2008年05月 Archive

2008年05月01日

BRIAN ENO / HAROLD BUDD / JARAAJI

BRIAN ENO
HAROLD BUDD/JARAAJI
AMBIENT
MUSIC FOR FILMS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 70

"AMBIENT アンビエント・ミュージック"
’78年にEGからリリースされたブライアン・イーノのアンビエント・シリーズの1枚目「Music For Airports」のライナーでイーノは、"特に環境におけるバックグラウンド機能として設計された音楽の概念はミューザックincによって開拓され、50年代以来、ミューザックという用語によって一般的に知られるようになっています。そのミューザックの内包した表現をアンビエント・ミュージックに関連づけたもの。聞き覚えのある曲は、独創性のない軽い管弦楽に編曲され、それはエンヴァイロメンタル・ミュージックに注意をうながすために意識したもの。
BRIAN ENO/AMBIENT 1 Music For Airports(EG AMB 001)
過去3年間、環境としての音楽に関心を持ち、こうした方法と領域での自身の実験音楽と使用できる素材を探してきた。私はアンビエント・ミュージックという用語を使い始めよう。アンビエンスとは雰囲気と定義され、または周囲/環境からの影響:色あい、ほのかな色。私の意図は様々なムードと雰囲気に添った環境音楽のオリジナルの断片をプロデュースすることである。従来のバックグラウンド・ミュージックは、音楽から不確実性と疑わしい状態の感覚を剥ぐことによって制作されるが、アンビエント・ミュージックはこれらの特質を保持/保有する。彼らの意図はそれに刺激を加えることによって環境を輝かせることだが、アンビエント・ミュージックは、人工的に静穏と空間を引き起こす。アンビエント・ミュージックは、意識を集中させて傾聴することと同時に、その音楽を無視することが可能だ"とアンビエント・ミュージックを定義していた。アンビエント・ミュージックは往々にしてスピリチュアルなヒーリング・ミュージック、精神世界を意味するニューエイジでカテゴライズされるが、それは間違っている。エリック・サティの印象主義ともいえる"家具音楽(Musique d'ameublement)"に端を発する、テリーライリーのミュジーク・コンクレート、フィリップ・グラスのミニマリズムの流れに加え、イーノ自ら認めているマイルス・デイビスと、彼のアルバム“Bitches Brew” や“In a Silent Way”などのプロデューサーで、つい先日逝去したジャズ・サキソニストのテオ・マセロ(ロックファンにはラウンジ・リザーズのファーストアルバムのプロデュースで知られた)のムード(モード)ジャズの影響下にあるもので、70年代後半にブライアン・イーノが提唱したアンビエントという新たな文脈にある音楽だ。
「Music For Airport」は、空港という場が持つその環境下の機能を考慮し作曲され、この音楽は実際にニューヨークのラガーディア空港で使用されていたことがある。文字通り"空港のための音楽"である。ミニマル・ミュージックの手法による4曲のインストゥルメンタルで、曲名には単に記号としての番号がふられているだけで、"1/1"はピアノとシンセサイザー主体、"1/2"は肉声のみで演奏されるミュジーク・コンクレートを思わせる曲であり、"2/1"は肉声とピアノ、"2/2"はシンセサイザーのみで演奏されている。
以下はイーノ自身による解説だ。●このアルバムは1つの目的の最小公倍数で成り立っている。私はここで面白い音楽を作り出そうとは思わなかった。純粋に、空港で流れるようなものを作りたかったのだ。そして私の音楽によって非行は耐え難い、不愉快なものではなく楽しいことだと思ってもらいたい、というのは私が常に飛行機での旅行を好まないからだ。●アルバムの中の1曲では非常に長いテープループ、50、60、70フィート相当のものをいくつも使用している。その数は全部で22。あるループにはピアノ音だけが入っている。あるいはループには女性の声、10秒ほどの長さのものが入っている。女性の声のループが8本、ピアノ音のループが14本、私はこれだけを使用した。そして構成は意図せずループの動くままにまかせた。結果は最高だった。●この曲はみんなが想像するようにメカニカル、あるいは数学的には実際、聞こえない。一人の男が緊張してピアノを弾いているように聞こえる。空間的広がり、ダイナミックさを感じさせる彼の演奏は非常に組織的だ。●この曲が出来上がり、私が聞き返したとき、ただ1つ、気に入らないピアノ音があった。間違った場所に入り込んだようなその音を私は編集の際に取り除いた。システムは常に正しい。システム・コンポーザーはそれゆえにこのようなことに出会う。システムを変更させることはむやみには出来ない。システムは自分がそう判断する限り正しいものだ。もし何かの理由でシステムが気に入らないとしたら、そのときは自分の直感を信じるべきだ。私はシステムに対し、教義的アプローチは望まない。

BRIAN ENO/AMBIENT 1 Music For Airports(EG AMB 001)
エンジニアのRhett Davisは、イーノの'73年「Taking Tiger Mountain」、'75年「another Green World」、'77年「Before And After Science」からアンビエントまですべてのレコードに関わっていたといっていいほど。このアルバムではコニー・プランクの名前もクレジットされ、エンジニアを最も重要視していたことがうかがえる。
A:1/1(Eno/wyatt/Davies) 2/1 (Eno)
B:1/2 (Eno) 2/2 (Eno)
all compositions by Brian Eno except 1/1 which was co-composed with Robert Wyatt (who also played acoustic piano on this track) and Rhett Davies. the voices on 2/1 and 1/2 are those of Christa Fast. Christine Gomez and Inge Zeininger. engineering was by David Hutchins(2/1,1/2). Conny Plank(2/2),Rhett Davies(1/1) and Brian Eno. concept,design and production by Brian Eno.
EG RECORDS 1978

HAROLD BUDD+BRIAN ENO/AMBIENT 2 The Plateaux Of Mirror(EG EGAMB 002)
ハロルド・バッドの作曲とピアノ演奏をイーノが編曲したコラボレーション。閑静な住宅街のどこかの開け放たれた窓から流れてくるピアノレッスンのような、たおやかでメランコリックで静謐なサウンドスケープである。
A:1.First Light 2.Steal Away(Harold Budd and Eugene Bowen) 3.The Plateaux Of Mirror 4.Abobe Chiangmai 5.An Arc Of Doves
B:1.Not Yet Remembered 2.The Chill Air 3.Among Fields Of Crystal 4.Wind In Lonely Fences 5.Falling Light
all songs Harola Budd and Brian Eno
Harold Budd(acoustic and electric piano) Brian Eno(other instruments and treatments)
special thanks for their help and co-operation to Bob and Danny Lanois at Grant Avenue Studio,Ontario, to Eugene Bowen at the Old Rugged Cross and to Roddy Hui.
produced by Brian Eno.
EG RECORDS 1980

JARAAJI/AMBIENT 3 Day Of Radiance(EG EGAMB 003)
ララージ(Laraaji、本名エドワード・ゴードン)の作曲したものに、ハンマーダルシマー・ツィンバロムとチター演奏をイーノがエレクトロニック処理したアルバム。
A:1.The Dance #1 2.The Dance #2 3.The Dance #3
B:1.Meditation #1 2.Meditation #2
all compositions by Laraaji
special thanks to Roddy Hui.
produced by Brian Eno.
EG RECORDS 1980

BRIAN ENO/AMBIENT 4 On Land(EG EGED 20)
アンビエント・シリーズでのイーノのソロ2作目。"Shadow"でのジョン・ハッセルのトランペット・ヴォーカルとイーノのシンセサイザーの絡みは先にジョン・ハッセルとの共作として発表されたFourth Worldとは違いどこまでも緩やかなうねりが延々と続く。加速して変化していく当時の時代の速度を制御するかのようなスローモーション・サウンドは、このアルバム全体を通してのイーノの意図でもある。いまでは大画面TVの普及で珍しくもないが、アンビエント・スピーカー・システムとして、3台のスピーカーに囲まれたサラウンド・システムで聴くことを促している。
A:1.Lizard Point(Eno/Beinhorn/Gods/Laswell) 2.The Lost Day 3.Tal Coat 4.Shadow
B:1.Lantern Marsh 2.Unfamiliar Wind(Leeks Hills) 3.A Clearing 4.Dunwich Beach,Autumn.
all compotitions by Brian Eno
musicians:Michael Beinhorn(synthesizer) Axel Gros(guitar) Bill Laswell(bass) JOn Hassell(trumpet) Michael Brook(guitar) Dan Lanois(live equalization)
the frogs on 'Leelas Hills' were recorded in Choloma,Honduras by Felipe Orrego
engineers and studios:Danny Lanois:Grant Avenue Studio,Ontario,Canada/Jon Potoker:Sigma Sound,New York/Julie Last/Charyl Smith:Celestial Sound,New York Neal Teeman:RPM Studio,New York Andy Lydon/Bari Sage:Basing Street,London,England Martin Bisi:OAO Studio,Brooklyn
mastering:Greg Calbi at Sterling Sound,New York
recorded between September 1978 and January 1982
produced by Brian Eno.
EG RECORDS 1982

Brian Eno AMBIENT
http://www.youtube.com/results?search_query=ENO+AMBIENT&search_type=

イーノも言い切っているが、言語学や記号学は理屈っぽく難解過ぎて、そのシステムの教義的なものにボクも興味はないが、言葉、画像、音、匂い、味、動作などは、本来意味を有しているものではなく、それらに意味をまとわせるとき記号となるとソシュールは言っているが、概念と音のパターンの関係である言語的な記号というものから、当時のイーノは距離をとろうとしていたのだとボクは考えている。音楽に言葉の意味など不要なのだ。言葉がはいるとそこには情動的/感情的な物語的風景が生まれる。音響は振動/波形という物理的なものであって、聴き手にとっては感覚の形跡として残るもので、音響の心理的印象により聴き手に与えられる直感/感覚的ものだ。だから音響はそもそも意味を持った言葉ではなくより純粋な記号に近いものだとボクは思っている。アンビエントやミュージック・フォー・フィルムスでイーノがやりたかったことは、なによりもロックや言葉の意味からの逃走だったと思っている。

