
ネットでソフト・マシーンのことを調べていると、"歴史を紐解くと、このバンド、なかなか日本国内ではリアルタイムでは認知されていなかったらしい。ネームバリューは日本ではイマイチ、多分当時の日本のプレスが彼等の先進的な音楽性についていけなかったのだろう”と書いていたひとがいたが、それはいまだから言えることで、当時のスピードをともない目まぐるしく常に動いている情報は、静止したものはよく見えるが、運動しているものの正体までは誰も明確に看破できないのは当然だ。それに加え、当時の時代風潮そのものが、'60年代のマッシュルームカットにモッズ、フラワームーブメント、サイケデリック、'70年代のグラム、パンクなどの華やかなブリティッシュ・インヴェイジョンでの情報に偏っていて、ボクも含めてソフト・マシーンの音楽を正当に評価していたかというと、それはおおいに疑わしい。
一方、60年代のジャズシーンは次第に活気を失っていく状況にあって、新たなる活動の場所を求めてヨーロッパに移住してしまうミュージシャンも増えていた時期だった。それはビートルズやローリング・ストーンズなど白人中心のロック・ミュージック、ブリティッシュ・インヴェイジョンの波をジャズシーンももろに受けて黒人ミュージシャンさえもブルースやソウルへの傾向を強め、アート・ブレイキーやホレス・シルヴァーたちはハード・バップを、オーネット・コールマンやドン・チェリーたちはフリージャズを、コルトレーンはスピリチュアル・ジャズを、マイルス・デイヴィスは'75年以降の長いスランプ前の、8ビートのリズムとエレクトリック楽器をジャズに導入したり、ファンク色の強い、よりリズムを強調したスタイルへと進展し、フュージョンとは一線を画するハードな音楽を展開するというように、ジャズミュージシャンたちは衰退していくジャズを独自に、なんとか発展/深化させるための様々な試行錯誤を繰り返していた時代でもあった。60-70年代のジャズもまさに激動、混沌の時代だったのである。'70年に入るとソフト・マシーンはそうした時代風潮とはまるで逆を行くように、ロックから逸脱して、ますますジャズへ接近しその道を深めていった。アルバム「Fourth」は、'60年代後半のマイルス・デイビスのアルバム「Sorcerer」や「Kilimanjaro」などにみられる若干19歳の天才ドラマー、トニー・ウィリアムスと展開していた異常なまでのテンションとスリリング、暴力性。それでいてクールなインテリジェンスある実験的な試みに似て、ボクは「Fourth」を60年代のハイテンションでバリバリ吹きまくるインプロバイザー、フリーブローイング・ジャズと相関関係にあると思っている。マイク・ラトリッジ(kb)、ヒュー・ホッパー(b)、ロバート・ワイアット(ds、vo)、エルトン・ディーン(sax)によるソフト・マシーンは「THIRD」と「FOURTH」によって終焉を迎え、本格的なジャズへの道を選択する。

side one:1. Teeth 2. Kings and Queens 3. Fletcher's Blemish
side two:1. Virtually, Pt. 1 2. Virtually, Pt. 2 3. Virtually, Pt. 3 4. Virtually, Pt. 4
Hugh Hopper(bass) Mike Ratledge(organ & piano) Robert Wyatt(drums)Elton Dean(alto saxophone, saxello) Roy Babington(double bass) Mark Charig(cornet) Nick Evans(trombone) Jimmy Hastings(alto flute & bass clarinet) Alan Skidmore(tenor sax)
Recorded Autumn 1970 at Olympic Studios, London
CBS 1971

2008年03月03日

SOFT MACHINE - 3

ジャズ・フュージョンはダサい 
あの上っすべりのグルーヴにはジャズ・インプロヴァイズの高揚するテンションもスリリングも感じないし黒人ジャズの分厚いグルーヴも欠損している
SOFT MACHINE-3
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 29

SOFT MACHINE/FIFTH(CBS 64806)
アラベスク・テイストのジャズ・フュージョン"All White"から始まる'72年のアルバム「FIFTH」を再び聴き直すと、この作品はECM系のユーロジャズに通じるオブスキュアで繊細なグルーヴだけが全面に出ていて、ジャズという観点からみると前作のような緊張感ある太いグルーヴは影を潜め、ジャズでも人によっては色んな解釈の仕方があることを改めて思う。
ワイアット脱退後、ドラマーにはディーンの友人、フィル・ハワードが参加するのだが、この頃から今度は先鋭的なフリー・ジャズを志向するエルトン・ディーン、フィル・ハワードと、初期ソフト・マシーンのジャズ・ロックを発展させようとするヒュー・ホッパー、マイク・ラトリッジの間に亀裂が生じ始める。その結果、ハワードはアルバム制作期間中にバンドを脱退し、フィルの穴を埋めるドラマーとしてイアン・カー率いるニュークリアスからジョン・マーシャルが加入して、なんとかアルバムは完成する。「Fourth」を紹介したラストに"ソフト・マシーンが本格的なジャズへの道を選択する"と書いたが当時ボクはほんとにそう信じていたんだ。だけど、その期待は見事に裏切られたことを思い出す。誤解をおそれず断言してしまうが、"ジャズ"というならマイク・ラトリッジのオルガン、エレクトリック・ピアノが常にメイン楽器として全面に出てくることが間違っているのだ。"ジャズ"のピアノやエレピはあくまでもコード進行を支えるためのコード楽器であり、ときには打楽器のようなリズム楽器としての役割を果たすためのものなんだ。その言葉を証明するかのように、アルバム完成時にもうひとつのメロディー楽器であるアルト・サックスのエルトン・ディーンが脱退している。上品に作られてはいるが当時ボクはこのアルバムでソフト・マシーンの音楽を見限ってしまった。

SOFT MACHINE/'SIX'ALBUM(CBS 68214)
当時、ただ惰性で買った'73年のアルバム「SIX」だが、脱退したディーンに代わってニュークリアスから加入したのがカール・ジェンキンス(Oboe, Sax, Kb)だ。彼が新しく加入したからといって、前作でのボクが抱いた悪いイメージはなにひとつ覆ることはなかった。ジェンキンスがイニシアティヴを持つようになったこのアルバムでは、前作にも増してジャズ・フュージョンのダサさが際立って、相変わらずマイク・ラトリッジのオルガン・プレイと、それに加えてジェンキンスのオーボエの音色が鼻につくようになった。このボクの思いはきっとアヴァンギャルド志向のヒュー・ホッパーも同じだったろう。やはり彼も'73年「SIX」を最後に脱退している。このアルバムではラストの「1983」の、オブスキュアでクラシカルなアイリッシュやカンタベリー独特のサウンドスケープから現代音楽的なアンビエント・ミュージックが聴けることが、唯一の救いかな。
ロックの時代もそうだったが、ジャズを聴いているいまでもジャズ・フュージョンはダサい。あの上っすべりのグルーヴには、ジャズ・インプロヴァイズの高揚するテンションもスリリングも感じないし、黒人ジャズの分厚いグルーヴも欠損しているからだ。このアルバムを最後にボクはソフト・マシーンの音楽を一切聴かなくなった。その後も、オリジナルメンバーのラトリッジだけを残し、ベーシストにダブルベースに元ニュークリアスのロイ・バビングトンと、全員元ニュークリアスのメンバーがソフト・マシーンを受け継ぎ、'73年「SEVEN」を発表するが、後で知ることになったシンセサイザー導入には絶句した。その後の彼らの動向は一切知らないが、ソフト・マシーンの頂点はアルバム「FORTH」で完全に燃焼してしまったのだ。コレクションの1枚としてこうしたアルバムもあってもいいけれど、現在、新たにカンタベリーやソフト・マシーンの音楽に関しての多くの雑誌や情報が溢れているけれど、どうか惑わされないように。ソフト・マシーンなら「FOURTH」さえあればいい。

2008年03月04日

ELTON DEAN

フリージャズの 激しくパワフルなリズム 奔放に疾走するブラス
ミュージシャンの緊張が高まっていくなかのスリリングな会話
そして再び混沌の渦
ELTON DEAN
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 30

ELTON DEAN/ELTON DEAN(JUST US)(CBS 64538)
エルトン・ディーン関係の作品では'78年作「El Skid」と、'76年作ヒュー・ホッパーの「Hopper Tunity Box」くらいで、70年代後半になるとボクの意識はもうすでにニューヨーク・パンクやその他のオルタナティヴな動向に向いていて、彼の80年代以後の活動を知らない。当時こうしたフリージャズやジャズよりの音楽は、プログレッシヴやカンタベリー・ジャズを聴いていたロック・リスナーには縁遠いものだった(いまでもそうじゃないかな、そうじゃないならFinn JazzのFCQやイタリアのLTC、ニコラ・コンテなどを聴いていて当たり前だが)。30年の時間を経て、カンタベリー周辺から逸脱した当時正当に評価されもしなかったジャズのアルバムだけが、時間を超えて鮮やかに蘇ってくる。それは時代を超えてジャズが持つ普遍性にあるとしかボクも言いようがない。
'45年10月28日、ノッティンガム生まれのエルトン・ディーンは幼少時にピアノとバイオリンを学び18歳にサックスを始め、'68年"Keith Tippett Group"、'66年"ブルーソロジー"を経て'69年に"ソフト・マシーン"のメンバーとして初めて名前を連ねる。'70年「Third」、'71年「Fourth」のアルバムに関わりながら、ソロ・アルバム「Elton Dean(Just Us)」を発表。'72年「Fifth」の発表を最後に"ジャスト・アス"の活動に専念するためソフト・マシーンを脱退する。"ジャスト・アス"のメンバーは、フィル・ハワード(ds)、マーク・チャリグ(cornet)、ニック・エヴァンス(tb)、ジェフ・グリーン(b)だった。’75年に発足された新らしいバンド"ナインセンス( NINESENSE)"、'73年オランダの"SUPERSISTER"に参加するなどの変遷を経て、"ナインセンス"で'79年まで活動していた。このソロ・アルバムは、エルトン・ディーン(as,saxello,el p)、フィル・ハワード(ds) 、マーク・チャリグ(cornet)、ネヴィル・ホワイトヘッド(el b)、マイク・ラトリッジ(el p,org)、ロイ・バビングトン(b)によるロンドンのAdvision Studiosでのスタジオ・セッション、フリー・インプロヴィゼーションによって制作されている。このアルバムからはアドリブとフリーフォーム、フリージャズの 激しくパワフルなリズム、奔放に疾走するブラス、ミュージシャンの緊張が高まっていくなかのスリリングな会話、そして再び混沌の渦といった、熱気溢れるプレイが伝わってくる。唯一残念に思うのは、マイク・ラトリッジのエレピはエレクトリック・マイルスとはほど遠く、ここからもソフト・マシーンの一端が垣間見えてくる(ウーン∧^^)ことかな。ドラムとベースから生まれる血液のように脈動する安定したグルーヴのうえを、サックスやトランペットなどのブラスがブロウし、吠え、テンションの高揚したミュージシャン同士のスリリングで緊張感ある会話こそが"ジャズ”が"ジャズ"たりうる所以だ。このアルバムにプラスαとしてトランペットもフィーチャーされていたら、言うことなかったけどな。残念なことにエルトン・ディーンは2006年に逝去している。

ELTON DEAN( alto sax, sexello,electric piano) PHIL HOWARD(drums) MARK CHARIG(cornet ) NEVILLE WHITEHEAD(elec.bass )
Mike Ratledge(organ) Roy Babbington(bass) Nick Evans(trombone) Jeff Green( string bass , guitar) Louis Moholo(drums)
SIDE 1:1.Ooglenovastrome 2.Something Passed Me By
SIDE 2:1.Blind Badger 2.Neo-Caliban Grides 3.Part : The Last
produced by Elton Dean
recorded live at Advision Studios London May 1971
CBS 1971

http://www.youtube.com/watch?v=w4MoDPW3UBI
http://www.youtube.com/watch?v=c8BxVPnGkvs

2008年03月05日

IAN CARR

エレクトリック・マイルスと相関関係があることは明らかな作品
ユーロジャズのテイストも感じられ
現在のnu jazzやFinn Jazzに最も近いジャズが展開されている
IAN CARR
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 31

IAN CARR / BELLADONNA(VERTIGO 6360 076)
'60年代後半のイアン・カーといえばフリー・ジャズのSME(スポンティニアス・ミュージック・アンサンブル)の3人であるジョン・スティーヴンス、トレヴァー・ワッツ、ジェフ・クラインらの'69年にリリースされたアルバム「SPRING BOARD」に参加していたり、ドン・レンデルと双頭のクインテットを組んで'66年には「ダスク・ファイアー」を発表していた。当時のジャズミュージシャンの交流によるエクスペリメンタル・ジャズは後のアマルガムやニュークリアスの試金石になっている。'70年にNUCLEUSはLeon ThomasのバックバンドとしてMontreux Jazz Festivalにも出演しスピリチュアル・ジャズの領域にも侵入していた。イアン・カーはマイルス・デイヴィスに関しての「Miles Davis/The Definitive Biography」、「The Rough Guide to Jazz (Rough Guide Reference Series)」など数冊の著作物を出版するなどマイルス研究家としても有名だ。
イアン・カーの'72年のソロ・アルバム「BELLADONNA」は実質上のニュークリアスの4作目と言われていて、アラン・ホールスワース、ゴードン・ベック、ロイ・バビントンらが参加し、ハードバビッシュなグルーヴが全編流れている。このアルバムをフュージョンやジャズロックと捉えている人の耳を疑う。当時のエレクトリック・マイルスと相関関係があることは明らかな作品で、ストレートに"ジャズ"だ。ユーロジャズのテイストも感じられ、現在のnu jazzやFinn Jazzに最も近いジャズが展開されていて、ジャケット・デザインを含めてイアン・カーの作品のなかでは、最も気に入っている(このままクラブジャズとしてDJイングも可能)。イアン・カーはイギリス・ジャズ界を代表する革新的トランペッターだが、楽器の中でボクの最も好きなものがトランペットである。唇の動きや息の速さを変えると音がいろいろ出せ、ブロウするにも金管楽器中もっとも高音域がでる特性を持つトランペットは、形態そのものからしても原始的で自然で、人間の声や息、情感をそのまま再現でき、ジャズというアーバン・ブルースに最も相応しい楽器だと思っている。"熱く、高く、大きく、速く、そして優しく……。そのさまざまな表情は3本のピストンのみで繰り出され、そのため表現に関する多くの部分がプレイヤーのテクニックにかかっている"と言われるトランペットは、ルイ・アームストロング、ディジー・ガレスピー、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイヴィス、リー・モーガンなどなどその系譜を追えば、ジャズの歴史がすべて見えてくるといわれるほど、ジャズの"華"なのだ。ラッパは、原始からの息といわれ、男性を熱狂させる比類なき力を持ち、大きな喜びや戦争のような激しい感情と結びついており、ローマ時代(紀元前476年頃)は、しばしば政治、宗教的行事や集会、そして兵士の士気を盛り立てるために軍隊には欠かせないものだった。トランペットの語源は、アステカ神話における冥府神ミクトランテクトリ(Mictlantecuhtli)が、自分の愛玩動物の肛門から息を吹き込み断末魔の悲鳴を上げさせて楽しんだという伝説から、ミクトランテクトリのペット、略してトランペットと称されるようになったという説もあるが、ホモ・セクシャリティな発想で愉快だけれど、これはにわかに信じ難い。

SIDE A:1.Belladonna, 2.Summer Rain
SIDE B:1.Remadione, 2.Mayday, 3.Suspension, 4.Hector's House
Recorded at Phonogram Studios, London, Jul. 1972
Produced by Jon Hiseman
Ian Carr(Trumpet, Flugelhorn) Brian Smith(Tenor Sax, Soprano sax, Alto & Bamboo Flute) Dave MaCrae(Fender Electric piano) Alan Holdsworth(Guitars)Roy Babington(Bass Guitar) Clive Thacker(Drums) Gordon Beck(Hohner Electric
Piano) Trevor Tomkins(Percussions)
VERTIGO 1972

2008年03月06日

IAN CARR with NUCLEUS

イアン・カー+ニュークリアスの
スパイラル・ヴァーティゴ "渦巻き"・ジャズと
21世紀クラブジャズとの接点
IAN CARR with NUCLEUS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 32

英フォノグラムが'69年に設立したレーベル、スパイラル・ヴァーティゴ(渦巻き)・マークのVERTIGOも、'70年代初期のブリティッシュ・ロックを語るうえでは避けて通れないレーベルで、コロシアム、ロッド・スチュアート、ブラックサバス、ユーライア・ヒープ、ステイタス・クォーなど、どちらかというとハードロック系のレーベルでメジャー志向ではあったが、マグナ・カルタなどのトラッド・ロックや、ジェントル・ジャイアントなどのジャズフュージョン、ニュークリアスやジョン・スティーヴンスのジャズ、クラフトワークのテクノ・ポップまで広範囲の音楽ジャンルを網羅していた。
そのアルバムのロジャー・ディーンやキース・デイヴィス、ヒプノシスなどによるジャケット・デザインは、どれもが手の込んだドラマチックな物語性あるヴァーティゴ・ワールドを象徴した独特のもので、'73年以降のロジャー・ディーンによるデザインの "スペースシップ・ヴァーティゴ"に変更された頃までは、音楽よりもそのジャケット・デザインに惹かれてレコードを買っていた時期があった。下記のサイト「音式」で当時のヴァーティゴ・レーベルに関して詳細に記録されているので参照を。
http://www.sunny-bug.com/oto-ziki/index.html

NUCLEUS/ELASTIC ROCK(VERTIGO 6360 008)
'70年にヴァーティゴからリリースされたファーストは、ロジャー・ディーンによる見開き&穴開き仕様のジャケット・デザインだが、その神秘的な火口の燃え盛る溶岩、それはイアン・カー率いるニュークリアスの、アルバムを通して聴こえてくるスピリチュアルな世界が象徴されている。短かい13の曲が組曲として構成されていて、現在のFINN JAZZにみられるロマンチックなグルーヴへの接点も感じられ、サイド1ラストの「1916-The Battle of Boogaloo 」では、コルトレーンの「ネイマ」のフレーズが聴こえてくるあたり、ユッカ・エスコラのトランペットの甘い響きさえもボクの頭で交錯する。このアルバムやニュークリアスがもしいまFinn Jazzやnu jazzの新しいユニットとして表出してきたなら、クラブジャズ・ファンに間違いなく100%支持されるだろう。
レコーディング・メンバーはイアン・カー(tp)、カール・ジェンキンス(bs,ob,p)、ブライアン・スミス(s,fl)、クリス・スペディング(g)、ジェフ・クライン(b)、ジョン・マーシャル(ds)で、後に多くのメンバーがソフトマシーンやギルガメッシュに散けることになるのだが、いまにして思えばイギリスのジャズシーンの一時代を築いたそうそうたるメンバーが集っていたことを改めて思う。ニュークリアスやそのメンバーは多くの名盤を残しているが、半分以上はドイツのレーベルからの発売されたものでイギリス盤は半数以下だというから、このことでもイギリスのリスナーはいまだにロックに呪縛され、いかにジャズに対しての耳を持っていないかが分かるだろう。それはニッポンのすべての音楽リスナーにも言えることかも知れない。

side one: 1.1916 2.Elastic Rock 3.Striation 4.Taranaki 5.Twisted Track 6.Crude Blues Pt.1 7.Crude Blues Pt.2 8.1916 (The Battle Of Boogaloo)
side two:1.Torrid Zone 2.Stonescape 3.Earth Mother 4.Speaking for Myself, Personally, In My Own Opinion, I Think... 5.Persephones Jiv
Ian Carr(tp,f-horn) Karl Jenkins(kbd,sax,oboe) Brian Smith(sax,fl) Chris Spedding(g) Jeff Clyne(b) John Marshall(ds,per)
Produced by Pete King for ronnie scott directions
recorded Trident studios 12/13/16/21st January 1970
VERTIGO 1970

