2008年04月 Archive

2008年04月01日

PENGUIN CAFE ORCHESTRA / SIMON JEFFES / BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.7
PENGUIN CAFE ORCHESTRA
SIMON JEFFES
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 50

PERFORMED BY MEMBERS OF THE PENGUIN CAFE ORCHESTRA/MUSIC FROM THE PENGUIN CAFE(OBSCURE no.7)
ペンギンカフェ・オーケストラ、イコール、サイモン・ジェフスは'49年イギリスのサセックス生まれで、13歳の時にギターを弾き始め、高校卒業後、ジュリアン・ビザンチンの下で2年間クラシックギターや音楽理論を学び、その後チズウィックのポリーテクニック音楽部に進んだもののアカデミックな世界が体質に合わず途中退学し、オメガ・プレイヤーズというギルバート・ビベリアンズ・クラシカル・ギター・アンサンブルを結成。このユニットは古典音楽と現代音楽を融合したオリジナル曲をレパートリーとしていた。このころから並行してペンギン・カフェ・オーケストラを結成しているが、そのペンギン・カフェ・オーケストラというバンド名は、'72年、南フランスに滞在していたサイモンが腐った魚を食べてしまい、その時の悪夢に出てきた”ペンギン・カフェ”と言う名前に由来しているらしいが、そうした夢のお告げのような暗示によって音楽への道を歩むことを決心したというから可笑しい。
’76年リリースのオブスキュア7枚目のこのアルバムは、サイドワンの"From The Colonies"から"Pigtail"の7曲は、'74年にZOPFと言うグループ名でレコーディングされた曲で、「ペンギン・カフェ・カルテット」として録音した'76年までの作品とをまとめたものがコンパイルされている。その後、様々なダンスホールやコンサートでの演奏活動や、映画音楽のレコーディングなども行い、1981年7月には2ndアルバム「Penguin Cafe Orchestra」をリリースしている。80年代初頭は坂本龍一とのコラボレーションが多く、"THE Snake and THE Lotus"という曲も残されている。'84年、3rdアルバム「BROADCASTING FROM HOME」リリース。'87年、SIGNS OF LIFEをリリース、これに前後して同年3月にはロンドン・コンベント・ガーデンでのロイヤル・バレエの公演「トリプル・ビル」のハイライトとして「Still Life At Penguin Cafe」が上演される。この作品はこれまでのサイモンの過去の作品8曲を新たにアレンジしたバレエのための音楽として作られたもので、何種類かの擬人動物たちが登場するというユニークなバレエだった。(この"Still Life At Penguin Cafe"のヴィデオは'90年にリリースされている) '87年、ロンドンのROYAL FESTIVAL HALLでコンサートを行い、翌年にこの模様を収録したライブアルバム「WHEN IN ROME...」をリリース。ペンギン・カフェ・オーケストラの音楽がボクのすぐ側にあったのも、やはりこのライヴ録音での'88年の「when in rome...」(EG/EGED 56)までだった。
恐らく彼らの音楽が円熟した最盛期はこの時期だったのだろうと思う。5人編成のクインテットから始めた彼らはこの頃には文字通りオーケストラといえる9人編成で、サウンドの厚みも比較にならない。現在のオシャレなカフェで少人数のお客さんの前で演奏するアコースティックな抜けた軽い音楽のことを、"カフェ・ミュージック"と形容されるが、この言葉の由来はペンギン・カフェ・オーケストラにある。90年代に入ってからの彼らの動向についてボクはまったくなにも知らない。'93年12月最後の作品となる「Union Cafe」をリリースし、そのなかの曲"Cage Dead"が'92年に死亡したJohn Cageに捧げられた曲だということも、サイモン・ジェフスが48才という若さで'97年12月11日に脳腫瘍のためこの世を去ったことも。彼の音楽を当時モーガン・フィッシャーが"ルイス・キャロルやエリック・サティに見られる穏やかな無秩序、それがパームコートの壁紙を思わせる音楽と結合したもの"と語っていたが、ペンギン・カフェ・オーケストラの音楽には一貫して、歪んだ真珠、バロックにみられる折衷主義と、オプティミズムでありながらセンチメンタルな、アンビバレンツな感情が流れている。ようするにサイモン・ジェフスはヒューマニスティックなんだ。彼らの音楽をジャンル分けするなら環境音楽ではなく、ポストモダンな室内楽、植物的な20世紀末のコンテンポラリー・バロックともいえるものではないだろうか。

The Penguin Cafe Orchestra-Air A Danser
http://www.youtube.com/watch?v=4Uimr5SWBHk
“Penguin Cafe Orchestra” video results 1 - 20 of about 103
http://www.youtube.com/results?search_query=Penguin+Cafe+Orchestra&search_type=
http://www.penguincafe.com/

MUSIC FROM THE PENGUIN CAFE
Side1:Penguin Cafe Single
Zopf:a.From the colonies b.In a Sydney hotel c.Surface tension d.Milk
e.Coronation f.Giles Farnaby's dream g.pigtail
Side2:The sound of someone you love who's going away and it doesn't matter Hugebaby Chartered flight
composed by Simon Jeffes
produced by Simon jeffes and Steve Nye
recorded on location between 1974-1976
PENGUIN CAFE QUINTET(the 4 musicians in green clothes)
Helen Leibmann-cello Gavin Wright-violin Steve Nye-electric piano,engineer
Simon Jeffes-electric guitar
ZOPF
Simon Jeffes-guitar,bass,ukelele,quatro,spinet,electric piano,mouth percussion,vocals,cello(sydney motel),cheng,ring modulator
Helen Leibmann-cello Gavin Wright-violin,viola Neil Rennie-ukelele8on Giles Farnaby's Dream) Emily Young-vocals Steve Nye-mixing
Brian Eno-executive production
OBSCURE 1976

WHEN IN ROME...
side one:1.Air A Dancer 2.Yodel 1 3.From The Colonies 4.Southern Jukebox Music 5.Numbers 1
side two:6.Beanfields 7.Paul's Dance 8.Oscar Tango 9.Music For A Found Harmonium 10.Isle Of View8Music For Helicopter Pilots) 11.Prelude And Yodel 12.Giles Farnaby's Dream
Steve Nye:piano,electric piano,harmonium,cuatro
Helen Liebmann:cello Geoffrey Rochardson:viola,bass,ukelele,mandolin,cuatro Bob Loveday:violin Ian Maidman:percussion,bass,cuatro Julio Segovia:percussion Paul Street:cuatro,ukelele,guitars Neil Rennie:ukelele,cuatro Simon Jeffes:guitar,ukelele,bass,cuatro,electric guitar
produced by Simon Jeffes
music composed by Simon Jeffes
EG 1985

2008年04月02日

JOHN WHITE / GAVIN BRYARS / BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.8
JOHN WHITE
GAVIN BRYARS
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 51

JOHN WHITE+GAVIN BRYARS/MACHINE MUSIC(OBSCURE OBS 8)
ドイツの芸術家村ダルムシュタットでの現代音楽夏期講習会でピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼンたちが互いに論戦を戦わせながらセリエリズム、電子音楽、アンガージュマンといった前衛的音楽思考を遂行していた第二次世界大戦後や、イタリアのルイジ・ノーノがレジスタンス運動に参加しながら視聴覚+コンセプチュアルな体験としての音楽劇などの実験的試みを展開していた50年代の、そのような遺産、実験音楽をいま聴く行為になにか意味をみつけられうるものだろうかと、いつも思う。
いつだったかデレク・ベイリーの"Derek Bailey In Japan"というヴィデオをYouTubeでみたことがあるが、ニッポンのノイズ・ミュージシャンが彼のギターに合わせてヒステリックなヴォイスと打楽器のノイズを無作為に発て、彼のギタープレイすらも壊している様は、それは違うだろうと腹立たしく思った。ニッポンでの音楽理論もテクニックも学んでいないロックミュージシャンあがりのノイズ・ミュージックや、エセ・フリー、インプロヴィゼーションなんて即刻やめろよ! さて、イギリスの実験音楽はそのダルムシュタットや、ニューヨークや、パリからも遠く、70年代にヴァージン・レコードやブライアン・イーノのオブスキュアでこうした音楽を展開するまでは、誰もがイギリスにも実験音楽の潮流が存在していたのかと思ったほどだ。イーノの影響でボク自身も75年を契機にいつの間にかイタリアのCRAMPSでの"nova musicha"シリーズでCornelius Cardew「Four Principles On Ireland and Other Pieces(1974)」(5206 106)や、John Cage 「Cheap Imitation」(CRSLP6117)、DIVersoシリーズでのDerek Bailey「improvisation」(CRSLP6202)、Steve Lacy「straws」(CRSLP6206)などの作品をわざわざ取り寄せるまでになっていた(この周辺も要望と機会があればいづれ紹介します)。
このアルバムのジョン・ホワイト「MACHINE MUSIC」は、彼の開発した無作為における反復の構造、"マシーンのプロセス"でのシステム・ミュージックという概念から発展したものだが、このアルバムのサイド1の4曲目に収録されているジョン・ホワイトの'68年の曲「Drinking and Hooting Machine」は、数人のプレイヤーがテーブルの上に置いた飲みもののボトルを無作為に飲み、ボトルのトーンを変更しながら、瓶の先端の口を吹いて音を発てるというものだが、まあよく言えばすべてを数値に置き換えた音楽遊びのようなものだ。「Autumn countdown machine」はメトロノームのリズムが発てるリズムを、6つのダブルベースなどのバスメロディーがそのリズム(同時性)を無視したものを、打楽器奏者が調整していくというもの。こうしたものもポストモダニズムとしてまかり通っていたゆるい時代が70年代なのだ。このアルバムにバスーンやピアノで参加しているChristopher Hobbsは、Ian Mitchellと「Edge of the World」というジャズテイストのアルバムを2000年暮れに発表している。すべては"ジャズ的なるもの"に向かっているのだ。
サイド2全面に収録されているギャヴィン・ブライヤーズのデレク・ベイリーのために書かれた曲"The Squirrel And The Ricketty-Racketty Bridge"は、'71年の「Solo Guitar Vol.1」にも収録されているものだが、"ひとりのギタリストが同時にふたつのギターを演奏するための作品。しかもそのギターは2本ともギタリスト自身の背中に水平に付けられているので、ギタリストはキーボードプレイヤーが一本の指で二つの音を弾くときのハンマー奏法を持ちいることになる"と説明されていて、ここではDerek Baileyと、Fred Frith、Gavin Bryars、Brian Enoの3人が加わり同時に8台のギターを演奏している。ギャヴィン・ブライヤーズはもともとは、Derek BaileyやTony Oxleyなどとフリー・インプロヴィゼーション・バンドを組んだりしていたフリーのミュージシャンで、ジャズ畑のアーティストといってもいいだろうし、ジャズ・ギタリスト、Bill Frisellやジャズベーシスト、Charlie Hadenなどに曲も提供している。この曲は無調ではあるのだが、ギターのピッキングやハンマー奏法によって発生するルーズに反復するリズムは心地よく、フリーであってもそこにリズムやグルーヴの感じられない作品は退屈でダサい。しかしその速度がちょっと時代遅れで遅く感じたので、試しにレコードのピッチを45回転で速めてかけてみると、これがジャジー・ヒップホップやアブストラクト・ジャズのDJイングに可能な曲に変容した。ちなみにサイド1を45回転でかけると90年代クラブシーンで流行したトランステクノだ(なにか文句でも?)。
このアルバムの音楽とは直接的に関係ないが、'97年にデレク・ベイリーがDJ/クラブカルチャーに侵入し、フリーやインプロヴィゼーションをクラブジャズに繋いだ記念すべき、ニュー・コンセプション・オブ・ジャズともいうべき、ジャズの新たな文脈を感じる貴重な映像を紹介しておこう。
TRAnsMuTAtioNs-Bill Laswell, Derek Bailey, Jack DeJohnette
http://www.youtube.com/watch?v=Rxrw1EOqGDY

MACHINE MUSIC
side one:John White
Autumn Countdown Machine
John White-tuba,metronome,percussion Christopher Hobbs-bassoon,percussion Sandra Hill-double bass Gavin Bryars-double bass,metronome
Son Of Gothic Chord
Christopher Hobbs-piano John White-piano
Jew's Harp Machine
John White-jew's harp Christopher Hobbs-jew's harp Gavin Bryars-jew's harp Michael Nyman-jew's harp
Drinking And Hooting Machine
Christopher Hobbs-bottle Susan Dorey-bottle Gavin Bryars-bottle John White-bottle Brian Eno-bottle
side two:Gavin Bryars
The Squirrel And The Ricketty Racketty Bridge
Derek Bailey-steel stringed acoustic guitars Fred Frith-double-headed electric guitars Brian Eno-electric guitars
recorded at Basing Street Studios 1976
engineered by Rhett Davies
produced by Brian Eno
OBSCURE 1978

2008年04月03日

TOM PHILLIPS / GAVIN BRYARS / FRED ORTON / BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.9
TOM PHILLIPS
GAVIN BRYARS
FRED ORTON
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 CASCADES 52

IRMA AN OPERA BY TOM PHILLIPS
MUSIC BY GAVIN BRYARS LIBRETTO BY FRED ORTON
(OBSCURE OBS 9)
オブスキュア9作目の“IRMA”は、W・H・マロックによるヴィクトリア時代の小説に基づくオペラである。作曲はトム・フィリップス、ギャヴィン・ブライアーズ、台本はフレツド・オートンによるもの。指揮はブライアーズで、サイド1ではGrenville役のハワード・スケムプトン、サイド2ではIrma役のルーシー・スケーピングの声がフィーチュアーされている。このオペラは最初、'70年にボルドー・フェスティヴァルのコンサートのためにプロデュースされ、'72年にニューカースル大学でCeolfrith Arts Associationによって上演された。
その後、'73年ヨーク大学、'83年ロンドンのICAで上演されるまでは古い演劇イルマの新しい解釈に多くの問題を引き起こし、それを解決するためにRichard Ortonの指導のもとに2つのヴァージョンを制作していた。トム・フィリップスは「THE HEART OF A HUMUMENT」というアーティストブックも発表していて、このオペラの下敷きになっている1892年に出版されたW.H.Mallockによる著書「A Human Document」のテキスト上に、オリジナルテキストの一部分を残したペイントを施したシリーズをまとめたもの。テキストとペイントからなるアートワークが楽しめる。ヴィクトリア朝時代といえば、1858年に建てられたヴィクトリア朝時代の建築である赤と金を基調にした優雅な4層の、ロンドンの劇場街のまっただ中にコヴェント・ガーデン王立歌劇場 (Royal Opera Covent Garden)というオペラ・ハウスがあるが、確かクラフトワークのステージをそこで観た覚えがある。マロックの「A Human Document」が出版されたヴィクトリア朝は、ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた1837年から1901年の期間を指し、この時代はイギリス史において産業革命による経済の発展が成熟に達し、イギリス帝国の絶頂期であるといわれている。1863年には、ロンドン地下鉄も開通したが、産業革命の成功により世界の工場と言われたイギリスも、1890年代以降は、ちょうど日本のバブル経済が崩壊していったかのように"ヴィクトリアニズム"が急速に衰退してその時代は終焉を迎えた。1870年代-1901年までのヴィクトリア後期には、アメリカ合衆国やドイツなどの資本主義が発展し工業力も向上し、ヨーロッパの意思決定の中心的存在であったイギリスの地位が揺らぎ始めた。ヴィクトリア時代の風俗といえば"フラッパーズ"と呼ばれる女性達を生み出す、解放的、享楽的な時代で、フェミニズムや、いまニッポンでオタクの間で大流行りのメイド、ルイス・キャロルなどを思い浮かぶが、"当時の英国国民は物質的には恵まれた状況に達していたが、心はなぜか満たされることなく、行き着くところまできてしまったような不安を感じていた"時代でもあったという。オブスキュアで発表されたIRMAが気にそぐわなかったのか、トム・フィリップスは新しいヴァージョンで'88年に、AMSとLol Coxhill(voice, soprano saxophone)、Elise Lorraine(voice)、Phil Minton(voice)、Ian Mitchell(clarinets)、Birte Pederson(voice)、Tom Phillips(voice)、Eddie Prévost(percussion)、Keith Rowe(guitar, radio, tapes, cello)、John Tilbury(piano, radio)のソリストたちによって、新たに作り直して発表している。
イルマのスコアはマロックの小説からの断片で成っていて、これがまた変わったスコアで、サウンド・ボキャブラリーの断片、連帯する指示、パフォーマンスの提案、メロディーの寄せ集めの、小説の断片でできた散文指示のある大きなシートの台本で、オペラ全体のなかの最小限必要な要素だけで出来上がっている。このレコードでの音楽を聴く限りオペラといっても古典的なものではなく、大衆音楽、芸能の要素が取り入れられたもので、社会主義リアリズム的傾向をもったものではないだろうか。シュトックハウゼンの作ったオペラのように、作品全体を上演するのではなく常に部分上演といった形で演奏される未完の作品を提示するものに似たものだろう。
詳しくは「IRMA:An Opera Performance History」参照
http://tomphillips.co.uk/essaysan/irpo/index.html
TOM PHILLIPS WEB
http://tomphillips.co.uk/index.html

IRMA/An Opera by Tom Phillips
music by Gavin Bryars libretto by Fred Orton
conducted by Gavin Bryars
Side1:Introduction/ Overture and Aria(“I tell you that's Irma herself”)/ First Interlude
Howard Skempton:Grenville
Tom Phillips:chorus voice Angela Bryars:chorus voice Rory Allam:clarinet and bass clarinet Dave Smith:tenor horn,vibes John White:tuba,marimba Jo Julian:vibraphone,marimba Michael Nyman:piano,marimba,glockenspiel
Side2:Aria(“Irma you will be mine ”)/Second Interlude/Chorus(“Love is help mate”)/
Postlude
Lucy Skeaping:Irma
Roddy Skeaping:sopranino violin Stuart Deeks:descant violin Gavin Wright:treble violin Adam Skeaping:alto violin Mark Caudle:tenor violin Tim Kraemer:baritone violin Roy Babbington:bass violin Rodney Slatford:contrabass violin
Produced by Brian Eno
OBSCURE 1978

※付加
Alicia en el País de las Maravillas (1903)
http://www.youtube.com/watch?v=6ihHWXef1RM
ヴィクトリア朝時代/世紀末英国風俗の紹介。黄金の夜明け団と自転車とブルーマー
http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/newgirl.htm

2008年04月04日

HAROLD BUDD / MARION BROWN / BRIAN ENO / OBSCURE RECORDS

obscure no.10
HAROLD BUDD
MARION BROWN
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 53

THE PAVILION OF DREAMS/HAROLD BUDD(OBSCURE OBS 10)
オブスキュアの最後を飾る10枚目の作品「The Pavilion of Dream」は、ハロルド・バッドが'72年に始めた広範囲な一連の作品で、サイド1の1曲目"ビスミラーイ・ラーマニ・ラーヒム"は、'74年にマリオン・ブラウンのために作曲したもの。マリオン・ブラウンといえば、'70年にECMから「AFTERNOON OF A GEORGIA FAUN」や、'75年作の「Vista」などをリリースしているフランスやドイツの前衛ジャズにも関わっていたアルト奏者で、ナイーブでアンビエントな乾いた叙情性をもった音楽家だと位置づけられているが、この曲も、マリオン・ブラウンの荘厳な佇まいを感じさせるアルト・サックスと、ハロルド・バッドの静謐なエレクトリック・ピアノのたおやかでチル・エアーな揺らぎで始まる。
アルバム・コンセプトは、戒告"神の名において、慈悲の、寛大な"というイスラム教の教典コーランが使われていて、'73-'74年に作曲された2つの歌、旋律は賛美歌で"ファラオ・サンダースによるヴァージョン"から「主の館へはいらん」、ジョン・コルトレーンの"アフター・ザ・レイン"を使用した「バタフライ・サンデー」の2曲目に続くこのあたりは、スピリチュアル・ジャズからインスパイアされたハロルド・バッドのジャズやビバップへの憧憬が感じられ、当時は単に”アンビエント"という記号でしか語られなかったが、30年ぶりに聴き直すと、これこそ正に"ジャズ的なるもの"だったのだと再認識させられた。彼は、ジャズ以外にも、ジョン・ケージの「ピアノとオーケストラの為のコンサート」などの曲に影響を与えたアメリカの作曲家で、世界初の図形楽譜の発案者であり、晩年は演奏時間の長い静謐な作品を発表していたモートン・フェルドマン(Morton Feldman)や、人生における安息や絶望を表現し不思議な詩情と崇高さを感じさせると言われている大画面をいくつかの矩形に区切り、ニューベーシックと呼ばれる独特のスタイルの抽象画を描いていた頃の作品、抽象表現主義の作家マーク・ロスコ(Mark Rothko/Markus Rotkovich)などの影響を最も大きく受けている。ラディカル・シンプリシティ「極度な単純性」というのがハロルド・バッドの音楽全体を流れる態度なのだが、アンビエント・ミュージックという言葉はまさに彼の音楽のためにあるものかも知れない。サイド2は、'72年作曲の「バラの天使のマドリガル」、「ロゼッタのノイズ」、「クリスタル・ガーデン」から、ジョン・バーガムスの為に作曲したローマ神話にでてくるジュピターの妻、結婚の女神「ジューノウ」へと続く。
ハロルド・バッド(Harold Budd)は'36年生れのカリフォルニアのロサンゼルス出身の作曲家/ピアニストで、幼少期をモハーベ砂漠で育てられ、幼時に電話線を吹き抜ける風によって引き起こされる激しいトーン、音響に衝撃をうけたという。作曲家としてのキャリアは'62年に始まり、次の数年間、地方のアヴァンギャルド・コミュニティですばらしい評価を得た彼は、'66年に南カリフォルニア大学の作曲コースを卒業している。大学卒業後、その作品はますますミニマルに傾倒してゆき、当時の代表的な作品は、"Coeur d'Orr"と"Oak of the Golden Dream"で、 "Oak of the Golden Dream"はバリ島のスレンドロ音階を用いたものだという。 "Lirio"と題した長い形式のソロ曲を作った後に, 彼はミニマリズムと前衛音楽に自らの限界を感じ、'70年には一時的に作曲を中止し、カリフォルニア芸術協会の教職に就いた。2年後、教職に就いたまま作曲家として再デビューし、'72年から'75年の間、後にオブスキュアで発表することになる"The Pavilion of Dreams"というタイトルの一連の4つの曲を作曲している。ブライアン・イーノのプロデュースによるオブスキュアのためのレコーディングに着手したのが、'76年に協会の教職を辞職した直後だった。その後、ブライアン・イーノとの合作である'80年「The Plateaux of Mirror」、'82年「The Pearl」、(カリフォルニア芸術協会からの仲間で、イーノとのコラボレーションにも参加しているジーン・ボーウェンと'81年にCantil Recordsを設立し3枚のアルバムを制作している)。'86年「Lovely Thunder」などの作品を立て続けに発表している。ボクは最近の作品を聴いていないが、そこではミニマリスト的アプローチへの回帰が見られるという。70-80年代当時の彼の多くの作品に共通するのは、ピアノのペダルを踏んだまま演奏を続けているかのような長い残響で、エフェクタを用いたその残響こそが、聴く者に揺らぎのなかで夢をみているかのような静謐で美しいイメージを拡張し、誘発しているのではないだろうか。当時ハロルド・バッドは自身のチル・エアーな音楽について、"私は一種の徹底した単純化(Radical Simplisity)によって、きれいなものを創りだすという考え方に興味を持っている。結局私の音楽は極度に静かで、古い時代のヴァーチュオージティという視点に立てば、ほとんどなにも起こらない。しかし、そうだからこそ思うのだが、多くの精神的ヴァーチュオージティを導きだすんだ”と語っている。