"MUSIC FOR FILMS"
BRIAN ENO/MUSIC FOR FILMS
(POLYDOR SUPER 2310 623)
75年から78年までに書き上げた18曲の小作品を集大成したかのようなこの作品には、イーノのロック・イディオムへの未練と決別のアンビヴァレンツな感情が聴こえてきて、微かなロックのメランコリックな香りが残されている。彼の音楽の過渡期を意味する最も重要な作品で、メンバーの顔も凄いアーティストがクレジットされていて、個人的には大事にしていたアルバムだ。
side one:1.M386 2.Aragon 3.From The Same Hill 4.Inland Sea 5.Two Rapid Formations 6.Slow Water 7.Sparrowfall(1) 8.Sparrowfall(2) 9.Sparrowfall(3)
side two:1.Quartz 2.Events In Dense Fog 3.'There Is Nobody' 4.A Measured Room 5.Patrolling Wire Borders 6.Task Force 7.Alternative 3 8.Strange Light 9.Final Sunset
all compositions by Brian Eno
track 4 side 2 arr. Jones/Eno. track 8 side 2 arr Frith/Eno
Percy Jones(bass) Phil Colins(percussion) Paul Rudolph(guitar) Bill MacCormic(bass) Dave Mattacks(percussion) Fred Frith(electric guitar) Robert Fripp(electric guitar) John Cale(viola) Rod Melvin(electric piano) Rhett Davis(trumpet)
produced by Brian Eno . assistant producer Rhett Davies
EG RECORDS 1978

BRIAN ENO/MUSIC FOR FILMS VOLUME 2(EGSP 2)
メランコリックでノスタルジアな音楽だ。それほど当時、我々は病んでいたのだろう。ノスタルジアという病について"ロシア人がソ連国内を旅行した時には感じないが、ひとたび外国に旅行すると必ず強く襲いかかる感情で、死に至る病いに近いとさえ言える独特のものだ"とタルコフスキーは言ってたな。80年代中期からの、あの存在の痛みと孤独感が癒えるまでにボクは10年ほどの時間を要した。
side one:1.The Dove 2.Roman Twilight 3.Matta 4.Dawn,Marshland 5.Climate Study 6.The Secret Place 7.An Ending
side two:1.Always Returning I 2.Signals 3.Under Stars 4.Drift Study 5.Approaching Taidu 6.Always Returning II
compotitions:Brian Eno/Daniel Lanois/Roger Eno
produced by Brian Eno and Daniel Lanois
recorded at Grant Avenue Studios,Ontario.
EG RECORDS 1983

"ATOMOSPHERES & SOUNDTRACKS"
BRIAN ENO with Daniel Lanois & Roger Eno/APOLLO
(EGLP 53)
ギタリスト、ダニエル・ラノワとロジャー・イーノとのコラボによるNASAのアポロ計画ドキュメンタリー番組のサントラ。美しい。21世紀のグレゴリオ聖歌だ。
side one:1.Under Stars 2.The Secret Place 3.Matta 4.Signals 5.An Ending(Ascent) 6.Under Stars II 7.Drift
side two:1.Silver Morning 2.Deep Blueday 3.Weightless 4.Always Returning 5.Stars
compotitions Brian Eno/Daniel Lanois/Roger Eno
recorded at Bob & Dan Lanois Studio
poduced by Brian Eno & Dan Lanois
mastered by Greg Calbi at Sterling Sound
EG RECORDS 1983

BRIAN ENO
http://www.youtube.com/results?search_query=BRIAN+ENO&search_type=

※'80年と言えばロックミュージックは完全にその力を失っていた。'80年1月のメロディ・メーカー紙でイーノも"かってはロックミュージックこそが、世界中に共通する力を持つ音楽だと信じていたが、今やもう自分にとってはそうではない"と発言していたし、'79年に1ヶ月のニューヨーク取材(イーノとの2度目のインタヴューなどの)から帰国したぼくのなかでも、すでにロックの幻想は消えつつあり、'79年のロックマガジンの特集「MUSICA VIVA」で40年代ドイツでの実験音楽であったマーラーからシュトックハウゼン、クセナキスの潮流をノイやクラフトワークのジャーマン・エレクトロニック・ミュージックに接合させたり、’80年にはエリック・サティ特集を組んだり、工作舎から松岡正剛氏のエディトリアルによる単行本”ロックエンド"を発刊して早々とロックへの決別宣言をしていて、千駄ヶ谷にあった一軒家の編集室も畳みロックを総括する態度を固めていた時期でもあった。いまから振り返れば、もはや少年のまま夢を見続けることの出来ない80年代という時代がすぐそこに差し迫っていたのだ。

2008年05月08日

JOY DIVISION - IAN CURTIS

JOY DIVISION
IAN CURTIS
FACTORY RECORDS / PETER SAVILLE
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 71

黒い麻生地のような柄が浮き出た触覚紙(tactile paper)の上に地殻変動に似た"white radio waveform, pulsar CP 1919"をプリントしたピーター・サヴェルのデザインによるカヴァー、JOY DIVISION "Unknown Preasures"が発売されたのが'79年だった。内袋には新聞の切り抜きから使用されたドア・
JOY DIVISION/UNKNOWN PLEASURES(FACTORY FACT10)
ハンドルに触れる手の写真が配され、また'80年リリースの「Closer」のカヴァーはイタリア・ジェノヴァのスタリエーノ (Staglieno) 墓地の写真が引用されたジャケットデザインで、それらの思わせぶりなイメージ=神秘的/暗示的アイコン(記号)がジョイ・ディヴィジョンの音楽に与えた影響は大きく、イアン・カーティスの自殺と交配して拡張していく正にサヴェルが語っていた"power of the reductive process"(過程の変形のパワー)そのものであった。ジョイ・デヴィジョンやファクトリー・レコードは、イコール、ピーター・サヴィル(Peter Saville、1955年-)のグラフィック・デザインに支配されていた部分が大きく、ジョイ・ディヴィジョンや、他にはフランス人画家アンリ・ファンタン・ラツールの花の絵を使ったニューオーダーの"Power, Corruption and Lies"などはその象徴的なものだろう。個人的にファクトリー関係のレコードを買っていたのはその音楽よりも彼のジャケット・デザインに惹かれていた部分がかなり大きいのだが、マンチェスター出身のイギリスのグラフィックデザイナー、ピーター・サヴィルは、ファクトリー・レーベルの専属デザイナーとして活動し、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、ハッピー・マンデースなどのファクトリーでの多くのジャケットのデザインを手がけ、 '79年以降はロンドンへと活動の拠点を移し、その後ロキシー・ミュージック、OMDなどのジャケット・デザインを担当、'83年に自分のスタジオ"PSA"(ピーター・サヴィル・アソシエイツ)をブレット・ウィッケンズと設立し、この頃から企業アイデンティティのデザインも引き受けるようになる。ロンドンのホワイトチャペル・アート・ギャラリーを初めとし、後には、当展覧会会場のデザイン・ミュージアムも手掛けている。'93年、レコードからCDへの移行に伴いパルプやスエードでのデジタルイメージ加工したデザインや、ビョーク、ゲイ・ダッドのジャケットのデザインも担当しつつ、90年代には、ファッション・プロモーションにも大きく関わり、2000年以降
は、企業コンサルタントとしてセルフリッジ・デパート、プリングル、EMI、ジバンシー、アドビシステムズ、CNNなどを顧客に実験的な作品を制作している。現代イギリスを代表するデザイナーの一人として成功し活躍している。ファクトリーでの音楽はひとことで言えば(ジョイ・ディヴィジョンですら)、すべてが映画"24アワー・パーティー・ピープル (24HOUR PARTY PEOPLE)"でトニー・ウィルソンが何かにつけ"ポストモダン"だと言い放っていたそれである。それ以外の意味などないのだ。

JOY DIVISION/UNKNOWN PLEASURES のイメージ
http://images.google.co.jp/images?num=20&hl=ja&newwindow=1&q=JOY+DIVISION/UNKNOWN+PLEASURES&lr=&um=1&ie=UTF-8

Peter Saville
http://www.btinternet.com/~comme6/saville/

'80年のイアン・カーティスの自殺から28年後の現在、2002年には、レーベルの創設者であるトニー・ウィルソンの視点からファクトリーの盛衰を描いた映画"24アワー・パーティー・ピープル (24HOUR PARTY PEOPLE)"が制作されたり、2007年には、第60回カンヌ国際映画祭でカメラドール/スペシャル・メンション賞を受賞したサム・ライリー主演の、写真家として有名なアントン・コービン監督によるイアン・カーティスの妻デボラの著書"タッチング・フロム・ア・ディスタンス"をもとに、イアン・カーティスの半生を描いた映画"コントロール (Control)"が公開されたり、2008年にはグラント・ジー 監督によるドキュメンタリー作品"ジョイ・ディヴィジョン(JOY DIVISION)"が公開予定だというし、イアン・カーティスの死が、またまた神話のように語られようとしている。ちょっと待てよ。シュルレアリスティックなモンタージュ、想像上の映画のための詩を書いているその目的は、聴くものにメッセージを伝えるためではなく不思議な感情を喚起するためだといっていたイアン・カーティスの、絶望や孤独を歌う歌詞や、憂鬱質なその歌唱、まるで癲癇の発作のように痙攣して唄う彼のステージングマナーや、イギリスの長い不況の暗い時代、前述したジャケットでの"power of the reductive process"(過程の変形のパワー)などなどが相乗効果して、ジョイ・ディヴィジョンは、その始まりから死のイメージだけが強く刻印されていた。アメリカツアーを直前に控えた'80年5月18日に、イアン・カーティスは自宅で首吊り自殺したが、その最大の理由はクレプスキュールの女性オーナーとの恋愛の破綻が原因だった。日頃から持病の癲癇に苦しんでいた上、鬱病、さらに妻デボラとの不仲など女性関係のもつれを抱えていたといわれているが、実はさしたる重大な理由でもなく、日常的なつまらない恋愛破綻のひとつの結末だった。"24 Hour Party People"のなかで、首つり自殺したイアンの足下のアップからフォト・フレームのなかの恋人の写真にパンするだけの、トニー・ウィルソンが描いていたイアンの自殺、まるで笑い話のような意味のない一日が暮れたかのような出来事がその真相だろう。80年代のロック・ミュージックはもはやそこまで堕落し冗談めいていたのだ。スティフ・キトゥンズ(Stiff Kittens)、ワルシャワ(Warsaw)の変遷を経て、'78年1月にイアン・カーティス (Ian Curtis/ボーカル)、バーナード・アルブレクト (Bernard Albrecht)/ギター、キーボード)、ピーター・フック (Peter Hook)/ベース)、スティーヴン・モリス (Stephen Morris)/ドラム)によって始められたジョイ・ディヴィジョンは、その由来は第二次大戦中のユダヤ人女性の日記を元に書かれた小説"The House of Dolls"に登場するフレーズ"Joy Division"(ナチス・ドイツ時代の将校用の慰安所)から引用された。事実上2枚のアルバム「Unknown Pleasures 」、「Closer」だけを残して消滅してしまうのだが、残されたメンバーたちで、その後ギター、バーナード・サムナーをヴォーカルにニュー・オーダーと名前を変え活動を継続することになる。それだけのことだ。ひとはなぜロックミュージシャンの死をそれほどまでに大きく意味を持つものとしてとらえてきたのだろうか。それはロックが活きていた時代にはロックミュージシャンこそが神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すとされる"トリックスター"そのものを意味する存在でもあったし、なによりも60年代のウッドストック・ネーションから引き継がれてきたロックにあった揺るぎないコミュニティが存在していると信じていたからだった。同じ世界観/価値観を共有するロック・コミュニティは、マレー・ラーナー監督のドキュメンタリー映画"ワイト島1970ー輝かしきロックの残像"で示唆されていたロックの危機で完全に終結してしまったのだが、企業のものになる以前の我々の共通言語としてのロックを、ロックファンは80年代までは愚直に信じていたのかも知れない。ボクはいま冷淡に、イアン・カーティスの死をただそれだけのことと書いている。だけど本音を言うと'84年の単行本「イコノスタシス」も雑誌「EGO」も、彼の自殺を真摯に捉え、ロックにおけるコミュニティの夢におとしまえを付け総括する意味と、ロックに関わり、少なからず影響を与えてきた自分自身の社会的/道義的責任を果たすために編集したものだったとだけ付け加えておきたい。