IAN CARR WITH NUCLEUS/SOLAR PLEXUS(VERTIGO 6360 039)
イアン・カー、ケニー・ウィーラー、ハリー・ベケットのトランペット3管、ブライアン・スミス、トニー・ロバーツ、カール・ジェンキンスのサックス3管、計6管編成で構成されたこのアルバムは、呪術的でスピリチュアル、ファンキーなジャズが自由奔放に展開されている。やはりマイルスの影響があちこちにみられるが、ジョン・マーシャルとクリス・カーンによるパーカッシヴなグルーヴもまた現在のクラブジャズ、nu jazzの先端にあるものとして新たに定義できるだろう。
ニュークリアスの「Solar Plexus」を最後にカール・ジェンキンスの名前は見られないが、初期のこのバンドには彼の存在は大きかった。'44年にイギリス、ウェールズ生まれのサクソフォーン奏者、作曲家である彼は、幼少期に教会の聖歌隊長を務めていた父親の影響でピアノやオーボエを習い始め、その後、ウェールズ国立ユース・オーケストラの首席奏者となり、カーディフ大学、ロンドン王立音楽院を卒業している。卒業後は'69年にニュークリアス、'72年にソフト・マシーンに参加し、'80年代にはソフト・マシーンのメンバーのマイク・ラトリッジと共にCM等の作曲や製作活動を行い、D&ADの賞「ベスト・ミュージック」を受賞している。'90年代には彼がプロデュースするアディエマスのデビューアルバム「ソング・オブ・サンクチュアリ」が世界的にヒットし、また最近の話題では日本のフィギュアスケート選手である村主章枝のために書き下ろした「ファンタジア」が'06年 - '07年シーズンのフリースケーティングで使用されている。

side one:1.Elements I & II 2.Changing times 3.Bedrock deadlock 4.Spirit level
side two:1.Torso 2.Snakehips' dream
trumpet & flugelhorn IAN CARR,KENNY WHEELER,HARRY BECKETT
BRIAN SMITH(tenor & soprano sax,flute) TONY ROBERTS(tenor sax,bass clarinet) KARL JENKINS(electri piano,baritone sax,oboe) CHRIS SPEDDING(guitar) JEFF CLYNE(bass guitar,double bass) RON MATTHEWSON(bass guitar) JOHN MARSHALL(drums,percussion) CHRIS KARAN(percussion) KEITH WINTER(VCS3 electronic synthesizer)
produced by Pete King
recorded FFouteenth and fifteenth of December 1970
VERTIGO 1970

IAN CARR WITH NUCLEUS/LABYRINTH(VERTIGO 6360 091)
インカスなどのレーベルから聴こえるフリードな気配を持つイントロから、一転してラテン・グルーヴへ転調し、そこに侵入してくるNorma Winstoneのスキャットとトランペットのユニゾンが独特の空間を生みだしオシャレなダンスミュージックに変容する。ヨーロッパの古城や教会の庭には、今でも数多くのラビリンス(迷宮)が残っていて、ラビリンスとは死と再生を象徴するものとも言われているが、ニュークリアスにとっては通過儀礼の意味が大きく、このアルバムを境にみられる音楽的な変化をあらわしたに過ぎない。ひとは前に前にとグルグルと迷宮の出口を探して歩いているのだが、結局はまた同じ道を辿って、元来た道に戻ってくるものなのかも知れないね。
アルバム全体は、ハードバップ、ラテン、ファンクなどのグルーヴに、時折フリージャズのスパイスを効かせながら、ひとつの物語りを形成している。ニュークリアスというと、いかにもシリアスな音楽をやっているような先入観を持つ人が多いが、この遊び心は、ジャズミュージシャンの高い音楽スキルあってこそ可能なことである。さて、イアン・カーは'33年スコットランドのダンフリーズ生まれで、'70年にヴァーティゴから「Elastic Rock」でアルバム・デビューを果たした。その後の動きをアトランダムに書くと、同年早くも2作目「We'll Talk About It Later」をリリース、'71年、3作目「Solar Plexus」を発表。その後一時ニュークリアスを解散させ、'72年ソロアルバム「Belladonna」を発表。'73年、Labyrinth」、'73年「Roots」、74年「Under The Sun」、75年「Snake Hips Etcetera」と「Alley Cat」、77年「In Flagrante Delicto」、79年「Out Of The Long Dark」、80年「Awakening」を発表し、'85年に「Live At The Theaterhaus」、'88年にソロアルバム「Old Heartland」を発表している。80年代に入ってからのイアン・カーは音楽評論家として執筆や講師などで多忙な生活をしていたらしく本格的な音楽活動はしていなかった。ボクはこの「Labyrinth」を最後に彼の音楽を聴いていないが、今一度、当時手にしていなかった彼の過去の作品、例えば70年にリリースされた英国ジャズ・メンによるギリシャをテーマにした競作アルバム、NEIL ARDLEY, IAN CARR AND DON RENDELLの「GREEK VARIATIONS 」など、すべて取り寄せて聴いてみようと思っている。イアン・カーのジャズを再び聴き直し最考察していたら、そう思わせるほど現在のFinn Jazzやクラブジャズに最も近いグルーヴが展開されていたことに驚かされたからだ。

side one:1.Origins 2.Bull - Dance 3.Ariadne 4.Arena,
side two:1.Arena ( Continued from SIDE A ) 2.Exultation 3.Naxos
Ian Carr(Trumpet, Flugelhorn) Kenny Wheeler(Trumpet, Flugelhorn) Norma Winstone(Vocals) Tony Coe(Bass Clarinet, Clarinet, Tenor Sax) Brian Smith(Tenor & Soprano Sax, Flute ) Dave MacRae(Fender Electric Piano) Gordon Beck(Hohner Electric piano) Roy Babington(Bass Guitar) Clive Thacker(Drums) Tony Levin(Drums) Trevor Tomkins(Percussions) Paddy Kingsland(VCS3 Synthesizer)
Recorded at Phonogram Studios, Mar. 1973
Produced by Ian Carr & Roger Wake
VERTIGO 1973

※新しいNUCLEUSの映像で'70年代のイアン・カーの世界ではないが参考に
http://www.youtube.com/watch?v=j7yHVBZN3S0

2008年03月07日

JOHN STEVENS' AWAY

リフの反復効果を強調した渋いミニマル・ジャズファンクと
YESTERDAYS NEW QUINTETを想起させるスピリチュアル・ジャズ
JOHN STEVENS' AWAY
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 33

JOHN STEVENS' AWAY/JOHN STEVENS' AWAY(VERTIGO 6360 131)
ジョン・スティーヴンスは英国のフリージャズ、フリーインプロヴィゼイションのシーンで活躍したパーカッショニスト。サックス奏者、トレヴァー・ワッツなどと結成した小編成ユニット、フリー・ジャズ集団SME(Spontaneous Music Ensemble/スポンテニアス・ミュージック・アンサンブル、後にデレク・ベイリーなども参加)の中心人物で、その活動は60年代初頭から30年間続き、アウェイでの活動は80年代初めまで続いた。他にも種々のグループ活動、音楽教育活動に大きな成果を残している。
Spontaneous Music Ensembleの'66年-'67年までの初期の作品「Challenge (Emanem)」での、メンバーはKenny Wheeler (fh), Paul Rutherford (tb), Trevor Watts (as, ss, piccolo), Bruce Cale (b), Jeff Clyne (b), John Stevens (ds, cymbals), Evan Parker (ss), Chris Cambridge (b)で、'73年と'74年の音源集「Quintessence (Emanem)」でのメンバーがJohn Stevens (perc, cornet), Derek Bailey (g), Kent Carter (cello, b), Evan Parker (sax), Trevor Watts (sax)だから、いまにして思えばイギリスでのフリー系の最も円熟した時代だったのかも知れない。オーネット・コールマン(Ornette Coleman)から引き継いだSMEのフリージャズのもうひとつの側面として、ジョン・スティーヴンスは新しいユニット、アウェイを結成し発表したのが今回紹介している2枚のアルバムだ。このスティーヴンス・アウェイのデビュー作はドイツのベルリンでのライヴ録音で、リフの反復によるブルージーなジャズとジャズファンク、フリーとスピリチュアル・ジャズを横断していて、ボクには現在のYESTERDAYS NEW QUINTETやMADLIBさえも思わせる。

side one:1.It will Never Be The Same 2.Tumble
side two:1.Anni 2.C.Hear Taylor 3.What's That?
JOHN STEVENS(dums) PETER COWLING(electric bass) STEVE HAYTON(electric guitar) TREVOR WATTS(alto saxophone)
produced by J.Stevens all compositions:J.Stevens
recorded 'live7 at the Quartier Latin,berlin,W. Germany November 1975
VERTIGO 1976

JOHN STEVENS' AWAY/SOMEWHERE IN BETWEEN(VERTIGO 6360 135)
当時のイギリスでのフリー・インプロヴィゼイションを語るには、ジョーン・スティーヴンス・アウェイのファーストにもアルト・サックスで参加していたトレヴァー・ワッツのことを記録しておくべきだろう。イギリス生まれのサックス奏者の彼は、独学でサックスを学びイギリス空軍の楽隊でJohn StevensとPaul Ratherfordに出会い、その後もRutherfordと共に音楽活動を続け、New Jazz Orchestraのメンバーとしてレコードデビューする。その後彼らは'65年にJohn Stevensと再会し、'66年初頭からロンドンの"Little Theatre Club"に出演するようになり、そこで共演したミュージシャンらとともにSMEを設立、そこでの活動を続ける傍ら、Barry GuyらとAMALGAMを結成し「PRAYER FOR PEACE」や「ANOTHER TIME」などの作品では、ジャズや前衛、民族音楽、ロック、フュージョンなど様々な音楽的要素を取り込みながらポストモダンな展開を繰り広げていて、イギリスならではの知的でクラシック(現代音楽)をも押さえたオーソドックスなフリー・ジャズの作品を発表していた。
Amalgamでの活動は'67年から'79年までの12年に及び、'82年には民族音楽に主軸を置いたMoire Musicを結成し、Moire Music Drum Orchestra、Moire Music Trioなどユニット名を変えながら活動を行っていた。ワッツの関わった他のユニット、バンドはJohn StevensのAway、Stan TraceyのOpen Circle、Louis Moholo Group、Bobby Bradford Quartet、London Jazz Composers' Orchestraなどがある。アウェイのセカンドは、リフの反復を基調とするスピリチュアルなジャズで、最近JAZZMENレーベルからリリ−スされているダンスミュージックの類いとしても再解釈することも可能だし、エルヴィン・ジョーンズに捧げられたサイド2の1曲目「Spirit Of Peace」などは、ミニマルな反復手法を使ってうねるグルーヴを作り出し、まるでYESTERDAYS NEW QUINTETやMADLIBを思わせるスピリチュアルなジャズだ。

side one:1.Can't Explain 2.Follow Me 3.Chick-Boom
side two:1.Spirit Of Peace(Tribute to Elvin Jones) 2.Now
JOHN STEVENS(drums) NICK STEPHENS(electric bass) RON HERMAN(acoustic bass) ROBERT CALVERT(soprano & tenor saxophone) DAVID COLE(electric guitar) BRENO T'FORDO(percussion)
produced by John Stevens & Co-ordinated by Terry Yason for Away Productions
recordd at Phonogram Studios:15/16th June 1976
VERTIGO 1976

※70年代後半のパンクや80年代ニューウェイヴに行く前に、70年代のイギリスでのフリージャズ、フリーインプロヴィゼイションの作品も(ロックマガジンではそれほど紹介しなかったが)、人知れずこっそりと、かなりの数を聴いたので、機会をみつけてまた紹介します。

2008年03月11日

KEITH TIPPETT - 1

フリー・インプロヴィゼーションを要にしたストーリー性ある
ジャズのコンセプチャライズ(概念化)
KEITH TIPPETT-1
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 34

キース・ティペットは1947年8月25日、英国港町ブリストル生まれ。10代の頃からリアル・ジャズやビバップへの接点を持ち、ブリティッシュ・ジャズ・シーンで活動していたフリージャズ・ピアニスト、作曲家だが、70年代にキング・クリムゾンに参加したことから、多くのひとがその音楽をプログレッシヴ・ロック系のミュージシャンとして捉えているが、彼のキング・クリムゾンとの接点は単なるひとつのレコーディング・セッションとして参加したに過ぎない。キース・ティペットのリアルな顔はやはりジャズのフィールドでの活動でこそみられるもので、'78年にOGANレーベルでリリースされていた、STAN TRACEY, ELTON DEAN, TREVOR WATTSなどのミュージシャンによる大編成オーケストラARKの「FRAMES」などでみられるフリー・インプロヴィゼーションを要にしたストーリー性のある、ジャズのコンセプチャライズ(概念化)こそが、彼の音楽の本質だろう。それはティペットが南アフリカから追放された、Chris McGregor、Dudu Pukwana、Mongezi Feza、Johnny Dyani and Louis Moholoたちミュージシャン、オリジナルBlue Notesのスピリットにインスパイアされたことが、彼の音楽を決定づけた最大の要因だからだ。 例えばクリス・マクレガーズ・ブラザーフッド・オブ・ブレス(CHRIS McGregors brother food of breath-brotherfood)は南アフリカ出身のピアニスト、クリスマクレガーによって結成されたビッグバンドスタイルのグループだが、そのサウンドは民族主義のメロディを融合したモードジャズ、ビッグバンドジャズで、ラテン調のビッグバンド・サウンドなども聴け、キース・ティペットのジャズの鋳型が多く見られる。この関係で他にはDedication Orchestraというユニットがあり、Chris McGregor、Dudu Pukwana、Mongezi Feza、Johnny Dyani、そしてHarry Millerといった南ア出身のミュージシャンの曲を取り上げてビッグバンドで演奏するのだが、ティペットの音楽にも見られるアフリカ的、英国的なジャズの原点がここにあるのは間違いないようだ。

THE KEITH TIPPETT GROUP
/'YOU ARE HERE...I AM THERE'

(Polydor 2384 004)
ローリング・ストーンズやヤードバーズの仕掛人ジョルジオ・ゴメルスキーをプロデューサーに迎え、エルトン・ディーン(サックス)、マーク・チャリグ(トランペット)、ニック・エヴァンス(トロンボーン)といったブラス・セクションとともにキース・ティペット・グループを結成し、1970年のVertigoからの「You Are Here... I Am There」でデビューする。このアルバムだってあまりにもながくジャズロックとしてカテゴライズされ続け、未だにロックの名盤としてレコードショップに並べられているが、それは誤りだ。例えばこのファーストの2曲目「I Wish There Was a Nowhere」を聴けば明確だが、ティペットのピアノ・ソロでのコード分解はロック・ミュージシャンのものではない。

side one:1.This Evening Was Like Last Year (To Sarha) 2.I Wish There Was a Nowhere
side two:1.Thank You for the Smile(To Wendy and Roger) 2.There Minutes from an Afternoon in July(To Nick) 3.View from Battery Point(To John and Pete) 4.Violence 5.Stately Dance for Miss Primm 6.This Evening Was Like Last Year-short version
KEITH TIPPETT(piano,electric piano) MARK CHARIG(cornet) ELTON DEAN(alto sax) NICK EVANS(trombone) JEFF CLYNE(bass,electric bass) ALAN JACKSON(drums,glockenspiel) GIORGIO GOMELSKY(bells)
recorded at Advision Studios,London,England,January 1970
produced by Giorgio Gomelsky
Polydor 1970

THE KEITH TIPPETT GROUP
/"DEDICATED TO YOU,BUT YOU WEREN'T LISTENING"

(VERTIGO 6360024)
'71年にはセカンド「Dedicated To You But You Weren't Listening」をVertigoからリリースし、ティペット、ニック・エヴァンス、エルトン・ディーンの楽曲によるハードバップ、ビバップなどのバップ・イディオムとフリー・インプロヴィゼーションによるジャズ。ラストの「Black Horse」などはラテングルーヴにトロンボーン、サックスが絡むまさに現在のクラブジャズだ。ロバート・ワイアットらソフトマシーンのメンバーも動員され、当時のカンタベリー系の流れとジャズがシンクロした時代そのものが反映されている。4人のドラマーによるリズムパートの強化、その上をソプラノ、サックス、トロンボーン、コルネットなど3管によるテーマユニゾン、アンサンブルが爆発しブローしていく熱気が、アルバム全体を支配している。この2枚の作品もフュージョンでもジャズロックでもなく、生粋のジャズである。フリーでの白熱のインタープレイを展開していくというものではないが、ミュージシャン間の対話する熱い部分を残しながら、活きたリアルなジャズの21世紀のボキャブラリーである現在のnu jazzやクラブジャズに見られる様式美、構造を持ったジャズでもある。

side one:1.This Is What Happens 2.Thoughts To Geoff 3.Green And Orange Night Park
side two:1.Gridal Suite 2.Five After Dawn 3.Dedicated To You But You Weren't Listerning 4.Black Horse
KEITH TIPPETT(piano,hohner electric piano) ELTON DEAN(alto,saxello) MARC CHARIG(cornet) NICK EVANS(trombone) ROBERT WYATT(drums) BRYAN SPRING(drums) PHIL HOWARD(drums) TONY UTA(conga drums,cow bell) ROY BABBINGTON(bass,bass guitar) NEVILLE WHITEHEAD(bass) GARY BOYLE(guitar)
produced by Pete King for Ronnie Scott Directions
VERTIGO 1971

2008年03月12日

KEITH TIPPETT - 2

ジャズの始源であるアフリカの大地
ゴスペルから都市のファンク、フリーまでを
奔放無尽に横断するポストモダン・ジャズ
または「右脳を活性化させ、左脳を休ませる」ための
"1/fゆらぎ"ミュージック
KEITH TIPPETT-2
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 35

現代思想には色んな考え方があって、生きてる"今"の時代を考察したりするには、必要なものだが、思想そのものに振り回されるバカバカしさを体験してから、出来るだけ言語での知そのものに依存しなくなり信じることもなくなった。グローバリゼーション、ポストモダン社会に生きる我々は、複数のアイデンティティを使い分けた解離性人格障害(多重人格)者にも似て、ロック・ミュージシャンと大手企業サラリーマンの2つの顔を持つ40代の知人は、精神安定剤を飲みながら単一性と多数性が拮抗する社会のなかで辛うじてバランスを取り生きている(ボクには出来ない行為だね。だっていずれ精神的破綻をきたすのは明らかだ)。フリー・インプロヴィゼーションという音楽を考えるとき、やはり60年代から70年代にかけて表出したフランス現代思想でのポストモダンという言葉なくしては語れない。ポストモダンは、この日本では80年代初頭の“広告代理店文化”と非常に密接に結合して、一気に流通し、あっという間に消費され尽くされてしまったが、モダニズムを批判することで近代の行詰りを克服しようとしたそうした風潮は、70年代の音楽の世界でもフリー・インプロヴィゼーションという形であらわれていた。ボードリヤール、ドゥルーズ、ガタリ、ネグリ、デリダなどの、脱構築(ディコンストラクション)、リゾームや差異、大きな物語の終焉などなど、ボクも当時こうしたニューアカ被れの風潮に遅れまいと、みすず書房の哲学書、思想書などを読み漁っていたが、今考えてみると無駄な行為だった。だけど様々なポストモダンに関する言説のなかで唯一「遊戯的な引用と自由な折衷」という定義に、無神論的実存主義者のボクは、ひとつの完結な結論を視た気がした。音楽におけるポストモダンは、1950年代の現代音楽でのピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼンなどのトータル・セリエリズムがその始まりだが、その後ジェルジ・リゲティ、イアニス・クセナキス、ジョン・ケージなどに引き継がれ、多様式主義、スペクトル楽派、新しい単純性、新しい複雑性、ヴァンデルヴァイザー楽派、ミニマル音楽など様々に変容し、これら全てがポストモダンと位置付けられている。西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に右脳=音楽脳で処理するのに対し、日本人は左脳=言語脳で受けとめると言われているが、フリー・インプロヴィゼーション、フリーミュージックを考えるとき、このことの弊害も大きいように思う。どんな音楽であっても、言語や思想で防備され保護され美化して解釈されるものではないし、音楽を言語脳で捉えること自体愚かな行為だと考えている。頭で理解し、意味を明らかにすることが音楽の目的ではないからだ。自然音を言語脳で受けとめるという日本人の生理的特徴と、擬声語・擬音語が高度に発達したという日本語の言語学的特徴は、それはそれで豊かな言語の独創性を生むだろうけれど、いままでボクは、繰り返し何千回と言ってきたけれど、音楽は感じるだけで充分その機能を果たしているのだ。だから感じない音楽は音楽ではない。言語的解釈こそがフリージャズ、あるいはフリー・インプロヴィゼーション・ミュージックを誤解し、つまらなくさせている大きな原因だ。"日本人にありがちなインプロまがいの駄演は毒の垂れ流しだと思う。 究極のテクニックと究極の精神性があいまってこそ聞く価値のあるフリーインプロなのであって、テクニックの無さや精神性の低さを隠すための、フリーインプロなど本当に糞以外の何者でもない。 フリーインプロ・ファンを減らすだけなので頼むからやめてくれ”といった人がいたが、その発言をそのままボクもフリー・インプロヴィゼーションという音楽に対する回答にしたい。