Harold Budd + Brian Eno "The Plateaux of Mirror" (1980)
http://www.youtube.com/watch?v=lLQPzjPW7LM
Brian Eno H.Budd The Plateaux of Mirror The Chill Air
http://www.youtube.com/watch?v=AVlnbMNFLN4
HAROLD BUDD youtube
http://www.youtube.com/results?search_query=HAROLD+BUDD&search_type=

暗いイメージだけど個人的にはベストの映像
Brian Eno and Harold Budd
http://www.youtube.com/watch?v=Oa8pqe4cfsk&feature=related


side one:1.Bismillahi 'Rrahmani 'Rrahim
Marion Brown8alto saxophone) Harold Budd(electric piano) Maggie Thomas(harp) Richard Bernas(celeste) Gavin Bryars(glockenspie) Jo Julian(marimba) Michael Nyman(marimba) John White(marimba) Howard Rees(marimba)
2.Two Sons "Let Us Go into The House Of The Load" "Butterfly Sunday"
Lynda Richardson(mezzo soprano) Maggie Thomas(harp)
side two:1.Madrigals Of The Rose Angel "Rosetti Noise" "The Crystal Garden"
Maggie Thomas(harp) Richard Bernas(electric piano) Gavin Bryars(celeste) Nigel Shipway(percussion)
chorus(conducted by Harold Budd):Lynda Richardson,Margaret Cable,Lesley Reid,Ursula Connors,Alison Macgregor,Muriel Dickinson
2.Juno
Harold Budd(piano,voice) Gavin Bryars(glockenspiel,voice) Jo Julian(vibes,voice) Michael Nyman(marimba,voice) John White(percussion,voice) Howard Rees(vibraphone) Brian Eno(voices)
recorded at Basing Street Studios November 1976.engineered by Rhett Davies.
produced by Brian Eno
OBSCURE 1978

Harold Budd
http://en.wikipedia.org/wiki/Harold_Budd
MARK ROTHKO
http://www.nga.gov/feature/rothko/rothkosplash.html

※追記 70年代中期のブリティッシュ・ロックといえば、'76年のセックス・ピストルズによってもたらされたパンク・ムーヴメントが旋風のように過ぎ去り'78年の初頭にはすでにその影さえもみられなかった頃で、ブライアン・イーノのオブスキュア・レーベルはそうした最中にリリースされていたのだから驚きだ。オブスキュアは78年のこのハロルド・バッドのアルバムでピリオドをうち、そのコンセプトを引き継いだ'78年のブライアン・イーノの"Music For Airports"でAMBIENTシリーズが始まり、'82年の"On Land"の間に4枚の作品をリリースするのだが、当時の実質上のロックシーンのリアリティはやはりイーノの音楽にあったのだと思う。しかし今考えれば自然発生したニューヨーク・パンクをイギリスにと目論んだマルコム・マクラレーンがメディアを操り、その罠にはめられた集団ヒステリックともいえるあの時代のイギリスは、よほどの不満やストレスを抱えた労働階級の若者たちの鬱積した感情が高ぶっていたとしか思えない。当時PILの頃のジョニー・ロットンにもインタヴューしてるけど、いまや40歳代後半になった彼や、当時ロックマガジンに出入りしていたあれほどいたロックファンは、いまどうしてるのだろう。みんなサラリーマンかな? 実はニッポンのこの40代世代の抱えている病こそが自覚症状を表し始めているのが現代の世相でもあるんだけど・・・。それでも、ロンドンのキングスロードのパンクスの鶏冠のように逆立てた髪型や、ヴィヴィアン・ウェストウッドの店"セックス"や"セディショナリー"で見たゴッド・セーブ・ザ・クーンの破れたTシャツ(実はボクも着ていたのだが)や、スパイダーマンボンデージジャケットなどのファッションは楽しく懐かしい思い出だ。

2008年04月05日

BRIAN ENO

「ブライアン・イーノ・ソロ」
シュルレアリズムからアンディ・ウオーホル、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニューヨークへのオマージュ、
クルト・シュヴィッタースの音声詩ににみられるダダイスト、
ジャーマン・エクスペリメンタルへの憧憬、
ピーター・シュミッツとの精神的フレンドシップ
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 54

'73年から'77年の4年間にブライアン・イーノのソロ活動での電子音楽を活用したアヴァン・ポップの作品「Here Come The Warm Jets」、「Taking Tiger Mountain (By Strategy)」、「Another Green World」、「Before and after Science」の4枚のうちセカンドまでは、なによりも彼のニューヨークへの思いとアンディ・ウォーホルやヴェルベット・アンダーグラウンドへのリスペクト、オマージュじゃないかと思っている。当時、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928年8月6日 - 1987年2月22日)はアメリカのポップアートのカリスマ的存在で、銀髪のカツラをつけた彼は、'61年に身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描き"ポップアート"という美術での新しいジャンルを確立し、コカ・コーラに象徴されるアメリカ文化とアメリカなるものの概念をテーマにした多くの作品を量産している。'64年にニューヨークにファクトリーと呼ばれるスタジオを構え、そこはミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)、ルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、トルーマン・カポーティ(作家)、イーディー・セジウィック(モデル)などのアーティストの集まる場となり、'67年にあのシルクスクリーンによるバナナを描いたジャケットで有名な「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・ニコ・アンド」 のアルバム・プロデュースとジャケット・デザインを手掛けている。そのアンディー・ウォーホルのオマージュは、彼の作品を思わせる「Taking Tiger Mountain By Strategy」の、ピーター・シュミッツの"1500 Unique Lithographs"という作品から採用されたジャケット・デザインに如実に表われているし、まるでウォーホルが言ったかのようなイーノの発言"あることを繰り返すことは、それを変えることになる"にも表われている。イーノのファースト、セカンドでの音楽は、その言葉を実行しているかのように、単純なリズムが延々と反復する手法を使っていてヴェルヴェット・アンダーグラウンドのようでもある。当時イーノは音よりも、むしろ絵画や美術から音楽を発想するとも語っていた。

ANOTHER GREEN WORLD/BRIAN ENO(ISLAND ILPS 9351)
'75年11月に発表されたサード・ソロ・アルバム。過去のイーノの作品にみられる音楽表現での基本的シフトを打ち破ったこのアルバムは、彼の作品のなかでも最高傑作だと評価する人が多く、事実上のファースト・アルバムと言えるものだろう。個人的にもボクが音楽評論家としてライナーノーツを書いた最初の作品でもあり、思い入れも深い。なによりもこの作品によってイーノはオブスキュア、アンビエントという未来に続く創造へのヴィジョンを手に入れる契機になったものだ。この作品は、デヴィッド・ボウイとの'77-'79年の'Berlin Trilogy' と呼ばれている一連の"Low" 、"Heroes" 、"Lodger"のコラボレーション作品にまで影響を与えている。ロバート・フリップが自ら形容した"Wimshurst guitar"の、ノコギリで穴を開けるかのようなマシーン・ジェネレーターの、まるで新しい弦楽器が奏でるかのような渋い音色と、アルバムジ
ャケットに使われた、オブスキュアno.9でも紹介したトム・フィリップスの"After Raphael"の絵が、このアルバム全体を支配するポップでいて静謐なイメージを決定づけている。

side one:1.Sky Saw 2.Over Fire Island 3.St. Elmo's Fire 4.In Dark Trees 5.The Big Ship 6.I'll Come Running 7.Another Green World
side two:8.Sombre Reptiles 9.Little Fishes 10.Golden Hours 11.Becalmed 12.Zawinul/Lava 13.Everything Merges With The Night 14.Spirits Drifting
Phil Collins(drums) Percy Jones(fretless bass) Paul Rudelph(anchor bass,snare drums...) Red Malvin(rhodes piano) John Cale(viola section) Brian Eno(snake guitar,digital guitar,synth,organ,tape...) Robert Fripp(wimshurst guitar) Brian Turrington(bass,pianos)
cover is a detail from "after raphael" by Tom Phillips
all vompositions written by Brian Eno
produced by Brian Eno and Rhett Davies
recorded at Island Studios,during July and August 1975
ISLAND 1975

BEFORE AND AFTER SCIENCE/BRIAN ENO(POLYDOR DELUXE 2302 071)
'97年発表の4枚目のソロ・アルバム。このアルバムでサイド1の3曲目に収録されている「Kert's Rejoinder」では、クルト・シュヴィッタースの"US Sonata"から引用されたヴォイスが効果的に使われていることに、誰もあまり触れていないが、イーノの歌声のバックから彼の音声詩が微かに聴こえてくる。クルトはダダの運動に参加した作家の一人で、他のグループからは孤立してハノーヴァーで活動し独自のコラージュによる作品すらも芸術たらしめんとしたアーティストで、反芸術的な姿勢を持つ他のダダイストたちとは異質な存在だった。彼は1887年ドイツのハノーヴァーの生まれで、初期の絵画は表現主義やキュビスムに影響されたものだったが,1918年以降,"メルツ"での紙屑,木片,布切れなどの廃品を貼合わせたコラージュ、絵画から建築、彫刻,音声詩、雑誌での作品は、第二次大戦後のアッサンブラージュやオブジェを先駆けたものと言われている。そのなかでもメルツ詩と言われる一連の音声詩、朗読パフォーマンスでの、イーノの使っている「Ur Sonata(原ソナタ)」は、"ボヘボヘビーブー、ブビブビッテ、ボヘボヘビーブー"というような赤ちゃん(ダーダー)言語の無意味な言葉の羅列をソナタ形式にあてはめたダダイズムの祖ともいえる作品で、古典的ソナタ形式の、Raoul Hausmannの視覚音声詩"Rfmsbwe"のパロディであるとも言われ、言葉の持つリズムを強調したものである。追記しておくと、2004年にマイケル・ナイマンが「Man and Boy DADA」というタイトルで、クルト・シュヴィッタースを素材にした架空の、マイケル・ヘイスティングス作の2幕仕立ての物語に音楽をつけたオペラのCDをリリースしている(ボクの編集していたロックマガジンも彼の音声詩のフィルム・シートを付録につけたことがある)。

この「BEFORE AND AFTER SCIENCE」のアルバムのサブ・タイトルは"14PICTURES"となっているが、これはアルバムの10曲に付録でインクルードされた「見たものしか描けない画家」と自称していたピーター・シュミッツの4枚の水彩画の絵を足して一つの作品としたイーノの意図である。

side one:1.No One Receiving 2.Backwater 3.Kurt's Rejoinder 4.Energy Fools The Magician 5.King's Lead Hat
side two:1..Here He Comes 2.Julie With... 3.By This River 4.Through Hollow Lands(For Harold Budd) 5.Spider And I
Paul Rudolph(bass,rhythm guitar) Phill Collins(drums) Percy Jones(fretless bass,analogue delay bass) Rhatt Davis(agong-dong,stick) Brian Eno(voices,synthesizer,guitar,synthsized percussion,piano,CS80) Jaki Liebezeit(drums) Dave Mattacks(drums) Shirley Willams(brush timbales,time) Kurt Schwitters(voice"from The Ur Sonata) Fred Frith(modified/cascade guitar) Andy Fraser(drums) Phil Manzanera(rhythm guitar) Robert Fripp(guitar solo) Achm Roadelius(grand and electric pianos) Mobi Moebius(bass fender piano) Bill McCormick(bass) Brian Turrington(bass)
The Pictures by Peter Schmidt 4 offsets from water colours
Produced by Brian Eno and Rhett Davis
POLYDOR 1977

HERE COME THE WARM JETS/BRIAN ENO(ISLAND ILPS 9268 )
'73年の夏に突然ロキシー・ミュージックを脱退した後、アイランド・レーベルからリリースされたファースト・ソロ・アルバム。性器から射精される生暖かい精液をタイトルにしたアルバム。当時メロディー・メーカー紙などの音楽ジャーナリズムはイーノのことを"少女のようなエレクトロニクスの導師"、"宇宙時代のロック・アイドル"などと形容していた。"尻の穴に空気銃の弾をぶち込まれたウサギのような声"といわれた、彼独特の声は首輪のような"Electric Larynx"という装置をシンセサイザーを直結して作った合成音だと言われていたが、さだかではない。この頃のイーノは曲の"ラクダの眼のなかの針"や、ミシガンに住む口から火を吹く黒人を歌った"The Pow Paw negro Blowtorch"、火に包まれた恋人"Baby On Fire"などのタイトルからしてもシュルレアリスム世界が好きだったのが解る。アルバム発表後、ジョン・ケイル、ニコ、ケヴィン・アイアーズとのライヴ・アルバム「JUNE 1.1974」をリリースしている。

TAKING TIGER MOUNTAIN (BY STRATEGY) /BRIAN ENO(ISLAND ILPS 9309)
'74年のセカンド・ソロ・アルバム。サンフランシスコのチャイナタウンの街角で、小さな店のウィンドウに飾ってあった絵葉書大の写真"Taking Tiger Mt.By Strategy"は、中国の舞踏団の映画のスチール写真で、それを買ったイーノは、どこへ行くにも持ち歩いくほどに魅了され、ある夜、メスカリンを飲んで眠ったときに、夢の中でその写真の舞踏団の少女のシュールな夢の出来事に示唆されて出来上がった作品が「Taking Tiger Mountain By Strategy」で、それはサイド2の3曲目"The True Wheel"のイントロ部分の女性コーラスによって再現されている。このアルバムはロバート・フリップ、フィル・マンザネラなど以上にクラシック畑の素人集団、ポーツマス・シンフォニックを起用しているところがイーノらしい。このアルバム・タイトルに既にみられる"Strategy"という20世紀のシステムに関する相互作用上の精神的コンセプトは、ピーター・シュミットの絵画と同じように70-80年代を通してブライアン・イーノの創造の大きな支柱だったようだ。

BRIAN ENO VIDEOS
http://www.youtube.com/results?search_query=brian+eno&search_type=

EnoWeb (unofficial website)
http://www.enoweb.co.uk/
http://en.wikipedia.org/wiki/Brian_Eno

2008年04月06日

BRIAN ENO 2 ROBERT FRIPP / CLUSTER/ KEVIN AYERS /JOHN CALE /NICO

「ブライアン・イーノ・コラボレーション」
"アンビエント・ドローンの断片が集積した多層構造を持つ音楽"と
'74年ですでに仮死状態のロックミュージック
BRIAN ENO 2
ROBERT FRIPP
CLUSTER
KEVIN AYERS /JOHN CALE/NICO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 55

FRIPP & ENO/NO PUSSYFOOTING(HELP 16)
'73年にリリースされたフリップ・アンド・イーノ「(NO PUSSYFOOTING)」の、サイド1の21分の曲「The Heavenly Music Corporation」は、インプロヴィゼーションの自然発生的方法でオーバーダビングなしの直接テープループのシステムに録音されたもので、テリー・ライリーにみられるコンセプトをフリップのギタ−1本でフィードバック奏法により再現している。"アンビエント
・ドローンの断片が集積した多層構造を持つ音楽"と彼らは呼んでいる。サイド2の「Swastika Girls」は、スタジオにあった1セットのポルノグラフィーのカードに因んでこのタイトルが付けられ(ジャケットに写っている鏡の机のうえに並べてあるのが、そうだろう)、この曲はイーノのEMS VC52、シンセサイザーの音をテープループのシステムを使い、そのうえをフリップのギターがインプロヴァイズドするという同じテクニックを使って録音されている。いまでこそドローン・ミュージックと呼ばれるこうしたシンプルな音響に、もはや驚きは感じないが、当時はフューチャリスティックなサウンドとして未来をみたものだ。ジャケット・フォトのグラス・ルームのスケルトンな空間と、その隅に置かれた鏡で出来たメタリック・ギターには、"完全にアルミニウムで密閉された部屋ほど、自分が血と肉でできた人間であることを感じさせるものはない"と語っていたイーノの言葉を思い出す。

side one:"The Heavenly Music Corporation"
recorded at Eno's Studio 8.9.72
equipment:Gibson Les Paul The Fripp Pedalboard 2 Modifield Revox A77 Tape Recorders
side two:"Swastika Girls"
recorded at Command Studios 4/5.8.73
engineer Ray Hendricksen mixd at Air Studios 21/22.8.73
equipment:Gibson Les Paul Frizzbox/VCS3 Synthesizer with DigitalSequencer/Modified Revox A77 Tape Recorder
mastering engineer:Arun Chakraverty cover design & photography:Willie Christie
produced by Robert Fripp & Eno for E.G.Records
ISLAND 1973

EVENING STAR/FRIPP & ENO(HELP 22)
"Evening Star"はイーノが発明した"Frippertronics"と呼ばれるテープループ・システムによる簡素なギターリフのサウンドとデリケートなファズトーンの倍音がかもし出す、ダウンでミニマルなうねりが"明けの明星"というタイト
ルに相応しい静謐な世界を構築している。"Wind on Wind"の2曲は'75年に並行して取り組んでいたオブスキュアの「Discreat Music」から抜粋されたもの。サイド2の28分の"AN INDEX OF METALS"は、曲が進行するほどにサウンドの歪みが増すことを生かしたもの。前作の「NO PUSSYFOOTING」よりも、数倍も綿密に繊細に構築したアンビエント・ミュージックが聴こえてくる。カヴァーの絵はピーター・シュミッツによるもの。

side one:1.Wind on Water recorded live at The Olympia,Paris and at Olympic Studios,London. 2.Evening Star recorded at Island and Air Studios. 3.Evensong recorded at Olympic Studios. 4.Wind on Wind recorded at Eno's Studio.
side two:An Index Of Metals recorded at Eno's Studio.
Robert Fripp-guitar Brian Eno-loop and synthesizer
engineered by Denny Bridges,Phil Chapman and Rhett Davis.
produced by Eno and Fripp for E.G.Records
ISLAND 1975

FRIPP & ENO VIDEOS
http://www.youtube.com/results?search_query=FRIPP+%26+ENO&search_type=

CLUSTER & ENO/CLUSTER & ENO(SKY 010)
FRIPP & ENOの音楽や、このクラスターの音楽をいつから"drone"と呼ぶようになったのか知らないが、ドローンとは『(ミツバチの)雄バチ 《いつも巣にいて働かない》、 のらくらもの; いそうろう、 のらくら暮らす[過ごす] 、(ハチなどの)ブンブンいう音、【楽】持続低音(管)、〈…を〉ものうげに話す[言う]』という意味があるが、まあこの持続低音の意味合いで使われているのだろうが、ボクは"un・du・la・tion(波動,うねり、波動[起伏]するもの、波動,振動; 音波; 光波)のほうが相応しいと思っていて、"Undulation Music"と名付けたい。スウェーデンのあるミュージシャンが"ドローン"という言葉は、
"ノイズ"と同様に、英語では一般的にネガティヴな意味を持つ言葉で、音楽の世界以外では"ドローン"というのは退屈であるとか、変化がないことやさらには苛立たせるようなサウンドのことを言い、おしゃべりが過ぎる人のこともたまに"ドローン"と言ったりする、とてもネガティヴな言葉なんだ。英語の"ドローン"にはもうひとつ意味があって、それは働き蜂のことで、音楽で言う"ドローン"という言葉は、おそらく働き蜂の羽の持続音から来ていて、働き蜂は考えることなく機械的に仕事を継続せねばならないことからそのように形容されたんじゃないかと思う。多くのクラシックとなっているドイツの"クラウトロック"のアルバムは本質的には"ドローン"で、Klaus Schultz、Tangerine Dream、Popul Vuh II、Faust IVの最初の作品も"ドローン"と言えるでしょう"と語っている。催眠的でサイケデリックという記号が"ドローン"ミュージックの本質というのなら、いかにも西洋人ならではの虫の音を機械音や雑音と同様に右脳=音楽脳で処理する発想と言わざるを得ないが、'77年にドイツのスカイ・レーベルからリリースされたコニー・プランクがプロデュースした「CLUSTER & ENO」は、クラスターのHans-Joachim Roedeliusとブライアン・イーノのコラボレーションで、7月にコニー・プランク・スタジオで録音されている。ここでの音楽はエレクトロニクスの冷たい無機質なサウンドではなく、ロマン主義と自然主義が融合したかのような世界観が描かれていて、これこそドローン・ミュージックと呼ぶに相応しいものだろう。

side one:1.Ho Renomo 2.Schöne Hände 3.Steinsame 4.Für Luise
side two:1.Mit Simaen 2.Selange 3.Die Bunge 4.One 5.Wermut — 3:20
Dieter Moebius(keyboards) Hans-Joachim Roedelius(keyboards) Brian Eno(keyboards) Holger Czukay(bass) Okko Bekker/Asmus Tietchens(sitar, percussion)
produktion:Cluster/K.Plank
SKY 1977

CLUSTER & ENO VIDEOS
http://www.youtube.com/results?search_query=CLUSTER+%26+ENO&search_type=

JUNE 1.1974/KEVIN AYERS-JOHN CALE-ENO-NICO(ISLAND ILPS.9291)
'74年6月1日に、レインボーでケヴィン・アイアーズの「コンフェッション・オブ・ドクター・ドリーム」の発売記念とプロモーションの為に企画されたコンサートでのライブアルバム「June 1.1974」は、いまにして思えば、当時ボクが聴いてきた60-70年代のドアーズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドから始まった、シド・バレット、カンタベリ・ジャズロックのソフト・マシーン、イーノなどを変遷したすべてのリアルなロックミュージックの真のイディオムの終焉を意味する作品だったのかも知れない。誰ひとり気付かなかったが、70年代後期のパティ・スミス、テレヴィジョンなどのニューヨーク・パンク、80年代にATVなどのオルタナティヴ・ミュージックが表出する以前に、ロックはもう既に'74年に仮死状態にあり終息していたのかも知れない。

side A:1.Driving Me Backwards 2.Baby's On Fire 3.Heartbreak Hotel 4.The End
side B:5.May I? 6.Shouting In A Bucket Blues 7.Stranger In Blue Suede Shoes 8.Everybody's Sometime And Some People's All Time Blues 9.Two Goes Into Four
Kevin Ayers, John Cale, Nico, Brian Eno,Robert Wyatt,Mike Oldfield,Archie Leggatt,Ollie Halsall,Robbit,Eddie Sparrow,Doreen Chanter,Irene Chanter,Liza Strike.
Recorded at the Rainbow Theatre, 232 Seven Sisters Road, London N4, London, 1974-06-01 on the Island Mobile
Mixed at Sound Techniques, 46A Old Church Street, London SW3, 1974-06-00
Producer: Richard Williams. Engineer: John Wood
Recording Assistants: Phil Ault & Ray Doyle
ISLAND 1974