グラント・ジョー監督作品「JOY DIVISION」
http://joydivision-mv.com/trailer.html

JOY DIVISION/UNKNOWN PLEASURES(FACTORY FACT10)
outside:Disorder/Day Of The Lords/Candidate/Insight/New Dawn Fades
inside:She's Lost Control/Shadowplay/Wilderness/Interzone/I Remember Nothing
words and music by Joy Division
produced by Martin Hannett
engineered by Chris Nagle
recorded at Strawberry Studios,Stockport
sleeve designed by Joy Division and Peter Saville
FACTORY 1979

'79年のデビューアルバム。同年10月にシングル"Transmission"、その後12インチシングル"Atmosphere/She's Lost Control"、それに伴ってライブ活動も精力的に行い'80年にシングル"Love Will Tear Us Apart"を立て続けにリリースする。パンク・ロックにシンセサイザーなどのデジタル機器を取り入れ、ア・サーティン・レシオに対峙するものとして プロデューサーのマーティン・ハネットによってある意味でっち上げられて作られたユニットがジョイ・ディヴィジョンだ。他のYレコードなどにみられたニューウェイヴ・ダンスに共通するダンスビートを取り入れたポストパンクやニュー・ウェーヴ・スタイルの先駆けとなったサウンド。先日春の陽気に誘われて堀江の小さなブティックの前を通り過ぎたときに店頭に飾られていた"white radio waveform, pulsar CP 1919"がプリントされたTシャツ。記号化されたそれこそが現在のジョイ・ディヴィジョンのリアルな姿なのだ。もはやこれもファッションだ。イアン・カーティスの声と詩すらも時代とともに遠のき色褪せていく。それが正解だ。いまだに感情移入している奴こそ可笑しいのだ。

JOY DIVISION/ATMOSPHERE/SHE'S LOST CONTROL(FACUS 2)
A:Atmosphere
B:She's Lost Control
produced by Martin Hannett
photograph,Chrles Meecham
typographics,Peter Saville
published by Fractured Music
FACTORY 1980
2/9/80


JOY DIVISION/LOVE WILL TEAR US APART(FAC 23)
A:Love Will Tear Us Apart
B:These Days
produced by Martin Hannett
FACTORY 1980

JOY DIVISION/LOVE WILL TEAR US APART(FAC 23-12)
A:Love Will Tear Us Apart
B:These Days/Love Will Tear Us Apart
produced by Martin Hannett
FACTORY 1980

JOY DIVISION/CLOSER(FACT XXV 25)
side A:1.Atrocuty exhibition 2.isolation 3.Passover 4.Colony 5.A Means To An End
side B:1.heart And Soul 2.Twenty Four Hours 3.The eternal 4.Decades
produced by Martin Hannett at Brittania Row
engineered by Martin Hannett and John Caffery
assisted by Michael Johnson
photograph by Bernard Pierre Wolff
designed by Peter Saville/Martyn Atkins
printed by Garrod And Lofthouse Limited
FACTORY 1980

映画「バスキア」、「夜になる前に」、「潜水服は蝶の夢を見る」の、あるいはレッド・ホット・チリ・ペッパーズのジャケットデザインなどで有名なブルックリンの新表現主義の画家、映画監督のジュリアン・シュナベールは"絶望"だけがリアルだと感じ、"皿の上の絵画"という作品で彼は働いていたレストランのごみ捨て場に捨てられた皿を画面に張り付け、すでに命脈の尽きた絵画と彼の日々の"絶望"を象徴する事物と結びつける。シュナベールの戦略は、言わば絵画の終わった状況に対する開き直りだという。その彼の作品にイアン・カーティスのための絵画"絶望/Despair(1980)"という作品があるらしいが、ジョイ・ディヴィジョンのこのセカンドの美しいジャケットをモチーフにした作品だという。"人生の深淵を見つめること。目覚める機会。これは死や病と対峠する我々全ての物語だ。注意深く見れば、そこに意味や美がある"という彼に相応しい着眼だ。イアン・カーティスの死後、'80年の7月に2nd「Closer」が発表され、バックのニューウェイヴ・ディスコ・ダンス/テクノ風のサウンドに溶け込まない音痴ぎみの底無しに絶望的な弱々しいイアン・カーティスの声に、当時はイアンの死にはある種の必然性を感じて聴いていた。この頃からイアンは恋愛の清算として自身へ送る葬送曲を書いていたのだろう。それにしてもゴチックの、イタリア・ジェノヴァのスタリエーノ (Staglieno) 墓地の写真が引用されたジャケットデザインは不吉で美しい。

イタリア・ジェノヴァのスタリエーノ (Staglieno) 墓地
http://www.cimiterodistaglieno.it/

JOY DIVISION/TRANSMISSION(FAC 13×12)
A:Transmission
B:Novelty
produced by Martin Hannett
FACTORY 1980

JOY DIVISION/STILL(FACT.40)
side 1:Exercise One/Ice Age/The Sound Of Music/Glass/The Only Mistake
side 2:Walked In Line/The Kill/Something Must Break/Dead Souls/Sister Ray
side 3:Ceremony/Shadowplay/Means To An Endo/Passover/New Dawn Fades
side 4:Transmission/Disorder/Isolation/Decades/Digital
produced by Martin Hannet
engineered by Chris Nagle
side 3 and 4 recorded at Birmingham University 2/5/80
sister ray*-recorded at The Moonlight Club,London 3/4/80
all songs written by Joy Division
published by Fractured Music
sister ray*-written by Reed/Tucker/Morrison/Cale
arranged by Joy Division
published by Sunbury Music Ltd.
FACTORY 1981

このアルバムで印象的だったのは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのセカンドアルバム「White Light/White Heat」のなかの、フリー・インプロヴィゼイションの限界に挑んだと言われていた17分にも及ぶ大作"Sister Ray"のカヴァーだった。そしてアルバムのサイド3と4のイアンの自殺の2週間前の'80年5月2日のバーミンガム大学で録音されたライヴの、サイド4."Passover"ではスティーヴン・モリスのドラムミング・ミスがそのまま収録されていてイアンのボーカルが2小節中断したり、サイド4の"Decades"ではバーナード・アルブレクトの調子外れのキーのキーボードのサウンドなど、バンドとしても素人の域を脱しきれていなかった彼らの音楽スキルと、当時のメンバー間のギクシャクした関係が明らかにされているようで興味深かった。このアルバムを聴いた限りでも、イアンの自殺がなくとも恐らくジョイ・ディヴィジョンは早々に消滅していただろうし、解散していただろう。

JOY DIVISION/SUBSTANCE 1977-1980(FACT 250)
A:1.Warsaw 2.Leaders Of Men 3.Digital 4.Autosuggestion 5.Transmission
B:1.She's Lost Control 2.Incubation 3.Dead Souls 4.Atmospher 5.Love Will Tar Us Apart
written by Joy Division
produced by Joy Division & Martin Hannett
FACTORY 1980

ファーストアルバム以前に発表していたシングルと、ファクトリーのオムニバスに発表した作品など、オリジナルアルバムに未収録の作品をコンパイルしたアルバム。ここからはポストパンクとしての80年代音楽が聴こえてくる。

JOY DIVISION/ATMOSPHERE 1979(FAC213)
A:Atmosphere
B:The Only Mistake/Sound Of Music
written by Joy Division
produced by Joy Division/Martin Hannett
FACTORY 1988

SHORT CIRCUIT LIVE AT THE ELECTRIC CIRCUS(VIRGIN VCL 5003)
side one:1.THE FALL-Stepping Out 2.JOHN COOPER CLARKE-Daily Express 3.JOY DIVISION-At The Later Date 4.THE DRONES-Persecution Complex
side two:1.STEEL PULSE-Makka Splaff 2.JOHN COOPER CLARK-I Married a Monster from Outer Space 3.THE FALL-Last Orders 4.BUZZCOCKS-Time's Up
VIRGIN 1978

'78年にヴァージンからリリースされた10インチ・コンピレーション。ジョイ・ディヴィジョンのワルシャワ時代のパンキッシュなコンセプトを引き継ぐ音楽が1曲収録されている。イアン・カーティスのヴォーカルもエネルギッシュなパンクスのものだ。エレクトリック・サーカスは70年代のマンチェスターでは重要なライヴハウスだった。それが後の80-90年代後期までのマッドチェスター・ムーヴメントのハシエンダに繋がってゆく。


WARSAW/AT A LATER DATE(FACTORY)
this side:At A Later Date/The Kill
other side:Gutz
all titles:Rubble,Hookey,Dale
published by Lost Culture Inc.