CENTIPEDE/"SEPTOBER ENERGY
(Neon/RCA 9)
70年、この時期はティペット以外のメンバーはソフトマシーンへ参加しており、ティペットはというと問題の大作、キング・クリムゾンのロバート・フリップのプロデュースの下、'71年の2枚組「Centipede: Septober Energy 」を発表、この作品はパート4から構成されたすべての曲の作曲/編曲を彼が手掛けていて、カール・ジェンキンス(oboe)、イアン・カー(tp)、ドゥドゥ・プクワナ、エルトン・ディーン、イアン・マクドナルド(as)、ブライアン・スミス、アラン・スキッドモア、ゲイリー・ウィンドウ(ts)、ニック・エバンス、ポール・ラザフォード(tb)、ジョン・マーシャル、ロバート・ワイアット(ds)、ブライアン・ゴッディング(g)、ジェフ・クライン、ハリー・ミラー、デイブ・マクラエ、ロイ・バビントン(b)、ジュリー・ティペット(ドリスコール)、マギー・ニコールズ、ズート・マネー(vo)など参加ミュージシャンは50人を超えるソロイストを集結させたプロジェクトを展開している。(上に掲載している写真を参照/英国ジャズの尖鋭、ディーン、チャリグ、エヴァンス、イアン・カーからソフト・マシーンのロバート・ワイアット、初期クリムゾンのイアン・マクドナルド、そしてカール・ジェンキンスたち70年代のブリティッシュ・ミュージック・シーンを率先する錚々たるメンバーが集っている)。"「Septober Energy」は壮大なフュージョン・アルバムである"とか、"随所にロック的イディオムが感じられる"とか評してる評論家がいるが、これもまた大きな誤解である。ジャズの始源であるアフリカの大地からゴスペル、都市のファンク、フリーまでを奔放無尽に横断するポストモダン・ジャズである。このアルバムのロック的イディオムって何だ? これはジャズの文脈にある音楽だ。当時から今日まで、ニッポンの音楽業界、ジャーナリズムの立ち位置は常にロックにあり、そのフィールドから間違った解釈を繰り返してきた。ロックに呪縛されたロックの耳しか持っていない評論家やリスナーが、このアルバムをキングクリムゾンの流れに組込もうとする。そこから間違いが生じるのだ。"モダン・ジャズにロックの味付けを施したプログレッシブなロック・ジャズ"か? 笑わせる、な。言いたくないが、 当時リアルタイムにこうした音楽を聴き正当に評価していたのは、間章と北村昌士とボクの、ほんの数人だったけどね。

side one:1. Septober Energy side two:2. Septober Energy
side three:3. Septober Energy side four:4. Septober Energy
VIOLINS:Wendy Treacher, John Trussler, Roddy Skeaping, Wilf Fibson, Carol Slater, Louise Jopling, Garth Morton, Channa Salononson, Steve Rowlandson, Mica Gomberti, Colin Kitching, Phillip Saudek, Esther Burgi
CELLOS:Michael Hurwitz, Timothy Kramer, Suki Towb, John Rees-Jones, Katherine Thuulborn, Catherine Finnis
TRUMPETS:Peter Parkes, Mick Collins, Ian Carr ( doubling Flugel Horn ), Mongesi Fesa ( Pocket Cornet ), Mark Charing ( Cornet )
ALTOS:Elton Dean ( doubling Saxcello ), Jan Steel ( doubling Flute ), Ian McDonald, Dudu Pukwana
TENORS:Larry Stabbins, Gary Windo, Brian Smith, Alan Skidmore
BARITONES :Dave White ( doubling Clarinet ), Karl Jenkins ( doubling Oboe ), John Williams ( Bass Saxphone - doubling Soprano )
TROMBONES:Nick Evans, Dave Amis, Dave Perrottet, Paul Rutherford
DRUMS:John Marshall ( and all percussion ), Tony Fennell, Robert Wyatt
GUTARS:Brian Godding BASS GUITAR:Brian Belshaw VOCALISTS :Maggie Nicholls, Julie Tippett, Mike Patto, Zoot Money, Boz
BASSES:Roy Babbington ( doubling Bass Guitar ), Jill Lyons, Harry Miller, Jeff Clyne, Dave Markee
PIANO:Keith Tippett
Producer : Robert Fripp.
Neon/RCA 1971

KEITH TIPPETT/BLUEPRINT
(RCA 8290)
セカンド「Dedicated To You,But You Weren't Listening」発表後のティペットは、センティピートを少数精鋭化したユニットで、ソロ名義のアルバム「Blue Print」(1972)を手掛けるが、このアルバムもプロデュースはロバート・フリップが担っているのだが、当時、彼やキング・クリムゾンの音楽にしてもなぜかその音楽の底に流れている微かに匂う欺瞞に似たものを敏感に感じていたリスナーも多く、フリップの名前がクレジットされていると、ちょっと二の足を踏むという感じだった。その原因は、当時キング・クリムゾンに関してはレッド・ツェッペリンとともに雑誌「ロッキン・オン」の大きなひとつの顔で、岩谷宏や渋谷陽一の"ボク"と"キミ"といった言葉を使うことによって、雑誌の売り上げを伸ばす目的のための、ロックファン間のコミュニティ形成への戦略を冷ややかな態度で見ていたひとつの反動だったのだろうが、これはきっとボクだけが感じていたことだろうか(それにしても渋谷氏の事業家としての秀でた才覚と成功には頭が下がる)。このアルバムでのジョン・ケージを意識した現代音楽的アプローチや、シャーマニックな原始回帰のグルーヴ、緊張感と静/動の対比を生かした音楽は絵画で言えば、ラフスケッチされた素描のようなものだろう。80年代初頭、ロンドンでフランク・ペリーのパーカッションだけのインスタレーションのようなイヴェントに接する機会があったが、フォークロリックな打楽器によるポリリズムはコンテンポラリー・ミュージックとして多くのイギリスのフリージャズ・リスナーに支持されていた。

side one:1.Song 2.Dance 3.Glimpse
side two:1.Blues I 2.Woodcut 3.Blues II
KEITH TIPPETT(piano) ROY BABBINGTON(bass) KEITH BAILY(percussion)
FRANK PERRY(percussion) JULIE TIPPETT(guitar/voice)
Recorded :1972 - Command Studios, London
Engineer: Andy & Ray Hendrickson
Produded: Robert Fripp
RCA 1972

KEITH TIPPETT,HARRY MILLER,JULIE TIPPETTS,FRANK PERRY
/OVERY LODGE
(ORUN OG 600)
キース・ティペットはCENTIPEDEを解体した後の、「Blueprint」での音楽をより発展させるために彼の妻でもあるジュリー・ティペットのヴォイス、ハリー・ミラーのベース、フランク・ペリーのパーカッションによる即興ユニットによって'73年にアルバム「OVARY LODGE」を発表している。このアルバムは'78年に発表されたセカンドで、ロンドンのNettleford Hallでのライヴが収録されたものだが、次第に観念的なインプロヴィゼーション主体のジャズ、現代音楽的アプローチ、フリーフォームな音楽へと突き進んでいく(このような言語的、観念的音楽にあくまでもボクは否定的だが)。こうした音楽が持つ観念的欺瞞を振り払うには、一種の環境音楽のように、自然界、生体、音楽に共通する"ゆらぎ"、人間の感じる最も快い感覚の"1/fゆらぎ"として対応するのが賢明だろう。音響の変化が激しすぎも少なすぎもせず、適度な刺激量の時間的変化がある場合に1/fゆらぎは生じると言われているのだが、フリー、あるいはインプロヴィゼーションは「右脳を活性化させ、左脳を休ませることが音楽のもつ大きな効用である」という説を実践するためのBGMで充分だ。右脳の音楽脳だけを使い、決して言語脳で理解しようとしないことだ。そうすると鮮やかに空間的音響として変容する。

side one:1.Gentle One Says Hello 2.Fragment No.6
side two:1.A Man Carrying A Drop Of Water On A Leaf Through A Thunderstorm 2.Communal Travel 3.Coda
KEITH TIPPETT(piano,harmonium,recorder,voice,maracas) HARRY MILLER(bass) FRANK PERRY(percussion,voice,hsiao,sheng) JULIE TIPPETTS(voie,sopranino recorder,er-hu)
live recording at Nettleford Hall,London SE27, 6 August 1975 by Keith Beal.
produced by Keith Beal and Overy Lodge
ORUN 1976

BRIAN AUGER / JULIE DRISCOLL

ブライアン・オーガーのモッドジャズは
ブルースとモータウンとジャズ・メッセンジャーズ(ビバップ)の三位一体
ジュリー・ドリスコールの声 それは人間の最もリアルな存在感を表すもの 
BRIAN AUGER/JULIE DRISCOLL
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 36

BRIAN AUGER
植民地時代のインドに生まれロンドンのノース・ケンジントンで育ったブライアン・オーガーは、ジャズピアニスト、バンドリーダー、スタジオ・ミュージシャン、ハモンドB3のイノヴェーターという肩書きと様々なキャリアを持つアーティストだが、3歳の時、父親がオペラやミュージカルのレコード蒐集家で、彼の家に置いてあった自動ピアノに興味を持ち、既に幼少時代には近所のひとを集めて小さなコンサートを開いてプレイしていたという。
BRIAN AUGER AND THE TRINITY/OPEN
(IECP-10018)
当時流行っていたポップスやR&Bはすべて弾け、兄のジェームスが蒐集していたカウント・ベイシーやデューク・エリントンのレコードを聴いているうちにジャズの構造やパターンを習得し、ビル・エヴァンスやオスカー・ピーターソン、ハンプトンホウズ、ビクター・フェルドマン、レッド・ガーランド、マッコイ・タイナー、ハービーハンコックなどのニューヨークや、ウェストコースト・ジャズに興味を持ち、17歳の頃にはジャズ・メッセンジャーズのハードバップやマイルス・デイヴィスなどもプレイしていたという。その後、65年にジミースミスのアルバムでのオルガンを聴いたオーガーはハモンドB3を、自分のミュージシャンとしての顔にすることを決心した。ブライアンの音楽はブルースとモータウン、そしてジャズ・メッセンジャーズの三位一体である。ローズ・ピアノやハモンド・オルガンを多用する70年代のジャズファンクやソウルジャズなどのレアグルーヴへのこだわりは、80年代が終わろうとした頃に表出したアシッド・ジャズや、90年代中期のポップジャズ(ラウンジ・ジャズ)で再評価され、現在でもオルガン・ジャズはクラウドたちの御用達音楽で、いま一度nu jazz、Finn Jazzのヴィジョンで再解釈/再構築してみるのもアリだ。

BRIAN AUGER AND THE TRINITY/DEFINITELY WHAT
(IECP 10019)
'64年にブライアン・オーガー&ザ・トリニティの名前で活動を始める。この年のメロディー・メイカー誌の人気投票でジャズ・ピアニスト部門および新人アーティスト部門の1位に選ばれている。ジョージー・フェイムの代役ではじめて正式にオルガンを演奏、まもなくモッズの間で人気のオルガニストの一人に。65年、ロング・ジョン・ボールドリー、ロッド・スチュアート、ジュリー・ドリスコールと共に、スティームパケットを結成するが、マネージメントの問題でアルバムを発表できないまま翌年解散。その後、トリニティとしての活動を再開し、67年、ドリスコールを加えたバンド編成でも並行して活動を始める。68年、「火の車」のカヴァーでブレイク。同年、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演。69年アメリカ・ツアーの最中にドリスコールが脱退。トリニティ名義では'67年「OPEN」、’68年「DEFINITELY WHAT!」、'69年「STREETNOISE」の3枚の作品を発表しているが、その活動は70年には終わっている。
その後、モーグル・スラッシュへの参加を経て、新たにオブリヴィオン・エクスプレスとして活動開始する。'75年にはイギリスからアメリカ西海岸に移住し、アメリカで始まったフュージョン・ブームに乗って人気を集め、'77年にRCAからワーナー・ブラザーズに移籍、’78年のジュリー・ティペッツとの久しぶりの共演作「アンコール」を含む2枚を残している。現在は、オブリヴィオン・エクスプレス、CABなどで現役で活動を続けている。
julie driscoll
http://www.youtube.com/watch?v=L8AYvQgVri4&feature=related

http://www.brianauger.com/

JULIE DRISCOLL
JULIE DRISCOLL,BRIAN AUGER & THE TRINITY
/STREETNOISE
(35MM 0198/9)
ジュリー・ドーン・ドリスコール(Julie Dawn Driscoll)は、1947年6月8日にロンドンで生まれ、10代からヴォーカルとギターを始め、父親がトランペット奏者で早くからジャズの洗礼を受け、ニーナ・シモン、レイ・チャールズ、オスカー・ブラウンなどのジャズとR&Bのヴォーカル物のレコードを聴き、15歳の頃には父親のジャズバンドでときどき歌い、ローリング・ストーンズやヤードバーズを手掛けたジョルジオ・ゴメルスキーの事務所に所属し、'63年最初のソロ・シングル「テイク・ミー・バイ・ザ・ハンド」を発表。'65-'66年スチームパケット(ボールドリーと無名時代のロッド・スチュアート、それにジュリーの3人のリード・ヴォーカルを持つグループで、当時彼女は、オスカー・ブラウンをはじめとするジャズを好んで歌っていたという)、'67-'69年ジュリー・ドリスコール、ブライアン・オーガー&ザ・トリニティでの活動、'67年、スチームパケットの同僚だったブライアン・オーガーのバンドに参加し、同年「オープン」でアルバムデビュー。'68年、シングル「火の車」が全英5位ヒット、'69年アメリカ・ツアー中に脱退。'70年1月に放映されたBBCのテレビドラマ「魔女の季節」にも出演している。

JULIE DRISCOLL/1969(23MM 0197)
'69年ブライアン・オーガー&ザ・トリニティを脱退したジュリー・ドリスコールは、オーネット・コールマンらの影響でイギリスにもフリージャズや実験的な音楽へ流れ始めた頃に、キース・ティペットと巡り会った。当時キース・ティペットはジョルジョ・ゴメルスキーの事務所に所属していて、彼のデモテープをゴメルスキーから聴かされたジュリーは、瞬時にティペットの音楽に魅了されたという。トリニティ時代のニーナ・シモンやスタックス、アレサ・フランクリンなどソウル&ジャズのカヴァーという域を出ない音楽に満足しきれなかった彼女の心の隙間を、キース・ティペットの音楽が埋める役割を果たしたのだろう。ジュリーのファースト・ソロ作「1969」にはアレンジと ピアノでキース・ティペットの名前がみられるが、そのレコーディングの最中にふたりは恋に落ち、結婚し、現在までの音楽活動でのコラボレーションが始まった。ジョルジョ・ゴメルスキーはキースとジュリーの2人に、当時人気のあったシカゴのブラッド・スウェット&ティアーズ風のブラス・ロックをやるように勧め、アルバム「1969」ではBS&Tテイストのブラス・アレンジが聴こえる。その後、オヴァーリッジやスポンティニアス・ミュージック・アンサンブルなどのフリースタイルのユニットに参加、4ピースのヴォーカルのみのアルバム「Voice」を発表、'76年セカンド・ソロ「Sunset Glow」、「Warm Spirits,Cool Spirits」、ドイツのFMPレーベルから「Sweet and's' Ours」など立て続けに発表している。82年にニッポンで再発された「1969」のライナーノーツで北村昌士が”ブライアン・オーガー・トリニティ時代は60年代の若者のひたむきな現実への怒りの代弁、センティピードでは炎のような歌唱、「ブループリント」ではシャーマニックなトランス気味の魔術的な、「Sunset Glow」では心の熱をさますように安らいだヴォーカルが聴ける”と書いていた。物語りのある詩、心の葛藤を表現するジュリーの声には物憂げでありながらロック的な激しいエモーションとリアルな凄みがあり、声そのものに存在感がある数少ないヴォーカルストだ。’70年、キース・ティペットと結婚しジュリー・ティペッツに改名。'70年センティピードに参加。以後今日まで、キース・ティペットの音楽活動に頻繁に参加している。'71年、初のソロアルバム「1969」、75年、2枚目のソロ作「サンセット・グロー」、'77年、ブライアン・オーガーと再び組んで「アンコール」を制作している。近年ジュリー・ティペッツは、2000年にリリースされたロバート・ワイアットのトリビュート・アルバム「スープソングズ・ライヴ」で、ワイアットの「ロック・ボトム」での数曲を歌っている。彼女の最新作'99年の「シャドー・パペティア」は、伴奏を最小限にした彼女の歌声の可能性を徹底的に追求したヴォーカル・アルバムだと言われている。最近は、夫のキースに付き添って、世界各地で、音楽を通じた児童や成人を対象にした芸術教育に力を入れ、イギリス国内や南アフリカの教育機関で集中講座などの臨時講師を務めてもいる。「ミラー~イメージ」という仮の題名で、新たなソロ作も構想中。'99年には、キース・ティペットの日本公演に同行し、初来日を果たした。
Wheels on Fire - Julie Driscoll,Brian Auger & Trinity
http://www.youtube.com/watch?v=g3qnUjyff8w

BRIAN AUGER AND THE TRINITY/OPEN
1.In And Out 2.Isola Natale 3.Black Cat 4.Lament For Miss Baker
5.Goodbye Jungle Telegraph 6.Tramp 7.Why (Am I Treated So Bad)
8.Kind Of Love-in 9.Break It Up 10.Season Of The Witch
11.I've Gotta Go Now (bonus track) 12.Save Me (bonus track)
13.Road To Cairo (bonus track) 14.This Wheel's On Fire (bonus track)

BRIAN AUGER AND THE TRINITY/DEFINITELY WHAT
1.Day In The Life 2.George Bruno Money 3.Far Horizon
4.John Brown's Body 5.Red Beans And Rice 6.Bumpin' On Sunset
7.If You Live 8.Definitely What 9.What You Gonna Do
Brian "Auge" Auger, Dave "Lobs" Ambrose, Clive "Toli" Thacker (vocals); P. Halling, S. Margo, A. Peters, C. McKeown, J. Harris, J. Hess, K. Albrecht, R. Mosley (violin); J. Harrison, T. Lister, K. Cummings, B. Thomas (viola); C. Ford, P. Willison (cello); R. Swinfield (flute); A. Hall, G. Bowen, D. Watkins, D. Healey, L. Calvert, S. Reynolds, D. Campbell (trumpet); C. Hardie, J. Simcock, B. Router, A. Reece, B. Altram (trombone); T. Randall, J. Buck, A. McGavin, I. Beers (horn).