2008年04月07日

BEAD RECORDS / STEVE BERESFORD / DAVID TOOP

ノンイディオム? イディオマティック・インプロヴィゼーション?
頭の上をかすめて通り過ぎる風?
BEAD RECORDS
STEVE BERESFORD
DAVID TOOP/PETER CUSACK/TERRY DAY
NIGEL COOMBES
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 56

イギリスの音楽シーンは、70年代中期から80年代初頭にかけて、'76年にウェスト・ロンドンに開店したラフ・トレード・ショップを母体としたジェフ・トラヴィス(Geoff Travis)が'78年に創立した"ラフ・トレード"(Rough Trade Records)、イアン・マクナイ(Iain McNay)が'78年に創立した"チェリーレッド・レコード"(Cherry Red Records)、後に80年代後半から90年代初頭のマッドチェスターと呼ばれる90年代レイヴ・カルチャー(ダンスミュージック/ハウス)の土台となる'78年にマーティン・ハネットがマンチェスターで設立したファクトリー・レコード(Factory Records)などのインディーズ・レコード・レーベルが次々と立ち上げられ、ポスト・パンクやオルタナティブ・ロック、ネオ・アコースティック、ポストモダン・ミュージックなど80年代初頭から中期にかけてのブリティッシュ・ロックを引率するインディー・ムーブメントの先駆けとなる動きがこの頃から始まっていた。当時イギリスの雑誌「Face」や「Wire」でレギューラー執筆し、'84年にヒップホップを取りあげた"Rap Attack"という著作も出版し、ドビュッシーからコンテンポラリー・ミュージック、アンビエント、テクノ、ドラムン・ベースまでを横断したメディア評論家/音楽家のデヴィッド・トゥープ周辺のアーティストたちにもひとつのコミュニティが形成されていて、後にYレコードに続く、"!QUARZZ"、"BEAD"、"Choo Choo Train"レーベルもそうした動きに呼応するかのように表出したフリージャズ、インプロヴァイズド・ミュージックのインディーズ・レーベルだった。このなかではやはりスティーヴ・ベレスフォードやテリー・デイ、ピーター・キュザックの存在感が際立っていた。

ALUTERATIONS/CUSACK,BERESGORD,DAY,TOOP(BEAD 9)
BREAレーベルの9作目「Alterations」は、Peter Cusack(nylon stringed guitar)、Steve Beresford (piano,
euphonium,violin,trumpet,plastic guitar,snapits,toy piano)、Terry Day(percussion,'cello alto saxphone,mandoline,home-made reeds)、David Toop(flutes,fire bucket,water,electric guitar,strings,noise)によるユニットAluterationsの、サイドAは'73年5月13日のイギリスのノリッジのPremises Arts Centreでの、サイドBは'78年6月22日Max Eastleyによるロンドン・ミュージシャンズ・コレクティヴでのライヴをソニーのカセットとマイクAKGD224で録音されたもの。限定500枚で発表されている。Alterationsは1970年代のイギリスのインプロ・グループのパイオニア的存在で、ハイブリッドなアブストラクトとポップスの中間に位置する、子供達が玩具などを手にして音楽遊戯しているかのような、ユーモアの感じられる即興演奏である。このユニットでの活動は'86年まで続き、これ以外でも「Up Your Sleeves」、「Voila Enough! (1979-81)」「I SHALL BECOME A BAT」など数枚の作品を発表している。スティーヴ・ベレスフォードはオブスキュアのno.5「Jan Steele, John Cage / VOICE AND INSTRUMENTS」でもギターでクレジットされているが、'83年にフランスのnatoレコードからリリースされた「SEPT TABLEAUX PHONIQUES/ERIK SATIE」という作品で、エリック・サティのカバーを室内楽的なピアノのアンサンブルの小品集として再構築している。当時、雑食家ベレスフォードは、デヴィッド・カニンガムのフライング・リザーズの'80年の「The Flying Lizards」、ON-U SOUNDからのNew Age Steppersの作品にも顔を出していた。テリー・デイは60年代の英国のフリー即興界の草分け的存在の一人であり、マルチ楽器奏者で数多くの企画ユニットや小グループ、ラージ・アンサンブル、ロンドン・インプロヴァイザーズ・オーケストラなどで突出した個性を発揮している。
side A:Norwich 1, Norwich2, Norwich3, Norwich4
side B:London1, London2, London3

NIGEL COOMBES,STEVE BERESFORD/WHITE STRING'S ATTACHED(BEAD 16)
Spontaneous Music EnsemblのメンバーでもあるNigel Coombesのヴァイオリンと、Steve Beresfordのピアノの組み合わせによるインプロヴァイズド・ミュージックはいま聴いてもふたりの緊張感溢れる掛け合いが素晴らしい。レコードジャケット・カヴァーには日本語で、"彼のことについては今更くどくどいうこともないと思うが、昔から日本の音楽愛好家の間では、心から彼は尊敬されている人であるというよりも、ヴァイオリニストとして、また芸術家として、高い位置に位している一つの理想像的な存在とまで考えられていることをまず言わねばなるまい。彼の音楽歴は誰も知る通り実に長い、彼の自叙伝的なWhite String's Attached"によると世界各国の都市でこれまで数多く演奏しているほか、彼の師のフーバイはもちろん、ヨアキム、フレッシュ、ニキシュ、フルトヴェングラー、バルトーク、ブゾーニ、シュナーベルなどといった近代音楽史にその名を止めるであろうような多くの有名楽人と親交を結んでいたことは誠に驚くべきだと思うし、それだけでも彼は貴重な存在だと言える。彼のレパートリーは大変広く、バロックから現代に至るまでの数多い楽曲にいわゆるネオザハリヒカイトによる彼独特の解釈と高い音楽性とを我々に示していてくれる。従ってレコードの数も大変多く、ことにレコーディングの最後であったかも知れないバッハの無伴奏ソナタ全6曲は、色々の意味で大きな問題を我々にながかけている"と書かれている。当時はオブジェクトのよう
にピアノを扱っていたベレスフォードも、'95年作のSteve Beresford His Piano and Orchestra「シグナルズ・フォー・ティー(Signals For Tea)」ではクラブジャズに通じるオシャレなジャズ/ヴォーカルの作品をリリースしているという。いまでいうイケメンのルックスからしても彼なんかもっと人気がでてもいいのにと、当時そう思っていた。

side one:White String's Attached 1.
recorded by David Toop and Max Eastley at the London Musicians Collective,42 Gloucester Avenue,London NW1,England;May 20,1979.
side two:White String's Attached 2.
recorded by David Toop at LMC,March 24,1979.
White String's Attached 3.
all reordings were made on a Sony TC158SD cassette recorder,with two A.K.G.D224 microphones.
transfer to reel by Richard Beswick.
The title is fom a double misprint found in Japanese sleeve notes to Joseph Szigeti records.
dedicated to Joseph Szigeti and Chic.
BEAD 1980

PETER CUSACK/AFTER BEING IN HOLLAND,FOR TWO YEARS(BEAD 5)
音響収集家でもあり、イギリスのエレクトロ/アコースティック/インプロヴァイズド・ミュージシャンのピーター・キューザックは、これまでEvan Parker、Jon Rose、Chris Cutler、David Toop、Max Eastleyなどとのコラボレーション活動を続けてきた。近年の作品「Baikal Ice」、「The Horse was Alive, the Cow was Dead」などでは、シベリアの広大で美しいバイカル湖に滞在しながら収録したフィールド・レコーディングの数々、冬の間に湖面を覆っていた氷が初夏になって砕け、そのかけらがぶつかりあって生じる乾いた透明感のある音を水中マイクで捕えたサウンドや、吠える番犬、鳥、桟橋のフェリー、氷が割れて落ちた人、カモメ、シベリア鉄道、列車内で歌う少女などの、切り取られた音響の聴覚スケッチと呼ばれるジャンルを確立した音響系アーティストである。このアルバムはナイロン弦のギター、エアー・マイクロフォンで収録された音響、鶏の鳴き声、鳥のさえずりなどの生音、効果音などの、とるに足らない音響をコラージュしたもので、ナンセンス極まりない。これこそダダイストの本領だろう。スカムなどと呼ばれるクズ音楽なども罷り通っている時代だから、こういうのもありだけど、音響系という音楽はやはりレコード音楽としてのフィールドで確立されるもので、レコーディング・テクニックを駆使して様々な音響の断片を切り貼りし、サウンド・コラージュ、ソニック・デザインされてこそ、ひとつの構造を持つ音響なのだ。断じてレコードの枠から出てパフォーマンスとして展開する類いの音楽ではない。こうした手法が10年以上の時を経て、90年代クラブカルチャーでのサンプリング、リミックスへと引き継がれたと言えるだろう。

side A:1.Some guitar playing.Parts 1 and 2(March 1977) 2.Some more guitar playing(June 1977)
side B:3.Maarsseveenseplassen(guitar March 1977;environment Nov 1975)
4.A Dutch landscape(may 1977) 5.About nice Duch improvisatory music(June 1976) 6.Recorded near Tienhoven(April 1976)
Peter Cusack-guitar improvisations and tapes
BEAD 1977

NESTOR FIGUERAS,DAVID TOOP,PAUL BURWELL/CHOLAGOGUES(BEAD 6)
ジャズにおける即興演奏は一定のコード理論などの規則にしたがって演奏されるが、まったく決めごとを作らずに自由に演奏する完全即興やフリー・インプロビゼーションと呼ばれる音楽は、共有され展開を決めていくための楽譜のような約束事がない偶然性こそがその音楽の目的とする以上、聴いている側にとっては苦痛に思えることが多々ある。レコードでのフリー・インプロヴァイズド・ミュージックは、部屋の空気のようなもので、音に意識を集中させなくてもいいし、嫌になればレコードを止めれば済むが、パフォーマンスとなるとそうはいかないのが辛いところだ。現在こうしたインプロヴァイズド・ミュージックをボクは"ジャズ的なるもの"とは考えていない。むしろノイズ・ミュージックとしたほうがいいだろう。この「CHOLAGOGUES」は、ジャケットに掲載されたライナーノーツによると、'77年4月1日にロンドンのAction SpaceにおけるJ・Drewシリーズの期間中にデヴィッド・トゥープがソニーTC146Aカセツトで録音したもの。またその日の夜、Garry/Todd/Nigel/CoombesのデュオでReindeer Werkでもパフォーマンスを行なっている。デヴィッド・トゥープとネスター・フィガラスは'76年に開催されたthe Festival of the Audienceの時に"EARth/ZOO"と"Action Space"でのパフォーマンスでこのアルバム以前にデュオを組んでおり、そのフェスティバルではバックを流れる騒音、車が通りすぎる音、カバーを楽器からはずす音、デヴィッド・トゥープがマイクロフォンをたおす音なども音楽の一部を占めていた。

Nestor Figueras(movement,respiratory and vocal sound,body percussion)
David Toop(c flute,alto flute,water whistles and flutes,bone whistle,bone trumpet,balloon,whirled bamboo bird whistle,piston flutes,stopped end-blown flutes,basque panpipes,new guinea initation flute,dog whistle,metal,blow)
Paul Burwell(drums,cymbals,woodblocks,gongs,kyeezee,bamboo pan-trumpet,deerbone fiddle,one-string fiddle,aeroplane elastic,water,bows,dog whistle)
BEAD 1977

IAN BRIGHTON/MARSH GAS(BEAD 3)
COLIN WOOD,BERNARD WATSON,CLIVE BELL/DOWNHILL(BEAD 8)
HARRY de WIT/APRIL '79(BEAD 11)

BEAD RECORDS: list of recordings
LPs
Bead 1 Peter Cusack/Simon Mayo Milk teeth
Bead 2 Richard Beswick/Simon Mayo/Phil Wachsmann/Tony Wren Chamberpot
Bead 3 Ian Brighton/Marcio Mattos/Radu Malfatti/Roger Smith/Phil Wachsmann/Jim Livesey/Sounds in Brass Handbell Ensemble Marshgas
Bead 4 Roy Ashbury/Larry Stabbins Fire without bricks
Bead 5 Peter Cusack After being in Holland for two years
Bead 6 Nestor Figueras/David Toop/Paul Burwell Cholagogues
Bead 7 Richard Beswick/Phil Wachsmann/Tony Wren Sparks of the desire magneto
Bead 8 Colin Wood/Bernard Watson/Clive Bell Downhill
Bead 9 Peter Cusack/Steve Beresford/Terry Day/David Toop Alterations
Bead 10 Levers (Hugh Metcalfe/Parny Wallace/Chas Manning Alone
Bead 11 Harry de Wit April '79
Bead 12 Phil Wachsmann/Harry de Wit For Harm
Bead 13 Evans/Beswick/Hutchinson Opera
Bead 14 Gunter Christmann/Maarten van Regteren Altena/Peter Cusack/Guus Janssen/Paul Lovens Groups in front of people 1
Bead 15 Evan Parker/Terry Day/Maarten van Regteren Altena/Peter Cusack/Guus Janssen/Paul Termos/Paul Lytton Groups in front of people 2
Bead 16 Nigel Coombes/Steve Beresford White string's attached
Bead 17 Alan Tomlinson Still outside
Bead 18 Phil Wachsmann/Richard Beswick Hello Brenda!
Bead 19 Mike Hames/Jim Lebaigue/Hugh Metcalfe/Phil Wachsmann The bugger all stars
Bead 20 Mark Charig/Larry Stabbins/Paul Burwell/Martin Mayes/Tony Wren Mama Lapato
Bead 21 Bugger all stars Bonzo bites back
Bead 22 Peter Cusack/Clive Bell Bird jumps into wood
Bead 23 Phil Wachsmann Writing in water
Bead 24 Chris Burn/John Butcher Fonetiks
Bead 25 Tony Oxley/Phil Wachsmann/Wolfgang Fuchs/Hugh Metcalfe the Glider & the Grinder
Bead 26 Quintet Moderne Ikkunan takana [Behind the window]
Cassettes

※付加 この原稿を書くために、30年ぶりにノンセンスなインプロヴァイズド・ミュージックに意識と耳を傾けて聴いたけれど、スティーヴ・ベレスフォードの数枚の作品を除いて、正直疲れたよ。意味もなく空間に空気のようにただ流れているだけならそれなりに機能する。だけどこんな音楽を70年代のように聴くなんてもう馬鹿げた行為だ。ある有名なフリー系ミュージシャンがデレク・ベイリーの書いた"インプロヴィゼーション"から、『イディオマティック・インプロヴィゼーションをするほとんどの人にとって、そのイディオムに照らして自分の演奏が正統的であるかどうかは最重要の問題であり、第一の関心がそこにある。ところが、ここでもっとも重要だった努力の目的が、フリー・インプロヴァイザーにはないのだ。自己同定しうるスタイル上の伝統がいっさいないのだから』という言葉を引用して、フリー・インプロヴィゼーションをイディオムを即興から消し去ろうとしたベイリーの挑戦、伝統の裏返しとしての異端とし、また、次にある評論家の文章は『すなわち、いかにして演奏しないか? 』ということに行き当たると述べ、『イディオマティックとノン・イディオマティックとの果てなき循環、闘争の歴史があった。云々・・』と続く。こういうインプロヴィゼーションの馬鹿げた理屈っぽい間違った解釈こそが、音楽を思想や言語の世界に組込み引き下げつまらなくさせているのだ。インプロヴァイズド・ミュージックに意味などない、それこそノンイディオムじゃないか。未だに過去のフリー・インプロヴァイズド・ミュージックに捕らわれているミュージシャンなら、所詮一生報われないことを覚悟して、その音楽、頭の上をかすめて通り過ぎる風、BGMに過ぎないものを慈しんだらいいのじゃないのか。CASCADES 52での"TRAnsMuTAtioNs-Bill Laswell, Derek Bailey, Jack DeJohnette”のヴィデオを観たか! 90年代にはデレク・ベイリーすらもクラブジャズの文脈に侵入し演奏しているんだ。"ジャズ的なるもの"、"イディオマティック"、"正当派"、それこそが21世紀音楽にボクが欲しているものだ。ハード・バップでの行き詰まりを打破しようとモダン・ジャズの理論の束縛からの自由を求め、ピアノを拳で叩くパーカッシブ奏法、サックスの絶叫奏法ともいうフリーキー・トーンなどの自由な即興演奏のフリー・インプロヴィゼーション、自由な束縛のない演奏形式のフリー・フォームまでが音楽になしうるフリーの限界だ。最後にきっぱり言い切っておくが、クラブジャズをイニシエーションした耳には、彼らの言うジャズとは呼べないノンイディオム・フリー・インプロヴィゼーションは、いまとなっては興味の対象にもならない。

2008年04月08日

QUARTZ RECORDS / DAVID TOOP

QUARTZ RECORDS
SACRED FLUTE MUSIC FROM NEW GUINEA
RAGNER JOHNSON
DAVID TOOP/PAUL BURWELL
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 57

'70年代後半にもなるとロック(スリッツのアルバム「CUT」、ポップ・グループの「Y」のアルバムジャケットに顕著)や音楽における民族学とでも言おうか、アニミズムやシャーマニズムなどへの傾向が多くみられた。精霊などの超自然的存在と直接接触・交流・交信、トランス状態に入って霊(超自然的存在)と交信する現象などなど「自己を超えたなにものか」や、トランスパーソナル(自己超越)という心理学などの体系も、結局は"思い込めば効果はある"という恣意的な結論で決着したが(トランステクノのDJがシャーマンだといまだにアナクロニズムしてる輩もいるが)、自然に対する畏敬の念はいまも持っているが、ボクがトロブリアンド諸島やパプア・ニューギニアやアマゾンに住む原住民なら、すべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているというアニミズムの考え方は信じるだろうが。'77年にデヴィッド・トゥープが設立したインディペンデント・レーベル"QUARTZ"からリリースされた3枚の作品は、上の「Sacred Flute Music From New Guinea」の2枚は民族学の研究資料としては貴重なものだろう。デヴィッド・トゥープとポール・バーウェルの「Wounds」は、パプア・ニューギニアのバンブー・フルートを使ったフリー・インプロヴァイズド・ミュージック。

SACRED FLUTE MUSIC FROM NEW GUINEA:MADANG/VOL.1(!QUARTZ 001)
SACRED FLUTE MUSIC FROM NEW GUINEA:MADANG/VOL.2"WINDIM MAMBU"(!QUARTZ 002)
サウス・パシフィックと呼ばれる地域は、メラネシア、ミクロネシア、ポリネシアという3つの群島から成り立っていて、特にメラネシアには多種多様な音楽スタイルがあり、パプア・ニューギニアだけを見ても高地から発生したヨーデルからバンブー・フルート、低地から発生したフルート&ドラムの音楽などがある。この2枚のアルバムでのバンブーフルートの民族音楽の、パプアニューギニアは、南太平洋にあるニューギニア島の東半分及び周辺の島々からなる国で、オーストラリアの北、ソロモン諸島の西、インドネシアの東、ミクロネシア連邦の南に位置するイギリスの占領下にあった現在は英国連邦国である。パプアニューギニアは、元々あったパプアとニューギニアが合併してできた国で、パプアはメラネシア人の縮れ毛を指すマレー語の言葉に由来し、ニューギニアはメラネシア人がアフリカのギニア人に似ているところからスペイン人の探検家が名付けたものと言われている。パプアニューギニアでは、伝統的にワントークと呼ばれる小人数の部族に分かれて生活をしていて、多くの部族は数10、数100人程度で、それぞれの部族ごとに言語、習慣、伝統が異なっている。かつては各部族同士で戦いを行うことがよくあったという。このSacred Flute Musicが収録されたマダン州は、地理的多様性に富み、ライフスタイルの違いから住民は大きく4種類、すなわち島嶼地域の住民、沿岸の住民、川沿いの住民、山地の住民に分類され、マダンの町並みは色彩豊かで南太平洋で最も美しい町と言われている。
ニューギニアの多くの地域では雄牛の叫び声を霊的な意味を持つものとして、風の音が超自然に関連したものだと考えられていて、ここでのフルートのサウンドは、儀式文脈での魂の叫びと同じで、口を通して吹く行為は魔法の呪文には不可欠な要素と言われ、それと同様にニューギニアではフルートを吹くことは人間と霊の世界を仲介するために使用され、儀式の中でフルートは霊を呼び出すために用いられ、人間が霊にアクセスしやすく関係づける能力を持っている。フルートは大人の男性によって作られ秘密に所有され、吹かれるが、女性と子供はフルートを見ることも禁じられ、フルートの叫びが霊の声であると信じている。フルートは大人の男性だけが独占し、彼らだけに超自然への特権的なアクセス権があり、ニューギニアはすべての主要な儀式の機構と演出の一部に、女性の上に男性が支配している制度化した掟がある。この2枚のアルバムでの宗教的儀式に関する神聖なフルート・ミュージックは、パプア・ニューギニアのmadangでの2つの文化的に異なった地域から収録されたもので、最初の3トラックはramu川近くの沿岸水域、manam島のborai、bo'da村で記録され、4番目のトラックは内陸の位置するramu谷で記録されたもの。
ramuの口の近くの海岸近くの村とmanam島の村の貿易、儀式的な交換や結婚などに複雑なネットワークを持っている。フルートの演奏はタブーと禁制で規制されていて、適切な儀式以外では演奏されない。男子のイニシエーションの儀式、村の相互間の祝宴、サゴ椰子の収穫、誕生、結婚、葬式と祝賀には異なったペアになったフルートが吹かれる。ときには死のタブーを振り払うためにフルートを吹くこともある。バンブーフルートは、常に対で作られ演奏される。長いフルートはペアの男性、短いフルートは女性、ユニークなスピリット・ネイムをペアになったフルートに与え、そのサウンドの違いによって他のペアになったフルートとの区別ができるようにしてある。それぞれのペアのフルートは、特定の村の種族の長の家系で所有されて作られプレイされ、世襲的に'Tenepwa'によって管理される。

Papua New Guinea
http://www.youtube.com/watch?v=gfgS41D3VQc


SACRED FLUTE MUSIC FROM NEW GUINEA:MADANG
Recorded By Ragnar Johnson/Assisted by Jessica Mayer
side A:1/2「Ravoi flutes,2 Small Garamuts:Bak Hamlet,Borai」 recorded '76/4/14.
2/2「Waudang Flutes,2 Large Garamuts,2 Small Garamuts,6 Singers:Bo 'da Village,Manam Island」 recorded '76/5/19.
side B:1/2「Jarvan Flutes,1 Do-don Shell Rattle;Awar Village」recorded '76/4/11.
2/3 「Momo Resonating Tubes:Damaindeh-Bau,Finisterre Range」 recorded '76/8/20.
QUARTZ 1977