J.D./WARSAW(RZM PRODUCTIONS LTD.)
side A:1.All Of This For You 2.Leaders Of Men 3.They Walked in Line 4.Failures 5.Novelty 6.No Love Lost
side B:1.Transmission 2.Living In The Ice Age 3.Interzone 4.Warsaw 5.Shadow Play


WARSAW/THE IDEAL BEGINNING(LP663/AEP1)
side 1:Gutz
side 2:1.At A Later Date 2.The Kill
recorded on July 18th 1977
Ian Cartis(lead Vocals) Berney Rubble(guitars) Pete Hookey(bass) Steve Dale(drums)
*Joy Division's First Recordings Limited Edition Collecters Item

JOY DIVISION/GRUFTGESAENGE"15 July 1956-IAN CURTIS-18 May 1980"(DEMOCRAZY DR 003-4)
Tagseite:Passover/Wilderness/Digital/Day Of The Lords/Insight/New Dawn Fades/Disorder
Natchtseite:Transmission/Love Will Tear Us Apart/These Days/A Means To An End/25 Hours/Shadowplay
Lichtseite:She's Lost Kontrol/Atrocity Exhibition(rec.live Amsterdam Paradieso 11.1.80) /Atomosphere/Dead Souls/Komakino
Blindseite:Incubation pt.1/Incubation pt.2/Digital/Glass(demo outtakes 1978)/Komakino/Incubation 1 & 28(Factory Flexi Didc 1980)

イアン・カーティスの死後、続々発売された海賊盤。ここにこそ彼らの本当のリアルな姿、音楽が収録されていると言っていいだろう。

JOY DIVISION
http://www.youtube.com/results?search_query=JOY+DIVISION&search_type=

追記 松岡正剛氏は、'80年代のボクのエディトリアル/音楽評論活動を支えてくれ、また彼から多くのものを学んだ恩人のような存在でもある人だが、21世紀の人間関係について千夜千冊 遊蕩篇の"ジグムント/コミュニティ"のなかで、『"放っておいてほしいんだ"、"どこにも属したくないんだ"と言いたい連中が急激に広まっているということがある。これを社会学では「脱領域性」(exterritoriality)というのだが、自分の周辺以外は無関心でいたい、所属領域から分離されていたっていい、面倒なら引き下がればいいんでしょうというような心情が、企業にも近隣にも官僚社会にも学校にも蔓延しつつあるわけなのだ。それが最近の日本では、"親であることもやめたっていいんだ"、"子供であることも、兄弟であることも縁を切ったっていいんだ"というふうになっていて、やたらに家族間の殺人事件につながっている。また、もうひとつ柔らかそうな現象でいうのなら、第2には、このような脱領域的感覚が、一方では"クール"だともてはやされてしまったことがある。これは例のディック・バウンテンとデヴィッド・ロビンズの「クール・ルールズ」(研究社)がふりまいた社会ウィルスで、"本気で親密な関係をもつことに対する拒否"から生じた感覚をいう。つまりは、気まぐれに結婚し、適当に仕事をし、飽きたらクールに離婚し、とくに相手を占有しなくったって好きにセックスができ、いつだって自分の所属する社会からの撤退や逃走ができるというその感覚を、うっかり"クール"と名付けてしまったのだった。これがいつしか日本の"かわいい"現象と結びつき、ときに“ジャパン・クール”とか“クール・ジャパン”などともてはやされて、それにぬけぬけと乗っている連中がアーティストや評論家たちにもぶちぶち多くなっていることは、ぼくが指摘するまでもないだろう』と書かれている。ボクにも彼のこの痛烈な批判に思い当たる節は多々あるが、80年代中期を境にして彼の言説通りの人間模様がボクにも蔓延し始めて、それがロックの完璧な終焉と合致し、意識的に80年代後半から90年代中期まで一切の評論と人間関係を断ち頑なに沈黙を守り寡黙な姿勢を固持してきた。さて、4年前にjaz' room nu thingsという場を立ち上げたが、クラブミュージックの核になっているクール・ルールズな姿勢に端からコミュニティなどは生まれ得ないし期待してもいない。DJやクラウドと比較するとそれならまだ、いまもロック系のミュージシャンや若いロックファンのほうが少なからず人間的魅力を持っているのだ。それはなぜだろう。



阿木 譲著「イコノスタシス/ICONOSTESIS」(発行impetus)
84年9月にインピタスから発刊された352ページからなるボクの単行本「ICONOSTESIS」。イアン・カーティスの死や、音楽を聴くことによって生まれるイメージは同時代全体の象徴的意味を持っていた、そのイコノグラフィックな像を考察したもの。イコノロジーはいまもイベント会場や製造工場などでのRFID(ICタグ)、タイポグラフィックとして、またコンピュータのなかでも生き続けているが、80年代のジョイ・ディヴィジョンの音楽の本当の意味や、ロックがなにを意味していたのかを知りたいひとは、是非読んでもらいたい。先日、オークションで1万円の高値が付けられているのを偶然見て微妙な気持ちだったけれど、当時は取次ぎや書店からの返本の山を前にして哀しくなったものである。悪い癖で返本されてきた書籍は単行本であっても雑誌「ロックマガジン」であってもすぐに廃棄処分にしてしまったから、古本屋でみつけるのも困難でしょうけれど。振り返ればこの単行本「イコノスタシス」と同じようにジョイ・ディヴィジョンのレコードだってリアルタイムにどれだけのロックファンが聴いていたのか疑わしい。映画「コントロール」に寄せられた各界からの声として、業界人がさもイアンの死をリアルに捉えていたかのような白々しいコメントを寄せているけれど、チャンチャラおかしいぜ。

2008年05月12日

A CERTAIN RATIO / SIMON TOPPING

A CERTAIN RATIO
SIMON TOPPING
FACTORY RECORDS
SOUL JAZZ RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 72

ファクトリー・レコードのなかで最も好きだったユニットは、ジョイ・ディヴィジョンでもニューオーダーでもハッピーマンデースでもなく、ア・サーティン・レシオだった。ファクトリー・レーベルの創設者トニー・ウィルソンが最も力を入れていたバンドがACRだったし、イーノの初期のアヴァンポップを継承するパンクファンク・バンドとしての彼らの特異なダンスミュージック
は、ニューウェイヴ・バンドのなかでは突出して輝いていたし、ロックファンには総スカンを喰らったが、新しい時代の息吹を察知していた音楽ファンにはファクトリーのなかでは最も支持されていた。日没、黄昏の、80年代ブリティッシュの移ろい行く時代を象徴するア・サーティン・レシオの、心にいまも残響するパンクファンクだった。

2000年にnuphonicレーベルから発表されたAndy Weatherallの“Nine O'Clock Drop”では、80年代のニューウェイヴ・ディスコ/パンクファンクと呼ばれたア・サーティン・レシオの曲"Water line"が、Quando Quango、23Skidoo、Colorbox、400Blows、Normalの曲などに混じって選曲されリミックスを施されてコンパイルされていた。そしてソウルジャズ・レコードから"Shack-Up"のオリジナル・ヴァージョンがシングルカットされ再発されたり、2002年には2枚組コンパイル・アルバム「Early」、7インチシングル「Do the Du」、2枚組10インチ「B-Sides,Sessions & Rarities」などが続々リリースされているし、ファクトリー・レコードの創設者トニー・ウィルソンの伝記映画“24 Hour Party People”では主に彼らをフィーチャーした映像構成がされていた。

SIMON TOPPING/PROSPECT PARK(FBN 41)
side one:Prospect Park
side two:1.Chicas Del Mundo 2.Mission And 24
written by Simon Topping
FACTORY BENELUX 1985

特にA CERTAIN RATIOのフロント・マンだったサイモン・トッピングがバンド脱退後にファクトリー・ベネルクスから'85年にリリースしたシングル「Prospect Park」は現在のニコラ・コンテに共通するオシャレなラテン・ジャズを展開していて、パーカッシヴなラテン・グルーヴにピアノやトランペットやフルートがnu jazz風に交錯し、当時のクレプスキュールやファクトリーが果たした時代の先駆性を再認識させられる。サイモンはSWANP CHILDRENのプロデュースやQuando Quango、Durutti Column、Winston Tongの作品でもトランペットやパーカッションで関わっていたり、'88年にDeconstructionからリリースされたアシッド・ハウスの名盤「Various - North - The Sound Of The Dance Underground」でT-COY名義でコンパイルされ、80年代後半には既にクラブシーンの領域に侵入しDJとしてハシエンダなどで活動していた。
80年代の中期にはこのサイモン・トッピングもそうだが、ベルギーのブリュッセルでの"黄昏"を意味する"レ・ディスク・デュ・クレプスキュール"からリリースされていたSteve Lacy「Hocus-Pocas」Twi 683)、Roy Nathanson+Curtis Fowlkes & THE JAZZ PASSENGERS「Deranged & Decomposed」(Twi 846)、ソフト・ヴァーディクトのプロデュースによるWin Martens「Maximizing The Audience」(TWI 485)などのいわゆる実質上のポストモダン・ミュージックばかりを聴いていた。ここには現在ボクがjaz' room nuthingsで推進している"ジャズ的なるもの"が既に聴こえていて、ロックという大きな物語りが終わった跡の90年代のクラブミュージックが始まるまでの空白を埋めてくれたのが、このクレプスキュールの音楽に底流しているカールハインツ・シュトックハウゼンやジョン・ケージなどの現代音楽のヴィジョンと、それにミニマルミュージックや、"ジャズ的なるもの"だった。しかしクレプスキュールの音楽は、初期のHarmineやAntenaでさえ、現在のクラブシーンで充分機能する"ジャズ的なるもの"が聴こえてきて、こうした音楽こそが現在のクラブシーンに最も必要なコンセプトだと思う。全作品というほどの数のアルバム/シングルを持っているので近いうちに最考察するつもりである。

A CERTAIN RATIO/DO THE DU(SJR 60-7)
hipside:Do The Du
taken from the John Peel Session recorded 1/10/1979
flipside:Skipscade
taken from the John Peel session recorded 29/6/1981
written by ACR
photography by Daniel Meadows
SOUL JAZZ RECORDS

A CERTAIN RATIO/"B-SIDES,SESSIONS & RARITIES"(SJR 65-10)
side one:1.All Night Party(original 7" single) 2.Faceless(graveyard & ballroom) 3.Do the Do(John Peel session,1979)
side two:1.All Night Party(John Peel session,1979) 2.Flight(John Peside three:1.Choir(John Peel Session,1979) 2.Skipscade(John Peel session,1981) 3.Felch(original NYC mix)
side four:1.Abracadubra(Sir horatio 12") 2.Tumba Rhumba(7" single b-side) 3.Si Fermir O Grido('Touch' cassette)
SOUL JAZZ RECORDS

A CERTAIN RATIO/EARLY(SJR LP60)
side one:1.Do the Do 2.Flight 3.Waterline
side two:1.Shack Up 2.the Fox 3.blown Away 4.Gum
side three:1.Life7s a Scream 2.Skipscade 3.Knife Slits Water
side four:1.Sounds Like Something Dirty 2.Touch 3.Saturn
written by A Certain Ratio
SOUL JAZZ RECORDS 2002
ソウルジャズからDJ用にア・サーティン・レシオの初期の音源がコンパイルされた7インチシングルと、10インチ2枚組、そしてアルバム2枚組。

A CERTAIN RATIO/THE GRAVEYARD AND THE BALLROOM(B0001ANTXE)
"The Graveyard":1. Do The Du 2. Faceless 3. Crippled Child 4. Choir 5. Flight 6. I feel 7. Strain
"The Ballroom":1. All Night Party 2. Oceans 3. The Choir 4.. The Fox 5. Suspect 6. Flight 7. Genotype/Phenotype
Originally released in 1980
Universal Sound 2004
SOUL JAZZ傘下のUNIVERSAL SOUNDからリリースされた事実上の80年のデビュー作。当時はカセットテープでしかリリースされずパンクとブライアン・イーノの音楽に影響されたまだ洗練されていない荒削りのパンキッシュなファンク・サウンドが聴ける。