JULIE DRISCOLL,BRIAN AUGER & THE TRINITY/STREETNOISE
side one:1.Tropic Of Capricorn 2.Czechoslovakia 3.Take Me To The Water 4.World About Colour
side two:1.Light My Fire 2.Indian Rope Man 3.When I Was A Young Girl
4.Flesh Failures
side three:1.Ellis Island 2.In Search Of The Sun 3.Finally Found You Out
4.Looking In The Eye Of The World
side four:1.Vauxhall To Lambeth Bridge 2.All Blues 3.I've Got Life 4.Save The Country
JULIE 'JOOLS' DRISCOLL(vocals,acoustic guitar) BRIAN 'AUGE' AUGER(organ,piano,electric piano,vocals) CLIVE 'TOLI' THACKER(drums,percussion) DAVID 'LOBS' AMBROSE(4 and 6 string elecctric bass,acoustic guitar,vocals)
recorded at Advision Studios,83 New Bond Street,London,England 1969
produced by Giorgio 'Rubbishenko' Gomelsky

JULIE DRISCOLL/1969
side one:1.A New Awakening 2.Those That We Love 3.Leaving It All Behind 4.Break-Out
side two:1.The Choice 2.Lullaby 3.Walk Down 4.I Nearly Forgot-But I Went Back
JULIE DISCOLL(vocal,acoustic guitar) CHRIS SPEDDING(electric guitar,bass guitar) JEFF CLYNE(bass、arcobass) MARK CHARIG(cornet) ELTON DEAN(alto) NICK EVANS(trombone) KEITH TIPPETT(arranged,piano,celeste) CARL JENKINS(oboe) BUD PARKES(trumpet) STAN SAITZMAN(alto) DEREK WEDSWORTH(trombone) TREVOR TOMPKINS(drums) JIM GREEGAN(electric guitar) BRIAN GODDING(electric guitar) BRIAN BEISHAW(bass) BARRY REEVES(drums) BOB DOWNES(flute)
produced by Jiorgio Gomelsky recorded in 1969

2008年03月13日

FAIRPORT CONVENTION

トラッド特有の変拍子 アーリージャズの影響
ハイブリッドなモダン・インストゥルメンタル・アンド・リズム
そして物語性ある歴史上の出来事などを歌ったユニークな歌詞
FAIRPORT CONVENTION
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 37

フェアポート・コンヴェンションは、'67年にロンドン郊外の北にある教会のホールで行われたコンサートが最初のギグで、ベーシストAshley 'Tyger' Hutchingsを中心に結成されたユニット。すでにその活動は40年以上も続いている。アイランドレコードと契約を交わしアルバム「Fairport Convention」を発表したのが’67年の終わりのことで、当初からメンバーのラインアップは目まぐるしく変わり、ヴォーカルにサンディ・デニーを迎え'69年セカンドアルバム「What We Did On Our Holidays」、バーミンガムのヴァイオリニストDave Swarbrickをフィーチャーし、ジョニー・ミッチェルやボブ・ディランの曲のカヴァーが収録された'69年サードアルバム「Unhalfbricking」を発表。彼らを有名にしたのはジョン・ピールのBBCセッションで、人気TV番組トップ・オブ・ポップスにも顔をだすようになっていて、ギターのリチャード・トンプソンがバンドの音楽を引率していた。この頃のフェアポート・コンヴェンションは前途洋々たるものだったが、バーミンガムのギグからの帰途での高速道路上の事故でMartin Lamble、 Jeannie Franklynを失なった頃からバンドに陰りのようなものが見え始めた。その後、'69年12月にクラシックでトラディショナルなアルバム「Liege And Lief」を発表。'70年Sandy DennyとAshley HutchingsはSTEELEYE SPANへの活動のためにバンドを脱退、入れ変わるようにフィドル、マンドリンなどを担当するDave Swarbrick、ベーシストのDave Pegg、ギタリストのSimon Nicolなどがバンドに加入し、'70年にはリチャード・トンプソンとデイヴ・スウォーブリックのオリジナル曲を中心したアルバム「Full House」を発表。アルバム・リリース直後今度はリチャード・トンプソンがバンドを脱退、'74年にサンディ・デニーは再びバンドに加わるが、'76年に脱退するなど、目まぐるしいメンバー交代劇が再び続きバンドの存続すら危うくなっていく。

FAIRPORT CONVENTION/TIPPLERS TALES
(VERTIGO 9102 022)
このアルバムはフェアポート・コンヴェンション消滅寸前の12作目にあたる'78年にヴァーティゴ・レーベルからリリースされた唯一の記念すべき作品である。このアルバム発表後から80年代を通して彼らはたいした活動もなく、事実上休息状態だった。これはスタジオ録音アルバムでは最後の作品らしいが、'78年といえば音楽業界はパンク・ムーヴメントのピーク時で、あの燃え盛るロンドン・バーニングの空気とのギャップを感じKYのごとく苦悩していたというが、結局ヴァーティゴとはこの1枚で契約解除されてしまった。しかしもはやロンドン・パンクは聴けないが、フェアポート・コンヴェンションは聴けるというのは何なんだ? 現在でも色褪せないフェアポート・コンヴェンションの60年代の作品「What We Did On Our Holidays」、「Unhalfbricking」、「 Full House」などの名盤が数多くあって、'67年デビューした時代はフォーク・サイケデリックな世界を歌い上げイギリス版ザ・バーズ、バッファロー・スプリングフィールドと呼ばれていた。ボクは当時プログレッシヴ・ロックの一端として彼らの音楽を聴いていたが、コミューン志向を持ったピッピー・カルチャーに影響された彼らならではの、メンバーたちが共同生活のなかで音楽活動を繰り広げていたことも懐かしい逸話である。そうした姿勢は現在のフェアポート・コンヴェションの音楽に確実に受け継がれている。不幸な事故に数多く見舞われたり、目まぐるしいほどのメンバー・チェンジを繰り返すバンドではあったが、サンディ・デニー、グラム・パーソンズ、デイヴ・ペグなど多くの有能なアーティストを生んでいることにも、トラッド、クラシックとひとことでは片付けられない彼らの音楽の特異性が表れている。フェアポート・コンヴェンションは、トラッド特有の変拍子、アーリージャズの影響、ハイブリッドなモダン・インストゥルメンタル・アンド・リズムと、物語性ある歴史上の出来事などを歌ったユニークな歌詞がその音楽の正体だ。彼らのホームページのバイオグラフィーの最後には、"Fairport did for real ale what the Grateful Deadid for LSD"と書かれている。

side one:1.Ye Mariners All 2.There Drunken Maidens 3.Jack O'Rion
side two:1.Reynard The Fox 2.Lady Of Pleasure 3.Bankruptured 4.The Hair Of The Dogma 6.As Bitme 7.John Barleycorn
DAVE SWARBRICK(fiddle,mandolin,mandocello,vocals)
SIMON NICOL(electric and acoustic guitars,dulcimer,piano,vocals)
DAVE PEGG(bass,mandolin,guitar,vocals)
BRUCE ROWLAND(drums,percussion,electric piano)
produced by Fairport Covention
engineered by Barry Hammond
recorded February 1978 at Chipping Norton Studios
VERTIGO 1978

http://www.fairportconvention.com/

2008年03月14日

MAGNA CARTA

例えるならイギリスのアンティーク・ショップの隅っこに
埃に塗れて置いてある飛び出し絵本や
ドイツの絵本作家エルンスト・クライドルフの
「花のメルヘン(Blumen-Mrchen)」世界が
クラシカルで美しいフォークロックで歌われ描かれている
MAGNA CARTA
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 38

MAGNA CARTA/SEASONS(VERTIGO 6360 003)
マグナカルタは'69年5月10日、Chris Simpson(ギター、ボーカル)、Lyell Tranter(ギター、ボーカル)、Glen Stuart (ボーカル)によってロンドンで結成された。ジェントル・バラード・スタイルと神話的世界を歌う彼らのフォークロックは、当時それほど話題にはならなかったが、バンド名になっている1215年6月15日に制定された63か条から成るイングランドの憲章「マグナカルタ」の、王の権限を限定する法での前文はいまも廃止されずに現行法として残っており、成文憲法を持たないイギリスにおいて憲法の一部として残されている。"教会は国王から自由である、王の決定だけでは戦争協力金などの名目で税金を集めることができない、ロンドンほかの自由市は交易の自由を持ち、関税を自ら決められる、自由なイングランドの民は国法か裁判によらなければ、自由や生命、財産をおかされない"などにみられる、法の支配、保守主義、自由主義の原型は、伝統を重んじるイギリスならではの、またアメリカ合衆国建国の理由にも使われている憲章で、彼らの音楽の保守的で自由な精神と重なり合わせていた。Trenterがオーストラリアに戻るまでの、確か3年の短い期間にフォンタナから「Lord of The Ages」、「Songs From Wasties Orchard 」などの作品がリリースされていたが、このアルバムは'70年にヴァーティゴ・レーベルから発表されたセカンド「SEASONS」で、A面は四季をテーマにした物語り風の組曲で、ストリングスやブラスが多用され、なによりもギブソンのナイロン弦の音色が美しい。ゲストで、後にSTRAWBSに加入するリック・ウェイクマンのキーボード、後にエルトン・ジョンと「Smile Face」などの作品を発表するエレクトリック・ギターのDavy Johnstoneのプレイも聴ける。それに加えアレンジ、コンダクト、レコーダー、フェンダー・ベースに、70年代のデヴィッド・ボウイの殆どのアルバムやT.REXの「ELECTRIC WARRIOR」初め多くの代表作をプロデュースし、グラム・ロックの火付け役となったTony Viscontiの名前がクレジットされているのも、当時彼らの音楽に興味を惹かれた大きな要因だ。
マグナカルタの音楽を例えるなら、イギリスのアンティーク・ショップの隅っこに埃に塗れて置いてある飛び出し絵本、あるいはドイツの絵本作家エルンスト・クライドルフの「花のメルヘン(Blumen-Mrchen)」世界が、クラシカルで美しいフォークロックで歌われ描かれている感じだ。
http://yushodo.co.jp/pinus/60/picture/index.html
nu jazzやFinn Jazzを聴いてるいまはその影響か、北欧やイアリアン・ファニチャーに惹かれるが、ロックを聴いていた70年代はイギリスのアンティーク家具が好きで、ボクの部屋は京都の東寺の朝市などで買った、何度も上塗りされた茶色いニスの光沢を持った木目も鮮やかな古い家具類で溢れていた。ロンドンに行ったときには、ポートベローやカムデンタウンの蚤の市で見つけた安価な雑貨なども蒐集していたし、ブリティッシュ・ロック愛好家とアンティーク世界はいまも密接に関係しているように思う。さてマグナカルタの最終章SimpsonとStuartはTommy Hoy (ex-Natural Acoustic Band:RCAから「Learning To Live」「 Branching In」の2枚の作品を発表している)で活動後、Stuartがサリー州リッチモンドでペットショップを営んでいるという噂を聞いたのを最後に、次第に人々から忘れ去られていった。。

side one:1.Prologue 2.Winter Song 3.Spring Song 4.Summer Poem 5.Summer Song 6.Autumn Song 7.Epilogue 8.Winter Song(reprise)
side two:1.Goin7 My Way(road song) 2.Elizabethan 3.Give Me no Godby 4.Ring of Stones 5.Scarecrow 6.Airport Song
CHRIS SIMPSON(composes,steel-strung martin D18,sings) LYELL TRANTER(guitar,arrangements,nylon-strung gibson) GLEN STUART(vacal,five-octave range,harmonies,spokenmusicians:drums:Barry Morgan,Tony Carr fender bass:Tony Visconti string bass:Spike Heatley organ and piano:Rick Wakeman recorders:Tony Visconti,Tim Renwick electric guitar & sitar:Davy Johnstone cello:Peter Willson flute:Derek Grossmith
produced by:Gus Dudgeon arranged and condacted:Tony Visconti recorded at:Tridet studios,london/morgan studios london
engineer:Robin Geoffrey,Mike Bobak
sleeve design:Linda Glover
VERTIGO 1970

2008年03月15日

MANFRED MANN CHAPTER THREE

本格的ジャズを指向したマンフレッド・マン・チャプター・スリー
ブラスセクションを前面に出したフリーキーなスピリチュアル・ジャズと
R&Bのルーズなダウン・ジャジー・グルーヴ
MANFRED MANN CHAPTER THREE
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 39


リーダーのManfred Mannは、生まれ故郷の南アフリカでジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせ、1961年にロンドンに移り住んでから「MANFRED MANN」を結成した。南アフリカといえば当時、イギリスやアジア、北米との関係がアフリカの他の地域よりも深く、植民地時代はヨーロッパの教会音楽と融合させ独自のスタイルを確立したのが伝統的な南アフリカ音楽で、それにジャズやR&Bの情報が大量に南アフリカに持ち帰られ(Louis Armstrong、Cab Calloway、Duke EllingtonやCharlie Parkerらアメリカのジャズ・ミュージシャンたちの音楽を演奏している黒人ミュージシャンも多かったという)、そうした音楽が南アフリカの音楽といつの間にか融合され、独特の音楽が生まれるようになった。
MANFRED MANN CHAPTER THREE/MANFRED MANN CHAPTER THREE
(Polydor 4013)
「南アフリカはアフリカの他の地域に比べてもともとあった音楽の構造が南米の(ラテン)リズムのフォーマットよりも、北米でさかんだったジャズやR&Bやファンクに近い」という説や、南アで土地を所有することができた唯一の場所ソフィアタウンは、マンデラが黒人開放を求めて最初の演説を行った地であると当時に、南ア特有のタウンシップジャズが生まれ、ミリアム・マハーバら世界的に有名な歌手を輩出してきたとも言われていて、現在はさまざまなジャンルとスタイルの音楽が混在している。その中でもジャズは、ヨハネスブルグの「キッピーズ」やケープタウンの「グリーン・ドルフィン」などのジャズクラブでは、金曜の夜ともなるとジャズファンたちでごった返しているほど彼らの日常に欠かせない音楽だと言われている。クラブシーンでは馴染み深いアーティストをざっと挙げると、ミリアム・マケバやアブデューラ・イブラヒム、Dudu Pukwana(サックス奏者)、最近オネスト・ジョンズから再発された'67年のアルバム"Mbaqanga Songs"のGWIGWI MRWEBI、エレクトロニカ・ジャズ「Simple」というアルバムで、data80名義でHakan LidboとコラボしているAlex Van Heerdenなども南アフリカ出身のアーティストである。切りがないのでマンフレッド・マンの話に戻るが、60年代中期から後半を通してモッズ、ビート・グループだった初期マンフレッド・マンのメンバーであるマンフレッド・マン、マイク・ハグが、’69年に本格的にジャズを指向するためにサイドプロジェクトとしてエマノン(Emanon)を発足した後、バンド名をマンフレッド・マン・チャプター・スリーに改名して発表されたのが'69年リリースの「Manfred Mann Chapter Three / Manfred Mann Chapter Three」。ドラムスのマイク・ハグはヴォーカル/ピアノに転向し制作されたここでの音楽は、サックス、トランペット、フルートなどのブラスセクションを前面に出したフリーキーなスピリチュアル・ジャズで、R&Bのルーズなダウン・ジャジー・グルーヴに、当時としては珍しいギターレス編成が相乗効果して、渋いブルージーなメロディーに絡むエキセントリックなSaxのブローがより"ジャズ的なる"グルーヴを発生させている。現在のクラブジャズでのアブストラクト、ジャジーヒップホップのなかに隠し味としてミックスしDJイングも可能だ。
                   
side one:1.Travelling Lady 2.Snakeskin Garter 3.Konekuf 4.Sometimes 5. Devil Woman
side two:1.Time 2.One Way Glass 3.Mister, You're A Better Man Than I 4. Ain't It Sad 5.A Study In Inaccuracy 6.Where Am I Going
Manfred Mann(organ,vocal) Mike Hugg(vocal,electric piano,piano) Steve York(bass guitar,harmonica) Bernie Living(sax,flute) Craig Collinge(drums)
+Harold Becket(trumpet) Brian Hugg(acoustic guitar)
POLDOR 1969

MANFRED MANN CHAPTER THREE/VOLUME TWO
(VERTIGO 6360012)
'70年にヴァーティゴから発表された2nd「Volume Two」。vol.1以上にダイナミックにブロウするブラス・セクションとハグのハスキーなヴォーカルが印象的な作品に仕上がっている。一昨年からボクはブルーノートなどの60-70年代のハードバップを主に再構築したDJイヴェント「Hard Swing Bop」を展開しているが、次のステップは70年代のスピリチュアル・ジャズやフリー・ジャズでのハードバビッシュなグルーヴを取り込みながら昇華させようと考えている。このアルバムの数曲からは、そのコンセプトにはピッタリのアフリカ的でスピリチュアルな黒っぽいジャズグルーヴが聴こえてくる。(サイド2の「Virginia」でのブギグルーヴはT・REXを想起させるという部分もあるけれど)。このアルバムを最後に録音済みの3rd「Volume Three」未発表のままマンフレッド・マン・チャプター・スリーは解散するが、その後、マンフレッド・マンはシンセサイザーを大幅に導入したマンフレッド・マンズ・アース・バンドを結成し、ハグはソロ活動でマフレッド・マン・チャプター・スリーの音楽性を引継ぎながら、ヴァーブから'72年「Blue Suede Shoes Again」、「Fool No More」などのアルバムを発表し活動を続ける。アースバンドの音楽を聴く限り、彼らの音楽に底流していたジャズやアフリカ的なグルーヴはやはりマイク・ハグあってこそだったと言えるのではないだろうか。なおマンフレッド・マンの「Chapter Three」とはビート・グループ時代のポール・ジョーンズ在籍時を「Chapter One」、マイク・ダボ在籍時を「Chapter Two」としてカウントしたもの。

side one:1.Lady Ace 2.I Ain't Laughing 3.Poor Sad Sue 4.Jump Before You Think 5.It's Good To Be Alive
side two:1.Happy Being Me 2.Virginia
Mike Hugg (vo, p, el-p) Manfred Mann (org) Steve york (b) Bernie Living (as) Dave Brooks (ts) Clive Stevens (ts, ss) Sonny Corbett (tp) David Coxhill (bars) Brian Hugg (g, vo) Craig Collinge (ds)
recorded at Maximum Sound Studio,Old Kent Road
produced by Hugg,Mann,Hadfield
VERTIGO 1970
http://en.wikipedia.org/wiki/Manfred_Mann#Albums

MANFRED MANN/GO UP JUNCTION
(Universal UICY-9248)
ビート・ポップ時代のManfred Mannの最高作と言われている'68年のアルバム。当時のスウィンギング・ロンドンの華やかなりし時代の終焉を意味するサイケでジャジーなモッズ・ビート・サウンド。英国の女流作家ネル・ダンが書き下ろした当時のユースカルチャーの若者を題材にしたピーター・コリンスン監督の映画「Up The Junction」のサントラのために制作されたもの。マンフレッド・マンはこの映画以外にも'65年の「なにかいいことないか?子猫ちゃん」の主題歌「マイ・リトル・レッド・ブック」も手掛けている。彼らのモノラルなEMI時代のブルーズのカバー、ヤードバーズのカバー、ポップ感覚を持つドゥワディディやシャララ、ポール・ジョーンズのボーカル、'76年に大ヒットしたブルース・スプリングスティーンのカヴァー"Blinded by the Light"などを聴くと、ブリティッシュ・インベーション時代のモノクロ映像がなぜいまもあんなにモダンなのか理解できるだろう。こうしたビートと呼ばれる音楽の多くに、当時モッズたちが愛好して聴いていた50年代ジャズのスキルを持ったミュージシャンたちが関わっていたことはマンフレッド・マンの音楽を聴けばよく解る。ハーマンズ・ハーミッツ、アニマルズ、ホリーズ、マンフレッドマン、キンクス、ゼム、ホリーズ、ザ・フーなどなど懐かしいね。それにモッズの象徴、イギリス空軍のラウンデル(蛇の目)のロゴ・マークも。

2008年03月18日

MIKE WESTBROOK

マイク・ウェストブルックの「Love Songs」はモードジャズ
「Goose Sause」はスウィング黄金時代のビッグ・バンド・ジャズに影響されたであろうクルト・ヴァイルの歌劇のようだ
MIKE WESTBROOK
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 40

MIKE WESTBROOK'S/LOVE SONGS(DERAM M00001712)
マイク・ウェストブルックの4枚目にあたる'70年にリリースされた「Love Songs」での音楽は、モードジャズと断言してもいいだろう。彼らの作品は2枚しか聴いていないので、これ以前と以後の音楽がどうなのか知らないが、これは現在のクラブジャズとしてDJイングしても、クラブシーンで充分そのまま通用する。それはこのジャケット・デザインにも的確に表れているが、これもカンタベリー系のジャズロックのように語られているが、当時のブリティッシュ・ジャズの精鋭たちが結集した5管編成のモードジャズ、バップ・ジャズだ。ブリティッシュ・ジャズの頂点は60年代末から70年代初頭にあったと言
われ、この時期はまだブリティッシュ・ロックは勢いを持っていて、ジャズとロックが人脈的にも深く結びついていた特別な時代だった。だからそうした誤解が多く生まれたのだろう。マイク・ウェストブルック・コンサート・バンドはこのアルバム以前には'67に「CELEBRATION (DML/SML 1013)」、'68年に「RELEASE (DML/SML 1031) 」、'69年に「MARCHING SONG VOL.1 (SML 1047)、「 MARCHING SONG VOL.2 (SML 1048) 」を発表している。当時のブリティッシュ・ジャズには、アフリカンミュージックを基調にしたビッグバンドによるフリーアンサンブルCHRIS McGREGOR’S BROTHERHOOD OF BREATHなど、現在のクラブジャズにリンクするミュージシャンたちが多く存在していた。'70年以後マイク・ウェストブルックは「METROPOLIS (NEON NE 10)」('71)、「CITADEL/ROOM 315 (SF 8433)」 ('75)を発表し、SOLID GOLD CADILLACの「SOLID GOLD CADILLAC (SF 8311)」 ('72)、「BRAIN DAMAGE (SF 8365) 」('73)の2枚のアルバムにもピアノなどで参加している。
http://www.youtube.com/watch?v=WbVH6U1WJa0