SACRED FLUTE MUSIC FROM NEW GUINEA/WINDIM MAMBU
Recorded by Ragnar Johnsou/Assisted by Jessica Mayer
note and photographs by Ragner Johnson/Jessica Mayer
side A:1/2「Gomkail Flutes,1 Small Garamut;Bak Hamlet,Borai」recorded 14/4/76
2/2「Rumu Flutes,1 Small Garamut,Kundu;Bak Hamlet,Borai」 recorded 14/4/76
3/2「Buaraning Flutes;Bak Hamlet,Borai」recorded 12/4/76.
4/2「Tika Flutes;Bak Hamlet,Borai」recorded 18/5/76
5/2「Noindeh Flutes,2 Small Garamuts,Nubia-Sissimungum」recorded 12/4/76
6/2「Taur Conch Shells,1 Small Garamut,Kundus;Kaean Village」recorded 18/5/76.
7/2「Kaidabang Flutes,1 Small Garamut,Kundus;Kaean Village」
side B:1/2「Waudang Flutes,2 Large Garamuta,2 Small Garamuts,6 Singers;Bo'da Village,Manam Island」recorded 19/5/76
2/2「Waudang Flutes;Bo'da Village,Manam Island」recorded 19/5/76.
3/2「Waudang Flutes,2 Large Garamuts,2 Small Garamuts,Kundus,Singers;Kuluguma Village,Manam Island」recorded 20/5/76.
4/2「Gopu Flute;Bo8da Village Manam Island」recorded 21/5/76.
5/2「Mo-mo Resonating Tubes;Damaindeh-Bau,Finisterre Range」recorded 20/8/76
QUARTZ 1978

DAVID TOOP,PAUL BURWELL/WOUNDS(!QUARTZ 003)
side A:a/Stigmata b/Marks and Social Purpose c/Mud/Swiffs/Din/Stench d/Concerning the Housing Situation in London
side B:a/Cosmopolitan Order of Birds b/The Experiment of Olgas Hand c/Extasy of a Bird Karma d/We Can Have a Good Time Without Snakes e/No Electricity
all titles Toop/Burwell
David Toop(electric guitar,flutes,home-made+found stuff,water,noise,rubbish,small explosivers,cassette tapes-the parrot's long good bye,rec.London Zoo+whirled tape recorder with tape of continamo falls,rec. amazonas,16 Nov.1978 by Toop and Figuera...)
Paul Burwell(percussion,fiddle,paper,water etc....)
QUARTZ 1979

2008年04月09日

THIS HEAT / DAVID CUNNINGHAM/ TONY SINDEN / PIANO RECORDS

PIANO RECORDS
DAVID CUNNINGHAM
TONY SINDEN
THIS HEAT
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 CASCADES 58

DEVID CUNNINGHAM/GREY SCALE(PIANO 001)
'77年にリリースされたデヴィッド・カ二ンガムのアルバム「Grey Scale」は彼が設立したインディ・レーベル"ピアノ・レーベル"からの1枚目にあたる作品。ここでのエラーシステムとは"プレイヤーは繰り返しフェーズを演奏する。ひとりのプレイヤーが誤りをおかすと、それはさらなる誤りによって変化してゆく反復の基礎となる。その結果、制御不可能なプレイヤーの速度によってサウンドが変化してゆく。パフォーマンスのために変化を取り入れようと故意に誤りを決して作ってはいけない。要するに誤りを持続させてください"というものであり、「water systemised」に見られるシステムは、"水の断片、ギターの断片はこのプロセスに類似しているもので、しかしここでのプロセスは使用される機械につきものの特性である自動である"というようなことが書かれている。簡単に言ってしまえば、人間の手によりミニマルな反復でのエラーシステムでのミス=エラーと、機械によるミニマルな反復のオートマティック・システムでのミス=エラーによる音響が展開されているということだ。デヴィッド・カニンガムは、'54年アイルランド生まれの作曲家、音楽プロデューサー、ミュージシャン、"Piano"レーベルの設立者で、またマイケル・ナイマンのピーター・グリーナウェイのための映画音楽のアルバム・プロデュースを10数作手掛けている。彼自身も映画音楽や舞踊音楽のアルバム、83年「ゴースト・ダンス」、88年「カフカ」などを発表している。'93-2003年にかけてはMichael GilesとJamie Muirとのコラボレーション「Ghost Dance」、 John Latham、David Hall、Stephen Partridge、Bruce McLeanなどのヴィジュアル・アーティストとのテレヴィジョン・シリーズ、"The Listening Room"や"Contemporary British Art"などの音響インスタレーションの活動や、ニューキャッスル大学造形芸術学科(Fine Art at the University of Newcastle)主任研究員としての顔もある。彼には'81年にロンドンの自宅でインタヴューしているが、当時、'79年に結成したフライング・リザース(The Flying Lizards)での"Money"が(オリジナルは'59年のバレット・ストロングの曲でビートルズも'63年に「ウィズ・ザ・ビートルズ」でカヴァーしている)ヒットし、ディス・ヒートや"ノイエ・ドイチェ・ヴィレ"のパレ・シャンブルクのアルバム・プロデュースも手がけていた頃で、日本からインタヴューに来たボクに彼のほうが緊張していて、知的で繊細で無欲な彼の人柄が印象的だった。

side one:1.Error System(Bagfgab) 2.Error System(C pulse solo recording) 3.Error System(C pulae group recording) 4.Error System(E based group recording) 5.Error System(EFGA)
side two:6.Ecuador 7.Water Systemised 8.Venezuela 1 9.Guitar Systemised 10.Venezuela 2 11.Bolivia
instrumentation and musicians:David Cunningham(piano,glockenspiel,sybthsiser,percussion,violin piano,bass,recorder,tape,water) Stephan Reynold(glockenspiel,piano,synthesiser) Alan Hudson(bass guitar) Derek Roberts(piano,glockenspiel) Alan Hudson and Michael Doherty(percussion)
mixed and produced by David Cunningham
cover photograph from the videotape 'Show Scale'(1975) by Steve Partridge.
PIANO 1977

TONY SINDEN/FUNCTIONAL ACTION PARTS2 & 3(PIANO 002)
Tony Sindenはピアノ・レーベルからはこの作品以外にも'80年に「magnificent cactus trees...」というアルバムをリリースしている。彼はおそらく現在ロンドンで精力的にヴィデオ、映像インスタレーションの分野で活動しているアーティストだと思うのだが、"Functional Action"は、ミックスメディア・アーティストのトニー・シンデンの'78-'79年にロンドンの"The Acme"、"Serpentine"、”Hayward"ギャラリーでの作品の断片でコンパイルされている。"このアルバムの重要な要素は、フィルムとヴィデオにあり、サウンドの"Swing Guitars"と"Drift Guitars"によってその作品は発展する。この音楽の持続時間は実際のパフォーマンス・イヴェントで決定した。アルバムでの欠点と誤りはそのイヴェントに関連していて、私のアイデアを暗示している"と自身がレコードで説明しているが、'79年のロンドンの"The Hayward Gallery"におけるフィルム・インスタレーションからの、Tony Sinden とGilbert Patrickによるギターのシンプルなリフによるミニマル・ミュージックが収録されている。
side A:Swing Guitarsside B:Drift Guitars
oerformed by Tony Sinden & Gilbert Patrick,June 1977
Functional Action Series Tony Sinden
recorded by David Cunningham without overdubbing for Piano Records,June 1977.
cover images from a film-installation by Tony Sinden at The Hayward Gallery,London 1979.
produced by David Cunningham
PIANO 1980

http://www.rewind.ac.uk/behold.html
http://www.artschaplaincy.org.uk/commissions/sinden.html

THIS HEAT

THIS HEAT//DECEIT(ROUGH TRADE/ ROUGH26)
'81年6月29日、ロンドン郊外のブリクストンのコールド・ストレイジのスタジオの屋上で、初夏のひんやりした乾いた風を頬に感じながら、シリアスな眼差しを持った彼らと半日もの長時間、張りつめた空気のなかでディスヒートのインタヴューを持ったあの日のことはいまでも忘れるわけにはいかない。なぜなら当時ボクはイギリスでのこの取材を最後にして音楽ジャーナリズムの世界から足を洗おうと考えていて、ロック・イディオムに関わるすべてのことに絶望していた時期だったからだ。カンタベリー系のクワイエット・サンのドラムスだったチャールズ・ヘイワードが、レイダー・フェイヴァリッツのギタリスト、チャールズ・ブレンと、ギャレス・ウィリアムズ(ベース)の3人で結成したディス・ヒート。彼らの音楽との出会いからかなりの時間を要したがボクのロック・イディオムへの決別を決心させた大きな出来事だった。

THIS HEAT/THIS HEAT(PIANO THIS-1)
'79年の「This Heat」と、'80年の45回転の12インチシングル「Health and Effeciency」はピアノ/ラフトレードから発表されたもの。録音された即興演奏の出来上がりを再度緻密な分析をして、その上にオーヴァーダヴィングし、更に即興を繰り返すというレコーディング・テクニックの極みを駆使した音響の構築は、「Health and Effeciency」のサイドBの「Graphic/Varispeed」という曲ではファースト・アルバム「This Heat/Live」での"24Track Loop"の音源をグラフィック・イコライザーやヴァリスピード(速度調節)を駆使し加工、拡張することで出来上がっている。個人的にはそうしたリズムレスの曲も悪くないが、チャールズ・ヘイワードとギャレス・ウィリアムスのテンションの高い重厚な肉体的グルーヴを持つ曲も捨てたものじゃなかった。'82年にギャレス・ウィリアムズ(2002年に他界している)脱退に伴って崩壊するまでの、ロックの終焉を暗示しているかのように、短命なディス・ヒートだった。'79年の「This Heat 」、80年の「Health and Effeciency」、'81年の「Deceit」がディス・ヒートが事実上残した作品だ。当時はロックマガジンの読者以外に彼らの音楽などに興味を持つロックファンも少なく、無名に等しかったのだが、現在の若いロックファンにはかなりの知名度で知れ渡っていることに驚いている。

THIS HEAT//DECEIT(ROUGH TRADE/ ROUGH26)
A:1.Sleep 2.Paper Hats 3.Triumph 4.S.P.Q.R. 5.Cenotaph
B:1.Shrink Wrap 2.Radio Prague 3.Makeshift Swahili 4.Independence 5.A New Kind Of Water
all composition This Heat
Charles Hayward (voice,drums,keyboards,guitars,bass,tapes)
Charles Bullen (voice,guitars,clarinet,drums,tapes)
Gareth Williams (voice,bass,keyboards,tapes,mask)

THIS HEAT/THIS HEAT(PIANO THIS-1)
1. Testcard 2. Horizontal Hold 3. Not Waving 4. Water 5. Twilight Furniture 6. 24 Track Loop 7. Diet of Worms 8. Music Like Escaping Gas
9. Rainforest 10. Fall of Saigon 11. Testcard
Charles Bullen(Clarinet, Guitar,Vocals,Viola,Tapes ) Charles Hayward ( Keyboards,Percussion,Vocals,Tapes ) Gareth Williams (Bass,Guitar ,Keyboards,Vocals )
mono(stereo cassette,2 and 24 track recordings,feb.1976-sept.1978
the workhouse,cold storage,camberwell,live and in performance.
Engineer:Chris Blake,Frank Bryan,Kevin Harrison,Rick Walton
Remastering:Charles Bullen,Charles Hayward,Denis Blackham
produced by This Heat with David Cunningham and Anthony Moore
PIANO 1979

THIS HEAT/HEALTH AND EFFECIENCY(PIANO THIS 1201)
A:Health and Efficiency
B:Graphic/Varispeed
engineeres:Geoffrey Zipper,Chris Blake,Chiris Gray,Peter Bullen,Jack Balchin,Phil Clarke,Laurie~Rae Chamberlain.
recorded;Cold Storage/Sorry Sound.
all compositions Bullen/Hayward/Williams
PIANO 1980

THIS HEAT/LIVE IN KREFELD(INDEPENDENT DANCEMC 8507)
sideA:Paperhats/The Fall Of Saigon/Testcard/S.P.Q.R/Make Shift Swahili
side B:Unreleased Totle/Music Like Escaping Gas/A New Kind Of Water/Twilight Furniture/Health And Efficiency
Charles Bullen (guitars,vila,voice,tapes)
Charles Hayward (percussion,voice,keyboards,tapes)
Gareth Williams (keyboards,guitars,voice,bass,tapes)
live at Krefeld,west-germ, 1980
rec.by Rudi Frings
c40 cgrom 1:1 stereo
1986 by INDEPENDANCE heilbronner weg10 2800 bremen w-germ.
'86年にドイツのIndependanceから発売されたカセットテープ。


http://www.stalk.net/piano/


※PIANOレーベルから'80年にリリースされたSTEVE BERESFORD「The Bath Of Surprise」(PIANO 003)は別の項目で取りあげます。


※付加


rock magazine vol.39 vol.40 vol.41
'81年の5月下旬から7月にかけてドイツ/デュッセルドルフから、フランス/ルーアン、ベルギー/ブリュッセル、ロンドンに取材に出かけた。ホルガー・シューカイ、コニー・プランク、クラウス&トーマス・ディンガー、ダフ、ダー・プラン、ノイエ・ドイチェ・ヴェレ、ジャン・ピエールターメル、ローレンス・デュプレ、ルル・ピカソ、レス・ディスク・デュ・クレプスキュール、BCギルバート&Gルイス、ジョアン・ラ・バーバラ、デヴィッド・トゥープ、ディス・ヒート、デヴィッド・カニンガム、ジェネシス・P・オーリッジ、ダニエル・ダックス&カール・ブレイクなどなどに会いインタヴューを敢行し、この3冊の「rock magazine」を編集して終わりにしょうと考えていた。それからかなりの時間を要したのは、編集室に集まってきていたスタッフの熱意を消すわけにもいかなかったのと、微かな望みもあったからだろうけれど、この3冊のエディトリアルでボクのロックへのすべての夢と熱いエナジーが閉ざされ消えてしまっていたのだろうと、いまにして思う。(ディス・ヒートの長時間にわたるインタヴューはvol.41に掲載されています)。


2008年04月11日

THE 49 AMERICANS / STEVE BERESFORD / DAVID TOOP / CHOO CHOO TRAIN RECORDS

CHOO CHOO TRAIN RECORDS
THE 49 AMERICANS
STEVE BERESFORD
DAVID TOOP
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 CASCADES 59

THE 49 AMERICANS/WONDER(CHOO CHO TRAIN CHUG 1)
THE 49 AMERICANS/TOO YOUNG TO BE IDEAL!(CHOO CHOO TRAIN CHUG 2)
レコードのなかに入っている1枚のコピー用紙に彼ら自ら、49アメリカンズは幸せの追求の実験だと語っているように、このハッピーミュージックはアッパーな、当時のデヴィッド・トゥープ周辺の一連のフリー・インプロヴァイズド・ミュージックのダウナーな音楽と対になった裏返しにあるものだ。
スティーヴ・ベレスフォード、デヴィッド・トゥープ、ピーター・キュザックなどが中心となったプロ、アマ混合の49人のメンバーでセッションし、ポスト・パンクとして展開していた。故意に不安定に振る舞い、壊れやすく断片的な即興アヴァン・ポップとも、正統のロックンロールだとも言われてるが、「WONDER」での"That Man"など数曲からは、ジャズ的なるものも聴こえてきて、スカスカのサウンドはスカム的ではあるが、醒めた意識のなかで"ダンスと歌"を促進するという明確な目的を持って構築している。当時、賢明なミュージシャンは誰もがこのようなアンビヴァレンツな二面性を持ち、実験性と商業性を上手に使いこなした活動を展開していた。ロック評論家としてのイメージの強いボクではあったが、実は折衷主義も甚だしく、フリー・インプロヴィゼーションや現代音楽、ジャーマン・エクスペリメンタルなどから、パンク、ポストパンク、ニューウェイヴ、テクノポップ、エレクトロニカなどの産業音楽の二股をかけて、表出してきた先端音楽のすべてをポストモダン的態度で横断し追いながら時代意識を分析し評論していたのだ。
The 49 Anericansの音楽は、アーリー・アメリカンの時代のパッチワーク・キルトの伝統的手法を音楽に応用したパッチワーク・ミュージックであり、カットアップ(継ぎ接ぎ)によるポスト・パンク・ミュージックである。アッパーであれダウナーであっても、すべてがノンセンスな時代だったのだが、70年代中期はイーノのオブスキュアやトゥープのフリー・インプロヴァイズド・ミュージックにみられる、ある意味で鎮静剤を服用するかのような「まったり」「ゆっくり」「うっとり」の、ダウナーな時代だった(当時のダウナー・オタクはノイズに行き着きそれで時間は止まったままになっているが)。それは現在の"誰にも邪魔されず、好きなものに囲まれた快適な日常を維持してゆきたい"という世相に直結しビミュウにリンクしているが、80年代になるとその反動で、事実上、時代は急激に変化してゆき、クラブミュージックに繋がる記号の氾濫するダンスミュージックや歌がメインのポップミュージック(没意味)のアッパーな時代へと突入していったように思われる。需要と供給の原則にのっとって作られたこのThe 49 Americansのハッピーミュージックが、"Happy music doesn't have to be dumb"、ダサいものだとは断定できない。フリー・インプロヴァイズド・ミュージックにはない彼らの音楽的意図が感じられ個人的にはこちらのポップ・ミュージックのほうがより実験的でアヴァンギャルドだと言える。現在の若者にみられるオタク現象には2種類あって、ダウナー・オタクは、内向的でおとなしく見えるが、実は腹の中にドス黒いものを潜ませてたりするタイプと、外交的で明るく見えるが実は打たれ弱く、言動がスベったことをいつまでも気に病んでいたりする面もあるが、周囲を巻き込んで、いつまでも"終らないお祭り騒ぎ"を続けてゆきたいアッパー・オタクがあるが、キミはどっちのタイプ?

WONDER
side a:1.Beat Up Russians 2.that Man 3.Involved In Local Chaos 4.Doubt 5.Edible 6.Should Be More Ideal 7.All The Fun 8.Sounds Like Ska 9.Architecture Stops 10.Don't Sing The Blues 11.Heritage 12.Pledge Of Allegiance
side b:1.Overture 2.Song Of The Peasants(chief Peasant) 3.Tralala(Eldest prince) 4.Dragon Eating Peasants Instr. 5.I Don't Want(Royal children) 6.Let Yourself Go(Impulsive Knight) 7.Digestion Instr. 8.Fairy Tale(King) 9.What You Need(equipped Knight) 10.Digestion Instr. 11.Intellectual Yodel(Theoretical Knight) 12.Pain in The belly(Friendly Knight) 13.Digestion Instr. 14.Ha Ha Ha(Jester) 15.Aye,There's The Battle(Dreamy Knight) 16. Digestion Instr. 17.Yodel Again(Theoretical Knight) 18.Digestion Instr. 19.Fairy Tale(Reprise)(King) 20.Contradictions-The Final(Jester)
recorded by David Toop on Stereo Cassette except live tracks of musical records by Peter Cusack
CHOO CHOO TRAIN RECORDS 1980

TOO YOUNG TO BE IDEAL!
side 1:1.Theme 2.Woe Ballad 3.Yucky Nightclub 4.Love At First Sight 5.Don't Sing The Blues
side rwo:1.I'll Make Yu A Star 2.Love Has Solved My Problems 3.Successful Wonder Glory/Success Turns Sour 4.Big Decision 5.Should Be more Ideal
recorded by David Topp and Max Eastley on stereo casette.
CHOO CHOO TRAIN RECORDS 1980

THE 49 AMERICANS MENBER
Giblet, David Toop, Steve Beresford, Nag, Bendle, Else Watt, Etta Saunders, Eddie Saunders, Lol Coxhill, Peter Cusack, Max Eastley, Jim Wannall, Vanessa Strang, Jenny O'Connor, Vivian Goldman, Viv Albertine, Margot Sangov, Terry Day, Eric Ingham, Nat, Nick Andralojc, Crispin Keable, Mark J, Helena, Taya Fisher, Nick, Keith James, Marie Leahy, Soafi, Igor, Igor's Mum, B. 'T.S.' Publis, Jona B, Giblet's Mum, Phil Sticks, Dominic, Tim, Michael, Mark S., Louis P., Porky, etc.

http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=111029200

2008年04月12日

STEVE BERESFORD / TRISTAN HONSINGER / Y RECORDS / PIANO RECORDS

STEVE BERESFORD
TRISTAN HONSINGER
Y RECORDS
PIANO RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 60

STEVE BERESFORD,TRISTAN HONSINGER/DOUBLE INDEMINITY(Y RECORDS Y9)
セシル・テイラーやデレク・ベイリーなどともコラボレーションしていたチェロプレーヤーのTristan Honsingerが、スティーヴ・ベレスフォードと'81年にYレコードからリリースしたフリー・インプロヴィゼーション。トリスタンは'49年バーモントで生まれ、母親は彼の兄弟と共に室内楽オーケストラを設立する望みを持っていたという。12歳の頃からほとんど毎週のペースでコンサートを催していたというから音楽スキルは相当なものだ。'69年、ボストンの名門ニューイングランド・コンサヴァトリーで古典的なチェロを学び、その後、モントリオールに滞在していた時にインプロヴィゼーション・ミュージックに興味を持ち始める。'78年にはヨーロッパに移住し、現在までオランダのアムステルダムを拠点にして活動している。熊のプーさんが好きなお茶目な人柄を持ったアーティストである。'79年にこのアルバムを契機にポップグループとも活動している。ベレスフォードのピアノとフリューゲルフォーンと、トリスタンのチェロがクラシカルなテイストをも醸しながら、覚めた意識のなかで自由に戯れているかのような"ジャズ的なる"インプロヴァイズド・ミュージックが収録されている。