In The Beginning,There Was Rhythm
A CERTAIN RATIO/SHACK UP
(SJR 57-12)
A:A Certain Ratio/Shack Up
B:Human League/Being Boiled
SOUL JAZZ RECORDS

VA/In The Beginning There Was Rhythm(SJR LP57)
side 1:1.A Certain Ratio/Shack Up 2.23 Skidoo/Coup 3.Gang Of Four/To Hell With Poverty
side 2:1.The Human Leafue/Being Boiled 2.The Slits/In The Beginning 3.This Heat/24-Track Loop
side 3:1.Throbbing Gristle/20 Jazz Funk Greats 2.A Certain Ratio/Knife Slits Water
side 4:1.Cabaret Voltaire/Sluggin Fer Jesus 2.The Pop Group/She Is Betond Good And Evil 3.23 Skidoo/Vegas El Bandito
SOUL JAZZ RECORDS

金属的なギターのリフとスペーシーな管楽器の音がパンクファンクなグルーヴのうえを疾走するニューウェイヴ・ディスコで流行った"Shack Up"と、当時のGang Of Four、 The Pop Group、PigbagなどのYレーベルや、インダストリアル・ミュージックのCabaret Voltaire、23 Skidoo、Throbbing Gristleなどが新たにインダストリアル・ダンス・ミュージックとして再解釈されコンパイルされている。

A Certain Ratio - Tribeca
http://www.youtube.com/watch?v=Ffmn2-l37Dk
A CERTAIN RATIO
http://www.youtube.com/results?search_query=A+CERTAIN+RATIO&search_type=

ドイツのクラフトワークなどのジャーマン・エクスペリメンタル・テクノや、BCギルバート、Gルイスのワイアー、アメリカのファンカデリックなサウンド、'78年の狂い増幅したパンク・ウェイヴに影響されたア・サーティン・レシオは、'77年にマンチェスターで、サイモン・トッピング(SIMON TOPPING / Vocal)、ピーター・ティレル(PETER TERELL / Guitar, Noisebox)、ジェレミー・カー(JEREMY KERR / Bass,Vocal)、そしてマーティン・モスクロップ(MARTIN MOSCROP / Guitar,Trumpet)のドラムレスという4人組ユニットで結成された。
A CERTAIN RATIO/TO EACH...(FACTORY FACT 35)
ア・サーティン・レシオの名前の由来は、ブライアン・イーノのアルバム「Taking Tiger Mountain (By Strategy)」での収録曲"The True Wheel"の、人々を分類するとき(A Certain"ある一定の比率を意味する")に発せられたヒトラーの"Jewish blood"から引用され、それは彼らのファースト・アルバム「TO EACH...」のジャケットのイラストや写真に具象化されてい
る。当時16-18歳という非常に若いメンバーだった彼らはザ・ポップ・グループのマーク・スチュワートに気に入られ(ACRの音楽は当時のピッグバッグなどのYレーベル・サウンドとも言えるもので、もし彼らがYレコードからアルバムをリリースしていたら、また違った運命を歩んでいただろうに)、ファクトリーとの契約を結び、'79年5月にマーティン・ハネットのプロデュースによる7インチシングル「Thin Boys/Allnight 」でデヴューする。その後、黒人ドラマー、ドナルド・ジョンスン(DONALD JOHNSON)がバンドに新加入して5人組のACRは、パンクファンクというパンク・サウンドから影響を受けたソリッドなギターサウンドと太いベースライン、黒っぽい土着的ファンクグルーヴの7インチシングル「SHACK-UP/AND THEN AGAIN」、スタジオデモとライブが収録された限定版カセットテープ「THE GRAVEYARD AND THE BALLROOM」などをリリースしているが、ア・サーティン・レシオの太いベースラインとトランペットの絡み、アフロ/ラテン・パーカッション・グルーヴのうえにヴォーカルにマーサ・ティルソン(MARTHA TILSON/82年にはグループを去るが)を補充したセクステットでの、'81年のデビュー・アルバム「To Each...」が事実上ACRサウンドが確立されたものだ。ステージ上でのボーイスカウトを思わせる半ズボンと軍隊装備(ミリタリールック)の装いは彼らのトレードマークだった。その後、オリジナル・メンバーのティレルがグループを脱けアンディ・コーネル(ANDY CONNELL)が新たにキーボード・プレイヤーとして参加し、6人編成となり「WATER LINE」、「KNIFES LITS WATER」の2枚の12インチシングルと、セカンドアルバム「SEXTET」を発表するが、この頃にはまたしても80年代のバンドに特徴的なメンバーの交代劇が早々と頻繁に起こり、ヴォーカルのサイモン・トッピングがまず最初に脱退。'83年にファクトリーがACRのマネージメントから手を引いたのと前後して、事実上ACRの魅力は半減していたといっていいだろう。サードアルバム「I'D LIKE TO SEE YOU AGAIN」(このアルバムにはクラフトワークのディスコテクノ風の曲もあるが、良くも悪くもあまりにニューヨーク・ディスコサウンド化され、スクリッティ・ポリッティに似たアメリカナイズされたダサさが"鼻"/耳に付く)、12インチシングル「I NEED SOMEONE TONIGHT/DON'T YOU WORRY BOUT A THING」が発表されたヴォーカリストとしてキャロル・マッケンジー(CAROL Mc'KENZIE)が新加入した頃には、もう事実上彼らのデヴュー当時にあった音楽への熱意と斬新さは消えている。その後、84年にマッケンジーもグループを去り、レコーディング・セッションでベースを担当していたジェズ(JEZ)のヴォーカルによる2枚の12インチシングル「LIFE'S A SCREAM」、「BRAZILIA」を発表し、'87年にA&Mへ移籍した頃のACRの音楽はお世辞にも聴けたものじゃなく、ボクのなかから彼らの音楽はいつの間にか消えて行った。そして2000年に入って再び''82年頃までの初期のア・サーティン・レシオのダンスミュージックがクラブシーンでクラブDJたちの手によって再生され再評価されたというわけである。

A CERTAIN RATIO/TO EACH...(FACTORY FACT 35)
side A:1.Felch 2.My Spirit 3.Forced Laugh 5.Back To The Start
side B:1.The Fox 2.Loss 3.Oceans 4.Winter Hill
recorded:E.A.R.S.,East Orange,New Jersey
mixed:Strawberry,Stockport
engineeres:Chris Nagle & Bruce Gerstein
produced by Martin Hannet and ACR
painting by Ann
photograph by Colin
cover co-ordination by Peter Christopherson
FACTORY 1981
'81年にリリースされた1stアルバム。ニュー・ウェイヴ/パンクとブラジリアン、ファンク、スピリチュアル&ダビー、そしてジャズ・テイストなサウンドこそがACRの音楽の魅力だった。ジャズ・テイストも感じられる初期のダブ処理されたサウンドは、クールでもあった。彼らの作品のなかではベスト盤だといえるだろう。

A CERTAIN RATIO/THE GRAVEYARD AND THE BALLROOM'BOXED CASSETTE'(FACT 16)
"The Graveyard" 1.Do the Do(casse) 2.Faceless 3.Crippled Child 4.Choir 5.Flight 6.I Feel 7.Strain
"The Ballroom" 1.All Night Party 2.Oceans 3.The Choir 4.The Fox 5.Suspect 6.Flight 7.Genotype/Phenotype
produced by Martin Hannet and engineered by Stuart Pickering on Graveyard Studios 4 track,Prestwich,September 15/16,1979
written by Topping,Moscrop,Kerr,Johnstone and Terel
published by M24J Music
mixed by Jeff Hooper and Tony Wilson,at The Electric Ballroom,october 1979
witten by A Certain Ratio
published by Movement of 24th January Music
FACTORY RECORDS 1979
ACRの最初の作品はオレンジ色のヴィニールケースに入れられたカセットテープで発表された。当時はカセットテープもレコードと同じように重要な音楽メディアのひとつだった。これはSoul Jazz傘下のユニヴァーサル・サウンドから'04年にCDで再発されている(上記参照)

A CERTAIN RATIO/SHACK UP(FAC BN 1-004)
A:Shack-Up(carter-deniel)
B:And Then Again(acr)
a factory benelux product.
made in belgium
45rpm
published by united artists m.inc
FACTORY BENELUX 1980

A CERTAIN RATIO/BLOWN AWAY(FAC 22)
[Hipside]:Flight
[Flipside]:Blown Away / And Then Again
ACR:Simon Topping / Donald Johnstone / Jeremy Kerr / Peter Terrell / Martin Moscrop
produced by Martin Hannett at Revolution and Strawberry
engineered by Chris Nagle,Phil Ault and Jonathan Hurst
written by A Certain Ratio
paintng by Ann,engraving by Richard Boon
drawing by Phil Diggle,antiques by ACR,photographs by Daniel Meadows
printing by Garrod and Lofthouse,design by Saville and Arkins
FACTORY 1980

A CERTAIN RATIO/WATERLINE(FAC 52)
A:Waterline
B:Funaezekea
written by ACR
produced by ACR at Revolution Studios Cheadle Hulme
FACTORY 1981

A CERTAIN RATIO/GUESS WHO(FACTORY BENELUX FBN 17)
A:Guess Who?
B:Guess Who? (Part Two)
recorded in Brussels,February 1982
produced by ACR
FACTORY BENELUX 1982

A CERTAIN RATIO/KNIFE SLITS WATER(FAC 62)
this side:Kether Hot Knives(mix in special)
other side:Knife Slits Water
written and produced by ACR
*The Sound Sound Proudly Presents
FACTORY 1982

A CERTAIN RATIO/SEXTET(FACT 55)
side A:1.Lucinda 2.Crystal 3.Gum 4.Knife Slits Water
side B:1.Skipscada 2.Day One 3.Rub Down 4.Rialto 5.Below the Canal
all songs written,played & produced by ACR
engineered by Phil Ault at Revolution Studios,Cheadle Hulme,Manchester,England,Spring 81
sleeve concept:ACR sleeve painting:Denis Ryan
Johnson Jeremy Kerr Martin Moscrop Peter Terel Martha Tilson Simon Topping
FACTORY 1982
セルフ・プロデュースによるACRのセカンド・アルバム。新メンバーにアメリカ人女性ヴォーカル、マーサ・ティルソンを加えファンクやダブさらにテープ・ループを駆使したそのサウンドはより洗練されパンクファンクからクールファンクの変容がみられACRの音楽がピークだった頃の作品。個人的にはファーストのワイルダ/ダークなパンクファンクのほうが好みだが。