MIKE WESTBROOK BRASS BAND/GOOSE SAUSE(ORA001)
さて、今回の本題、マイク・ウェストブルック・ブラス・バンドの11枚目の'78年のアルバム「グース・ソース」だが、ここに収録されている「Alabamasong」はクルト・ヴァイルのオペラ「マハゴニーの興亡」のなかで歌われる有名な曲だが、この曲を初めて聴いたのは、'67年のドアーズ「ハートに火をつけて(The Doors)」のなかに収録されていた「アラバマ・ソング」でだった。"Oh, show us the way to the next whisky-bar! Oh, don't ask why, oh, don't ask why.....Oh, moon of Alabama, We now must say good-bye, We've lost our good old mamma And must have whisky, Oh, you know why."と歌うジム・モリスンのヴォーカルが、ガールフレンドのパメラ・カースンがモリスンに致死量のヘロインを注射し、'71年7月3日にパリのアパートで不可解な状況で死亡した事件と重なって、いまでも暗いイメージをともなって残響している。この「アラバマ・ソング」を作曲したクルト・ヴァイル(Kurt Julian Weill 1900年3月2日-1950年4月3日)は、ドイツ生まれのベルリンで音楽を学んだ作曲家で、ユダヤ人だったヴァイルはナチス政権の成立から'33年パリに移住、その後アメリカに渡りオペレッタ、オペラそしてミュージカルを作曲した亡命作曲家としての人生を生きたひとりだが、28年にブレヒトと組んで「三文オペラ」を発表し一躍有名となった。三文オペラ」はジョン・ゲイ、ゲオルク・ペープシュの「乞食オペラ」(1727年)のリメイクを、ベルトルト・ブレヒトと共作したものだが、その「三文オペラ」のなかの「マック・ザ・ナイフ(あいくちマック)」は、ジャズにおいては'59年にボビー・ダーリンによるカヴァーがヒットし有名になったが、'56年のソニー・ロリンズの最高峰の作品「サキソフォン・コロッサス (Saxophone Colossus)]の「Moritat」でも演奏している。また'85年のコンパイル・アルバム「LOST IN THE STARS:The Music of Kurt Weill」で、ヴァイルの曲を、ルー・リードが「セプテンバー・ソング」、ニック・ケイヴが「マック・ザ・ナイフ」をカヴァーしていた。
このアルバムにインスパイアされ'95年にカナダのラリー・ワインスティーン監督が「SEPTEMBER songs THE MUSIC of KURT WEILL(9月のクルト・ヴァイル)」のタイトルで映画化し、エルヴィス・コステロ、ニック・ケイヴ、ウィリアム・バロウズなどが出演し、映画のラストシーンでルー・リードが「September Song」を歌っている。クルト・ヴァイルの歌劇には、20年代後半から30年代のシカゴ・サウス・サイド・ジャズ、スウィング黄金時代のビッグ・バンド・ジャズやクラシック・ブルースに影響されている痕跡が見受けられるが、マイク・ウェストブルック・ブラス・バンドの「Goose Sause」にも、そうしたヴァイルが影響されたものと同じジャズとブルースが色濃く感じられる。バンドリーダーのマイク・ウェストブルックがバンドを結成したのが'67年で、総勢12名で制作された'67年の「セレブレーション」でアルバムデヴューし、アルバム「ラヴソングス」のジャケット裏にみられるジャズとパフォーマンスとのコラボレーション、ヘンリー・カウのメンバーと編成したジ・オーケストラなどなど、時代に対応した独自の活動を精力的に展開しつつも、イギリスの伝統的なトラッドの香りとジャズやブルース、クルト・ヴァイルのオペラ、ナンセンス+ユーモアのマルクス・ブラザースのコメディ・スピリットなどを融合したシアトリカルな音楽が彼らの本領だろう。それに加えブラスバンドや吹奏楽には不可欠の楽器で、イギリス的なユーフォーニアム(euphonium)の、そのユーモラスで柔らかく丸みのある音色も、マイク・ウェストブロック・サウンドを特徴づけているもののひとつだ。マイク・ウェストブロックが夢見たのは、19世紀にエリック・サティやパブロ・ピカソなどモンマルトルに住む芸術家たちの溜まり場となった伝説的な隆盛を見せたシャ・ノワール(黒猫)パリの、モンマルトル界隈でのキャバレーで演じられた、レトロ感覚を持った三文オペラのようなジャズだったのだろうか。

※ボクの大好きだった女優でもあったヒルデガルド・ネフの歌うドイツ語でのオリジナル・ブレヒト/ヴァイルの世界は素晴らしい。
Hildegard Knef - Seeräuber Jenny - Pirate Jenny
http://www.youtube.com/watch?v=qvDWwm2MHlI

Marek Weber Orch - Alabama Song
http://www.youtube.com/watch?v=_mJbDwbNERU
Jim Morrison - The Doors - Whiskey Bar / Alabama Song
http://www.youtube.com/watch?v=Kz26ltBjZqs
Mack the Knife Armstrong 1962
http://www.youtube.com/watch?v=uCj4tv0bKCc&feature=related

Mike and Kate Westbrook's Village Band - 1
http://www.youtube.com/watch?v=COreNfjspjY&feature=related

MIKE WESTBROOK'S LOVE SONGS
side one:1.Love Song No.1 2.Love Song No.2 3.Autumn King
side two:1.Love Song No.3 2.Love Song No.4 3.original Peter
Mike Westbrook (p); Dave Holdsworth (tp, flh); Malcolm Griffiths, Paul Rutherford (tb); Mike Osborne (as); George Khan (ts); John Warren (bs); Chris Spedding (g); Harry Miller (b, el-b); Alan Jackson (ds); Norma Winstone (vo)
Deram 1970

MIKE WESTBROOK BRASS BAND/GOOSE SAUSE
SIDE ONE:1.a)Goosewing /b)Wheel Of Fortune 2.Gooseflesh 3.Wheel Go Round 4.Ten Cents A Dance
SIDE TWO:1.Overture: Mother Goose 2.Alabamasong 3.Out Of Sorrow
a)Mourn Not The Dead b)Anthem c)Jackie-ing
Mike Westbrook(euphonium,p) Kate Westbrook(vo,piccolo,t-horn) Phil Minton(vo,tp) Paul Rutherford(euphonium,tb,vo) Dave Chambers(sax,fl) Nisar Ahmad Khan(sax,fl) Trevor Tomkins(ds,per)
Producerd by Laurence Aston
Birdsong 1978

2008年03月19日

MICHAEL GARRICK

ジャズとクラシック カリビアン 教会音楽とポエト・リーディングなどが混在したガーリックのポスト・モダン・ジャズと
ユーロ・ジャズにあるリリシズムの哀愁とアラビック・テイストもブレンドされた美しいジャズ・アンサンブル
MICHAEL GARRICK
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 41

GARRICK'S FAIRGROUND/EPIHANY
/MR SMITH7S APOCALYPSE
( (ARGO ZAGF 1/CDSML 8433)
1933年、エンフィールド、ミドルセックス生まれのマイケル・ガーリックは、イギリスのジャズピアニスト、作曲家、詩とジャズによるパフォーマンスのパイオニアで、ユニバーシティ・カレッジ、ロンドン(U.C.L.)在学中に最初のカルテットを結成し、70年代のジャズが円熟した時代をバークリー大学で過ごしている。UCL卒業後、ガーリックは「コンサートにおける詩とジャズ」の音楽監督になり、その詩とジャズによるビートニクス的な作品は「Poetry And Jazz In Concert」というアルバムで聴ける。その後、ソニー・ロリンズ
やジョン・コルトレーン等のスタイルも取り入れ、モード奏法から革新的な独自のスタイルを築き上げたイギリスを代表するマルチ・リード奏者ドン・レンデル(’63年結成のイアン・カーとのクィンテットで多くの秀作を残すことになる。60年代中期から後期にかけて、‘イギリスのマイルス・クィンテット’と称された)や、'65-'69年までをイアン・カー・クインテットのバックサイドをつとめ、'66年には彼のセクステットを結成し英国アーゴから「PROMISES」を発表しているが、このアルバムにはIan Carr(tp,flh)、Joe Harriott(as)、Tony Coe(ts,cl)などの名前もみられる。ガーリックといえば'67年に始めたジャズの合唱曲の作品が最も良く知られていて、'69年のジョン・スミスのプロデュースによる「GARRICK'S FAIRGROUND/MR SMITH'S APOCALYPSE(CDSML 8422)」はその代表作で、ガーリックのプロジェクトGARRICK'S FAIRGROUNDが残したセッションでの2つの作品が収録されている。アルバム「MR SMITH'S」とEPのみで発表された「EPIPHANY」を1枚にまとめたこのCDには、LOWTHER、RENDELLらのセクステットに、NORMA WINSTONEら4名のヴォーカル、さらに中学生の聖歌隊が加わったジャズとクラシック、カリビアン、教会音楽とポエト・リーディングなどが混在したドラマチックでシアトリカル・パフォーマンスのような音楽/世界観が凝縮されたポスト・モダン・ジャズだ。現在彼はジャズの教育に熱をいれており、ロイヤル・アカデミー音楽院、ロンドンのトリニティー・カレッジで教育職に就きながら、自身でも'89年にJazz Academy Vacation Coursesのサマースクールを始めている。ガーリックはインディアンのクラシック・ミュージックに興味を持っていて、彼の音楽に多くの影響を及ぼしているという。

Jazz Praises© by The Michael Garrick Sextet
http://www.youtube.com/watch?v=2LefpHQJzCg

1.EPIPHANY/MR SMITH'S APOCALYPSE-PART1
2.Blues 3.Invocation 4.In The Silence Of God 5.Who Can Endure? 6.Speak,God! 7.For We Are Lost 8.I Have Torn Up 9.You Are Fools 10.Some Men Live On The Mountain 11.I Saw The Face 12.How May We Understand?
MR SMITH'S APOCALYPSE-PART2
13.Organ Improvisation 14.Blues 15.Invocation 16.Who Will Plead For Us? 17.I Took Myself Off To The Doctor 18.What Is This Clamour? 19.Who Hath Made Man's Heart? 20.Childrens' Chorus 21.I Will Speak, I Will Say 22.Heart,Like A Dove,Be Still 23.The Waters Of Love 24.To The Celebration 25.Blessed Are The Peacemakers
GARRICK'S FAIRGROUND
Peter Mound(conductor) vocals:Norma Winstone;John Smith;George Murcell;Betty Mulcahy
instrumental:Henry Lowther(trumpet,flugelhorn) Don Rendell(tenor sax,clarinet,flute) Art Themen(tenor & soprano saxes,clarinet,flute) Coleridge Goode(double bass) Trevor Tomkins(percussion) Michael Garrick(organ) choral:a great number of
ARGO 1971

THE MICHAEL GARRICK SEXTET WITH NORMA WINSTONE
/THE HEART IS A LOTUS
(ARGO ZDA 135/ZDA 135)
MICHAEL GARRICK SEXTET「THE HEART IS A LOTUS」は'70年1月ロンドンで収録された10枚目のリーダー・アルバムで、ガーリックが参加していたレンデル・カー・クィンテットのメンバーを中心としたイアン・カー、ドン・レンデル、ジム・フィリップ、アート・テメンのセクステットに、ノーマ・ウィンストンの神秘的なヴォーカルをフィーチュアした'70年にUKアルゴからリリースされたもの。ユーロ・ジャズにあるリリシズムの哀愁とアラビック・テ
イストもブレンドされたジャズ・アンサンブルが美しい。それになによりもノーマのスキャットとバックの掛け合いがクールだ。マイケル・ガーリックの作品には'64年「 A CASE OF JAZZ (AIRBORNE NBP 0002)」、'64年「POETRY AND JAZZ IN CONCERT RECORD ONE (ARGO (Z)DA 26) 」、「POETRY AND JAZZ IN CONCERT RECORD TWO (ARGO (Z)DA 27) 」、「MOONSCAPE (AIRBORNE NBP 0004)」、'65年「OCTOBER WOMEN (ARGO (Z)DA 33)」、「ANTHEM (ARGO EAF/ZFA 92) 」、「PROMISES (ARGO (Z)DA 36)」、'66年「BLACK MARIGOLDS (ARGO (Z)DA 88) 」、'68年「JAZZ PRAISES AT ST.PAUL'S (AIRBORNE NBP 0021) 」、'69年「POETRY AND JAZZ IN CONCERT 250 (ARGO ZPR 264/5) 」、'73年「TROPPO (ARGO ZDA 163)」、'78年「YOU'VE CHANGED (HEP 2011)」などがある。
当時のイギリスの音楽市場はDERAMやARGOといったDECCA傘下のレーベルが次々に設立され、ジャズ・ミュージシャンをサポートするかのような重要な作品を発表し、その体制を作りあげていた。主にロックミュージックからのエディトリアルをメインにし、そうした動向を見抜けなかったボクもおおいに責任を感じているが、70年代のプログレッシヴ・ロックが果たした役割は聴き手をジャズに向かわせるのではなく、ジャズから遠ざけ外していく行為だったのかも知れない。しかし90年代に入りクラブ・ジャズ・シーンが、ジャズという視点で再解釈/構築し始めたこれらのブリティッシュ・ジャズ・ロックを再び引き寄せ聴き直して再検討していくと、まだまだボクがやり残していた仕事が多くあることに反省させられる。いまでこそ60-70年代のオリジナル紙ジャケ仕様のレコードが数多く再発されてはいるが、当時はこうしたレコードに関する情報もなく入手困難で知るすべがなかった。そういう意味でもこの"「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧”に意義を感じている。ガーリック周辺や、イアン・カー、ドン・ランデル、マイケル・ギブスなどのジャズ・ミュージシャンを洗い直していくと、60−70年代ブリティッシュ・ジャズの広大なパノラマがひらけてきて興味深く、一度ゆっくりとレコードやCDを聴いて批評してみなければならないと思っている。このアルバムやMIKE WESTBROOKの「Lovesongs」でもヴォーカルでセッションしていたNorma Winstoneのこともね。

1.The Heart is A Lotus 2.Song By The Sea 3.Torrent 4.Temple Dancer 5.Blues On Blues 6.Voices 7.Beautiful Thing 8.Rustat's Grave Song
Art Themen(flute,clarinet,soprano tenor) Jim Philip(flute,clarinet,tenor) Don Rendell(flute,soprano,tenor) Ian Carr(trumpet,flugelhorn) Dave Green(bass) Coleridge Goode(bass) Trevor Tomkins(drums) Michael Garrick(piano,harpsichord) Norma Winstone(voice)
ARGO 1970

2008年03月22日

MICHAEL GIBBS

音楽だけではなく70年代は
すべてのもが融合しクロスオーヴァーして流れていた
エクレクティック(折衷主義)な時代だった
MICHAEL GIBBS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 42

MICHAEL GIBBS/TANGLEWOOD 63(Deram SML 1087)
マイケル・ギブス(Michael Clement Irving Gibbs)は、'37年南ローデシアのジンバブエ(現ハラーレ)生まれのジャズ・コンポーザー、アレンジャー、プロデューサー、トランボーン奏者、キーボーダーで、'59年にボストンに移住し、62-'63年にバークリー音楽院とボストンで学び、'63年にはボストン音楽学校を卒業して、次にタングルウッド・サマー学校で全額給与の奨学金を受けながらアーロン・コープランド、ヤニス・クセナキス、ガンサー・シューラーなどに師事し学ぶ。'65年に南ローデシアに戻り、ロンドンに移住した'70年にGraham Collier, John Dankworth, Kenny Wheeler and Mike Westbrookのサポートでファーストアルバム「 Michael Gibbs」を発表している。ジャズの専門的キャリアを持つ種々様々なミュージシャンと、ジャズを初め様々なジャンルを横断して構築する彼の人並みはずれの独特の感性はオーケストラ・ジャズとして結晶し、代表作であるGary Burtonとの'73年の作品「in the public interest」(polydor 6503)、「Seven Songs For Quartet And Chamber Orchestra (1974, ECM)」などで顕著にみられる。当時流行のクロスオーヴァー・ミュージックの波をダイレクトに受けた彼の音楽とスタイルの基礎には、ギル・エヴァンス、チャールズ・アイブス、オリヴィエ・メシアンからの影響が大だという。「タングルウッド63」は、'71年にUKデラムからリリ
ースされた総勢30名を超すビッグ・バンド編成で制作されたセカンド・アルバム。ここではマイケル・ギブスは演奏には参加しておらず作曲と音楽監督・指揮を務めている。14管のブラスと6名のヴァイオリン、2名のチェロが全体のアンサンブルをコントロール/構築していて、ギター、キーボード、ベース、ドラム、ヴィブラフォン等々のリズム・セクションがドラマチックでスリリングなグルーヴをキープしている。アルバム・ラストは「Five For England」は、ボブ・ダウンズ・オープン・ミュージックの「エレクトリック・シティ」、マイルス・デイヴィスの「Water Babies」、「On The Corner」あたりと共振するジャズファンクで終わり、まさにハイブリッドなクロスオーヴァー・ジャズ/ポストモダン・ジャズだ。ギブスは'75年にイアン・カーがプロデュースしたNEIL ARDLEY, IAN CARR, STAN TRACEYらによるサザーク大聖堂におけるライブ「WILL POWER (ZDA164/165)」にも参加している。リーダー・アルバムには「Michael Gibbs (1970, Deram)」「Tanglewood 63 (1971, Deram)」「Just Ahead (1972, Polydor)」「In The Public Interest (1974, Polydor)」「Seven Songs For Quartet And Chamber Orchestra (1974, ECM)」「The Only Chrome Waterfall Orchestra (1975, Bronze)」「Big Music (1988, Virgin/Venture)」などの作品がある。70年代のブリティッシュ・ジャズを聴いていると、最近HipHopのTribe Called Questなどのサンプルの元ネタの宝庫ともいえる、'67年にプロデューサーのクリード・テイラーによってA&Mとの提携の元に立ち上げ創設されたCTIレコード(CTI Records)での音楽とも繋がっているように思える。ジャズ・レコードレーベルCTIは、ジャズの大衆化を図るために設立されたクロスオーバー(フュージョンの前身)のブームを作ったが、Wes Montgomery「A Day In The Life」、Antonio Carlos Jobim「Wave」、Tamiko Jones「I’ll Be Anything For You」、Bob James「Two」(ボクの編集/発行の「infra vol.06/Blackstone Legacy」を参照)などの作品からは、まさに70年代クロスオーヴァーの時代のサウンドスケープが聴こえてきて、そのストリングス・アレンジ、イージーリスニング、ブラジリアン、ボッサノヴァ、ジャズファンク、ソウルジャズなどを横断する多彩なグルーヴと同じモノが、マイケル・ギブスなどのイギリスの70年代ジャズからも聴こえてくる。
http://www.dougpayne.com/cti.htm
それと先日レコード倉庫のプログレのレコードの山に混じって隅っこから出て来たフィンランドのLOVE RECORDSの数枚のクロスオーヴァー・ジャズなどもね。このあたりの音源もリッキー・チックのアンチ・エーリカイネンがコンパイルした「LOVE JAZZ 1966-77 COMPILED BY ANTTI EERIKÄINEN」というタイトルで近々発売される。
http://www.lovemusic.fi/julkaisut/930
音楽だけではなく70年代はすべてのもが融合しクロスオーヴァーして流れていたエクレクティック(折衷主義)な時代だった。世界の至る所で、音楽ジャンルの壁を取り払うかのようにクロスオーヴァーしただけではなく、ミュージシャンの国籍さえも入り乱れ、無国籍でセッショナリーな展開が日々繰り広げられていた。それは現在の近代化、グローバル化の時代の始まりを意味していて、音楽的には興味深い作品を多く産出したが、心の底では極度の原理主義や民族アイデンティティーを求めようとする動きも強くなっている今日、はたしてクロスオーヴァー・ジャズは21世紀に対応できる音楽だろうか。

SIDE ONE:1.Tanglewood 63 (9:57)
written originally for a concert with the Gary Burton Quartet at the Belfast Arts Festival 1969, fondly recalls two glorious months spent at the Berkshire Summer School. Features Frank Ricotti(vibes), Henry Lowther(trumpet), Chris Pyne(trombone), and Tony Roberts(tenor sax).
2.Fanfare (1:53)
a dhort functional piece that's good to play; a piece for functions - Stan Sulzmann on soprano sax.
3.Sojourn (7:10)
a period spent away from the centre of things; Fred Alexander(cello), John Surman(soprano sax), Alan Skidmore(tenor sax).
SIDE TWO:1.Canticle (13:06)
commissioned by the Dean & Chapter of the Canterbury Cathedral for a concert there in July 1970 - and written with the Cathedral echo in mind. Improvised parts are by Tony Roberts(alto flute), Alan Skidmore(alto flute and soprano sax), John Surman(soprano sax), Gordon Beck(electric piano).
2.Five For England (11:57)
has gone through a few phases since first performed last year, and here is a free-wheeling vehicle for Chris Spedding and rhythm section, with written interjections from the horn.