TRISTAN HONSINGER, STEVE BERESFORD, TOSHINORI KONDO, DAVID TOOP/IMITATION OF LIFE(Y RECORDS Y13)
'82年にYレコードからリリースされたトリスタン、コンドウ、トゥープ、ベレスフォードによるフリー・インプロヴィゼーション。トランペッター、近藤等則の存在を知ったのは'81年にトゥープとロンドンで会ったときで、このアルバムが発売されて彼の音楽を初めて確認した。去年の10月にnu thingsで二度目のイヴェントを催しているが、彼もまた現在はクラブ系のアブストラクト・ジャズを展開している。スティーヴ・ベレスフォードは'50年イングランド中西部のシュロップシャー州、ウェリントン生まれ。ピアノ、トランペット、ヴォイス、ロウ・グレード・エレクトロニクス、ベース・ギター、作曲家、編曲家で、7歳の頃ピアノを弾き始め、15歳の頃にすでにイントゥルメンタルなクラシカル・レパートリーと管弦楽の楽譜を読めるようになっている。ハモンドオルガンを弾き始めた最大の要因は、オーティス・レディングのカヴァーを演奏するソウル・グループで演奏していた頃に、サム・アンド・デイヴとモータウンのヒット曲に熱中し多いに影響されていたからだという。後にデレク・ベイリーとハン・ベニンクの音楽を聴くまでは、ヨーク大学で音楽を勉強するなどとは思いもよらなかったらしく、'74年にロンドンに移ってからベレスフォードは、ポップからジャズ、レゲエ、フィルム・ミュージック、ダンスなどの100を超える音楽プロジェクトに関わっている。そのなかでもインプロヴァイズド・ミュージックに関わるのは、"私の音楽への理解を育む最も重要な要素で、インプロヴァイズド・ミュージックの従来の規則を無視することによる自由と解放の力と、ミュージック・テクニックの定式化への蓄積だった"と語っている。彼の音楽活動のなかでも、'77年から''86年まで続いた、Peter Cusackのギター、 David Toopのフルート、Terry Dayのドラム、パーカッションによって結成されたALTERATIONでの活動が、最も有名だろう。このユニットでも鳥の鳴き声のテープからあらゆる器材を駆使、あらゆるスタイルを引用し音楽におけるタブーも恐れない、言葉とおり自由なインプロヴィゼーションを展開している。

STEVE BERESFORD/THE BATH OF SURPRISE(PIANO 003)
'81年6月25日にロンドンでデヴィッド・トゥープに、彼の自宅でインタヴューした時、"この5、6年の間にジャズ、即興音楽、ロック、ポップス、あるいはブラック・ミュージックなど少しずつ異なった音楽が寄せてくる現象というものに大変興味をおぼえます。スティーヴ・ベレスフォードはいまスリッツと仕事することが多く、世界を舞台にしてあちことで多くの観衆を相手に演奏しています"、"ところで、即興演奏に手を染めるようになってから、人々はこの即興演奏というものは、エリートの音楽だという固定観念を持ってしまい、それに縛られた私たちは身動きできなくなってしまったのです"と語っていた。スティーヴ・ベレスフォードのビーズ、ピアノ、チューチュー・トレインや、このYレコードでのすべての先端音楽を自由に軽やかに横断していく態度と姿勢は、そのまま彼の音楽にも表われていて、当時のイギリスのインプロヴァイズド、フリー系のミュージシャンのなかで、ボクは最も信頼し注目していたひとりだ。こうした即興音楽はしかめっ面して聴くものじゃなく、もっと遊び心をもって対応すべきものなんだ。もしキミがインプロヴィゼーションの音楽に興味を持ったり、レコードを選び買うときに、偽物と本物を簡単に見破る方法がある。それは、そのミュージシャンのキャリアや音楽的バックボーンに、クラシックや現代音楽、ジャズ・シーンでの活動を持ったことがあるかないかで判断できる。あるならホンモノで、それ以外の例えばロックあがりのミュージシャンはすべてニセモノだということを覚えておかれるといいだろう。'80年にデヴィッド・カニンガムのピアノ・レコードからリリースされた「The Bath Of Surprise」は、パーカッシヴな"Punctuation"から、珍しく歌を唄っている"Those Oldies But Goodies Remind Me Of You"など、フライング・リザードのアヴァンポップからフリー、トイ・ピアノからユーフォニアム、シンセサイザー、トランペット、フルーゲルフォーン、パーカッションまでも駆使し、貪欲に新しいものなら何でも吸収する折衷主義者ベレスフォードの真骨頂を発揮した名盤の1枚だ。

DOUBLE INDEMNITY
Triston Honsinger(cello,voice) Steve Beresford(piano,flugelhorn)
short side:1.Say Hello to The Cello 2.Pre-Echo 3.I Don't Have A Bottle Names Wady 4.Stolen Time
long side:1.Double Indemnity
recorded I.C.A 1980
edited by Dave Hunt
Y RECORDS 1980

IMITATION OF LIFE
Tristan Honsinger(voice,whistling,violin) Toshinori Kondo(trumpet,voice,mutes,rattles,small instruments) David Toop(electric guitar,bass,flute,alto flute,wooden flutes,small instruments) Steve Beresford(euphonium,flugel horn,siren,metal violin,winfield organ,toy electric guitar,bass guitar,automatic instruments,small instruments)
recorded by Dick Odell 'room at the TOP' London May 22 1981.
Y RECORDS 1982

THE BATH OF SURPRISE
side one:1.Punctuation acme,london,1977 Acoustic Guitar With Microphone And Battery Amplifier;Assorted Percussion recorded by D.C.on stereo Uher reel to reel. 2.Lieutenant Dub Notre Dame,London 1980. Piano, Toy Synthesizer, Euphonium, Performer,Whirled Bee, Whirled Tube, Clarinet Mouthpiece 3.Cat Picture S.B's Home,London 1980 Trumpet。recorded Aiwa Cassette Recprder. 4.What Is A Thing Toy Piano, Drums 5.The Bath Of Surprise S.B's old flat. London 1977. Bath Water, Nailbrush, Body, Tubes, Reeds, Balloons, Whistling 6.Concealed Entrance Bass, Piano, Trumpet, Synthesizer [Toy], Performer [Footclickers, Blechtrommel, Giggle Stick, Musicbox. recorded by D.C.on JVC cassette recorder. 7.My Old Piano SB's old flat London 1977.Toy Piano, Cymbal, Drums, Ukulele 8.Burning Problems Action Space,London,1977.Cowbox,Toy Piano,Musical Toothbrush, Trumpet, Mini amp and mic,cassette of previous pergormance, Cowbox, Duck Call, Cymbal, Tape 9.Schlussakord Piano, Electronic Bird, Squeaky Chops, Chicken Box, Toy Record Player, Plastic Horn 10.Those Oldies But Goodies Remind Me Of You London 1977.Voice, Piano
side two:1.A Cup Of Tea And A Bun J.Marshall's previous residence,1979.
Piano With Toy Piano Inside. recorded by D.C.on Revox. 2.Mr & Mrs. Wu DC's room in London 1980. Bass, Euphonium, Percussion, Flugelhorn, Talking Telephone, Astro-phaser. Recorded by D.C.on 8-track tape recorder. 3.Spring Clips J.Marshalls previous residence,1979. Piano With Toy Piano Inside. 4.A Continuous Supply Of History SB's place,1980.Flugelhorn recorded bu S.B.on Faulty cassette recorder.
all tracks composed by S.Beresford,except 1/10 which waswritten by John Stewart.
produced by David Cunningham.
PIANO 1980

Steve Beresford
http://www.scaruffi.com/oldavant/beresfor.html

※付加
日本のフリー・インプロヴィゼーションと言われているもので、ギタリストのミュージシャンなど存在しない。彼らの音楽はすべてがロックミュージックのなれの果ての、ノイズか、スカム、それともギターを引っ掻いて発てるハードロックやパンクの延長線上にあるものだ。ノン・イディオムなフリー・インプロヴィゼーションとは現代音楽やジャズの文脈にある音楽理論やテクニックを学び習得したミュージシャンだけが、そこに逃走し逸脱できるもので、そうしたもともと確固たる文脈も持っていないロックあがりのミュージシャンがフリーだといっても、"それは違うだろ"と言わざるをえない。似て非なるものだが、正面きってイミテーション、フェイクだと言い切るならまだしも・・。(執拗に付け加えるなら、こうした日本のノイズミュージシャンがプレイする大きな理由は、自身の持つ精神的病を音楽療法としてプレイすることによって、一種のカタルシスを得、浄化しているに過ぎない。フリーや間章や阿部薫の名を借りて彼らは病をまき散らしているのだ。またそうしたオーディエンスは他人の"悲劇をみることで自分の心が浄化"されるごとく、その音楽に"おそれとあわれみに似たシンパシー"を感じ、これもまた自分が冒されている病を療法しているに過ぎないのだ。酷い話だ。) 日本のインプロヴァイズド・ミュージックと海外でのそれとは、決して相容れない。

2008年04月13日

THE POP GROUP / Y RECORDS

THE POP GROUP
Y RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 61

THE POP GROUP/Y(RadarScope Records RAD 20B)
イングランド西部にある港町ブリストルは多くの移民をかかえる多民族都市だが、'90年代半ばにクラブジャズのヒップホップとダブやテクノが融合したトリッキーでルーズなダンスミュージック、トリップホップというジャンルの発祥地として再び注目された。ブリストルはUKダブの聖地で、そのダブテクニックによるブリストル・サウンドは、'77年に結成された5人組"ポップ・グループ"のサウンドに対して形容されたものだ。
ポップ・グループの'79年の7インチシングル「She Is Beyond Good And Evil」、1st.アルバム「Y」は、レゲエ・バンドのマトゥンビのデニス・ボヴェルがプロデュースしたもので、ダブ処理されたレゲエ、パンク、ファンク、フリー、現代音楽などが融合したダウンで重厚なグルーヴが構築されていた。'80年にシングル「We Are All Prostitutes」、2ndアルバム「For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?」をリリースし、2年もたたないうちに早々と解散し、ポップ・グループのメンバーの流れがPig Bag、Rip Rig & Panic、Maximum Joyへと繋がる現在のクラブカルチャーの原点ともいえるダンスミュージックを展開することになる。解散後のMark Stewartはソロで活動を始め、よりダブ色を強めたON Uサウンドへと変遷していく。マーク・スチュアートの音楽的態度からか、政治的要素を盛り込み現代社会に究極のステイトメントを叩きつけた攻撃性あるサウンドと言われ誤解されているが、そのグルーヴはファクトリーレコードのA CERTAIN RATIOや、後のPIGBAGと同じように、当時からとてもダンサブルなダンスミュージックとしてニューウェイヴ・ディスコでDJイングされ我々は狂った兎のようにポゴダンスしていたのだ。

POP GROUP/FOR HOW MUCH LONGER DO WE TOLERATE MASS MURDER?(ROUGH TRADE Y RECORDS 9/Y2)
79年前後の音楽シーンはPILを初め、シェフィールドからキャバレー・ヴォルテール、スロッビング・グリッスル、クロックDVAなどのインダストリアル・ミュージック、マンチェスターからはジョイ・ディビジョン、ア・サーテン・レシオなどが次々と表出し、ブリティッシュ・ロック・シーンにとってはある意味ではブリティッシュ・インヴェイジョン、ロンドンパンク以上の重要なターニングポイントでもあった。短絡的に言えば音楽ファンにとってはロック・イディオムを採るのか、ポストモダンな記号音楽を採るのか、ダンスミュージックを採るのかという究極の選択に迫られた時代でもあった。ファースト・アルバムのマーク・スチュアートの「Words Disobey Me」にある"俺の鼓動の叫びを知っている奴らは 何も言わない 言葉にならない言葉を話すんだ 幼児の初期の言葉のように 言葉 それは白黒をはっきりつける 言葉 それは人を怒らせる 言葉 それは周囲を悲しませる 俺の鼓動の叫びを聞いてくれ 真実は感じることだ 俺たちに言葉なんかいらない すべてどこかにやってしまえ"という詩は、いまでも音楽を聴いたり美術を鑑賞したりするときのボクにとっての大きな教訓になっている。ポップ・グループは、ブリストルの高校で同級生だったリード・ボーカルのマーク・スチュアートとギターのギャレス・セイガー、ドラムスのブルース・スミスが、76年頃THE POP GROUPとしての活動を始め、そこにギターのジョン・ワディントンとベースのサイモン・アンダーウッドが参加することによって結成された。その後、ストラングラーズのオープニング・アクトを務め、ストラングラーズの専属ツアー・マネージャーだったディック・オディールがポップ・グループのマネージャーをかって出て、ロンドンに進出することになり、当初はスティッフの創始者ジェイク・リビエラとアンドリュー・ラウダーが設立したレーベル"レーダー・レコード"でアルバムがリリースされる予定だったが、'79年末にレーダーがWeaに資本吸収されることとなり、結局マネージャーのディック・オディールの自らのレーベル「Y」を設立し、ラフトレードを通じて流通された。1st,アルバムを発表後、サイモン・アンダーウッドはいち早くバンドを離れPIGBAGへの道を歩み、彼のサポートとしてグラクソ・ベイビーズのギタリストだったダン・カトゥシスをベーシストとして迎え入れ、'79年の10月に「We Are All Prostitute / Amnesty Report」、80年の3月にスリッツとのカップリング・シングル「Where There's A Will」などを発表するが、セカンドアルバム「For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?」のレコーディング中には、既にバンドは瀕死の状態で、ブルース・スミスはスリッツのツアードラマーとして、ジョン・ワディントンとダン・カトゥシスはマキシマム・ジョイ結成へと動き始め、セカンドアルバムのリリース前の'80年半ばにはバンドは事実上解散していた。ポップグループのメンバー間にみられる摩擦や軋轢は、人種問題や、失業問題といった80年代の英国が抱える病理そのもののようで、当時の日本の"ジャパン・アズ・ナンバーワン"という華やいだ状況に浮かれた病理が、サブカルチャーという記号で結びつき、現在のオタク文化の始まりを意味する、わけの解らない気色悪い時代だった印象だけが強く残っている。

The Pop Group / She's beyond Good and Evil
http://www.youtube.com/watch?v=sL0tYowbIxE
The Pop Group / The Boys from Brazil
http://www.youtube.com/watch?v=Cjbpr5L2wZ4

THE POP GROUP/Y
side A:1.Thief of Fire 2.Snowgirl 3.Blood Money 4.Savage Sea 5.We Are Time
side B:1.Words Disobey Me 2.Don't Call Me Pain 3.The Boys From Brazil 4.Don't Sell Your Dreams
produced by Dennis Blackbeard Bovell and Pop Group
Gareth Sager,Willie Smith,Mark Stewart,Simon Underwood,John Waddington
RADAR SCOPE RECORDS 1979

POP GROUP/FOR HOW MUCH LONGER DO WE TOLERATE MASS MURDER?
A:1.Forces of Oppression 2.Feed the Hungry 3.One Out of Many 4.Blind Faith 5.How Much Longer
B:6.Justice 7.There Are No Spectators 8.Communicate 9.Rob a Bank
ROUGH TRADE Y RECORDS 1980

POP GROUP/SHE IS BEYOND GOOD AND EVIL(RADAR SCOPE ADA29)
A:She is Beyond Good and Evil
B:3.38
RADAR RECORDS 1979

POP GROUP/WE ARE TIME(ROUGH 12/Y5)
A:1.Trap 2.Thief of Fire 3.Genius or Lunatic 4.Colour Blind 5.Spanish Inquistion
B:6.Kiss the Book 7.Amnesty Report 8.Springer 9.Sense of Purpose 10.We Are Time
ROUGH TRADE/Y 1980

2008年04月15日

PIGBAG / Y RECORDS

PIGBAG
Y RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 62

黒人解放運動家でアフロビートの創始者、数々の神話を生んだナイジェリア出身のミュージシャン、フェラ・クティ。ファンクの帝王ジェイムス・ブラウン。モダンジャズの旗手といわれ、クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョンなど時代に対応して様々に変容していった音楽性でジャズ界を牽引してきたマイルス・デイビス。西ドイツのクラウトロックのカンなどの音楽に影響されたというピッグバッグの音楽は、そのことからもパーカッシヴなポリリズム・グルーヴをなによりも優先させたジャズやファンク・テイストを持つ20数年の時を隔てることなくいつまでも色褪せないダンスミュージックだと言っていいだろう。彼らが残した作品の端々にピッグバッグが影響されたというミュージシャンたちのサウンドとリズムが散りばめられている。これもまた"ジャズ的なるもの"のひとつの鋳型となる不滅のサンプルだ。
PIGBAG/PAPA'S GOT A BRAND NEW PIGBAG(Y 10)
'80年後半にチェルトナムでクリス・ハムリンがメンバー募集して巡り会ったマルチ・インストゥルメンタリスト(多楽器奏者)のロジャー・フリーマン、バーミンガムでの旧友クリス・リー(トランペット)とジェームス・ジョンストン(ギター/アルトサックス)と、それにジェームスの学生時代にジャズ・セッショナリーなユニットHardwareからの友人、ドリー・チップ・カーペンター(ドラムス)、マーク・スミス(ベース)によって最初はジャムセッションのような形式で始められ、そうした非公式のミュージシャン間のセッションの場に誘われたサイモン・アンダーウッド(ベース)とオリー・ムーア(テナーサックス)が接合され自然発生的にピッグバッグは出来上がった。そうした動きのなかでピッグバッグはディック・オディールと知り合い本格的にプロ・デヴューすることになる。サイモン・アンダーウッドにとってはポップ・グループというバンドへの関わりは、当初から、一時的なセッション・バンドとしての思いしかなかったのだろう。'81年の最初のマキシシングルで「Papa's Got a Brand New Pigbag」は、ジェイムス・ブラウンの"Papa's Got A Brand New Bag"からインスピレーションされたもので、発売と同時にインディペンデント・チャートでダンスヒットした(今でもCMやテレビ番組でよく使われている)。自分の思い描いていたピッグバッグの音楽的落差を感じたクリス・ハムリンは早々と彼らから身を引くことになる。'82年4月にファーストアルバム「Dr Heckel And Mr Jive」をYレーベルからリリース。'82年の春にロジャー・フリーマンを前面に押し出し、ツアー・サポート・ミュージシャンとしてブライアン・ネヴィルを加えた主要なカレッジから始まるヨーロッパ、ニューヨーク、イギリス、ジャパンへ続くツアーはどれもが大成功を収めている。

PIGBAG/DR HECKLE AND MR JIVE(Y 17)
新たにヴォーカルにアンジェラ・イェーガーを加え'82年の夏にセカンド・アルバム「Lend An Ear」をレコーディングし、'83年にシングル「Hit The 'O' Deck」と前年に録音済みの「Land An Ear」をリリース。'83年の2月から4月までイギリスを皮切りにヨーロッパ、ポーツマスでのツアーに出るが、それを最後に'83年6月にバンドは解散し、その後ジェイムス、サイモン、アンジェラはInstinctを結成するというのがピッグバッグの大まかな経歴だ。当時ダンスミュージックが大嫌いだったロックファンからは総スカンを喰らった彼らが残した10枚にも満たない作品は、皮肉にも現在ではクラブシーンでDJたちによってターンテーブルに乗っかるレコードとして貴重がられている(Derrick MayやJeff Millsも来日時に中古レコードショップを血眼で探しまわっていたそうである。結局こうしたダンスミュージックを否定していたロックファンは、80年代の終わりに表出したDJ=クラブカルチャーの意味も解らぬまま、やがて時代から取り残されていくことになるのだ)。例えば誤解を恐れず言ってしまえば、いまやJポップでのメジャー路線を走るソイル・アンド・ピンプ・セッションや東京スカパラダイス・オーケストラなどのコンセプトは、ピッグバッグの音楽の二番煎じでモノマネである。彼らの手を借りてアフロからジャズファンク、スカなどのグルーヴが渦巻くダンスミュージックとしてのピッグバッグの音楽がこのニッポンでは25年の時を経てようやく大衆に下りて行ったというべきだろう。二匹目の泥鰌(にひきめのどじょう)という諺は、"柳の木の下で一度泥鰌を捕らえたことがあったからといって、いつもそこに泥鰌がいるとは限らない。一度まぐれ当たりの幸運を得たからといって、再度同じ方法で幸運が得られると思うのは間違いである"というのが真の意味だが、このニッポンでは芸能だけではなく利益を追従することが目的のすべての世界では"二匹目の泥鰌は商売になる"のだ。否定しているのではないが、日本の芸能=産業音楽から輩出されるJazzや現代音楽、クラシック、またクラブミュージック、Funk、J-Popであっても、すべてはこうした海外での音楽をそのまま偽造、模造したフェイクリーなものと断言しても誰も反論できないだろう。ならば話は早い、ミュージシャンで日本の音楽業界で成功したいと思っているなら二匹目の泥鰌、二番煎じを狙った方が得策だね!?