A CERTAIN RATIO/I'D LIKE TO SEE YOU AGAIN(FACT 65)
A:Touch / Saturn / Hot Knights / I' d Like To See You Again
B:Show Case / Sesamo Apriti-Corco Vada / Guess Who
recorded at Revolution Studios, Cheadle,Manchester.
engineered by Phil Ault
written and produced by A Certain Ratio
ACR:Simon Topping Donald Johnson Jeremy Kerr Peter Terrell Martin Moscrop
FACTORY 1982

A CERTAIN RATIO/I NEED SOMEONE TONIGHT(FAC72)
A:I Need Someone Tonight
B:Don't You Worry 'Bout a Thing
both songs arranged and written-produced by ACR
engineered by Stuart Pickering at Revolution Studios Cheadle
ACR:Andy Connell(keyboards,backing vocals,percussion) Donald Johnson(vocals,congas,bass) Jeremy Kerr(bass,backing vocals,pecussion) Martin Moscrop(DMX drums,acoustic drums,percussion)
guests:Carol McKenzie(vocals) Be Music(synth programme)
FACTORY 1983

A CERTAIN RATIO/LIFE'S A SCREAM(FAC 112)
dance side:Lifes A Scream
trance side:There's Only This
written and produced by ACR
engineer Stuart Pickering
FACTORY 1984

A CERTAIN RATIO/BRAZILIA(FACTORY BENELUS FBN 32)
side A:Brazilia
side B:Brazilia(extended mix)
written & produced by ACR
engineer Stuart Pickering
ACR are Jeremy Kerr,Martin Moskrop,Donald Johnson,Andrew Connell
FACTORY BENELUX 1985
2002年にクラブシーンでDimitri From Parisなどによってもカヴァーされクラブジャズとして再生された「Brazilia」。しかしリミックスされなくても充分このまま現在のクラブジャズとしてDJイング可能だ。この12インチシングルのラテンテイストの曲の、時代に色褪せない普遍性こそが"ジャズ的なるもの"の正体であり、音楽の本来あるべき姿であり意味なのだ。

A CERTAIN RATIO/WILD PARTY(FAC 128)
A:Wild Party
B:Sounds Like Something Dirty
written & produced by ACR
engineered by Mike Johnson
recorded at Strawberry Studios
mixed at Revolution Studios
sleeve:Trevor Johnson
ACR are Andrew Connell / Jeremy Kerr / Donald Johnson / Martin Moscrop with Anthony Quigley on sax
FACTORY 1985

A CERTAIN RATIO/THE OLD & THE NEW(FACT 135)
A:Flight / Do The Do / And Then Again /The Fox / Blown Away
B:Sounds Like Something Dirty / Life's A Scream / There's Only This / Wild Party
C:Shack Up
D:Thin Boys
written by Connell,Kerr,Johnson,Moscrop
produced by Hannett and ACR
FACTORY 1986
7インチEPがジャケットに添付された'78ー'85年の作品11曲がコンパイルされたもの。ジャケットそのものに美術品的価値のあるフェティッシュなもの。

A CERTAIN RATIO/MICKEY WAY (THE CANDY BAR)(FAC 168)
North:Mickey Way (The Candy Bar)
South:Inside / Si Firmi O Grido
all songs written,arranged and played by A Certain Ratio
rombone on 'Mickey Way'-Tom Barnish
produced by Stuart James and ACR
recorded and mixed at Yello 2 Studios,Manchester-July & August 1986
engineered by Paul Harrison and Stuart James
sleeve-Johnson Panas
FACTORY 1986

A CERTAIN RATIO/FORCE(FACT 166)
[North]:Only Together / Bootsy / Fever 103 / Naked and White
[South]:Mickey Way / And Then She Smiles / Take Me Down / Anthem
ACR are Jeremy Kerr(lead vocals,bass guitar and tape) Anthony Quigley(soprano and tenor saxophones) Donald Johnson(drums and backing vocals) Martin Moscrop(guitar,guitar synths and trumpet) Andrew Connell(piano,vocoder,synthesisers and keyboard sample)
additional musicians:Tom Barnish(trombone on 'Mickey Way' and 'Bootsy') Corinne Drewery(additional vocals on 'Bootsy') Paul Harrison(DX7 bass programmes)
sleeve:Johnson Panas
ACR management:Mick Paterson
FACTORY 1986
ここまで洗練されるとスクリッティ・ポリッティと同じようにACRのパンクファンクの魅力は半減され、アヴァン・ポップミュージック、あるいはアメリカナイズされたディスコ・サウンドと言ったほうが妥当だろう。ファンクはやはりディスコになってしまっては元も子もないのだ。

2008年05月15日

QUANDO QUANGO / ALAN DAVID-TU

QUANDO QUANGO
ALAN DAVID-TU
FACTORY RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES73

クアンドゥ・クアンゴーは'80年にロッテルダム(オランダ)でMike Pickeringと、Gonnie Rietveld、Reinier Rietveld兄妹で始められ、その後'82年にマンチェスターに移住した彼らは、ハシエンダを拠点にしピッカーリングの友人Rob Grettonをメンバーに加え活動を始めるが、レーニエ・リートフェルトがロッテルダムのバンドSpasmodiqueでの活動をメインとするため脱退し、その跡を埋めるためにア・サーティン・レシオを脱退したサイモン・トッピングがパーカッショニストとしてメンバーに加入する。
QUANDO QUANGO/GO EXCITING(FAC67)
リートフェルトのプログラミングによるエレクトロニック・サウンドにピッカーリングの歌詞とメロディーからなるクアンドゥ・クアンゴーのダンスミュージックはフェラ・クティ+クラフトワークが合体したものと言われ、トロピカル、エレクトロ、ジャズファンクが一体となった当時としては近未来サウンドを予感させるものだった。いまではファンカラティーナ/ダンスクラシックとも言える彼らの音楽は、「LOVE TEMPO」をTR-9のMARK KAMMINSがリミックスしたり、多くのクラブDJたちに支持されDJイングされ続けていた。トータルプロデュースに(トーキングヘッズのデヴィッド・バーンや、UB40、Beastie Boysのアルバム・プロデュースで有名な)Mark Kaminsの名前がみられる'85年にファクトリーからリリースされた唯一のアルバム「Pigs + Battleships」(タイトルは今村昌平監督の映画"豚と軍艦/Hogs and Warships"から採られた)には、52nd StreetのBeverley McDonaldや、Derek Johnson、Barry Johnson兄弟、ACRのAndy Connell、Vinni Reilyなど多くのアーティストが関わっていたし、快楽主義的なそのパーカッシヴなラテンジャズ・サウンドは、80年代がなによりもディスコが音楽発生源としてのリアルな場だったことを証明している。グループが解散した後、ピカリングやトッピングはT-COYというDJユニットを作り80年代後半にはディスコ/クラブシーンに侵入している。クアンドゥ・クアンゴーの音楽はいまも色褪せてなく、まだまだ捨てたものじゃないが、それよりもオランダのアーティスト、Alan David-Tuによるジャケットアート/スリーヴデザインは、80年代のイギリス美術の"ニュー・ブリティッシュ・スカルプチャー"のブリティッシュ・モダンを想起させるほどに美し過ぎる。

QUANDO QUANGO
http://www.youtube.com/results?search_query=QUANDO+QUANGO&search_type=

QUANDO QUANGO/GO EXCITING(FAC67)
A:Go Exciting
B:Tingle
recorded at Strawberry Studios
engineered by Chris Nagle
produced by Quando Quango & Donald Johnson
sleeve deaign by Alan David-Tu
FACTORY 1982
ア・サーティン・レシオのドナルド・ジョンソンがプロデュースに名を連ねているQQのファースト・マキシ・シングル。

QUANDO QUANGO/LOVE TEMPO(FBN 23)
A:Love Tempo
B:Love Tempo(Mix)
recorded Spring 1983 revolution Studios Cheadle Hulme
engineer-Stewart Pickering A Dojo-Be Music Production
sleeve-Alan David-Tu
made in Belgium
FACTORY BENELUX 1983
いまでは当時のQQの音楽紹介もレコードショップのクレジットでは「ガラージ古典でもあるラテン・エレクトロ"Love Tempo"。UKハウス草創期の大御所DJ Mike Pickeringも在籍したQuando Quangoのガラージ・クラシック。ガラージュ玄人派に人気のMark Kaminsがプロデュースする85年のクラシックでHouse Regendにも紹介されたB1 "Genius"を含む、Quando Quangoの'03年リイシュー版。カップリングもレアクラシックスとして人気の高い"Love Tempo - Mark Kamins Mix"と"Atom Rock - Mark Kamins Dub"Garage Classic好きは勿論のこと、UKアンダーグラウンド/Disco Dub好きの方も買い逃し厳禁!」となる。

QUANDO QUANGO LOVE TEMPO
http://www.youtube.com/watch?v=yuVh3Xof_1k

QUANDO QUANGO/ATOM ROCK(FAC102)
A:Atom Rock
B:Triangle
recorded at Revolution Cheadle Hulme 83/84
engineer Stewart Pickering A Dojo-Be Music Production
musicians:Gonnie Rietveld;synths,drum programes,vocals
Mike Pickering:sax,vocals Berry Johnson:bass guitar Simon Topping:percussion,trumpet Johnny Marr:guitar
artwork:Alan David-Tu
FACTORY 1984
この12インチシングルで特筆すべきは、イギリスのマンチェスター生まれのギタリスト、ジョニー・マーがクレジットされていることだ。彼は'82年のザ・スミス結成後、バンドの人気に伴い一躍有名になり多くのギタリストに影響を与えた。しかし人気絶頂の最中であった'87年にバンドを脱退し、その結果ザ・スミスは解散してしまう。'88年にザ・ザのギタリストとして、'89年にはニュー・オーダーのバーナード・サムナーと完成度の高いピュアなポップ・ミュージックを展開していた"エレクトロニック"を結成するなど、80年代のイギリスの音楽シーンを語るうえでは外せない存在だった。

QUANDO QUANGO/GENIUS(FAC 137)
A:Genius
B:Rebel
a mark kamins production
FACTORY 1985
プロデューサーMARK KAMINSが絡んだ初めての12インチシングル。