trumpet, flugelhorn: Kenny Wheeler, Henry Lowther, Harry Becket,
Nigel Carter
trombone:Chris Pyne, David Horler, Malcolm Griffiths
tuba :Dick Hart, Alfie Reece
saxophone, woodwind: Tony Roberts, John Surman, Alan Skidmore,
Stan Sulzmann, Brian Smith
drums, percussion:John Marshall, Clive Thacker
vibes, percussion:Frank Ricotti
guitar:Chris Spedding
bass guitar, acoustic bass:Roy Babbington
acoustic bass:Jeff Clyne
keyboards:Mick Payne, John Taylor, Gordon Beck
violin:Tony Gilbert, Michael Rennie, Hugh Bean,
George French, Bill Armon, Raymond Moseley
cello :Fred Alexander, Alan Ford
conductor, arranger:Michael Gibbs
Production: Peter Eden / Executive Producer:Dorian Wathen
Recorded at Morgan Studios, Nov. 10th & 12th and Dec. 2nd & 23rd, 1970
Engineers:Mike Bobak, Roger Quested / Remix Engineer: Terry Evennett
Remastered by the Audio Archiving Co. Ltd.
Cover Photo and Cover Picture and Design:Jake / Repackaged: in the Playground
DERAM1971

http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Gibbs_(jazz_composer)
http://www.gaibryantspareparts.com/mike_gibbs.htm

70年代前後のブリティッシュ・ジャズに関しては「BFJ」というサイトに詳しく掲載されているので、参照されるといいでしょう。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~bfj/index.html

2008年03月23日

CHRIS McGREGOR

ジャズダンスを踊るための南アフリカの黒い伝統的な音楽
ケープタウン・ジャズと
そして洗練されたアメリカのブラック・ジャズの統合
CHRIS McGREGOR
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 43

CHRIS McGREGOR'S BROTHERHOOD OF BREATH/CHRIS McGREGOR'S BROTHERHOOD OF BREATH(RCA NEON NE 2)
クリストファー・マクレガーはサマセットウェスト(南アフリカ)生まれ、トランスカイ育ちのジャズピアニスト、バンドリーダーで、父親がミッション・スクールの教師をしていた関係から教会音楽に触れ、ケープタウン・カレッジではクラシックを学んだという。当時彼に大きな影響を与えたのは、ハンガリーやルーマニア地域の民族音楽に深く系統し、後の世に残る貴重な収集活動を行っていたハンガリーの作曲家、ピアニストのベーラ・バルトーク(Bela Bartok)や、調性を脱し無調音楽に入り12音技法を創始したことで知られるオーストリアの作曲家、アルノルト・シェーンベルク (Arnold Schoenberg)で、ラジオから流れてきた50年代ジャズのDuke EllingtonやThelonious Monk、そしてCape Town Jazzの Dollar Brand (Abdullah Ibrahim), Cecil Barnard (Hotep Idris Galeta), Christopher Columbus Ngcukana, Vincent Kolbe, "Cup-and-Saucers" Nkanuka, Monty Weber, the Schilder brothers, Vincent Kolbeなどに影響され自身の音楽へと発展させて行った。
特に50年代にケープタウン周辺で演奏されていた"ケープタウン・ジャズ"と呼ばれるアフリカン・ヴィレッジ・ミュージック、その中枢にある音楽のヴァイブレンシー(音や声の反響)とパワー、豊かなイマジネイティヴとジャズダンスが彼の音楽を大きく支配している。こうしたところが現在のクラブジャズ・シーンでもマクレガーのアフリカン・テイストのジャズが支持される要因だろう。彼の死後、友人はマクレガーの音楽について「私は、音楽学者ではありませんが、クリスがジャズダンスを踊るための南アフリカの黒い伝統的な音楽と、それらが発展したアメリカのブラック・ジャズの統合に向かって取り組んでいたと信じています」と語っている。'62年に結成したブルーノーツを皮切りに、'63年のCastle Lager Big Bandには、サウス・アフリカン・セクステットのメンバー、Dudu Pukwana, Nick Moyake, Louis Moholo, Johnny Dyani、Mongezi Fezaなどの名前がみられるが、彼らとのセッション/コラボレーションのなかからクリス・マクレガーズ・ブラザーフッド・オブ・ブレスのような作品が必然的に生まれたのだろう。アルバム「BROTHERHOOD OF BREATH」は'70年に南アからロンドンに亡命した直後のアルバムだが、ここでのリアル・ジャズ、アフロ、スピリチュアル、カリビアン、ダンスミュージックなどの現在のクラブジャズ・シーンでの記号が鮮やかに浮かび上がる音楽を聴いていて、ブリティッシュ・ジャズに関わっていたミュージシャンたち、このクリス・マクレガー、キース・ティペット、エルトン・ディーンなどがなぜ揃いも揃って最終的にはフリージャズの道を歩んだのだろうかという疑問がわいてきた。60年代後半から70年代初頭までの音楽と違い、70年代も中期になると音楽はますます没意味、脱意味の様相を呈し始めるのだが、それぞれ、その時代に生きる人々に無意識的に影響を与える思想や文化的風潮、空気感のようなものがある。例え反動的にそのような風潮、空気に背を向けたとしても、それも時代に翻弄され巻き込まれていることなんだ。誰もが避けて通れない、人々を飲み込み巻き込んでゆくその時代が醸し出す空気というのはかくも恐ろしいことなんだと、キミにも忠告しておこう。ところで昨今の時代の空気とは?

CHRIS McGREGORS BROTHERHOOD OF BRETH/BROTHERHOOD (RCA SF 8260)
英RCAから発表された'72年の作品。このアルバムでの魅力はなんといっても10管編成のブラスによるバップイズムだ。それはサン・ラ・ヒズ・ミス・オーケストラの60年代のアルバム「We Travel The Space Ways」「Visits Planet Earth」にみられるバップイズムに通じるもので、太い旋律的ハードバップのフレーズがユニゾンでエネルギッシュにブローする。トランペットにHarry Beckett、Mongezi Feza、トロンボーンにMalcolm Griffiths、Nick Evans、サックスにDudu Pukana、Ronnie Beer、Alan Skidmore、Mike Osborne、Gary Wind、コルネットにMark Charigとなんと分厚い音塊編成だろうか。この5年間、ハードバップの洗礼をなみなみと受けたボクにとっては、イタリアのスケマからリイシューされたGIORGIO AZZOLINI「Crucial Moment」(RW111LP)、ERALD VOLONTE'「Free And Loose」(RW114LP)などや、日本でリイシューされたチェコ・ジャズ・オーケストラのKAREL KRAUTGARTNER ORCHESTRA「Jazz Kolem/Karla Krautgartnera」(CMYK 6223)などと同じように、現在最も注目しているジャズが聴こえてくる。フリージャズとハードバップを足したかのような即興演奏のバップ・コードのうえを、明確なジャズの文脈を持つジャズ・オーケストレーションのハーモニーとスピードを伴ったジャズと言えばいいのだろうか。簡単に言えばスピリチュアルとハードバップが融合したジャズかな。クリス・マクレガーの他の作品には「Jazz 1962 (African Heritage /Gallo Records)」 「Jazz the African Sound (African Heritage /Gallo Records)」「The Blue Notes Legacy - Live in South Afrika 1964 (Ogun Records)」「Brotherhood of Breath: Live at Willisau (Ogun Records)」「Brotherhood of Breath: Travelling Somewhere (1973; Cuneiform Records)」「Brotherhood of Breath: Bremen to Bridgwater (1971-75; Cuneiform Records)」「”In his good Time“ (Ogun; Solo)」「”Piano Song Vol. 1” (Musica; solo)」「”Piano Song Vol. 2” (Musica; solo)」「Chris McGregor and the South African Exiles’ Thunderbolt (Popular African Music)」「Harry Beckett: Bremen Concert (West Wind Records)」などがある。ニック・ドレイクの「Bryter Layter」の"Poor Boy"でも彼のピアノ・ソロが聴ける。

CHRIS McGREGOR'S BROTHERHOOD OF BREATH
/CHRIS McGREGOR'S BROTHERHOOD OF BREATH

1.MRA 2.Davashe's Dream 3.The Bride 4.Andromeda 5.Night Poem 6.Union Special
Chris McGregor (leader,piano, African xylophone) Malcolm Griffiths, Nick Evans (trombone) Mongezi Feza (pocket-tp, Indian flute) Mark Charig (cornet) Harry Beckett (trumpet) Dudu Pukwana (alto saxophone) Ronnie Beer (tenor saxphone, Indian flute) Alan Skidmore (tenor saxophone, soprano saxophone) Harry Miller (bass) Louis Moholo (drums) Mike Osborne (alto saxophone, clarinet) John Surman (baritone,soprano saxophone)
Produced by Chris McGregor
RCA NEON 1971

CHRIS McGREGORS BROTHERHOOD OF BREATH/BROTHERHOOD
Chris McGregor (pf,African xylophone)
Harry Beckett(trumpet) Marc Charig(cornet) Mongezi Feza (pocket trumpet,indian flute)
Malcolm Griffiths, Nick Evans (trombone) Dudu Pukwana (alto sax) Mike Osborne (alto sax,clarinet) Alan Skidmore (tenor sax,soprano sax) Gary Windo (sax) Harry Miller (bass)
Louis Moholo (drums)
1. Nick Tete (Dudu Pukwana) 2. Joyful Noises (Chris McGregor) 3. Think Of Something (Mike Osborne) 4. Do It (Chris McGregor) 5. Funky Boots March (Gary Windo/Nick Evans)
RCA 1972

2008年03月24日

GAVIN BRYARS / BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.1
GAVIN BRYARS
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 44

GAVIN BRYARS/THE SINKING OF THE TITANIC(OBSCURE no.1)
ギャヴィン・ブライアーズのサイトにあるバイオグラフィーの冒頭で、アンソニー・ミンゲラ監督によって映画化された「イギリス人の患者」で'92年のブッカー賞を受賞した詩人、小説家のマイケル・オンダーチェは、ブライヤーズのことを"弟3の耳を持った新しい角度から音楽創造にアプローチする作曲家"だと評している。リチャード・ギャヴィン・ブライアーズ(Richard Gavin Bryars 、1943年1月16日~)は、ヨークシャー、グルー生まれのイギリスの作曲家、コントラバスの演奏家で、シェフィールド大学で哲学を専攻したのち、3年間音楽を学ぶ。'63年、デレク・ベイリー、ジャズ・ドラマーのトニー・オックスレイと組んだジョセフ・ホルブルック・トリオでジャズ・ベーシストとして参加したのが音楽活動の始まりで、当時ビル・エヴァンスやジョン・コルトレーンの曲などを演奏し、ジャズのアドリブや現代音楽などに触発され、'65年にはフリー・インプロヴィゼーションへと移行していた。その後、'66年にジョン・ケージやコーネリアス・ カーデュー、ジョン・ホワイトなどとのコラボレーシュンを経て、'69-'78年までポーツマスとレスター美術学校で教壇に立ち、それが後のポーツマス・シンフォニア設立の契機になる。
ブライアン・イーノのオブスキュアレーベルで、'75年に発表された「The Sinking Of The Titanic」は、'69年にポーツマスの美術学生のために書いた作品で、アルバムのなかに収録されている「Jesus' Blood Never Failed Me Yet」は、'71年に書かれたものである。「The Sinking Of The Titanic」は、'12年4月14日午後11時、北大西洋上でタイタニック号は氷山に衝突し、15日午前11時20分に沈没し「船尾から音が聴こえてきた。何という曲かは解からない。フィリップスが船尾へと走り、それが彼の生きた姿を見た最後だった・・船はアヒルが水に潜ろうとするときのように鼻先をめぐらしつつあった。私はひとつの事しか頭になかった・・沈没からのがれること。バンドはまだ演奏していた。バンドの連中は沈んでしまったと思っていた。そのときの曲は“Autumn”だった」と船が沈みつつある間、バンドが讃美歌を演奏しつづけたという実際にあった映画などでも有名なタイタニックの事故の逸話をもとにして作られたもので、人々を安らかな死へと送り出す賛美歌「オータム」は、「主よ、みもとに」として描かれている。レコーディングの際には、実際の楽団と同じ6弦構成で25分間「オータム」を繰り返し演奏している。この曲はWork in Progressと呼ばれる現在進行形の作品で、新しいヴァージョンは'90年、'95年にも発表されていて、'95年版には初回プレス特典としてイギリスのエレクトロニカのアーティスト、リチャード・D・ジェームズ/エイフェックス・ツインのリミックス"Raising the Titanic"がシングルCDに収められている。「Jesus' Blood Never Failed Me Yet」(1971年)は、歳とった浮浪者が賛美歌"イエスの血は決して私を見捨てたことはない"と、延々とループするヴォイスがミニマルに反復し、そのバックに室内オーケストラがドラマチックに流れる。この声のオリジナルは、'70年、友人のアラン・パウアーが制作したロンドンのユーストン、ウォータルー・エレファント・アンド・カッスル付近に居着いた浮浪者についてのドキュメンタリー・フィルムに録音されていた“Jesus' Blood Never Failed Me Yet”と歌う声を採用したもので、シンプルなピアノの伴奏とアンサンブルによってアレンジされたもの。この曲も同じく'93年に再録音されていてトム・ウェイツのヴォーカルで歌われている。
ブライアーズは楽団ポーツマス・シンフォニアで音楽の素養がない素人の学生たちを集めクラシック音楽を演奏させるという試みを行っているが、こうした偶然性の音楽とも言える手法は、ボクがロンドンでブライアン・イーノから直接聞いた話だが、すべてサイバネティックス科学理論の実践(イーノはコーネリアス・ カーデューの音楽理論によってそのことを教わったと話していた)で、数10人の素人ミュージシャンにスコアもなにもなく自由に音楽を演奏させたり歌わせたりすると、不思議とある決まったミュージック・セオリーや文脈が表れ、ひとつの秩序に似た法則が生まれるという。イーノのオートポイエティック(自己形成の)ミュージックというその話から、音楽だけではなく、ひとはある目的をもって行動するとき、大きなミスやアクシデント、間違いが発生しても必ず自らコントロールし、その目的は達成できるものなんだということをボクは教えられた。目的さえあれば人生での間違いすらも、ひとつのチャンス・オペレーションに変えられる。作曲家による音の厳密なコントロールから逸脱して、もっと自由な音楽のありようを求め続けているブライアーズの80年代以後の作品には、'84年にロバート・ウィルソンディレクターによって上演されたパリでのオペラ、'98年イギリスのNational Operaのためにカナダ人の映画監督のアトム・エゴヤンによって上演された「Doctor Ox's Experiment」、2002年ドイツのマインツオペラ・ハウスでの「G」、その他The Hilliard Ensemble including Glorious Hill (1988)、 Incipit Vita Nova (1989)、 Cadman Requiem (1989,revised 1998) 、The First Book of Madrigals (1998-2000)、works for the opening of the Tate Gallery in Liverpool (1988)、Chateau d'Oiron, Poitiers French Ministry of Culture Commission (1993)、 the Tate Gallery StIves (1997)などがある。

Gavin Bryars - Jesus' Blood Never Failed Me Yet
http://www.youtube.com/watch?v=ZGqkq_nNwO8&feature=related

最近の動向など詳しくはギャヴィン・ブライアーズのサイトで。
Welcome to Gavin Bryars' official Web-site
http://www.gavinbryars.com/index.html

side one:"The Sinking Of The Titanic"
strings:The Cockpit Ensemble(directors Howard Rees and Howard Davidson) with John Nash,violin and Dandra Hill,double bass, Conducted by Gavi Bryars.
Additional tapes using music playd by the strings of the New Music Ensemble of San francisco Conservatory of Music directed by John Adams,prepared at the studio of the Department of Physics,University College,Cardiff,with technical assistance of Keith Winter and Graham Naylor.
Gavin Bryars,piano;Angela Bryars,music box;Miss Eva Hart,Spoken voice.
side two:"Jesus' Blood Never Failed Me Yet"
Orchestra consisting of The Cockpit Ensemble8director Howard Rees and Howard Davidson);Derek Bailey,guitar;Michael Nyman,organ;John Nash,violin;John White,tuba;Sandra Hill,double bass.Conducted by Gavin Bryars.
produced by Brian Eno
OBSCURE 1975

※Obscureレーベルは、ブライアン・イーノの"Obscure"というコンセプトに基づいて'75年に設立されたレーベルで10枚の作品が残されている。70年代の中期のブリティッシュ・ロックシーンというのは、ロンドンパンクやニューウェイヴ直前の、それこそクイーンやなんやかやで、フリーやエクスペリメンタルな音楽にはそれなりの作品が残されているけれど、ポッカリと穴の空いた過渡の時代だった。そのなかでブライアン・イーノのオブスキュアはやはり特筆すべき出来事だったように思う。現在ボクの立っているヴィジョン、"ジャズ的なるもの"から最考察しても70年代初期の取り上げたい作品はまだまだあるのだが、ひとまずこのあたりでCASCADESは次の段階、70年代中期から後期にかけての回顧に入っていこうと思っている。

2008年03月25日

CHRISTOPHER HOBBS / JOHN ADAMS / GAVIN BRYARS / BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.2
CHRISTOPHER HOBBS
JOHN ADAMS
GAVIN BRYARS
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 45

CHRISTOPHER HOBBS/JOHN ADAMS/GAVIN BRYARS
ENSEMBLE PIECES
(OBSCURE no.2)
'75年の「Ensemble Pieces」はブライアン・イーノのプロデュースによるオブスキュア2作目にあたる3人の作曲家、クリストファー・ホブス、ジョン・アダムス、ギャヴィン・ブライヤーズによるもの。
CHRISTOPHER HOBBS "Aran" "McCrimmon Will Never Return"
クリストファー・ホブスは1950年9月9日、ミドルセクスの、アクスブリッジで生まれた。トリニティ音楽大学で、将学生としてピアノとバスーンを3年間学んだ後、'67-'69年までロイヤル・アカデミー音楽院でコーネリアス・カーデュー(作曲)とパトリシア・ブラディ(パーカッション)とともに学ぶ。'68年、Expertmevtal Music Catalogue(イギリスとアメリカのエクスペリメンタル・ミュージックのソースを基礎にしたもの)を設立し、'69年のスクラッチ・オーケストラ設立の際にも関わり、'68ー’71年までAMMのメンバーとして、'71-'73年までPromenade Theatre Orchestra、'73-'76年、White Duo、'87-'89年Hartzell Hilton Band、'73ー'91年までロンドンのドラマ・センターのミュージック・ディレクターなど、多くの経歴のなかで、ジョン・ホワイト、ギャヴィン・ブライヤーズ、マイケル・ナイマン、クリスチャン・ウォルフ、コーネリアス・カーデュー、ブライアン・イーノ、ハワード・スケンプトン、マイケル・パーソンズなどと関わり、ヨーロッパ、アメリカで多くのパフォーミング活動を続けていた。
ボブスはまたDe Montfort Universityでの音楽史、作曲法、ダンスにおける音楽、ジャズ、インプロヴィゼーションについての音楽教師や客員講師としての顔も持っている。長い間エリック・サティの仕事に携わっていることからも、彼の音楽の基礎は間違いなくエリック・サティだろう。このアルバムのなかの“ARAN”は古代のイギリスを喚起するリードオルガン、おもちゃのピアノなどを結合させた簡素なミニマリズムによって構築されていて、バリ島の民族音楽ガムランの、オリエンタルな織物のテキスタイルのような風合いを持っている。“McCRIMMON WILL NEVER RETURN ”は、ここでもスコットランドのバグパイプのような音色を奏でる、古代のイギリスを喚起する4台のリード・オルガンが使われているが、テリー・ライリーのミニマル・ミュージックを想起させる。
http://www.musicnow.co.uk/composers/hobbs.html