Papa's Got A Brand New Pigbag
http://www.youtube.com/watch?v=gNDccgakPvo
http://www.youtube.com/watch?v=wsmNB0L7of0

PIGBAG/PAPA'S GOT A BRAND NEW PIGBAG(Y 10)
A:Papa's Got A Brand New Pigbag
B:The Backside
produced by Dick O'dell,Dave Hunt+Pigbag
recorded at Berry St March 81
Y RECORDS 1981

PIGBAG/DR HECKLE AND MR JIVE(Y 17)
A:1.Getting Up 2.Big Bag 3.Dozo Don 4.Brian The Snail
B:1.Wiggling 2.Brazil Nuts 3.Orangutango 4.As It Will Be
Chip Carpenter(Drums, Percussion) Simon Underwood(Bass, Cello, Violin) James Johnstone(Guitar, Alto Saxophone, Percussion) Ollie Moore(tenor sax,sanza,alto clarinet) Chris Lee(trumpet,perc,) Rodger Freeman(Percussion, Trombone, Keyboards, Piano)
Produced by Disc O'Dell , Pigbag
engineered by Dave Hant
recorded at Berry Street 1981
cover painting by Ralph Petty
Y RECORDS 1982


PIGBAG/SUNNY DAY(Y 12)
side A:Sunny Day(long version)
side B:1.Whoops Goes My Body 2.Elephants Wish To Become Nimble
produced by Dick O7Dell,Dave Hunt,Pigbag
recorded at Berry St.July 1981

PIGBAG/GETTING UP(Y 16)
side A;Getting Up(long version)
side B:1.Cocat 2.Gigging Mud
recorded at Barry St Studio Nov 1981
produced by Dick O'Dell,Dave Hunt,Pigbag
Y RECORDS 1982


PIGBAG/The Big Bean(12 Y 24)
side A:The Big Bean
side B:Scumda
recorded at Abbey Road June '82
produced by Simon
engineered by Pet Stapley
Y RECORDS 1982

PIGBAG/Hit The 'O' Deck(Y YT101)
side 1:Hit The 'O' Deck
side 2:1.Six Of One 2.Hit The 'O' Deck 8instrumental mix)
produced by Simon Underwood
Y RECORDS/EMI 1983

PIGBAG/LEND AN EAR(YLP 501)
side 1:1.Weak At The Knees 2.Hit The 'O' Deck 3.Ubud 4.One Way Ticket To Cubesville
side 2:1.Jump The Line 2.Can't See For Looking 3.No Such Thing As 4.Listen Listen(Little Man)
Chris Lee(trumpet,percussion,steeldrum) Ollie Moore(tenor and baritone sax,alto and bass clarinet) Simon Underwood(basses,strings,tuned percussion) James Johnston(guitar,bass,tuned percussion,keyboard) Chip Carpenter(rum kit,percussion,vibraphone) Brian Nevill(drum kit,percussion,soprano sax) Oscar Verden(keyboads,piano,trombone) Angela Jeager(voice) Kofi(drum kit"on 'o' deck")
produced by Simon Underwood and mixed by Pigbag at Blackwing with engineer John Fryer and Jacobs Studio with Terry Barham.
engineer Brad
Y RECORDS 1983

http://www.discogs.com/artist/Pigbag

2008年04月17日

HUMAN LEAGUE / JOY DIVISION / FAST PRODUCT

HUMAN LEAGUE
JOY DIVISION
FAST PRODUCT
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 63

'77年12月、スコットランドのエディンバラで、ボブ・ラスト(Bob Last)が設立した"FAST PRODUCT"(後に"Pop Aural"レーベルを設立)には、70年代の後半から80年代初期にかけての、インデペンデント・レーベルから吐き出されたゴミ箱に捨てられた大量のラブビッシュ(屑)な価値しかない塩化ヴィニールの、ロックの物語りや、真のロック・イディオムが金切り声を発てて崩壊していく前夜の最後のあがきともいえる時代が克明に録音され残されている。
VA/EARCOM 2(FAST 9B)
FAST PRODUCTというとなによりもエレクトリック・ポップ、テクノポップのヒューマン・リーグを思うだろうが、'77年のヴァージンレーベルからの10インチ・コンピレーション「Short Circuit」で初めてジョイ・ディヴィジョンの名前が見られたが、このEARCOM2でもジョイ・ディヴィジョンの名前が見られ、ダフ、メコンズ、デッド・ケネディーズ、ギャング・オブ・フォーなどがコンパイルされていた。'subversive commodities'、'mutant pop'と呼ばれた音楽を量産していたファスト・プロダクトのミュータント・ポップ(変異体ポップ)とはThe Mekonsや、クローム、レジデンツなどの音楽に対して形容されたものだが、奇形のそれらは、ポストパンク、ニューウェイヴな当時のラフトレード、ファクトリー、インダストリアル・レーベルなどから輩出されるポップミュージックすべてに該当する言葉だったかも知れない。そこから12インチシングル、7インチシングルによって量産されたヴィニールはディスコでDJイングされることを図ったものだった。もはやロックの文脈は様々なものが掛け合わされ交配されたハイブリッドな奇形のダンスミュージックとして機能する時代だったのだ。現在の"ジャズ的なるもの"からこうした音楽を聴くと、ダンス向けの拍子、シンプルなメロディー、簡単なハーモニー、および反復構造などのポップさだけが耳に入ってきてWaste(廃棄物)のようなものである。冗談音楽としての、ロンドンパンクやニューウェイヴなどのレコードを聴きながら、当時ボクやキミたちはなにをシリアスに感じとっていたのだろう。笑ってしまうね(アメリカの60年代に思いを馳せると、サイケデリックからドアーズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、フランク・ザッパ、そして70年代のニューヨーク・パンクでのパティ・スミスの文脈までと、片やイギリスでは70年代のプログレッシヴ・ロック、ジャズロック、ドイツではクラフトワーク、ノイ、カンなどの潮流までは疑いなく"ロック"だった)。
80年代のインディペンデント・レーベルから表出される音楽は、リチャード・ハミルトンの作品"一体なにが今日の家庭をこれほどまでに変化させ、魅力的にしているか”の、雑誌広告の商品や筋肉隆々のモデル写真を切り貼りしたコラージュや、キラキラしたロリポップ・キャンディーの包み紙にみられるポップ・ミュージッックが主流だったと思う。通俗的、一過性、消耗品、安価、大量、見掛け倒しの80年代音楽の多くは、インディペンデントと言えどロビン・スコットのMのアルバム"ニューヨーク、ロンドン、パリ、ミュンヘン"のなかの"ポップ・ミュージック"というテクノポップに象徴される大衆に媚びたものだったのだ。だけどゴミはゴミなりにコラージュすると美しいオブジェに変貌もするのだ。

FAST PRODUCT
http://en.wikipedia.org/wiki/Fast_Product

VA/EARCOM 2(FAST 9B)
JOY DIVISION/side 2 track 1,side 2 track 2
"Auto-Suggestion" "From Safety To Where...?"
Based:Manchester
When Formed:Spring 1977
Previous Bands:None
Track Recorded in Aprill '79 at Strawberry Studios.
Produced by Martin Hannett.
IAN CARTIS(vocal) STEPHEN MORRIS(drums) PETER HOOK(bass) BERNARD DICKEN(lead guitr & synth)
THURSDAYS/side 1 track 1,side 2 track 3
"Perfection" "(Sittin' On) The Dock Of The Day"
recorded on 8 track 16/6/79,mixed 20/6/79 at Barclay Towers,Edinburgh,by Tony Pilley.
PAUL REEKIE(bass,vocals) MICHAEL BARCLAY(guitar) ROBERT WYLIE(drums)
BASCZAX
"Karleeam Photography" "Celluloid Love"
recorded on 16 track at Cargo, Rochdale 9/6/79;mixed at Cargo 13/6/79. engineer:John Brierley produced:Fast Product
Based:Teesside,Cleveland. Formed:August 1978 Previous Band:blitzrieg Bop,Taragon,Hypertension,Protex,Purity,Erection,Amanda Chubb,Monitor.
ALAN SAVAGE(guitar,vocals) MICK TODD(bass) JOHN HODGESON(key,vocals) GEOFF FOGGARTY(sax) ALAN CORNFORTH(drums)
contact:DOM 29 Birkdale Rd Heartburn Stockton
FAST PRODUCT 1979

VA/EARCOM3(FAST F9C)
side 1:U.S.A.:NOH MERCY "Caucasian Guilt" "Revolutionary Spy"
side 2:Britain:STUPID BABIES "Baby Blues" "Baby Sitters"
side 3:W.Germany:DEUTCH AMERIKANISCH FREUNDSCHAFT "Ich Und Die Wirklichkeit"
side 4:U.S.A.:THE MIDDLE CLASS "Out Of Vogue" "Situations"

THE MEKONS/WHERE WERE YOU?(FAST 7)
SCARS/ADULT/ERY(FAST 8)

side A:Where Were You?
side B:I'll Have To Dance Then(On My Own)
recorded 20th and 22th October '78 at Spaceward Cambridge

side A:Adult/ery
side B:Horrorshow
Raul Research(gtr) Calunn MacKay(drms) Bobby King(vcls) John MacKie(bass)
recorded at Cargo,Rochdale,8,9,11 Jan 79,engineer John Brierley
produced by Fast Product

DEAD KENNEDYS/CALIFORNIA UBER ALLES(FAST 12)
side A:California Uber Alles
side B:Man wIth The Dogs
Jello Biafra(vocals) Klaus Flouride(bass,vocals) Ray Valium(duitars9 Ted(drums)
produced by Jim Keylor and D.K
engineer:Jm Keylor


シンセサイザーとシーケンサー、エレクトロニック機器によるテクノポップのユニットとして'77年にフィル・オーキーを中心に結成された"Human League"は、イギリス北部の工業都市シェーフィールド出身のユニットだった。このFAST PRODUCTでの音楽や初期の作品は当時としては実験的要素も
THE HUMAN LEAGUE/BEING BOILED(FAST 4)
強かったが、2人の女性ヴォーカルを加えエレクトリックABBAとも呼ばれるほどのバンドに変貌を遂げシングル「Human」、「Don't You Want Me」、「Dare」などは全英ヒットチャートを賑わすほどのメジャーな展開を繰り広げていた('80年には一時グループが分裂し初期のメンバーMartin WareとIan Marsh脱退し、彼らはHeaven 17を結成する)。更に'81年にリリースした「愛の残り火(Don't You Want Me)」はイギリスで大ヒットした翌年にはアメリカでもナンバーワンヒットを記録している。コンピューターを使った新らしい時代を象徴した音楽、テクノポップの代表的な音楽でもありイギリスでのディスコ・ミュージックの誕生である。'86年にジャネット・ジャクソンで成功を収めたジャム&ルイスをプロデューサーに迎え「ヒューマン」を発表し、再び全米1位の大ヒットを記録し、'89年にグループ活動を停止している。

side 1:Being Boiled
side 2:Circus Of Death

THE HUMAN LEAGUE/THE DIGNITY OF LABOUR PTS.1-4(FAST 10/VF1)
A:The Dignity Of Labour Part1-2
B:The Dignity Of Labour Part3-4
with free flexi-disc
VIRGIN/FAST 1979

Human
http://www.youtube.com/watch?v=cH2X5PolerA
Human League - "Don't You Want Me" ..Baby?
http://www.youtube.com/watch?v=arUqoKjU3D4

2008年04月18日

RIP RIG + PANIC

RIP RIG + PANIC
uh huh!
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 64

ディック・オディールがYレコードではなくリップ・リグ・パニックのためのレーベル"uh huh!"を設立し、ヴァージン・レコードの配給を使って1stアルバム「GOD」をリリースしたのが'81年の夏、丁度ボクはその時取材旅行のためにロンドンに滞在していて、タイミング良く年に一度8月最後のバンクホリデーの週末に行われるノッティングヒル・カーニバルに遭遇し、街全体がサウンドシステムから流れるダブやレゲエの重厚なベース音と、スティールドラムの軽やかで涼し気なジャマイカ、トリニダード風のカリビアンな音で溢れていて、トロピカルな南国の風情を醸していた。そのポートベロー・ロードの一角
にセッティングされた野外ステージでリップ・リグ・パニックがライヴをやるというので、スタンディング席の最前列に陣取って彼らの生の音にじかに触れたのだが、フリージャズとジャズファンク、パンクとスウィングの混合したダンサブルな音楽を展開していた。ハチャメチャ激走ナンバーの、ローランド・カークのアルバム"Roland Kirk / Rip Rig & Panic"から引用されたバンド名を持つリップ・リグ・パニックは、ポップグループを離れた後のギャレス・セイガー(ギター、サックス)とブルース・スミス(ドラムス)が、ポップグループのライブにピアノ、キーボードとして参加していたマーク・スプリンガー、黒人ベーシストのショーン・オリバーを加え、ネネ・チェリー(Neneh Cherry)をヴォーカルにフィーチャーしてリップ・リグ+パニック(Rip Rig + Panic)を結成した。彼らもまた80年代を象徴する短命なバンドだった。
RIP RIG + PANIC/GOD(uh hoh! V2213)
ヴァージンから3枚のアルバムと数枚の12インチシングルを発表した後、Float Up CPというバンド名に変えてアルバムを発表しているが、リップ・リグスのような反響は得られなかった。ギャレス・セイガーは一時トンプソン・ツインズのメンバーでもあった。現在はPregnantとというバンドで活動しているらしい。ブルース・スミスはスリッツやNew Age Steppersなどに関わりながら、解散後はNeneh Cherry やビョーク、PIL、THE THEなどで幅広く活躍していた。1stアルバムのパンキッシュなジャズファンクも棄てたものじゃないが、彼らの残した作品のなかではやはりネネの義父でもあるドン・チェリーのトランペットをフィーチャーした2ndの「i AM COLD」は現在のクラブジャズ・ファンにもマストアイテムのひとつに推薦したいほどの"ジャズ的なる"音楽が収録されている。ドン・チェリー(1936-1995)はアメリカのオクラホマ州出身のジャズ・ミュージシャン、トランペット奏者で、オーネット・コールマンやジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、アルバート・アイラーとも共演し既成のジャズ概念を大きく変え新しい自由な即興空間を作ってきたが、 その後ヨーロッパに拠点を移し、ガトー・バルビエリ(sax)を迎えた自己のグループを率いて代表作の一つとされる「シンフォニー・フォー・インプロバイザーズ」などを発表したり、ナナ・ヴァスコンセロス(per)らとともに結成した"コドナ"など、亡くなるまで正統派のバップを屈折させたようなジャズからアジア、アフリカの民族音楽、ワールド・ミュージックの要素を反映させたスピリチュアルでオーガニック、アヴァンギャルドなグルーヴを持つジャズを演奏する特異な存在でもあった。多過ぎるほどある80年を境に発表されたこの時代の作品では、リップ・リグスのものが今のボクには最もベストなものかも知れない。

RIP RIG + PANIC/GOD(uh hoh! V2213)
「LIFE」誌に掲載されたジョン・ドミニスの、豹に襲われ殺される寸前の恐怖に引き攣りパニくるヒヒの写真がジャケット使われた45回転2枚組1st。45回転2枚組というDJ用の仕様も当時のダンサブルな音楽シーンが反映されたものである。当時彼らは全員医者やアーティスト、軍人の家庭で育った20-21歳の若いミュージシャンだったが、育ちの良い知的さがやはり音楽にもあらわれている。リップ・リグスの音楽の要はなによりもショーン・オリーバーのベースとブルース・スミスのリズムセクションの肉体的な安定したグルーヴにある。サン・ラやジェームス・ブラウンなどの音楽にみられるスピリチュアルと、ファンキーなブラスが交錯するパンキッシュなジャズである。ヴォーカルにネネ・チェリー、スリッツのアリ・アップがフィーチャーされている。
RED SIDE:1.Constant Drudgery Is Harmful To Soul, Spirit & Health 2.Wilhelm Show Me The Diagram (Function Of The Orgasm) 3 .Through Nomad Eyeballs 4.Change Your Life
YELLOW SIDE:1.Knee Deep In Shit 2.Totally Naked (Without Lock Or Key) 3.Try Box Out Of This Box 4.Need (De School You)
GREEN SIDE:1.Howl! Caged Bird 2.Those Eskimo Women Speak Frankly 3.The Blue Blue Third
BLUE SIDE:1.Shadows Only There Because Of The Sun 2.Beware (Our Leaders Love The Smell Of Napalm) 3.Miss Pib 4.It Don't Mean A Thing If It Ain't Got That Brrod
RIP RIG + PANIC:Gareth Sager,Sean Oliver,Mark Springer,Bruce Smith+Neneh,Ari,Flash
uh huh!/VIRGIN 1981

RIP RIG + PANIC/i AM COLD(uh hoh! V2228[12"×2])
ピカソのリトグラフ、ロートレアモンの肖像画の素描がジャケットに使われた45回転2枚組2nd。ドン・チェリーのトランペット、フラッシュのサックス、ジェズ・パーフィットのバリトン・サックスなど6管以上の管楽器と、マーク・スプリンガーのフリーフォームなピアノ、ヴィオラ、チェロなどの弦楽器の導入、サウンド・コラージュ、ダブなどのレコーディング・テクニックなどによって贅沢過ぎるほどに演出されたこのアルバムでの音楽は、ファーストのようにフリーフォームではあるが、よりブラックジャズの文脈に添った構造のなかで、ミニマルやエリック・サティの語法や印象主義的な音の断片すらも感じられ、彼らの最高作であり普遍的な名盤の1枚としていつまでも語り継がれるだろう。これこそが"ジャズ的なるもの"という音楽なのだ。
North Side:1.Hunger (The Ocean Roars It Bites) 2.Epi Epi Arp Woosh! 3.Another Tampon Up The Arse Of Humanity 4.Misbu Luba (Lone Wolf)
East Side:1.Storm The Reality Asylum 2.Here Gathers Nameless Energy (Volcanoes Covered By Snow) 3 .A Dog's Secret 4.Liars Shape Up Or Ship Out
South Side:1.Warm To If In Life 2.Nurse Increase The Sedatives (The Torment's No Better) 3.Take A Don Key To Mystery
West Side:1.Tax Sex 2.Subversive Wisdom 3.Fire Eyes Joyful Silent Tears
RIP RIG + PANIC・Composers + Producers;Gerath Sager,Mark Springer,Bruce Oliver *Don Cherry(trumpet) Neneh Cherry(vocals) Jez Parfitt(baritone saxophone) Flash(saxophone) David De Fries(trumpet) Andrea Oliver(vocals) Giles Leaman(percussion) Steve Noble(drums) Sarah Sarahandi(viola) Debbie(cello) Alph Wait(trombone)
cover lithograph:Picasso
VIRGIN 1982

※「God」、「i Am Cold」、「You're My Kind Of Climate」の3枚のジャケット・デザインはロンドンのJill Mumfordのチームによるもので、XTC「drums & Wires」、PIL「Flowers Of Romance」のジャケットも手掛け、当時ニューウェイヴの売れっ子のグラフィック・デザイナーだった。

RIP RIG + PANIC/ATTITUDE(V 2268)
side 1:1.Keep The Sharks From Your Heart 2.Sunken Love 3.Rip Open,But Oh So Long Thy Wounds Takes To Heal 4.Do The Tightrope 5.Intimacy,Just Gently Shimmer 6.How That Spark Sets Me Aglow
side 2:1.Alchemy In This Cemetery 2.Beat The Beast 3.The Birth Pangs Of Spring 4.Eros,What Brings Colour Up The Stem 5.Push Your Tiny Body As High As Your Desire Can Take You 6.Viva X Dreams
all tracks written by Rip Rig and Panic
produced by Gareth Sager & Adam Kidron
RIP RIG + PANIC:M.P.Z. Springer,Hoog Oliver,Lurid Sager,Biffeda Smith,Banana Cherry,Flush,s.Sarahandi,Stove Noble,D.D.Defries,Woo Honeymoon,Andrea Hoogess.
VIRGIN 1983
ネネ・チェリーのヴォーカルとブラスのテーマ・ユニゾンにジャズファンク/ダンスミュージックとしての要素が強く押し出されパンキシュにスウィングする3rdアルバム。効果的に挿入される自由奔放にプレイするスプリンガーのピアノと、それに絡むストリングスがアルバム全体のロマンティックでエキゾシティズム、アブストラクトな気配を作り上げている。

RIP RIG + PANIC/BOB HOPE TAKES RISKS(VS 468-12)
A side:Bob Hope Takes Risks
B side:Hey! Mr.E a Gren with a Shake of Smile
engineered by Tim Hunt
painting by Mike Springer
produced & composed by R.R.A.P.
VIRGIN 1982
ジャケット裏には「アンダルシアの犬」の有名な眼球切断のシーンが使われている。


RIP RIG + PANIC/YOU'RE MY KIND OF CLIMATE(VS507-12)
side one:You're My Kind Of Climate
side two:She Gets So Hungry at Night/She Eats Her Jewellery
special thanks to Swinging Derek(weazel) Hanham
picture credit:Jean Cocteau
composed and produced by R.R.A.P.
VIRGIN 1982
ジャン・コクトーが監督した映画「詩人の血」(1930)のワンシーンがジャケットに使われている。

RIP RIG + PANIC/STORM THE REALITY ASYLUM(VS 533-12)
side 1:Storm the Reality Asylum8Extended Version)
side 2:1.Leave Your Spittle In The Pot 2.It's Always Tit For Tac You Foolish Brats
composed + produced by Rip Rig + Panic
VIRGIN 1982


RIP RIG + PANIC/BEAT THE BEAST(VS 577--12)
side 1:Beat The Beast(sob Sob I'm Gonna Jail This Hell Hole Itch)
side 2:1.1619,A Dutch Vessel Docked 2.In The USA With 20 Humans For Sale
produced by G.Sager and A.Kidron
VIRGIN 1983

RIP RIG + PANIC/DO THE TIGHTROPE(VS 582-12)
side 1:Do The Tightrope
side 2:1.Blip This Jig It's Shamanic 2.Do The Tightrope(Instrumental)
produced by G.Sager & A.Kidron
VIRGIN 1983

2008年04月20日

BIRTH OF THE Y MOUTH / THE PROMENADERS / DISCONNECTION / Y RECORDS

BIRTH OF THE Y
MOUTH / THE PROMENADERS / DISCONNECTION
Y RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 65


THE PROMENADERS/THE PROMENADERS(Y 31)
プロムネーダースのこのアルバムは、イギリスの伝統的な社交界"ミュージック・ホール"で演奏されるダンスミュージックの数々がDavid Toop, Lol Coxhill, Max Eastley, Paul Burwell, Peter Cusack, Steve Beresford, Terry Dayなどによって再現されている。ロンドンではミュージック・ホールと呼ば
れる場所が19世紀に繁栄し、コンサート・ホールとパブの中間のような存在がミュージック・ホールで、音楽だけでなくお笑いや芝居など、多彩な芸能を見せる場所として、19-20世紀にかけてイギリスにおける娯楽文化の中心となったところだ。いまではミュージックホールといえば、まるで老人ホームの娯楽室のような感じだろうが、当時そこは社会にとってはアンダーグラウンドな場所であり、大衆文化の発信地としての役割を担っていた。"ムーンリヴァー"から"ハッピートーク"、"お爺さんの古時計"まで43曲がメドレーで収録されている。

side A:1.Nellie The Elephant 2.Medley (Louie Louie/The Promenader's Shuffle/Whistle While You Work/Calling All Workers /The Dambusters March/Do Re Mi/Eine Kleine Nachtmusik/American Patrol/South Of The Border/Let's Twist Again) 3 .Medley (My Grandfather's Clock/Al Capone/Ghosts/The James Bond Theme/Holy Family/Walkin' The Dog/Prommin' The Bass/Oklahoma/Parade Of The Penguins/I Could Have Danced All Night) 4.Chicago 5.Moon River
side B:1.Medley (Rock Around The Clock / Tin Roof Blues / Philly Dog / Promenaders Jazz It Up / Saturday Jump) 2.Medley (Stranger On The Shore/Rondeaux Makes It Up) 3.Medley (Happy Talk/The Hokey Cokey/Knees Up, Mother Brown) 4 ."A", You're Adorable 4a.Medley (There's A Long, Long Road A-Winding/Do Re Mi/My Favourite Things/You'd Be So Nice To Come Home To/Chim Chim Cheree) 5.Medley ((Won't You Play A) Simple Melody/Tibetan Promenade/Nellie The Elephant)
THE PROMENADERS:Loxhawn Rondeaux(soprano saxphone and vocals) Stuart Barefoot(euphonium and vocals) Steve Toop and Mike Simple(one string violins) Derek Nyte(cello and percussion) "Andre"(guitar) Paulo "Sticks" Birrelli(drums) with guest chanteue,Violet Nightingale
recorded live by Dirk Pitt on Brighton Beach,with free bonus tracks from their performance in an Exclusive Brighton Discotheque
artwork by Clark Youngblood
Y RECORDS 1982

MOUTH/TAKE YOUR COAT OFF(Y 10"-Y20)
ポップ・グループ、ピッグバッグのサイモン・アンダーウッドと、ピッグバッグのエンジニアーを担当していたデイヴ・ハントがテクニシャン(エンジニア)としてサポートしたマウスの、このYレコードから発売された10インチシングルではラテン・パーカシッヴなジャズグルーヴと太いベースラインによるON Uサウンドと言っていいダブを展開している。これ以外にも'81年にRecreationalから7インチシングル「Ooh, Ah, Yeah!」、'82年にこれと同じジャケットで7インチ盤「WHO'S HOT?」を同時に発表している。メンバーは後のブリストルサウンドの雄"The Wild Bunch"のNellee Hooper、"Massive Attack"やReprazentのRob Merril(ドラムス)、Andy Guy(トランペット/ギター)。当時こうした実験的に制作されたものからだけ、時代に色褪せることのない音楽が聴こえてくるのだ。

side F:Take Your Coat Off side X:Yahoo! A6C8AB
concocted at Berry St.Lab
Robin Marril/Paul Hooper/Andy Guy
technicians:Dave Hunt/Simon Underwood Andie Vining(beds photo) Neil Whiting(driving)
Y RECORDS 1982