QUANDO QUANGO/PIGS + BATTLESHIPS(FACT 110)
side1:1.Genius 2.Go Exciting 3.Happy Boy 4.Rebel
side 2:1.This Feeling 2.S.T. 3.40 Dreams 4.Low Rider
recorded at Strawberry Studios Stockport England,December 1984
engineer Tim Oliver:mixed at Shakedown Studio New York,Februaly 1985,engineer Alan Meyerson:Ace Snip Job on Genius Ivan Ivan:This Feeling mixed at Genetic Studio England,engineer Paul 'Groucho' Smylik
musicians:Gonnie Rietveld(keyboards,vocals) Mike Pickering(sax,vocals) Berry Johnson(bass,rhythm guitar) Simon Topping(percussion,vocals)
also thanks to Derek Johnson Toaster Supremo
Vinni Reilly(guitar) Beverly McDonald(vocals) Andy Connell(keyboards) The A Team(trombone,trumpets)
sleeve design Alan David-Tu
goup photograph Kevin Cummins
A Mark Kamins Production
FACTORY 1985
いまではニューウェイブ・トロピカル・ダンス/ガラージ・クラシックスとしてカテゴライズされているが、クラブジャズ系のラテンダンス・ナンバーとしても古さを感じない作品である。なんといってもドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリー、スミスのジョニー・マー、スウィング・アウト・シスターズ(ex ACR)のAndy Connellなどのゲスト陣が豪華だ。プロデュースはMark Kaminsの下、クレジットされていなので明確ではないがNew OrderのBernard Sumnnerも担当しているらしい。

Hillegonda
http://www.myspace.com/hillegonda

ロックカルチャーからダンスカルチャー/ディスコ・カルチャーへの突然変異、そして80年代ニューヨークのパラダイス・ガレージとDJラリー・レヴァン

いまにして思えば80年代に入ると音楽シーンは世界規模で大きく地殻変動を起こし、その核はロックからダンスミュージックへ移行し、ロックの文脈はインダストリアル・ノイズやゴチックロマンスの病いへ、または息の根も絶え絶えになっているネオ・アコースティックなどの脳のドーパミンD2受容体やセロトニン受容体を遮断する精神安定剤に似たものしか生き延びることができなく、気がつくと世の中は急変し、ロックのそれとは正反対にドーパミンの分泌を高揚するかのようなディスコ/ダンス・カルチャーの時代へと変遷していて、シリアスでメランコリックな時代は終わりを告げ享楽的快楽主義の"常に何かが起こる華やかなパーティのような時代"が音連れ(訪れ)ていた。あの時に、生真面目なロックファンは時代に置き去りにされ取り残され、いまでもそのトラウマの残っている人は少なくないだろう。60年代に伝説的なロック・バンド、ヤードバーズの、そしてT Rexのマーク・ボランのマネージメントだったプロデューサーSimon Napier Bellは"I'm Coming to Take You to Lunch"という著書のなかで、『音楽ライターやロックファンは、ロックがあたかもダンス・ミュージックのライバルであるかのような捉え方をする。僕からしてみれば、むしろダンス・ミュージックこそが今まで危機や問題に直面した音楽業界を救い再活性化し、新たな利益を生み出す原動力になってきたと思うんだけどね。・・・ダンス・ミュージックはポップミュージック・ビジネスの半分を占めているもので、それは何も今に始まったことじゃない。ロックン・ロールだって言ってみればダンス・ミュージックだったわけだし、その意味で現在のロックだって本当はそうあるはずなんだ。・・・ダンス・ミュージックは道徳的でクリーンな生活というものを常に脅かす有害な存在なんだ…セックスや快楽主義、ドラッグ、そして責任からの逃避など、人生を楽しくそして魅力的にする全てのものを奨励しているんだからね。・・・だから、ダンス・ミュージックは、伝統的な文化を宗教的までに守ろうとするくだらない考え方を持っている連中にとっては、破壊分子的そのものといった存在になってしまうわけなのさ』と語っていた。

ディスコの語源はフランス語のdiscothèque(ディスコテーク、ディスコテック)でレコード置き場を意味するものからきたものだが、ディスコ(disco)、ディスコテーク(discothèque)は、客にダンスさせる飲食店の形態を持つ風俗営業店のことを言い、70年代のディスコはクラブDJのようなレコードに録音された数枚の曲をミックスしたりせず、単純に客を踊らせ場を盛り上げるためだけにレコードを繋いでいくだけのもので、DJがナイト・プレジャー=パーティーを司る役割を
担い、その場を盛り上げるためにレコードから乗りのいい曲を選曲し短い曲紹介や客へのアナウンスを交え、なによりもDJの選曲こそが重要であった。80年代に入ると現在のクラブ・カルチャー/ダンス・カルチャーの発生源であるニューヨークの黒人やヒスパニック系などのアーティスト、ファッション関係者の流行の先端にいたマイノリティなゲイ・シーンの社交場としてのメンバーズ・オンリーのディスコ"パラダイス・ガレージ"が登場する。



そこではディスコ、ロック、ヒップホップ、ラテン音楽、ソウル、ファンク、テクノ・ポップなどありとあらゆる音楽をDJイングし朝まで客を踊らせ、まるで夜ごと行われる都会の祝祭儀式のように人々を"ハレ"の世界へ誘導し、トランス状態にさせ、パラダイス・ガレージのDJラリー・レヴァンはいまもクラブカルチャーでは伝説となっているシャーマンDJのひとりだ。その後、90年代を前にしてディスコはダンスミュージックという音楽の差別化/細分化が起こりクラブとして派生してゆき衰退していく。そしてシンセサイザーを超えるサンプリングやMIDIなどの新時代の器材の登場により、過去の曲や音源の一部をソースとして引用、転用し、それらにコラージュが施され再構築して楽曲を創造するリミックス、サンプリング技法を駆使したDJがミュージシャンから音楽をパラサイト/横取りしてしまうDJカルチャー/クラブカルチャーの時代が80年代後半から90年代初頭にかけて確立される。

2008年05月21日

VINI REILLY - THE DURUTTI COLUMN

VINI REILLY
THE DURUTTI COLUMN
FACTORY RECORDS
FACTORY BENELUX
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 74

ヴィニ・ライリーの一人二重奏ともいえる深いディレイのかかった"Sketch For Summer"のサウンドを初めて聴いたとき、怪我をした少年の白い包帯が巻かれた細い指先を思った。それも母にかまってもらいたいがゆえの故意に自分の指先を傷つける少年の、危ういガーゼ質のような感性にも似たメランコリックな痛みと感情をともなってだった。
THE DURUTTI COLUMN/THE RETURN OF THE DURUTTI COLUMN(FACT 14)
80年代の中頃にロックを総括したあといまでも、ギターの音、それはギター・オーケストレーションのソニックユースであっても、パンクであっても、ジャズフージョンであっても、ギターノイズにはなぜか拒否反応が起こる。しかしこのヴィニ・ライリーのサウンドだけには、不思議と心が開かれるのだ。それはやはり彼の音楽には、原体験としてのポテンシャルなジャズが明らかに刷り込まれているからだろう。シンプルなメロディーとディレイのかかったミニマルなギターフレーズと、リズムボックスのキックするリズムだけの、サンドペーパーをジャケットに使用したファースト・アルバム「The Return of the Durutti Column」には、"存在そのものがなにかを傷つける"という彼のプロパガンダが仕組まれていて、静謐で優しさのなかにこそ、ほんとうは暴力的でラジカルな屈することのない強い意志が潜んでいるものなのだと思ったものである。そう、存在し続けるということは、ひとを傷つけてしまうことの連続なのだ。ちなみにドゥルッティ・コラムというのは、30年代のスペイン市民戦争のときの、共和国軍に参加して闘ったアナキスト"Buenaventura Durruti"や彼の率いた小隊の名前に由来しているそうだが。'77年にマンチェスターでノースブリーズというパンクバンドでギターを弾いていたヴィニ・ライリーは、パンクにある暴力的/破壊的意味に欺瞞を感じていた78年に、Factory Records創設者トニー・ウィルソンと巡り会い、マーティン・ハネットのアイデアによるリズムボックスとシンセの音にあわせてギターを爪弾き"Sketch for Summer"という曲が生まれた。ここにも"ジャズ的なるもの"が聴こえてくる。これこそが時代を超える"ジャズ的なるもの"と言える音楽なのだ。
ヴィニ・ライリーの、音楽創造のアイデアの背景には、"音楽の形式主義を支えながら、それらを発展させていき、聴く人々のためになる音楽を作る"ことにある。このことは音楽ジャンルを問わず21世紀音楽を創造するうえでは最も欠かせない最重要課題だろう。'53年マンチェスターで生まれたヴィニ・ライリーは、オハイオ州トレド出身の子供の頃には片眼は完全に失明し、左手は2台のベースとドラムのスライド奏法、超剛速球ソロの自由奔放な演奏でホロビッツをも恐れさせたという凄まじいテクニックを持つジャズピアニストのArt Tatum(1910-1956)や、1904年ニューヨーク生まれのピアニストで、"でぶっちょのウォーラー"と呼ばれた1900年代前半に活躍したFats Waller(本名はトーマス・ライト・ウォーラー)の音楽からインスピレーションを得て幼少の頃からピアノに興味を持ち、 10歳でギターを弾き始める。この話からも彼の音楽の原点はジャズピアノとフォークギターにあると言えるだろう。'79年にファーストアルバムを発表した後、ドラマー/パーカッションのBruce Mitchell(ブルース・ミッチェル)との共同作業でアルバム「LC」や室内楽的作品「Without Maecy」など多くの作品をリリースしていた。90年代に入るとボクは本格的にクラブミュージックに興味の対象が移り90年を最後に数枚の作品しか聴いていないが、当時は作品を作る度にゲスト・ミュージシャンやヴォーカリストを迎え、ハウスミュージックやカリプソ的なクラブ系の文脈にも侵入していた。こうしたことはすでに85年の「Without Mercy」でのエレクトロニック・リズムを導入した作品や「Guitar and Other Machine」、88年のオーティス・レディング、アニーレノックス、トレーシー・チャップマン、およびオペラスタージョーン・サザーランドからの声のサンプルを組み込んだアルバム「Vini Reilly」にも既にみられるが、なによりも"ギターでスケッチする男"と言われていたように、効果的ディレイによる空間的なサウンドスケープと、遠雷、小鳥の囀り民族音楽などの効果音、サンプリングによるソニックデザイン、素描こそがヴィニ・ライリーの音楽の魅力だったと思う。