JOHN ADAMS "American Standard"1.John Philip Souse" 2.Cgristian Zeal And Activity 3.Sentimentals
ヨーロッパのモダニズム理論の原則に流れている美学から、より遠く離れた拡がりのある表現に富んだ言語への方向転換こそが、ジョン・アダムスが音楽で図る態度で、ニューイングランド生まれの彼は、クラリネットを10歳の頃父から、そしてマーチングバンド、コミュニティ・オーケストラでプレイすることによってその基礎が形成された。その後ボストン交響楽団、バーバード大学での経験が彼の音楽の方向性を決定づけた。'71年に北カリフォルニアに移り住み、それ以来現在までサンフランシスコ・ベイエリアに住んでいる。イーノのオブスキュアNO.2「ensemble Pieces」で"American Standard"を発表した以後、'80年代中期までにロンドン・シンフォニエッタと「Chamber Symphony/Grand Pianola」、サンフランシスコ・シンフォニーと「John Adams/Harmonielehre」などの作品を発表している。'85年に詩人のAlice Goodmanとステージ・ディレクター Peter Sellarsと2本のオペラ「Nixon in China」「The Death of Klinghoffe」をコラボレーションし、最新作にはモーツアルトの"The Magic Flute"にインスパイアされたという「A Flowering Tree」があり、現在も精力的に活動を続けている。最近の作品で、特に興味深いのは、2006年にNonesuchレーベルから発表された「John Adams: The Dharma at Big Sur/My Father Knew Charles Ives」で、カリフォルニア風景に溶け込んだジャック・ケルアック、ゲーリー・スナイダー、ヘンリー・ミラーなどや、チャールズアイブスのような作家によって奮い立たせられた、エレクトリック・バイオリンとオーケストラのための作品や、2006年のロサンゼルス・フィルハーモニーのためにキューレートした「ミニマリストジュークボックス」だ。ジョン・アダムスのコンダクターとしての活動を支えているのは、ドビッシー、ストラウス、ストラビンスキーからラヴェル、ザッパ、アイブス、およびエリントンなどのさまざまな作曲家によって成立し、 客演指揮者として米国とヨーロッパの音楽祭のディレクター、ニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団、クリーブランド管弦楽団、シカゴ・シンフォニー、ロンドン交響楽団などオーケストラによって表現される。 この「Ensamble Pieces」での“AMERICAN STADARD”は、ブラスバンドで用いる大きな金管楽器スーザフォーンと、教会の牧師が説教しているかのような宗教的なラジオトークショーのテープと、デユーク・エリントンの"Sophisticated Lady"の、アメリカを象徴する3つの記号を用いて作曲されたもの。
http://earbox.com/biography.html

GAVIN BRYARS "1,2,1-2-3-4"
ギャヴィン・ブライヤーズのこのレコーディングのための実験的な試みを録音したもの。10人のパフォーマーがそれぞれやるべき役割を決められ、そのうえでヘッドホンを耳につけカセットマシンから流れるジャズベースのテーマ音を聴き、他のパフォーマンスの出す音を聴くことが出来ない環境をつくり、そのことで、それぞれの役割が調子外れに演出されるだろうことを計算した遊び心、おもしろさを実験的に試みたもの。結果はそのことによる断絶と分裂がバラバラになることなく、奇妙にもナチュラルで統一され合致されたパーツが録音され、ひとつの不思議な構造を持った音楽が創造されている。
(ギャヴィン・ブライヤーズのバイオグラフィーはCASCADES44を参照)

side one:
Christopher Hpbbs"Aran"
Christopher Hobbs:tubular bells,triangles,cowbells,toy piano.
John White:reed organ,toy piano,triangles,drums.
Gavin Bryars:reed organ,triangles,wood blocks,cymbals.
John Adams "American Standard" 1.John Philip Sousa 2.Christian Zeal and Activity 3.Sentimentals
from a live performance by The New Music Ensemble of The San Francisco
conservatoryof Music at the Museum of Art on March 23rd 1973.
recording engineer(U.S.A.):Alden Jenks.
side two:
Christoher Hobbs"McCrimmon Will Never Return"
Gavin Bryars and Christopher Hobbs:reed organs.
Gavin Bryars "1,2, 1-2-3-4"
Gavin Bryars:double bass. Christopher Hobbs:piano Cornelius Cardew:cello Derek Bailey:guitar. Mike Nicolls:drums. Celia Gollin and Brian Eno:vocals. Andy Mackay:oboe. Stuart Deeks:violins. Paul Nieman:trombone.
engineered by Phil Ault.
produced by Brian Eno.
OBSCURE 1975

※30年ぶりの、当時のロック的な耳で聴いていたオブスキュアと現在のジャズ的なる耳で聴くオブスキュアとは同じものではない。その違いのすべてはボクの生きた証=時間の累積、経験のうえで変容した意識/世界観の違いによって生まれるものなのだろう。そして、現在のボクにとってはオブスキュアでの音楽もまた100%「ジャズ的なるもの」なのだ。

2008年03月26日

BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.3
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 46

BRIAN ENO/DISCREET MUSIC(OBSCURE no.3)
ブライアン・イーノ。現在、彼の音楽について書くのは最も苦手かも知れない。70−80年代を通してそれほどイーノの存在はボクにとっては大きく、それは、当時、レコードのライナーノーツなどイーノに関する原稿依頼も多く、日本の評論家のなかで最も多く彼にインタヴューしていることも原因しているだろうし、イーノの音楽を追っていたのは'83年の「Apollo」、「Music for Films,vol.2」あたりまでで、90年代に入ると東京のギャラリーで催したインスタレーションの個展の際に、新潮社から発刊されていた雑誌「03」の要望でイーノにインタヴューしたのを最後に、ボクの視点はクラブシーンに興味を持ち始め、いつの間にか気がついたら彼の音楽からは遠くなってしまっていた。現在の彼はミュージシャンというよりも美術家としてみるほうが賢明だろう。マック・ユーザーのボクは最近になって知ったのだが、あのマイクロソフト社のオペレーティングシステム"Windows 95"の起動音、長さは3秒コンマ25の曲はイーノの作曲である。ごく短いフレーズの84パターンも作った中の一つが「The Microsoft Sound」として採用されたという。
ブライアン・イーノにボクが初めて会ったのは、'76年の7月16日だった。雑誌「ロックマガジン」のロンドン取材でのインタヴューは、メイダヴェールの彼の自宅で行われたのだが、オブスキュアの3作目にあたるイーノのソロ作「Discreet Music」について、"ディスクリートという言葉自体は、今の時代にはあてはまらない言葉だろうね。これはオールド・ファッションなイギリス人の観念で、なんとかして入に気持ちの良い印象を与え、なんとか人に丁寧で異和感を与えないようにというのが、その意味なんだ。私があのアルバムで言おうとした事は、部屋に音楽がかかっていても意識しないで、しかももし聴く人がインヴォルブしようとすればそう出来るというような音を作り出そうとしていた事なんです"と、彼が少し鼻にかかった知的なオックスフォード訛りのあるイギリス人特有のイントネーションで静かに語っていたのも遠いむかしのはなしだ。このアルバムのなかでは、サイド2のパッヘルベルのカノンをモチーフにした3つの変奏曲が、いまも強く印象に残っているのだが、このパッヘルベルのカノンは、結婚式の花束贈呈のときや卒業式にもよく流される曲で、作曲の初心者が作った曲には不思議とこれに似た進行が頻繁に現れる傾向にあるといわれているように、印象的で、快く耳に響くためバロック期から現代に至るまで多くの作曲家が愛用している。ロバート・ワイアット/マッチング・モールの名曲「O Caroline」などはカノンのコード進行が使われている典型的なものだ。イーノの「Discreet Music」での脱構築による、音楽の持つその機能や期待をすべて裏切るポストモダンな手法は、サイバネティックスでの負のフィードバックの、"ある機能をもったシステムがなんらかの目的のために何かの行動や作用を開始したときに、そのときにおこった反作用をとりこむプロセス"を応用したものとも言えるだろう。このアルバムについてはジャケット裏のイーノ自ら書いたライナーノーツを、ロックマガジンにも短い間だったけれど関わってくれていた池袋西武の西武美術館の隣にあったアールヴィヴァンに勤め、現代音楽のミュージシャン、評論家でもあった芦川聡が翻訳したものを少しだけ訂正して転載しておこう。
「ディスクリート・ミュージック」私は演奏することよりプランをつくることの方が好きだったため、いったん機械を作動したら、ほとんどあるいは全く私側からの介在なしに音楽を作り出しうるような状態やシステムに興味が惹かれていた。つまり、プランナーやプログラマーの役割へ近付くことであり、結果として聴き手になることなのだ。この興味を満足させる2つの方法が、このアルバムで示されている。「ディスクリート・ミュージック」は、その課題に対するテクノロジー的なアプローチだ。もしこの曲のスコアが何らかの形であるとすれば、それは私がその制作に使った特別な装置の図式であるべきだ。ここで重要な構成要素は、長く遅れさせるエコーのシステムであり、私は1964年にテープレコーダーの音楽的可能性に気付いて以来、これによって実験してきた。この装置を組み立てた後、その装置が結果的にもたらすことに対する私の
参与の程度は、以下のものに限定された。(a)入力を供給すること(この場合ディジタル・リコール・システムに蓄えられた、単調で相互に調和する異なる長さの2つのメロディー・ライン)と(b)シンセサイザーの出力の音色を、クラフィック・イコライザーを使ってときどき変化させること。この受動的な役割を受け入れること、そして道楽や干渉で芸術を演じる傾向を排除することが制御のポイントである。この場合、私の作っているものは、友人のロバート・フリップが我々の企画したコンサート・シリーズで演奏するための単なるバック・グラウンドである、という考えに助けられた。この将来的な実用という考えは、Gradual Processes(音が自由に変化するプロセス。ミニマル・ミュージックのなかで使われるプロセス。音が少しずつ"ずれ"ていったり、ひとつずつ小田が増えたり減ったりするようなこと。)への私自身の楽しみと一体となって、曲の中で驚きや予想もつかない変化を作ろうとする試みを私にさせなかった。私は聴くことができ、しかも無視できる曲を作ろうと試みていた。おそらくそれはサティの精神であろうが、彼は"食事のとき、ナイフとフォークの音と一緒に"できるような音楽を作りたかったのだ。今年の1月、私は事故に遭った。たいして大きな怪我ではなかったが、安静状態でベッドに縛り付けられていた。私の友人であるジュディー・ナイロンが訪ねてきて、18世紀のハープ音楽のレコードをくれた。彼女が帰ったあと、かなり困難だっtがそのレコードをかけた。横になってから気付いたのだが、アンプのレベルがあまりにも低く、ステレオの片チャンネルが完全に聴こえなかったのだ。起き上がって直す元気もなかったので、ほとんど聴き取れないままレコードは回っていた。これは私にとっての音楽の新しい聴き方を示してくれた。つまり環境のひとつとして聴く、光の色彩や雨の音が環境のひとつとしてあるように。この理由からこの作品は比較的低レベルで、願わくば可聴域よりもしばしば下まわる程度に聴くようにしていただきたい。
自動調節や自動発生のシステムへの興味を満足させるもうひとつの方法は、"パッヘルベルのカノンに基づく3つの変奏曲"のなかで示されている。それぞれのタイトルは、この曲をジャン・フランソワ・パイヤールのオーケストラが演奏したエラート盤に載っているフランス語の解説文を面白く不正確に訳したものだ。その特筆すべきレコードは、まさにシステマティックなルネッサンス期のカノンを恥じらいなくロマンティックに演奏することによって、この曲に息吹を与えた。パイヤールはこの曲をあるところでは記譜されているテンポの約半分で演奏したりしている。そして私は彼の判断の素晴らしい賢明さに敬意を表して、もっと遅いテンポでやった。この曲の場合、「システム」は1セットの指示を渡された奏者の集団であり、入力はパッヘルベルの断片である。それぞれの変奏曲は出発点として、スコアの小さなセクション(2あるいは4小節)を持ち、奏者のパートを入れ替えるとオリジナル・スコアに書いていないような方法でそれぞれが重なりあう。"フルネス・オブ・ウィンド"では、各奏者のテンポが遅らせ、その遅れの比率はその奏者の楽器の音域によって制御されている(ベース=遅い)。"フレンチ・カタログ"は、このスコアの他のパートから集められた時間に関する指示によって、音符とメロディーのセットを分類した。"ブルータル・アーダ"では、各奏者の繰り返しと関係を持っているが、繰り返しの部分の長さがそれぞれ違うため、本来の関係は即座に崩れる。これらの録音とムキシングのとき、出来る限りパイヤールの豊かで富んだ弦の質と張り合うように。(ブライアン・イーノ/翻訳 芦川聡)

"DISCREET MUSIC"
side one:"Discreet Music" recrded at Brian Eno's Studio 9.5.75
side two:Three Variations On The Canon In D Major By Johann Pachelbel
(i) "Fullness Of Wind" (ii) "French Catalogues" (iii) "Brutal Ardour"
performed by The Cockpit Ensemble
conducted by Gavin Bryars(who also helped arrange the piecea).
recorded at Trident Studios 12.9.75.
engineered by Peter Kelsey
produced by Brian Eno
OBSCURE 1975

chinanitetown/Discreet music by Brian Eno
http://www.youtube.com/watch?v=nGfL1T4jGds

Brian Eno Interview 16.7.1976 at Maida Vella by Agi Yuzuru
http://www.asahi-net.or.jp/~cz3m-tkhs/interview/70/76-10-1.htm

Brian Eno Windows 95
http://odeo.com/audio/151957/view

CANON
http://www.leegalloway.com/music/canon.mp3

BRIAN ENO HOME
http://music.hyperreal.org/artists/brian_eno/
イーノ・サイトの"enoweb news"で彼の近況ヴィデオも見れます。

2008年03月27日

DAVID TOOP / MAX EASTLEY / BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.4
DAVID TOOP
MAX EASTLEY
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 47

DAVID TOOP+MAX EASTLEY/NEW AND REDISCOVERED MUSICAL INSTRUMENTS(OBSCURE no.4)
「新しく、再発見された楽器」と題されたこの作品。サイド1に収録されたマックス・イーストレイの"Hydrophone"、"Metallophone"などの4つの作品について、"視覚的な芸術にたずさわる人が音を使おうとすると、様々な問題があり余る程出てくる。たとえば音の速度は比較的遅いので少し遠くにいると、音とその音を発するものとは切り離されてしまう。また材質の問題もある。音楽的にはつまらないものでも、視覚的には魅カ的なものがある。反対に作曲家が彫刻的な事を企てたとしても、自分の選んだ題材がつまらないばかりか、自分の考えの実現をさまたげるということになるかも知れない。私が関係している仕事は、これらの問題を解決しようとする試みである。それは動カ学と音楽と楽器の研究の合成。このうちのどれから始まったかという事はいえない。私の目的とするところは、これらの要素の解放と、新しい形への完全な合成である。このレコードの片面に入っている、とぎれなく続くダンス・ミュージックは3つのセクションに分かれている"と説明されている。
イーストレイが設計し組み立てた、"メタルーフォーン"、水中聴音機"セントリフォーン"や"ハイドロフォーン"などの手製の器具が、果たしていまでも新しい楽器と呼べるものか疑わしいが、風の音すらもこの手で掴んで聴いてみたい衝動、ロックミュージックに飽き食傷していた70年代中期の音楽リスナーの多くは、そのような内に内にと向かう精神的ベクトルを持っていたのは事実だ。素粒子が踊るごとく、すべての存在するものはダンスしている、物質(音楽)はエネルギーでありエネルギーは物質(音楽)である、振動こそ音楽であるなどと、フリッチョフ・カプラの「タオ自然学」から引用し、当時ボクもよく言ったものである。しかしこうした音響はレコードに録音されているレコード音楽で完結され、それがすべてで、ひとつのインスタレーションとして音楽(レコード)の外に持ち出し成立させようとするべきものじゃない。そうしたパフォーマンスの多くはあまりにも退屈で無意味で道化じみた行為だ。'70年代以降一般化した装置芸術、設置芸術と呼ばれるインスタレーションは、映像、彫刻、絵画、日常的な既製品(レディメイド)や廃物、音響、スライドショー、パフォーマンスアート、コンピュータなどのマルチ・メディアを使用した、場所や空間全体を作品として体験させるもので、空き瓶を数人で吹いてノイズ音を発てたからといって、それをパフォーマンス・アート/インスタレーションとは言わないのだ。サイド2、デヴィッド・トゥープの“DO THE BATHOSPHERE”は'73年に書かれ同年9月24日独唱で初演されたものだが、これを聴いていたひとがその母から、幽霊が出るからレコードを止めてと言われたらしいが、デヴィッド・トゥープ、クリス・マンロ、ブライアン・イーノ、フィル・ジョーンズたちのヴォイスが"さあ、Bathosphereを聴いて そうBathosphereに耳かたむけて Bathosphereのやり方さえ学べば もう泣くことなんていらない Bathosphereしない? Bathosphereしない? Bathosphereを聴きたくない? Bathosphereを聴いて、聴いて"などと歌っていることすら白けてくるが、こうした音響は傾聴する必要のない単なるBGMで充分だ。しかし当時こうしたノンセンスな音響をも感情移入して間違った聴きかたをしていたひとは多かったのだろうな。デヴィッド・トゥープの関わった作品には'77年に彼が設立した「!QUARTZ」レーベルで発表していたバンブー・トランペットと声と民族的器具との組み合わせなどによるMADANG「Sacred flute Music From New Guinea」のVol.1-2(!Quartz001-002)、Paul Burwellとのコラボレーシュン「Wounds」(!Quartz 003)や、BREDレーベルでの数枚の作品、CHOO CHOO TRAINレーベルでのThe 49 Americans、ペンギンカフェ・オーケストラなど素晴らしい作品が数多くある(彼のこの周辺の作品は後日機会を見つけて詳細にとりあげます)が、あの時代はほんとに特別な時代だったのだ。この作品が好きな人もおられるだろうから、ジャケ裏に記されているライナーを掲載しておきます。
“THE DIVINATION OF THE BOWHEAD WHALE”
音の高さを時間の函数として関係させる。これは7つの部分に構成されている。その開始の前/その終了の後/2つの、ゆっくりと移動してゆく音のブロツク/2つの沈黙。各々のパートの区切りは合図の鐘である。沈黙の長さは、この鐘の物理的な特性によって決定される。この作品では、5つの弦楽器が使われている。そのうちの2つは、オーソドックスな20世紀の楽器。そして3つの新しい楽器。コードフォンは、薄紙の膜をはった、円筒状の共鳴器を持っている。これは、弓形に曲げれば、低い音を発し、弦をしめれば、ドラマティックなグリッサンドを弾くことができる。原理的にも、効果音も、indian khamakに酷似している。2弦フィドルはポウル・バーウェルが竹で創ったものである。2本の弦はユニゾンに調律されている。グリル・ハープはヒュー・デイヴィスの発明による。これは小さな金属性の焼き網(グリル)で作る。一本の弦が足からグリルまで引っぱられ/もう一本の弦が、グリルから手まで引っぱられ/全体が張りつめた状態におかれる/上側の弦を空いた方の手でこする。この作品はある一定の周波数帯でのコミュニケイションに関する研究と平行するレ.ポートの第一弾でもある。このコミュニケイションというのは、コウモリのシグナルや人間の口笛、マッコウクジラの声などのことである。

Max Eastley
サウンド・スカルプチュアと音楽を結合させる作家。60年以後、彼はチャンス・オブ・ミュージックと芸術、風や水などの環境の効力に魅了され、風と海の流れの自然の効果をキネティック・サウンド・マシーンを使いその研究を始めた。'72年、ミドルセツクス工芸大学で彫刻の学位を取り卒業した後、エクセター・カレッジ・オブ・アートの音響・照明工学部に、特別研究員として1年在籍、その後、自分の専門分野で本を出版。ロンドンヘもどり、新しい/再発見された楽器に関する本のシリーズの初版に寄稿した。彼の音響装置(サウンド・インスタレーション)は、 Brian Eno、Peter Greenaway、Evan Parker、Thomas Köner、Eddie Prévost and The Spaceheadsなどのミュージシャンや映像作家とのエキシビジョンによって発展していく。2000年には東京でもインスタレーションの展示会を開催している。2002年にはSiobhan Davies Danceによる"Plants and Ghosts"の音楽を作曲している。現在も彼は世界の至る所で未知のサウンドを蒐集し続けている。
David Toop
'49年5月5日生まれミドルセックス、アンフィールド。(彼の詳細なバイオグラフィーは次の機会に)

NEW AND REDISCOVERED MUSICAL INSTRUMENTS
side one:Max Eastley
"Hydrophone" recorded in Llanfyllin,North Wales
"Metallophone" "The Centriphone" "Elastic Aerophone/Centriphone"
recorded in Wiltshire
all compositions by Max Eastley
side two:David Toop
"Do The Bathophere" "The Divination Of The Bowhead Whale" "The Chairs Story"
all compositions by David Toop c.Quartz Publications.
recorded at Basing St.Studios,London 12.4.75 and 24.4.75
engineered by Rhett Davies.
produced by Brian Eno.
OBSCURE 1975