VA/BIRTH OF THE Y(Y33 1/3)
「Birth Of The Y」にコンパイルされているものは、一曲目に収録されているディスコネクションの"バリハイ"はバリ島のガムランミュージックのディスコ・ヴァージョンだが、トロピカルでチルアウトなグルーヴを持ち現在のクラブフロアでも充分通用するアーシーな音楽だ。
Tymon Doggの'82年のアルバム「Battle of Wills」から抜粋された「Low Down Dirty Weakness」、彼は作詞作曲家、ヴァイオリニスト、詩人の肩書きを持つ多才なシンガーでミック・ジョーンズやクラッシュ、ポール・マッカートニーなどとも仕事している。ディマンダ・ギャラスは女性ヴォイス・パ
フォーマーだが、声だけを使った倍音唱法が取り入れられた透き通った幻想的ヴォイスから、ここでのノイズチックでヒステリックなカオス世界まで、コンテンポラリー・ミュージック・シーンでは特異な存在である。R.A.P.P. Feat. Archie PooleはLKJ直系ダブ・ポエット。Palsallamaは、女性ばかりで結成されたファンカラティーナの前身のパーカッション集団でアフロ・グルーヴが渦巻きスリッツよりもクラブ向けだ。マキシマム・ジョイはポップ・グループが解散した後、ギターのJohn Waddingtonが結成したテクノ・ポップ/ニューウェイヴの香りのするダンス・バンド。他にはGang Og FourやXTCのメンバーからなるSheriekbackのアヴァンポップ、Sun Ra、Promenaders、Chris Reevesなど全12曲収録されている。

side one:1.DISCONNECTION/Bali Ha'i 2.PIGBAG/Six Of One ... 3.TYMON DOGG/Low Down Dirty Weakness 4.DIAMANDA GALAS/Excerpt From The Litanies Of Satan 5.MOUTH/Voyage To The Bottom Of The Sea 6.R.A.P.P. feat ARCHIE POOLE/Guns, Bombs, Handgrenades
side two:1. PULSALLAMA/Ungawa pt.2 2.MAXIMUM JOY/Searching For A Feeling 3.SUN RA/Excerpt From Strange Celestial Road 4.PROMENADERS/Stranger On The Shore 5.CHRIS REEVES/After The Romance 6.SHRIEKBACK - Despite Dense Weed
cover painting by Vince Donlin
design by Martyn Lambert
Y RECORDS 1982

CHRISTOPHER REEVES/DINING AT DZERHINSKY'S(12" Y23)
'Yレコードから12インチ・シングルで82年に発表。キーボードを弾いているのは、恐らくヴァーティゴからリリースされていたCresidaの"Asylum"でクレジットされているPeter Jenningsだと思うが、サイドAは、シンセサイザーのオーケストレーションを多用したアラベスクなオペラ風のディスコ・ミュージックが収録されている。「寒い国から帰ってきたスパイ」などで有名なイギリスのスパイ小説の大家、ジョン・ル・カレにインスパイアされたPeter JenningsのDzerzhinskydでのフロアショーにコンセプトを持つもの。こうしたお遊びこそが80年代音楽の特徴ともいえるだろう。

front cover:Miriam Mills song inspired by John Le Carre thanks to Marcel(who smuggled out the pictures)
produced by Bob Heatlie
Christopher Reeves(vocals) Peter Jennings(keyboards)
Y RECORDS 1982

※レコード資料室の山積にされ無造作に詰め込まれたレコードが入った段ボールに腰を下ろして、80年以後のインディペンデント・レーベルでの音楽の情報量の多さにこの調子では何年かかるんだろうと、少なからずうんざりし、ロックから一日も早く離れ90年代のクラブシーンのアーカイヴに着手したいな、そうしようかなどと考えながら80年代に思いを馳せていると、結局は当時も今も発売されたレコードをリアルタイムに聴いている音楽ファンはそんなにいないんだということが解った。キミが若い音楽ファンなら、音楽はやはりリアルタイムに発売された旬のものを聴くべきだ。21世紀になったいまでも聴くに耐えうるレコードは、思っていたほどは多くなく、それこそこうした過去のレコードに針を落とすと目の前にリアルに音楽が再生されるが、すべては過ぎ去った過去の時間が記録されたものである(Yレコードを設立したディック・オディールもこの3月に他界している。時間とはそれほど残酷なものなんだよ)。ボクのこのOblique Strategiesだってひとつの教科書のようなテキストとして読んでいるんだろうな・・・。ボクにとっては必死に生きた証なんだけどもな。

2008年04月21日

MAXIMUM JOY / Y RECORDS

MAXIMUM JOY
Y RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 66

'79年にオリジナル・メンバーのJanine Rainforth (singer /violin/clarinet) とTony Wrafter (saxophonist/trumpeter, previously of another Bristol band, Glaxo Babies)でブリストルで結成され、その後、Charlie Llewellin (drums, previously of Glaxo Babies) 、John Waddington (guitar, previously of Pop Group) 、 Dan Catsis (bass, previously of Pop Group and Glaxo Babies)の3人が結合して斬新でワイルドなインプロ、ソウルフル・ジャズ、パンク、ファンクなどの混合した独自のスタイルを持つマキシマム・ジョイが出来上がる。
MAXIMUM JOY
/STRETCH"DISCOMIX+RAP"

(12" Y11)
'81年にYレーベルからリリースされたファースト・マキシ・シングル「STRETCH"DISCOMIX/RAP"」は、ディスコ・リミックスされニューヨークの99レコードからも発売されていて、99レコードといえばジェームス・ホワイト・アンド・ブラックのZEレーベルのNo Waveの動きに共振しLIQUID LIQUIDやVIVIEN GOLDMANなどのパンキッシュなダンスミュージックを発掘し45回転マキシシングルが10枚足らず発売されていた。そのZEでのリジー・メルシエ・デクルー( Lizzy Mercier Descloux)とマキシマム・ジョイなどのダンス(ディスコ)ミュージックに共通しているのは、ファンキーな分厚いベースラインと、エフェクトのかかったギター・リフ、そのうえをサックスのジャジーなフレーズが飛び交うといったものだ。マキシマム・ジョイは途中からベースのダンに変わってバンドに加入したKev (Ebo) EvansとジャズミュージシャンのTony Wrafterがマキシマム独特のジャズ的なグルーヴを構築していて、その存在は大きかった。それに加え82年に発売されたアルバム「Station MXJY」のプロデューサーとしてエードリアン・シャーウッドの名前が見られるが、彼がMouthのNelly Hooper、トランペッターJeremy Hirshをラインアップに加えアヴァンポップなダブサウンドに仕上げている。80年代とは何だったのだろうかと、当時のレコードを片っ端から再び聴き直してみると、やはり78年にニューヨークでイギリス人のマイケル・ジルカとフランス人のミッシェル・エステヴァンの二人によって設立されたZEレコードでのジェイムス・ホワイトのNO WAVE、イギリスのYレコードにみられるポストパンク、ファクトリー・レコードでのア・サーテン・レシオ、ニューオーダーなどのポストモダン・ミュージックが向かったものは、すべてが"ダンサブルなディスコ・ミュージック"だったし、80年代音楽のすべてがそこに集約されていたと断言しておこう。それらは90年代に始まったダンス・ミュージック=クラブミュージックに繋がり、80年代のこの時期の音楽こそが、90年代から現在までの音楽シーンのメインストリームである"DJカルチャー"="クラブミュージック"の先駆けと始まりだったのだ。マキシマム・ジョイもまたアルバム1枚だけをリリースしただけで'82年にピリオドを打つが、それこそが、"Lost Era"の80年代という"Joy=快楽主義"に向かった時代の、すべての音楽の宿命だったと言えるだろう。

Maximum Joy:
Janine Rainforth (singer /violin/clarinet)
Tony Wrafter (saxophonist/trumpeter, previously with Glaxo Babies)
Charlie Llewellyn (drums, previously of Glaxo Babies)
John Waddington (guitar, previously of Pop Group)
Dan Catsis (bass, previously of Pop Group and Glaxo Babies)
and later:
Kev (Ebo) Evan (Bass)
Nelly Hooper (Sin Drum)
Jeremy Hirsh (Trumpet)

MAXIMUM JOY/STRETCH"DISCOMIX/RAP"(12" Y11)
A:Stretch(Discomix/Rap)
produced by Disc o'Dell with Maximun Joy and John Walker.
B:Silent Street/Silent Dub
produced by Disc o'Dell with Maximum Joy,John Walker and Pete Mayburn.
recorded at Stage One and mixed at Berry St. 8/9 July 1981.
recorded at Berry St. 8/9 July 1981.
Y RECORDS 1981

MAXIMUM JOY/STATION M.X.J.Y-.(Y28)
Catch 1:1.Dancing on my boomerang 2.Do It today 3.Let it Take You There 4.Searching for a Feeling
Throw 2:1.Where's Deke? 2.Temple Bomb Twist 3.Mouse on' me 4.All Wrapped Up !
Janine Rainforth (singer /violin/clarinet)
Charlie Llewellyn (drums, percussion)
Kev (Ebo) Evan (Bass/piano/vocals)
Tony Wrafter (flute/saxophone/trumpet)
John Waddington (guitar, vocals)
produced by Dave Hunt,Pete Woodiscroft,Adrian Sherwood+Maximun Joy
recorded at Berry Street and The Lodge 1982
Y RECORDS 1982


MAXIMUM JOY/WHITE AND GREEN PLACE"EXTRATERRESTRIAL MIX"(12" Y 15)
A:White And Green Place(Extraterrstrial Mix)
B:Building Bridges/Building Dub
produced by Disc O'Dell & Maxumum Joy
engineered by Dave Hunt recorded at Bob's Berry St.
Y RECORDS 1982

MAXIMUM JOY/IN THE AIR"EXTENDED VERSION"(12 Y 26)
A:In The Air(Extended Version)
strings arranged and played by debbie,anna and anne.
B:Simmer Till Done
recorded and mixed at Berry Street ECI June 1982
by Maximum Joy,Dave Hunt and Pete Wooliscroft
A side remix by Disco Dell
Y RECORDS 1982

MAXIMUM JOY/WHY CANT WE LIVE TOGETHER(GAR 1/12)
フランスのGARAGEからリリースされたポップ・グループ、スリッツなどのプロデュースやマトゥンビ、LKJで知られるDENNIS BOVELLのプロデュースによる最後のマキシシングル。まさにブリティッシュのエキスを抜き取られたメイド・イン・USAの80年代後期のガラージュ、ディープ・ハウスミュージックに似たダブ・ディスコ・サウンドである。
A:1.Why Cant We Live Together
B:Man Of Tribes
John Waddington(guitar) Kev'n'Charlie(bass'n'drums) Paul'Nelly'Hooper(syndrums) Jeremy Xeno Hirsch(keyboards/trumpet) Janine-Petta,Nelly & Dennis Bovell(vocals)
produced by Dennis Bovell at Studio 80
engineers:Martin at Studio 80 Brad at Berry Street

Maximum Joy - "Stretch (Discomix & Rap)" (1981)
http://www.youtube.com/watch?v=jugLjUObvFw

2008年04月23日

THE FLYING LIZARDS - DEVID CUNNINGHAM

THE FLYING LIZARDS
DEVID CUNNINGHAM
VIRGIN/STATIK RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 67

フライング・リザーズのポップミュージックは、なによりも産業音楽というマスコンシュマー、大衆消費社会に対するデヴィッド・カニンガムの挑戦だった。市場が求めているものを意図的に商品化した彼のサービスだ。"フライング・リザーズ"、飛ぶ蜥蜴というチープな名前、下品なまでに脱構築したブレヒト/ヴァイルの"マンダレイ・ソング"で幕を開けるファーストアルバム「The Flying Lizards」は、悪ふざけであり、商業音楽に対する風刺であり彼なりの皮肉でもある。それもデヴィッド・カニンガムがたったひとりで。
THE FLYING LIZARDS/MONEY(VS 276)
大ヒットした「Money」は、マルチ・トラックのテープレコーダーを使って、わずか20ドルで策略したものである。ヒット曲を作りたいなら、彼のこの醒めたナンセンスなインテリ芸術の手法を学ぶべきだろう。キミがミュージシャンで音楽スキルもテクニックもなくて、金が欲しい、有名になりたい、そう思うなら"ヒットなんて誰にも簡単に作れるんだ"と彼は教えてくれている。これは現在の音楽シーンでも充分活用できる有効な戦略だろう。'81年夏、彼の自宅でインタヴューした時に、"パンクやニューウェイヴの音楽を堕落させたのは、レコード会社と契約を結ぶまでに有名になった彼らにプロデューサーとテクノロジーが完備されたスタジオを与えた結果で、それはスーパートランプやイエスと何ら変わらないからだ"と語っていたのが印象に残っている。パブロ・ピカソがいつも子供のように絵を描きたいと思っているのと同じように、デヴィッド・カニンガムはロウテックでチープなゴミのようなポップ・ミュージックで世界を我がものにした。アイルランド生まれのひとりのダダイストともいえる彼が、フライング・リザード名義で展開した"シンプルで意味を限定しない表現、ユーモア・ウィットのある表現、ゲーム性”のある音楽は、フルクサス(Fluxus)哲学をも応用したと思われる70年代後半から80年代前半のシーンの"流れを変え、下剤をかけ"大きく変革させた功績は再評価されるべきだろう。現在もロンドンに在住している彼は、'92年のBBC2(英国国営放送)が"The Late Show"と題して、様々なアーティストに深夜TV放送向けに1分間のアート・ワークの制作を依頼したシリーズの一つとして制作された「This Moment」では、人間の言語習得のプロセスを声の断片と記号によるコンセプチュアルなヴィデオ作品で発表したりしている。音楽レーベル"Piano"での活動も続行されており、いまでも音響系の多くの作品をリリースし、またニューキャッスル大学造形芸術学科(Fine Art at the University of Newcastle)主任研究員でもある。

THE FLYING LIZARDS/MONEY(VS 276)
A:Money
B:Money B
Produced by David Cunningham
Photography:Richard Rayner-Canham
VIRGIN 1979

The Flying Lizards - Money
http://www.youtube.com/watch?v=insVgcOVVDQ&feature=related
The Flying Lizards - Money (Live)
http://www.youtube.com/watch?v=kHs-6xnMEdE


THE FLYING LIZARDS/SUMMERTIME BLUES(VS230)
side A:Summertime Blues
side B:All Guitars
produced by David Cunningham for Piano Recordings
photography Richard Rayner-Canham
VIRGIN 1978

THE FLYING LIZARDS/TV(VS325)
side 1:TV
side 2:Tube
produced by David Cunningham
photography by Richard-Rayner-Canham
engineered by Dave Hunt at Berry Street Studio and David Cunningham at Brixton
published by Quartz/Artsong ltd
VIRGIN 1980

THE FLYING LIZARDS/THE FRYING LIZARDS(VIRGIN V2150)
ドイツのミュンヘンでレコーディングされ、レコードにクレジットされていないが、ジェネラル・ストライクのデヴィッド・トゥープ、スティーヴ・ベレスフォード、デイヴ・ソロモン、ジス・ヒートのチャールズ・ヘイワード、ポップ・グループのブルース・スミス、ジョ−ジ・オーバンなど14人のミュージシャンが録音に参加している。ベルトルト・ブレヒトとクルト・ワイルのオペラ「ハッピーエンド」の"マンドレイ・ソング"から始まるこのアルバムは、"悪ふざけの実践(music practical joke)"というものでもある。それが現実に大ヒットしたのだから、カンニンガム自身が最も驚いたのかも知れない。トゥープとベレスフォード、ソロモン、カニンガムの曲にヴィヴィアン・ゴールドマンが詞をつけた「Her Story」は、ディスコ・ミュージックである。「Russia」はジョン・ケージのテキストから歌詞としての音韻が引用されたもの。そして有名な50年代の曲エディ・コクラン/ジュリー・ケイプハートの「Summertime Blues」、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、シュープリームス、ミラクルズなど多くのアーティストによってカヴァーされたタムラ/モータウンのヒット曲ベリー・ゴーディ・ジュニア/ジェイニー・ブラッドフォードの「Money」などがダダと未来派のゼログラフィー(Xerography "electrophotography")なポストモダンの実験的眼差しで脱構築されている。

side 1:Mandelay Song/Her Story/TV/Russia/Summertime Blues
side 2:Money/The Flood/Trouble/Events During Flood/The Window
recorded at Berry Street and Brixton,London
engineered by Dave Hunt and David Cunningham
additional recordings made in New York,Munich,Maidstone and in Transit
Xerography by Laurie Rae Chamberlain
produced by David Cunningham
VIRGIN 1980

THE FLYING LIZARDS/MOVE ON UP(VS381)
A:Move On Up
B:Portugal
recorded in London 1980
xerography by Laurie Rae Chamberiain
produced by David Cunningham
VIRGIN 1980

THE FLYING LIZARDS/FORTH WALL(VIRGIN V 2190)
サイドAの6曲目「New Voice」には、Cascades57で紹介したQUARTZレコードの"Sacred Flute Music From New Guinea"の音源が使われていて、民族音楽のテープをバラバラに切断して編集したコラージュのようなものを作り、そのテープの回転を緩めたかのようなドローン・ミュージックが構築されている。インタヴューした時に即時的なロックミュージックを聴くよりは、普遍的なこの種の民族音楽を聴くことのほうが好きだと語っていたが、当時はイーノとトーキングヘッズのバーンの「ブッシュ・オブ・ゴースツ」などにもみられるアニミズムやシャーマニズムへの傾向を強めた時代でもあったのだ。セカンドアルバム「Forth Wall」の全編を流れているのは、まさにエレクトリック・シャーマニズムの象徴されたアヴァンポップそのものだ。当初ファーストでのコンセプトを継承したスモーキー・ロビンソンの作曲でテンプテーションズの大ヒット曲「Get Lady」をフィーチャーしたアルバムを作る予定だったが、それはお蔵入りになり、変わりに「Glide/Spin」、「Lost and Found」の2曲にロバート・フリップのギターをフィーチャーし、ヴォーカルにジュディ・ナイロン、パティ・パラディン、他にマイケル・ナイマン、ピーター・ゴードン、スティーヴ・ベレスフォード、ジュリアン・マーシャル、エレクトリック・チェアズのリズムセクションのメンバーなどが参加したアヴァンポップな音楽が収録されている。「Fourth Wall」とは弟4のフィル・スペクター・サウンド、"ウォール・オブ・サウンド"を意味するものだ。
A:1.Lovers And Other Strangers 2.Glide/Spin 3.In My Lifetime 4.Cirrus 5.A-Train 6.New Voice
B:1.Hands 2 Take 2.An Age 3.Steam Away 4.Move On Up 5.Another Story 6.Lost and Found
David Cunningham(Effects, Guitar, Harmonica, Keyboards, Mixed By, Percussion, Tape, Violin, Vocals)
J.J. Johnson(Drums)
Julian Marshall (Keyboards, Vocals) Patti Palladin(Vocals)
Engineer:Al Williams, Dave Hunt , John Strudwick , Rob Doran
Mastered By Tim Young
Producer:David Cunningham
VIRGIN 1981

THE FLYING LIZARDS/HANDS 2 TAKE(VS392)
A:Hands 2 Take
B:Continuity
Patti Palladin(voice) Michael Nyman(piano) Lucy Skeaping and Nick Hayley(rebecs) Edward Pillinger and Rory Allam(bass clarinets) Anne Barnard(horn) Steve Saunders(trombone) Keith Thompson(baritone saxophone) Ben Grove(bass) David Cunningham(percussion,keyboard,guitar)
sleeve by Laurie-Rae Chamberlain and David Cunningham
produced by David Cunningham
VIRGIN 1981


THE FLYING LIZARDS/LOVERS & OTHER STRANGERS(VS421)
A:Lovers & Other Strangers
Patti Palladin(voices,words) Jj Johnson(drums) Steve Beresford(keyboards,guitar,bass) David Cunningham(guitar,siren)
B:Wind
Vivien Goldman(voices) David Cunningham(percussion and Keyboards)
sleeve by Laurie-Rae
produced by David Cunningham
VIRGIN 1981


FLYING LIZARDS/MOVE ON UP(VIP 5902)
日本でコンパイルされ発売された12インチ・ピクチャー・ディスク。「Move On Up」は4枚目のシングルで、オリジナルはカーティス・メイフィールドの曲をデスティネーションによってディスコ・ヒットしたもののリメイク。2曲目「Portugal」はその4枚目のシングルのB面に収録されていたもの。「All Guitars」はサマータイム・ブルースのB面収録曲、そして「Money」と3枚目のシングル「TV」のB面収録曲「Tube」。テクノポップが21世紀に入ったいま、またまた日本の音楽業界を賑わしているらしい。
A:1.Move On Up 2.Portugal 3.All Guitars
B:1.Money 2.Tube 1980
Produced by David Cunningham
VICTOR 1980


THE FLYING LIZARDS/TOP TEN(STATIK STAT LP20)
side one:Tutti Frutti,Dizzy Miss Lizzie,Sex Machine,What's New Pussycat,Suzanne
side two:The He Kissed Me,Whole Lotta Shaking Goin' On,Purple Haze,Great Balls Of Fire,Tears
performed by The Flying Lizards
instruments-David Cunningham voice-Sally
with Julian Marshall(piano) Michael Upton(voice)
Peter Gordon(saxphones,clarinet,percussion) John Greaves(bass) Steve Beresford(piano) Elisabeth Perry and Alexander Balanescu
recorded in London and Geneva,mixed Digitally ADA in London
photography by Garrard Martin,make up-Kaz Simler, sleeve-Julie Pratten
produced by David Cunningham for Piano Records
STATIK 1984

THE FLYING RIZARDS/DIZZY MISS LIZZIE(STATIK TAK 25/12)
A:1.Dizzy Miss Lizzie 2.Dizzy
B:1.Gyrostatics
performed by The Flying Lizards
voice:Sally piano:Julian Marshall drums;David
photography:Garrard Martin sleeve:Julie Pratten
recorded digitally ADA in London
produced by David Cunningham gor Piano Records
STATIK RECORDS 1984
Flying Lizards Dizzy Miss Lizzie
http://www.youtube.com/watch?v=xYBx5_p8r_o