"音楽に感情移入するということ"
ボクの知人のウェブ・デザイナーは年齢相当の音楽を聴いてきたにも関わらず、傍から見ていると滑稽なくらいに今も感情移入して音楽を聴いている。彼が過去にどのような暗い経験を重ねてきたのか知らないが、自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分との融合を感じる意識作用は、ロクな結果をもたらさないことを彼の病んだ言動や生活態度からもうかがい知れる。そういうひとは音楽よりも自分を鏡に映すように一種のナルシシズムに酔い、アイデンティティー・クライシス(自己認識の危機)のグローバル時代に不安を感じ、音楽に自分のアイデンティティーを投射/投影させているに過ぎない。誰でも子供のうちはナルシシズムをもっていて、すべての幼児は自分が世界の中心だと感じている。一次性のナルシシズムは人格形成期の6ヶ月から6歳でしばしばみられ、発達の分離個体化期において避けられない痛みや恐怖から自己を守るための働きであって、かわいいものだが、二次性のナルシシズムは病的な状態で、思春期から成年にみられ自己への陶酔と執着が他者の排除に至る思考パターンである。ボクの知人のナルシシズムは、まさに二次性ナルシシズムの特徴としてあるもので、二次性ナルシシズムは自己愛性人格障害の核となると言われている。親の助けが足りなくてナルシシズムを育ててしまった大人は、自尊心の働きで自他を観念的にきわめて重く見ること(観念化)と、逆に軽く見ること(デバリュエーション)の間で揺れ動くという。

2008年03月30日

JAN STEELE / JOHN CAGE / BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.5
JAN STEELE
JOHN CAGE
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 48

JAN STEELE/JOHN CAGE"VOICES AND INSTRUMENTS"(OBSCURE no.5)

JOHN CAGE
ジョン・ケージには「プリペアド・ピアノ」や「4分33秒」のような有名な曲があるが、それはピアノの弦の間に様々な異物を挟んだりして予想もしない音をピアノが出すことを試みたり、指定された時間内に観客を含めその場で生じるあらゆる音を音楽とするハプニングの、偶然に発生する出来事を利用する「沈黙」を意識的に作曲したものだが、こうしたパラドキシカルな創造はいまのボクにとっては最も観念的なもので忌み嫌っているもののひとつだ。このような古い音楽の文脈の転覆を図るミュージック・オブ・コンセプションは、当時のような単一な価値観のなかで世界が流れていた時代だからこそ意義があり、一度きりのパフォーマンスであって、結果や答えの解っている音楽を、もはや2度も3度も、頭や観念的にとらえるエッグヘッドで理解して喜んでいるなんて聴くまえに白けてしまう。現在のようななんでもありの時代には、より明確で構造的な記号が羅列した目的がはっきりしたメソディカルな音楽こそが求められているのではないだろうか。音楽は所詮音楽なのだ。
この「Voices And Instruments」に掲載されているライナーノーツには、"ケージの現在までの活動がべートーベンのように3つの時期に分けることができ、そのなかで'50年から'69年までの中期での音楽と美学が最もよく知られていて、「偶然に支配される進行」、「あいまいさ:音と作曲家と演奏家と聴き手とを伝統的なステロタイプと制限から解放すること」、「雑音の承認、周囲の音を音楽の中に取り入れること」の3つが当時のケージの曲に流れるコンセプトの主なものだ"と書かれている。そして、このアルバムのジョン・ケージの5つの曲をイーノのアイデアによって再構築された音楽は絶品だ。アルバムサイド2に収録されている“Experiences№1”は、'48年8月にノースカロライナ・ブラックマウンテン大学での夏期講座で“Landscape”のカプリングで初演されたもの。この講座でケージはサティの数点の作品を紹介し、その中には彼自身がその初期の音楽の中で発展させてきた、サティの作曲における構成の手法の「構成という分野、即ち各々のパートと全体との開係という分野では、べートーベン以来、新しい考え方はひとつしかない。べートーベンに於ては、ある作品のひとつの部分はハーモニーという事によって限定され、SatieやWebernに於て、それは時間的な長さという事によって決められるのだ。べートーベンは、作曲にとりかかる前に、あるキィから別のキィヘの移動という事をまず頭におき、和声的な構成という事を考えるが、Satieはそのフレーズの長さという事を考えるのだ」というふうに説明している。“Experiences №1”は、3台のピアノでAマイナー風の5音階、ACDEGを使っており、e・e・カミングスの“Sonnets-unrealities of Tulips and Chimneys”のⅢをテキストにした最後の2行は省略されたもの。“Experiences №2”もそのACDEGに従い、メロディをロバート・ワイアットのヴォイスのみで淡々と歌われている。他の行や詞はくり返されたり原詩とは違う順序で使われたりしている。1942年に書かれた声とピアノのための曲“The Wonderful Windw of Eighteen Spring”(この歌の詞はジェイムス・ジョイスの"フィニガンのめざめ"556ぺージの改作)は、メロディラインと打楽器的な伴奏だけで構成されたもので、ロバート・ワイアットのヴォイスとリチャード・バーナスのパーカッションだけで録音されている。この曲でケージはどんなリズム構成も手法も意識的には使っていないと語り、全てテキスト(詩)の印象に基いて作曲され、原曲でのピアノは打楽器のように扱われているという。1942年に書かれたe・e・カミングスの詩に曲がつけられた"Forever And Sunsmell"も、カーラ・ブレイのヴォイスとリチャード・バーナスの2種のパーカッション、トムトム(最初はティンパニのスティックで、のちには指で打つ)と、中国のドラが使われ、幻想的でシャーマニックな世界が構築されていて素晴らしい。アルバムラストの“In A Landscape”は5曲中最も長い曲で、ケージが30年代から40年代にかけて発展させてきたリズム構成の最も典型的な形15×15(5・7・3)という構造をもっていて、ここではリチャード・バーナスのソロ・ピアノだけをフィーチャーしたもの。ピアノのシンプルでミニマルな音色が聴こえる。この作品は15小節から成るセクションを15個持ち、全体は5セクション、7セクション、3セクションという3つの群に分かれている。同時により小さなスケールでも、各々のセクション中の15小節は、やはり、5・7・3という3つの群に分かれている。このリズム構成の原理はケージの初期の音楽的な業積の一例であり、メロディ的には5つの作品は全て制限され(限定され)た音階を使っている。

http://homepage1.nifty.com/ERuKa/acJohnCageCD.html
http://epc.buffalo.edu/authors/cage/

JAN STEELE
このアルバムに収録された「All Day」「Distant Saxophones」「Rhapsody」の3作の様式は即興演奏のグループ、"F&W Hatt"との共演を通じて生み出されたもの。"F&W HATT"は'72年ヨーク大学でジャン・スティールと、ピアニストのデイヴ・ジョーンズ、フルート奏考のマイク・ディーンによって形成されたユニット。このグループはインプロヴィゼーションと、ロツクをもとにした音楽を、とても静かに反複して演奏するということを目的としていて、低くダウンなヴィブラフォンの金属音によって発生するリズムがミニマルに続く“ALL DAY”('07年、ジェイムス・ジョイス“Chamber Music”より)は、ドビュッシーのオペラ、“Pelleas et Meltsande”の研究の結果生まれてきたもので、ジェイムス・ジョイスによる詞の使い方もその直接的な結果である。ハーモニーと全体的なスタイルは、F&W Hattのプレイから生まれ、全体の構成としてはギター・ソロの間奏曲を含む12小節のブリーズである。これは教訓的な作品として作曲され、危機に直面した即興音楽のようなものを描こうという企てであった。'72年に"F&W Hatt"により初演され、ヴィオラ奏者のドミニク・マルドーニイに撲げられている。"DISTANT SAXOPHONES"は、ヴィオラ奏者のdominic muldowneyを心に描き即興演奏することを試みた作品で、'72年にダイヴ・ジョーンズのハーモニック・スタイルを発展させた即興演奏の模倣をF&W HATが演奏したもの。“RHAPSODY SPANIEL”
は、'75年にワン・ピアノ、ツウ・プレイヤーズの連弾曲として完成されたもの。オブスキュアのなかで1枚を選ぶとするなら、ボクはこの1枚を選ぶだろう。先に4枚が発表された翌年の76年に発表された5枚目にあたるこの作品には、古い曲を手術するかのように新たに再構築された、いまなお、時間に色褪せることのない"ジャズ的なるもの"、"新しい感覚"が聴こえてくるからだ。 

"VOICES AND INSTRUMENTS"
side one:JAN STEELE
All Day
Janet Sherbourne:voice. Stuart Jones:solo guitar. Fred Frith:Guitar. Kevin Edwards:vibraphone. Steve Edwards:bass guitar. Phill Buckle:percussion
Distant Saxophones
Jan Steele:flute. Utako Ikeda:flute. Dominic Muldowney:viola. Steve Beresford:bass guitar. Martin Mayes:piano. Arthur Rutherford:percussion. (loaned by Dept.of music,university of york)
Rhapsody Spaniel
Jan Steele & Janet Sherbourne:piano
side two:JOHN CAGE
Experience No.1
Richard Bernas:piano duet.
Experience No.2
Robert Wyatt:voice.
The Wonderful Widow Of Eighteen Springs
Robert Wyatt:voice.
Richard Bernas:percussion.
Forever And Sunsmell
Carla Bley:voice.
Richard Bernas:percussion.
In A Landscape
Richard Bernas:solo piano
recorded at Basing St.Studios,London.
engineered by Rhett Davies & Guy Bidmead.
produced by Brian Eno
OBSCURE 1976

(ジャケット裏に掲載されたバイオ・グラフィーから)
JAN STEELE/1950年11月8日、バーミングム生まれ。ギルドハム音楽学校でホール・グリフィスに、後にはエイヴリル・ウィリアムにフルートを学んだ。1969~70年、ロンドン大学キングス・カレッジで、1971~74年、ヨーク大学で音楽を学んだ。現在、ベルファーストのクイーンズ大学社会人類学部にて、ジョン・ブラッキング教授の下で民族音楽学を研究中。

RICHARD BERNAS/'48年、マツハッタン生まれ。'66年から新しい音楽の演奏に手を染めGentle Fireのメンバーでもあった。ピアニストとしてジョン・ケージとレジャーレン・ヒラーのHPSCHDの初演に参加し、カニンガム・ダンス・カンパニ一と共演。'73年、ワルシャワ・フィルハーもニックにてヴィトールド・ロウヴィックの助手をつとめた。'76年3月10日、指揮者としてロンドンでのデビュー。Saltarelo聖歌隊を指揮してバッハ、ブルックナー、シェーンベルグ、シュトックハウゼンの曲を演奏した。EMI、DGG Electrolaでレコーディング。ダーティンガム・サマー・スクールで、ゼミナールを持った。

ROBERT WYATT/いわゆる第二次世界大戦終結の年に生まれた。母親はジャーナリスト、父親は産業心理学者。音楽に手を染める前の活動は、フォークストン付近Lyminge Forest の伐.採と焼却や、カンタベリー芸術大学でのモデル業や、カンタベリー・イースト駅での郵便袋のつみこみ作業や、ロンドン経済大学での清掃業などなど。

CARLY BLEY/ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラの共同創立者であり、チャーリー・ハイドン、トニイ・ウィリアムズ、イーヴァン・パー力ー、ロバート・ワイアツト等への作品提供者である。彼女のアルバム、“Tropic Appetites”、“Escalator over the Hill”、“13 and 3/4”は、その作品の多様性をよく表し、またジャズ・クラブでのタバコ売りからGuggeheim将学金を受けるまでの広範囲かつ多様な経歴にもよくマッチする。

2008年03月31日

MICHAEL NYMAN / BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.6
MICHAEL NYMAN
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 49

MICHAEL NYMAN/DECAY MUSIC(OBSCURE no.6)
'76年にオブスキュアのno.6で発表された「ディケイ・ミュージック」(Decay Music)は、マイケル・ナイマンのデビューアルバムだが、この曲は当初ピーター・グリナーウェイが監督した映画「1-100」のために'75年12月19日に書かれた音楽で、映画には使用されなかった。2004年にナイマンの60才の誕生日記念にCDでも再発されている。マイケル・ナイマン(Michael Nyman, 1944年3月23日 -)は、イギリスのミニマルミュージックの作曲家、ピアニスト、オペラの台本作家、音楽学者でもあり音楽評論家でもある。彼の音楽を聴き続けていたのは'81年にピアノ・レコードからリリースされていた「LUSY SPEAPING」や、'85年の「The Kiss and Other Movements」あたりまでで、80年代頭に一度だけロンドンでマイケル・ナイマン・バンドの室内楽オーケストラ仕立てのステージを観たことがある。そのマイケル・ナイマン・バンドは確か、小さなオペラハウスのステージに所狭しと並んだ弦楽のカルテッ
ト、テナー、アルト、ソプラノの3つのサックス、バストロンボーン、エレクトリックベース、ドラムス、ピアノの編成だったが、その時の印象としては、場末のキャバレーで売れない若手クラシック・ミュージシャンがチープな三文オペラのバックを演奏しているのようなミニマル、室内楽で、B級センスのコミカルな気配を漂わせたものだった。ナイマンは80年代後半になるとシンメトリーな映像が印象的だったピーター・グリーナウェイ監督の映画「英国式庭園殺人事件」の音楽を担当したことを契機に、'85年にはグリーナウェイ監督の「ZOO」、'91年「プロスペローの本」、「数に溺れて」、「コックと泥棒、その妻と愛人」などグリーナウェイ映画の音楽での活動が顕著で、80年代後半には、気が付くといつの間にか彼の音楽からも遠のいてしまっていた。80年代中期から現在までのナイマンの活動は華々しいほどで、'97年にはハリウッド映画へも進出し、ぼくの知らないうちにいまでは現代音楽や映画音楽の作曲家の中でもっとも重要な人物の一人としてイーノ以上の成功を収めている。ロックミュージックの最終的な回答、インダストリアル・ノイズのクライヴ & ナイジェル・ハンバーストーンの"イン・ザ・ナーサリー"や、クラブ系アブストラクト・ジャズの"シネマティック・オーケストラ"も2003年のアルバム「Man With The Movie Camera」の音楽のコンセプトで使用していたジガ・ヴェルトフ監督の'29年作のサイレント映画「カメラを持った男」(1920年代のモスクワの都市生活を描いた映画)のサントラを、マイケル・ナイマンは2002年に再構築し直し、劇場で上演したりもしている(ナイマンはこの作品が自身の映画音楽作品の中で最高傑作だと述べている)。新しいところではジョニー・デップ主演の2004年の映画「リバティーン(The Libertine)」の音楽も制作している。

Man With The Movie Camera - Part 1 of 9
http://www.youtube.com/watch?v=AInQ1x5_r3o
(ソヴィエトの20年代といえば、ボクにはロシア構成主義やマヤコーフスキーだが、革命の時代、発展途上段階の時代の空気が記録されたこのMWTMCの映像に胸がドキドキしないか?)
Michael Nyman en Tenerife - Man with a movie camera - Gianco
http://www.youtube.com/watch?v=RGlSiN7lHNM

このピーター・グリーナウェイのフィルムのサウンド・トラックとして書かれた“1-100”でのフィルムは、ロケや合成で撮影された1から100までの数字を、その順序に従って編集したものである。このレコード裏でこの曲の解説を次のようにナイマン自身が記している。
「グリーナウェイはこの累積してゆくプロセスに合致する音楽を、この算術的な連続をうまくまとめるリズムを要求した。この単調に累積してゆくという考えは私の興味を引き、またこの撮影された数字は、より広範な「関係」システムヘと進んでゆくような“付随的な”イメージを多く含んでいたので、私は以前の作品の体系化を思いついた。その頃、私は偶然Blue Danube Waltz(美しき青きドナウ)を調べていて、この曲の最初の楽章の小節数をいささかうんざりしながら数えていた。驚いたことに、それはきっちり100小節であった。このことで私は次々と小節をつなぐことで作品を組み立てるというアイデアを思いついた。最初は1小節、次は2小節、その次は3小節というように。100
小節の構造が完成するまで続ける。しかし、この方法ではフィルムの長さをオーバ一してしまうという理由で、グリーナウェイの他のフィルムのサウンド・トラックに使おうということになった。私は小節という考えを捨て、同じことを和音でしようとした。しかし、これもまた長すぎる。そこで結局、100の和音はそのまま使うが、各々、順々に一度だけづつ弾くようにした。“1-100”で、私は1~9とか、10~19といった数字に相当するように特別の方法を考案した。すなわち最初の「セクション」は、3和音(トライアッド)と長7度を交互に並べる。10~19は7度のひとつづき。20~29は7度と9度というように。全体的には1~59は主として長7度を基にした和音によって成り立ち、後の部分は短及び属7度、9度、11度を主(メイン)として成り立っている。演奏の手順も、これと同じように数の累積に一致するようにデザインされている。それは和音の濃度(ピアノの音域の高いところからスタートし、段々と低い方へと進んでゆけば和音は自としだいに「濃く」なってゆく。)と単調さである。このレコード版“1-100”は、4つの異った解釈を含んでいる。“BELL SET №1”は1971年6月に作曲され、これもまた段々と引きのばされてゆく「崩壊」をフィーチャーしている。しかし、今度は主観的ではなく、あらかじめきちんと区分され前もって決定されている。この作品はもともと、1970年にトルコで集めたベルの特性を利用しようという意図を持つものだった。この作品が用いている精密で数学的なシステムは、2つの主要な特色のあるベルの音を聴かせるためにデザインされた。---2つというのは、その鋭さと持続時間の長さである。私の意図は、ひとつのベルから、他のベルヘと、その重さを段々に移し変えてゆくことにあった。そのため、私はあるリズム原理を案出した。これは組織的に4つの独立したリズム構造にあてはめられ、(その4つは)各々、速くはじまり、段々とゆっ<りになっていく。各々のリズム構造は最初から最後まで変化することのない、ある単位の囲りに対称的に8分音符を加えながら大きくなってゆく。最初の構造は中央の8分音符を(ひとつ)含む3拍のリズム。2番目の構造は、中央の4分音符を含む4拍のリズム。3番目は、中央の付点4分音符を含む5拍のリズム。4番目は中央の2分音符を含む6拍のリズム。最初、これらの「中央の」音符は、両側に8分音符を持ち、外側の音符は定期的に加えられていく。8分音符、また8分音符。各々のリズム・ユニットは演奏者が自分の判断で次のものに移動するまで何度でもくり返される。“BELL SET №1”は、1973年、ロンドンのコックピット・シアターで初演された。後にこれはべつにベルに限らな<てもよい事に気づき、従って鋭い音と長い持続時間を持つ金属性の楽器なら、何を用いてもよい事になった。このレコーディングでは、ベル、トライアングル、ゴング、シンバル、タムタム等を使つている」(この部分の翻訳はEno's Scrap Sight/ENO:ENO BRIAN から引用させて頂きました)。

Michael Nyman Band - Sheep 'n' Tides
http://www.youtube.com/watch?v=aycvDjhTB1c&feature=related
Vexations - Michael Nyman
http://www.youtube.com/watch?v=ov0fOVqqcyo&feature=related

MICHAEL NYMAN/DECAY MUSIC
side one:1-100 Michael Nyman(piano)
side two:Bell Set No.1 Nigel Shipway,Michael Nyman(percussion)
OBSCURE 1976

このアルバムがリリースされるまでのマイケル・ナイマンは、英国王立音楽院とキングス・カレッジ・ロンドンで作曲法、音楽史、イギリスのバロック音楽を中心に学び、在学中にルーマニアの民俗音楽に興味を持ち、 卒業後、'65~'66年まで、ルーマニアで民族音楽のコレクションなどもしている。当時のシュトックハウゼンやピエール・ブーレーズなどが主流の現代音楽になじめず、作曲活動よりも音楽雑誌などで音楽評論家として活動し、'68年にはコーネリアス・カーデューの作品"The Great Digest"に関する評論で、抽象絵画などを表現する時に用いていた単語「ミニマリズム」を文中で用い音楽評論で初めて「ミニマル」の概念を持ち込む。 '74年には実験音楽についての研究論文「実験音楽/ケージとその後(Experimental Music: Cage and Beyond)」を著す。'76年にイタリアの劇作家カルロ・ゴルドーニの作品"Il Campiello"の上演で使われる18世紀のヴェネツィア音楽のアレンジと演奏を委託され、レベックやショーム等の古楽器と、ドラムやサックスなどの近代的な楽器を取り入れた楽団を編成したことが、現在の映画やオペラの作品を作曲することに繋がる経験になったのだろう。そしてこの「Decay Music」の、ピーター・グリーナウェイ監督の映画「1-100」のための音楽を作曲し、ブライアン・イーノのObscure Recordsからリリースされることになる。'80年にはキング・クリムゾンのロバート・フリップと、デヴィッド・カニンガム/フライング・リザーズのアルバムにもゲスト参加していた。
http://www.michaelnyman.com/

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