THE FLYING LIZARDS/SEX MACHINE EXTENDED MIX(STATIK TAK 19/12)
A:1.Sex Machine(Extended Version) 2.Machine Sex
B:1.Flesh And Steel(Extended Version)
voices-Sally and Michael piano-Julian Marshall keyboards and percussion-David Cunningham
recorded digitally ADA in London
produced by David Cunningham
STATIK 1984
70年のジェームス・ブラウンのファンクヒット"セックスマシーン"をリミックス/再構築したこのシングルと"Money"こそが、80年代の快楽主義の時代を象徴する最も典型的な作品だとぼくは思っている。いいこと言ってても結局は多くの人間がこのセックスマシーンの"Fellas, I'm ready to get up and do my thing! (Yeah! That's right! Do it!) I want to get into it, man, you know? (Go ahead! Yeah!) Like a, like a sex machine, man, (Yeah!) movin', doin' it, y'know? (Yeah!) Can I count it off? (Okay! Alright!) One, two, three, four!"と、マネーの"I Want Money That's Want I Want That's Want I Want...Give Me Your Money Just Give Me Money"の執拗な欲望のリフに傾れ込んでいったのだ。

http://www.discogs.com/artist/Flying+Lizards,+The

※そういえば当時ニッポンに新人類などというバブル世代がいたけれど、あれも結局はみんな偽者だった。それこそ"新人類なんて言わせない"だ。処世術に長けてた彼らが、あの時代のオトシマエを付けなきゃならない時が愈々これからやってくるのだ。見物だな。

2008年04月25日

SCRITTI POLITTI / MILES DAVIS

SCRITTI POLITTI
MILES DAVIS
ROUGH TRADE
VIRGIN
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 68

スクリッティ・ポリッティとマイルス・デイヴィス
ポストパンク・フェーズのアレサ・フランクリンにインヴォルヴドしていた'82年のアルバム「Song To Remember」、'88年のダンスミュージックを脱構築した(とグリーン本人が言っている)マイルス・デイヴィスとのコラボレート「Provision」までのスクリッティ・ポリッティが残した数枚の作品を聴いていると、'88年のそのアルバムを最後にウェールズにリタイアしたグリーンならずとも、"失われた10年"という時代を前にした80年代のあの忌まわしいフラットな時代を思わずにはいられない。

MILES DAVIS/TUTU(WPCR-2743)
1.Tutu 2.Tomaas 3.Poritia 4.Splatch 5.Backyard Ritual 6.Parfect Way 7.Don't Lose Your Mind 8.Full Nelson
Miles Davis(trumpet) Marcus Miller(bass) Jason Miles/Adam Holzman/Marcus Miller(synthesizer programming) Paulinho Da Costa(percussion) Steve Reid(percussion) George Duke(percussion,bass,trumpet) Omar Hakim(drums,percussion) Bernard Wright(synthesizer) Michael Urbanik8electric violin)
produced by Tommy LiPuma and Marcus Miller
recorded 1-3 1986
WARNER BROS. RECORDS 1986

プリンスとの問題でゴタゴタしていた時期のマイルスのワーナー移籍後の1作目。ほとんどの楽曲をマーカス・ミラーが担当したベーシック・トラックのうえをマイルスがオーバーダヴィングして仕上げるロック的手法を使って構築した初めての作品。"Splatch"などの、現在のクラブジャズでも充分そのままDJイング可能なダウンテンポのアブストラクトなグルーヴには、20年前の作品だとは思えないほどの輝きがあり、スクリッティ・ポリッティの曲"Perfect Way"のリメイク・カヴァー抜きにしても早く聴いておけばよかったと思わせた作品だ。
Miles Davis - Tutu Medley
http://www.youtube.com/watch?v=SrK5FxKKteI
Miles Davis tutu partie 1
http://www.youtube.com/watch?v=jidx4uSJLlU&feature=related


SCRITTI PORITTI+MILES DAVIS/OH PATTI(VSX 1006)
Oh Patti(don't feel sorry for ivoryboy)
Oh Patti(instrumental)
vocal:Green Gartside keybords:David Gamon drum programme:Fred Maher trumpet:Miles Davis guitar:Don Huff b.vox:Eric Troyer+Rory Dodd synclavier assistance:John Mahoney+Ray Niznik drum samples recorded by John Potoker
produced by Gartside+Gamson
engineered by Ray Bardani
mixed by Mike Shipley
recorded at Atlantie Studios,N.Y.,Minot Studios,White Plains,N.J., Britannia Row Studios,London.
VIRGIN RECORDS 1988
'88年にスペシャル・エディションで発売されたマイルスとのコラボレーション"OhPatti"の7インチシングル・ボックスケース。箱のなかにはカラーポスターとポストカード3枚、スタンプシートが付録についている。あの独特の黒っぽい声からしても、グリーンのヴォーカリストとしての才能はブライアン・フェリーにも劣らない。"Oh Patti"はあのフェリーの"アバロン"にも似て、そのもの哀しげなメロディーは、いまも当時の恋の思い出とともにボクの心に残っている。そしてマイルスのトランペットの音がメランコリックだ。


SCRITTI POLITTI/ASYLUMS IN JERUSALEM(RT 111T)
'82年のマキシシングル「Asylums In Jerusalem」のサイドAAの「Jacques Derrida」ではアルジェリア出身のフランスのユダヤ系哲学者で、ポスト構造主義のエクリチュール(書かれたもの、書法、書く行為)の特質、差異に着目し、脱構築、散種、差延、グラマトロジー等の概念を生み出した"ジャック・デリダ"や、他にもウィトゲンシュタインの論理哲学論考のトラクテイタスという記号を意味もなく曲のタイトルに使っていて、'83年には浅田彰のベストセラー"構造と力"に"クラインの壷からリゾームへ"と題してスクリッティ・ポリティのそのことに触られていてなぜか笑ってしまったが、グリーンにとってはイタリアのマルクス主義のアントニオ・グラムシの政治的書簡での言葉からとられたグループ名のスクリッティ・ポリッティですら、単に情熱をかきたてるもの、別の道を暗示すもの、変化をうながすもの、共同体の絆になりうるものであり、とりたてて深く考えて引用したものではなかった。マイルスもそうだが、ロックはもう既にすべてのものをリゾーム状に横断していたし、ボクがロックマガジンでやったことは、その実践だったのだ。80年代のバブルの都市をディスコ・ミュージックが席巻していた時代にメディアでもてはやしていた、あのニューアカや新人類とはいったいなんだったんだろうか。彼らは所詮は芸大の助教授か大学の非常勤講師の職を得るために"それてき"なフリをしていただけか。ボクはマルクス主義に微塵も興味はないが、グラムシといえばイプセンの"人形の家"などの内向的な芸術を賞賛していたにもかかわらず、一方で前衛芸術運動であった初期の未来派のF.T.マリネッティの行動の理念を共有し"新しさ"を一つの秩序としてみていて、"新しさ"という概念が既存の秩序を破壊するものとしていた彼のその論考は好きだった。まあ現在、新しいものを探すのも困難な時代だが・・。
SCRITTI POLITTI/SONGS TO REMEMBER(ROUGH 20)
スクリッティ・ポリッティは、イギリスのウェールズ出身のグリーン・ガートサイド (Green Strohmeyer-Gartside) が、リーズのアート・スクールの友人Tom Morley (drums)とセックス・ピストルズにインスパイアされ'77年に結成したもので、後にベーシストのNial Jinks 、キーボーディストのMatthew Kayを加え活動を始める。音楽的にはグリーンの'79年の病気での長い療養生活を強いられた時期に目覚めたレゲエやファンク、R&Bなどのブラック・ミュージックに根を持つものだ。その後、'82年にラフ・トレードから「Songs to Remember」でデビューし、その中性的なヴォーカルとファンクテイストのブラック・ミュージック、少しのカンタベリー系サウンドが入り混じったアヴァンポップな音楽を展開していた。'84年にDavid Gamson (keyboards)とFred Maher (drums)を新たにメンバーに加えスクリッティ・ポリッティをシンセ・ポップ・グループとして再編し、'85年に「Cupid & Psyche 85」をヴァージン・レコードからリリースしている。レゲエからソウル、ファンク、R&Bを横断するエレクトリック・ソウルが収録されているが、このなかの"Perfect Way"は、'86年のマイルス・デイヴィスのアルバム「TUTU」でリメイク・カヴァーされている。マイルス・デイヴィスとの関わりは「TUTU」を実質上プロデュースしたMarcus Millerとの関係によって生まれたのだが、80年代以降のマイルスは、長いブランクの後の、アメリカのベーシスト、音楽プロデューサー、作曲家・編曲家であるマーカス・ミラーのサポートによって活動していたが、バンドを従えずあらかじめ出来上がったトラックの上にトランペットをかぶせるスタジオミュージシャンのような制作スタイルを取り入れていて、スクリッティ・ポリッティの'88年の「Provision」の"Oh Patti"でもマイルス・デイヴィスはトランペットでセッションしている。
SCRITTI POLITTI/PROVISION(V2515)
デジタル・シンセサイザー(YAMAHA DX7)やゲート・リバーブを多用した80年代サウンド=シンセポップ/テクノポップ/ディスコ・ミュージックはなんとまあ没意味でフラットな"おバカ"音楽だろうかと、いまさらながら呆れてしまう。80年代とは"ブランド" 、"おいしい生活"、"六本木のWAVEに象徴される西武セゾン系の大手流通業文化"などなど、当然のことながら"別冊宝島"が特集を組んでいた"80年代はスカ(はずれ、空っぽ)"の時代だったのだ。まるで脳天気なあの時代のBGMに相応しいのがスクリッティ・ポリッティの最高傑作(笑)「Cupid & Psyche 85」や、「Provision」でのテクノポップ/ディスコ・サウンドである。その後、スクリッティ・ポリッティは自然消滅していく。近年では、クラブミュージックに接近した音楽を展開している99年「Anomie & Bonhomie」、2006年「White Bread Black Beer」を発表し、再び精力的に活動しているらしい。いまとなっては初期のラフトレードからの作品と、マイルス・デイヴィスのトランペットが聴ける"Oh Patti"、マイルスがリメイクしている"Perfect Way"以外は、彼らの音楽に興味はない。それは80年代中期から後期のあの忌まわしいフラットな時代を振り返ることさえもボクは意識的に拒否しているからだ。酷い最低の時代だったぜ!

SCRITTI POLITTI/ASYLUMS IN JERUSALEM(RT 111T)
A:Asylums In Jerusalem
AA:Jacques Derrida
Green(vocals,guitar) Joe Cang(bass) Mike McEvoy(keyboards) Tom Morley(linndrums) Robert Wyatt(keyboard) etc.
ROUGH TRADE 1982

SCRITTI POLITTI/SONGS TO REMEMBER(ROUGH 20)
side one:1.Asylums In Jerusalem 2.A Slow Soul 3.Jacques Derrida 4.Lions After Slumber 5.Faithless
side two:1.Sex 2.Rock-A-Boy Blue 3.Gettin' Haven' & Holdin' 4.The Sweetest Girl
all songs written by Green
Green(vocals & guitar) Hial,Joe(bass) Robert,Mike(keyboards) Tom(drums) Jamie(saxophone) Mgotse8double bass) Lorenza,Mae,Jackie(backing vocals)
produced by Adam Kidron and Green
recorded at Barry St.Studios London/Island Studio
ROUGH TRADE 1982

SCRITTI POLITTI/PROVISION(V2515)
Boom! There She Was/Overnite/First Boy In This Town (Lovesick)/All That We Are/Best Thing Ever/Oh Patti (Don't Feel Sorry For Loverboy)/Bam Salute/Sugar And Spice/Philosophy Now
Green Gartside(vocals) David Gamson(key and drum programming) Fred Maher(drums and drum programming) Marcus Miller(bass) Dan Huff(guitar) Fonzi Thornton,B.J.Nelson,Tawatha Agee,Eric Troyer,Rory Dodd,Green Gartside(backing vocals9 Bashiri Johnson(percussion) Roger Troutman(voice box) Miles Davis(trumpet)
VIRGIN 1988


SCRITTI POLITTI/4 A-Sides (ROUGH TRADE RT 027)
A:1.Bibbly-O-Tek 2.Double Beat
B:1.Confidence 2.P.A.s
ROUGH TRADE 1979

SCRITTI POLITTI/THE SWEETEST GIRL(ROUGH TRADE TRADE2/12)
A:The Sweetest Girl
with Robert Wyatt
engineer:Adam Kidron
B:Lions after Slumber
with Mike Macavoy
engineer:Adam Kidron
ROUGH TRADE 1981

SCRITTI POLITTI/FAITHLESS-TRIPLE-HEP N'BLUE-(RT 101)
A:Faithless
B:Faithless Part II
Green(vocals,guitar) Mike MacEvoy(synthesizers,vocoder) Joe Cang(bass) Tom(drum machine) Lorenza,Mae,Jackie(backing vocals) Jamie Talbot(saxophone) Steve Sidwell(trumpet)
written and arranged-Green
produced-Green and Adam Kidron
engineeres-Nigel Mills,Stuart Henderson,Dave Jacob
organisation-Matthew
recorded at Island Studios Basing Street December-January 1981-82
ROUGH TRADE 1982


SCRITTI POLITTI/WOOD BEEZ(VS 657-12)
A:Wood Beez(pray like Aretha Franklin)
B:Wood Beez(version)
vocal;Green synthesizers:Robbie Buchanan/David Frank/David Gamson guitar:Paul Jackson jnr. drums:Steve Ferrone backing vacals:Fonzi Thornton/Tawatha Agee/B.J.Nelson
produced + edited by Arif Mardin
recorded + mixed at Power Station + Atlantic Studios New York
VIRGIN 1984

SCRITTI POLITTI/ABSOLUTE(VS 680-12)
A:Absolute
B:Absolute Version
vocal;Green synthesizers:Robbie Buchanan/David Frank/David Gamson guitar:Paul Jackson jnr. bass:Will Lee drums:steve Ferrone backing vacals:Fonzi Thornton/Tawatha Agee/B.J.Nelson
recorded + mixed at Power Station + Atlantic Studios New York
VIRGIN 1984


SCRITTI POLITTI/HYPNOTIZE(VS 725)
A:Hypnotize
B:Hypnotize (version)
made by Gartside,Gamson+Maher with Nick Moroch & B.J.Nelson
engineered by Ray Bardarni(new york) mixed-Gary Langan(london)
VIRGIN 1984

SCRITTI POLITTI/CUPID & PSYCHE 85(VIRGIN V-2350)
The Word Girl /Small Talk/Absolute/A Little Knowledge/Don't Work That Hard/Perfect Way/Lover To Fall/Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin) /Hypnotize
VIRGIN 1985
スクリッティ・ポリッティの音楽にとってプロデューサー、アリフ・マーディンの存在は大きかっただろう。彼はチャカ・カーン、ジョージ・ベンソン、カーリー・サイモンを手掛けたプロデューサーとしても有名だが、スクリッティ・ポリッティの音楽にみられるアメリカナイズされたディスコ・サウンドは、勿論グリーンのモータウンサウンドへの傾倒がそうさせたのだろうが、それが結局マイナス要因だったような、そんな気がする。


Scritti Politti
http://www.youtube.com/results?search_query=Scritti+Politti+&search_type=

http://www.aggressiveart.org/jpindex.htm

2008年04月28日

JON HASSELL/ BRIAN ENO

JON HASSELL
BRIAN ENO
"FOURTH WORLD"
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 69

ジョン・ハッセルの最初のプロジェクト、'78年 TOMATOからリリースされたJon Hassell"Earthquake Island"は、2人のギタリスト、ベーシスト、数人の打楽器奏者によるラテンアメリカとカリブ海のリズムが構築されたものだが、この作品や'77年の「Vernal Equinox」での民族音楽を電子的変容した音楽に源のあるジョン・ハッセルの、原始と未来が融合したアーシーなフューチャー・プリミティヴ=第4世界が描かれたブライアン・イーノのこのシリーズは、ドローンでも、環境音楽でもなく、まさにジャズであり、"ジャズ的なるもの"である。
JON HASSELL/DREAM THEORY IN MALAYA Fourth World Vol.2
ジョン・ハッセルは"私の野心は第3世界と、それが理想化されたテクノロジーによる第4世界を溶合した、伝統的アイデアの投射されたポストモダンとデジタルの文脈にあるもので、恐らく音楽が失った未知なるものの観点からヴァーチャル(虚構)ななにかを発見しクリエイトすること"だと語っている。ジャズに未来があるとするなら、彼のこの言葉に多くのヒントが示唆されているように思える。イギリスのWIRE誌では、ジョン・ハッセルのことをマイルス・デイビス、ジミ・ヘンドレックス、ジェームス・ブラウン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドと同じように現代音楽へ重要な影響を与えたアーティストと高く評価している。'37年にメンフィスで生まれ、60年代中期にヨーロッパに移りシュトックハウゼンのもとで電子音楽を学び、'68年のテリー・ライリー「In C」、'73年にはラ・モンテ・ヤングの「Dream House」の録音に参加するためニューヨークに戻り、同時に新しいトランペットのサウンドとスタイルを探索するために、ヒンドゥスタンのラガマイスター(キラナ様式のヴォーカリスト)、パンディット・プラン・ナス(Pandit Pran Nath)に師事し古代インド音楽キラナ様式を学ぶことで、独特のあの人間の息のような、トランペットを共鳴管にしたて唇で唄うサウンド、トランペット・ヴォーカリズムが生まれたのだ。'80年のブライアン・イーノとのコラボレーション「Fourth World Vol.1「Possible Music」で始まり、'81年のジョン・ハッセルのソロFourth World Vol.2「Dream Theory In Malaya」、'83年の「Aka/Darbari/Java」の3枚は、オブスキュア、アンビエント、そしてこのフォース・ワールドに繋がるイーノのコンセプトのなかでは、音楽的に最も革新的なものだった。90年代には一生三宅や川久保玲のファッションショウでジョン・ハッセルの音楽が使われていたこともあった。'99年にリリースされた"Fascinoma"は、クラブジャズおけるFuture Jazzなどのe-jazz(エレクトロニック・ジャズ)と呼ばれる現象のなかで発表されたもので、Erik Truffaz、Paolo Fresu、Nils Petter Molvaerなどに影響を与えた作品で、2000年4月にはロンドンのバービカン・センターで催された"world premiere of new music"で、ワールドミュージックのBaaba Maal、ロンドンのDJ/プロデューサー、Howie B、マイルス・デイヴィスのキーボーディストだったJohn Beasleyから成る彼の新しいグループ、 Jon Hassell ledで初演している。2004年6月のモントレー・ジャズ・フェスティヴァルでは、DJ Stratum、Paolo Fresu、Erik Truffaz、Dhafer Youssefを迎えハッセル・イン・"リミックス"モードと称したステージを特集している。エレクトリック・マイルスを継承し、生音のブレイクビーツなども展開しているフランスのジャズ・トランペッター、エリック・トラファスは、Nils Petter Molavaerとともにクラブミュージックとジャズの融合したフューチャージャズのアーティストで、一時ボクも彼のクラブジャズにはまっていた時期があって、そのアラビックなヴォーカルをフィーチャーしたり、どこかにイスラミックでスペイシーなグルーヴを持つ彼と共演しているというのも頷ける。当然のことだが、ジョン・ハッセルもまたいまやクラブジャズの文脈に侵入しているアーティストのひとりと言えるだろう。

レコードではこのYouTubeよりももっと原始未来のうねるトランペット・ヴォーカリズムが聴けるが・・・参考に。
jon hassell maarifa street live part 1
http://www.youtube.com/watch?v=RCWnZ0qILUA
John Hassell & Farafina
http://www.youtube.com/watch?v=ZNG9OojcNHY&feature=related

クラブジャズの文脈にあるジョン.ハッセル
Club Zombie : Jon Hassell
http://www.youtube.com/watch?v=LGtSSYZLypA&watch_response

JON HASSELL/DREAM THEORY IN MALAYA Fourth World Vol.2(EGM 114)
side one:1.Chor Moire 2.Courage 3.Dream Theory 4.Datu Bintung At Jelong
side two:1.Malay 2.These Times... 3.Gift Of Fire
Jon Hassell(trumpets/pottery drums/prophet 5/bowl gongs/mix) Brian Eno(drums/bowl gongs/bells/mix) Michael Brook(bass) Miguel Frasconi(bowl gongs) Walter DeMaria(distant drum) Dan Lanois(mix)
recorded at Grant Avenue Studio,Hamilton,Ontario,Canada
engineer:Dan Lanois additional engineering:Greg Roberts mstering:Greg Calbi,sterling sound,New York/AMS Model DMX 158OS:courtesy Dick Armin/Splash rhythm edit assist:Paul Fitzgerald/Frog Bog recording:Andrew Timar
all compositions,produced by Jon Hassell
EG RECORDS 1981

JON HASSELL+BRIAN ENO/POSSIBLE MUSIC Fourth World Vol.1(EG EGED 7)
side 1:1.Chemistry - Jon Hassell(trumpet) Percy Jones(bass) Nana Vasconcelos/Ayibe Dieng(ghatam) 2.Delta Rain Dream - Jon Hassell(trumpet & prophet 5 touches) Brian Eno(background cloud guitars) Nana Vasconcelos/Ayibe Dieng(low congas) 3.Grot(Over "Contagious Magic") - Jon Hassell(trumpet) Michael Brook(bass) Paul Fitzgerald(electronic) Gordon Philips/Andrew Timar/Tina Pearson(handclaps) recorded in Concert January 25,1980,Art Gallery Of Ontario,Toronto
4.Ba-Benzele - Jon Hassell(trumpet) Brian Eno(prophet 5 "starlight" background) Jerome Harris(bass) Nana Vasconcelos(congas) 5.Rising Thermal 14゜16' N;32゜28' E -Jon Hassell(trumpet & "aluar" loop) Brian Eno(high altitude prophet) Night Creatures Of Altamira
side 2:Charm(Over "Burundi Cloud") -Jon Hassell(trumpet & arp loops) Brian Eno(rare minimoog & treatments) Nana Vasconcelos(ghatam & loop drum) Ayibe Dieng(congas)
*by Jon Hassell/Brian Eno all other compositions by Jon Hassell
produced by Brian Eno with Jon Hassell
recorded and mixed(except for Grio) at Celestial Sounds,New York
engineer:Michael Jay mastering:Greg Calbi(Sterling Sound)
EG RECORDS 1980

JON HASSELL/AKA DARBARI JAVA(MAGIC REALISM(EGED 31)
side one:Empire i ii iii iv v
side two:Darbari Extension i ii
Jon Hassell(trumpet,keyed voices and instruments,treatments)
Dan Lanois(engineering,mixing,and treatments)
Abbou Mboup(drums)
all compositions by Jon Hassell
produced by Jon Hassell with Dan Lanois
recorded at Grant Avenue Studios,Hamilton,Ontario,Canada
drum recording:Polydor Paris
EG RECORDS 1983

jonhassell.com | the official website of jon hassell
http://www.jonhassell.com/index.html
Jon Hassell — Power Spot
http://www.jonhassell.abelgratis.co.uk/index.html

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