THE DURUTTI COLUMN/THE RETURN OF THE DURUTTI COLUMN(FACT 14)
A:1.Skech for Summer 2.Requiem for a father 3.Katharine 4.Conduct
B:1.Beginning 2.Jazz 3.Sketch for winter 4.Collette 5.In 'D'
all tracks written by Vini Reilly
and produced by Martin Hannet
recorded at Cargo,Rochdale.
mixed at Strawbery,Stockport.
engineers,Chris Nagle and John Brierley.
thanks are also due to Pete Crooks,bass and toby,drums.Gammer for his melody and Rowbotham,Reid and Debord for the maketing concept.
published by Movement of 24th,January Music
FACTORY 1979
2000部限定でのサンド・ペーパーのジャケットのものと、色彩の魔術師と言われた20世紀フランスのパリを象徴する画家ラウル・デュフィの水彩画が配されたものを2枚持っているのは、当時よほどドゥルッティ・コラムが好きだった証だろう。サンド・ペーパーをジャケットに使ったもともとの発想は、勿論パリのダダイストでのマン・レイやマルセル・デュシャンの思想をお遊びで引用したものだろうが、深読みするなら資本主義社会における大量消費をスペクタクル(見せ物的)とみなし、サンドペーパーを使った本を出そうとし徹底的に批判する立場を表明したシチュエーショニズムのように"シチュエーショニスト(Situationist=シチュアショニスト)、トニー・ウィルスン"がファクトリーのオフィスで一枚一枚丁寧にノリでサンドペーパーを貼っていったのだとも考えられる。このシチュエーショニスト(状況主義)、ポストモダン的アイデア、"臨機応変(flex・i・bil・i・ty /flksbli)"こそが80年代当時も今もボクの変わらない創造の原点でもある。

Durutti Column - Sketch For Summer
http://www.youtube.com/watch?v=5bLlzGLH7wM

THE DURUTTI COLUMN/LC(FACT 44)
A:1.Sketch for Dawn I 2.Portrait for Frazer 3.Jaqueline 4.Messidor 5.Sketch for Dawn II
B:1.Never Known 2.Act Committed 3.Detail for Paul 4.Missing Boy 5.Sweet Cheat Gone
music written by Vini Reily
intrumentals & vocals Vini Reilly
parcussion Bruce Mitchell
paintings Jackie Williams
produced by Vini Reilly & Stew Pickering at Graveyard Studios.
FACTORY 1980
ドゥルティ・コラムの'81年のセカンド・アルバム。このアルバムからドラムスのブルース・ミッチェルが参加する。イアン・カーティスに捧げた"The Missing Boy"などが収録され、アルバムタイトルのLCは、"時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)"の原作者で有名なイギリスの小説家、評論家アンソニー・バージェス(Anthony Burgess)のローマに関するドキュメントの中の壁の落書き"Lotta Continua" から採用されたという。

THE DURUTTI COLUMN/DEUX TRIANGLES EP(FBN 10)
side one:1.Favourite Painting 2.Zinni
side two:1.Piece For 2.Out Of Tune Grand Piano
FACTORY BENELUX 1982

THE DURUTTI COLUMN/LIPS THAT WOULD KISS"FROM PRAYERS TO BROKEN STONE"(FAC BN2-005)
A:Lips That Would Kiss
B:Madeleine
ces deux chansons o nt ete enregistrees durant l'ete 1980 au studio cargo a rochdale et mixees a la meme epoque au strawberry studio a stockport(angleterre) /auter;vini reilly/producteur:martin hannett ingenteurs:john brierley et chris nagle/
FACTORY BENELUX 1980

THE DURUTTI COLUMN/I GET ALONG WITHOUT YOU VERY WELL(FAC 64)
A:I get Along Without You Very Well
written by Hoagy Carmichael, arrangement by Vini Rielly and Linsay Wilson.
AA:Prayer
written by Vini Rielly, Cor Anglais, Maunagh Fleming. produced by B-Music at Revolution Studios,Manchester. sleeve design Mark Farrow. printed by Garrod & Lofthouse,

THE DURUTTI COLUMN/WITHOUT MERCY(FACT 84)
face 1:Without Mercy
face 2:Without Mercy
Vini Reiilly(guitar,bass guitar,piano and dmx) Tim Kellett(trumpet) Caroline Lavelle(cello) Mervyn Fletcher(saxophone) Blaine Reininger(violin,viola) Maunagh Fleming(cor anglais,oboe) Bruce Mitchell(percussion,congas and dmx) Richard Henry(trombone)
arrangements by Vini Reilly,Anthony Wilson & The Durutti Column
written by Vini Reilly
produced by Anthony Wilson & Michael Johnson
recorded at Strawbery Studios,Stockport
mixed at Britannia Row,London
assisted by Tim Dewey & Nigel Beverley
cover;Trivaux Pond,1916/17 Henri Matisse(1869-1954)
reproduced by courtesy of the Trustees,the Tate Gallery,London
FACTORY 1984
ドゥルッティ・コラムの作品では、ファーストと「Without Mercy」がベストアルバムだと思っている。フランスの画家で野獣派(フォーヴィスム)のリーダ-的存在であったアンリ・マティス(Henri Matisse)の1917年の油彩画"Trivaux Pond"がジャケットに貼られたこのアルバムから、マチスが線の単純化、色彩の純化を追求したのと同じような音響の無駄な部分を削ぎ落とした静謐な室内楽とジャズ的なるものが聴こえてくる。マティスの絵画は最終的に切り絵に到達したというが、このアルバムでの音楽はそのマティスの"ジャズ"シリーズという切り絵の作品のなかのポリネシアのような音楽を想起させる。

THE DURUTTI COLUMN/SAY WHAT YOU MEAN MEAN WHAT YOU SAY(FAC 114)
side 1:1.Goddbye 2.The Room 3.A Little Mercy
side 2:1.Silence 2.E.E. 3.Hello
Published by the Movement of 24th January Publishing
Design by 8vo
FACTORY 1985

THE DURUTTI COLUMN/TOMORROW(FBN 51)
side 1:Tomorrow
side 2:1.Tomorrow(live in japan) 2.All That Love and Maths Can Do
FACTORY BENELUX 1985

THE DURUTTI COLUMN/CIRCUSES AND BREAD(FBN 36)
side 1:Pauline 2.Tomorrow 3.Dance II 4.Hilary 5.Street Fight 6.Royal Infirmary
side 2:1.Black Horses 2.Dance I 3.Blind Elevator 4.Girl-Osaka
all songs written arranged and produced by Vini Reilly.
design:8vo
FACTORY BENELUX 1986
60年代のザ・ビートルズ、ローリング・ストーンズに始まり20数年も続いたイギリスにおけるブリティッシュ・インヴェイジョンという大きな物語り、ロックの最終的な決着は、個人的にはYレコードやファクトリー・レコードのニューウェイヴ・ダンス・ミュージックと、そしてドゥルティー・コラムやelレーベルのグリッターロックともいえるバロキスムがエピローグを飾ったと考えている。86年のこのアルバムからはelレーベルにも似た室内楽と植物的バロキスム世界、ジャズ的なるものが聴こえてくる。

THE DURUTTI COLUMN WITH DEBI DIAMOND/THE CITY OF OUR LADY(FAC 184)
A:Our Lady Of The Angels
B:1.White Rabbit 2.Catos Con Guantes
Vini Reilly(guitars and keyboards) Debi Diamond(vocals) John Metcalfe(viola) Bruce Mitchell(percussion)
special thanks to Simply Red for Tim Kellett's trumpet on White Rabbit
Our Lady of The Angels recorded by Stuart James at Amigos Studio,North Hollywood and mixed by Steve Street at Strawbery Studios,Stockport.
White Rabbit recorded by Stuart James at Amigo Studio,North Hollywood and mixed by Stuart James at Yellow 2,Stockport.
Catos Con Guantes recorded and mixed by Steve Street at Strawbery Studios,Stockport.
all songs written by Vini Reilly
except White Rabbit written by Grace Slick and originally published by Rondor Music.
photograph by Bob Sebree design:8vo
FACTORY 1986
Jefferson Airplaneの"White Rabbit"のカヴァーと、ヴォーカルでフィーチャーされているDebi Diamondが正体不明でググッたらポルノ女優で有名な同姓同名の女性が検索された。同一人物? ヴィニ・ライリーとポルノ女優とのコラボレーションというのもアリかも、でも、どういう経緯だろう? 間違っているかも知れないが。

THE DURUTTI COLUMN/THE GUITAR AND OTHER MACHINE(FACT 204)
side 1:1.Arpeggiator 2.What Is It to Me(Woman) 3.Red Shoes 4.Jongleur Grey 5.When the World 6.U.S.P.
side 2:1.Bordeaux Sequence 2.Po; in B 3.English Landscape Tradition 4.Miss Haymes 5.Don't Think You're Funny
Vini Reilly(guitar,keyboards,machine programs and vocals) Bruce Mitchell(drum kit, xylophone and DX machine) John Metcalfe(viola and percussion on 'When the World') Stephen Street(bass guitar on 'English Landscape Tradition') Rob Grey(mouth organ on 'What Is It to Me' and 'Jongleur Grey') Stanton Miranda(vocals) Pol(vocals)
special thanks to Simply Red/Elektra for Tim Kellet(s trumpet on 'When the World')
written and arranged by Vini Reilly/Mitchell/Matcalfe
recorded at Suite Sixteen,Rochdale;Strawbery Studios,Stockport;and Island Studios,Hammersmith. mixed at Island Studios.
produced by Stephen Street. engineeres:Chris Nagle,Lee Hamblin and CJ
FACTORY 1987
サンプリングやプログラミングされたリズムマシーンを駆使してのこの作品は、まるで70年代カンタベリー系のプログレッシヴ・ロックのようで完成度の高い作品だが、ドゥルッティー・コラムの魅力は半減している。これもクラブカルチャーを前にした多くの80年代ロックの文脈での特徴だが、新しい器材や機械の発明がロックミュージックを進化させ、それに適応したかどうかはいまとなっては疑わしい。ヴィニ・ライリーの"音楽の形式主義を支えながら、それらを発展させていき、聴く人々のためになる音楽を作る"ことにあるという言葉と姿勢が当時のEカルチャーに融合していないように思えるが。ギターはロックの時代では有効ではあったが、クラブ系や、"ジャズ的なるもの"の時代には、もはや前時代的な楽器だと言わざるを得ない。

THE DURUTTI COLUMN/OBEY THE TIME(FACT 274)
side one:1.Vino Della Casa Bianco 2.Hotel of The Lake,1990 3.Fridays 4.Home 5.Art And Freight
side two:1.Spanish Reggae 2.Neon 3.The Warmest Rain 4.Contra-Indications 5.Vino Della Casa Rossa
written,performed,produced by Vini Reilly
FACTORY 1990
90年代のドゥルッティー・コラムもまたEカルチャーの波を受け、このアルバムではクラブミュージック的アプローチが見られる。ダブやアシッドハウスの趣きも感じられる作品ではあるが、ヴィニ・ライリーのあのメランコリックなディレイサウンドがプログラミングされたマシーンリズムのハウスミュージックにマッチするはずがない。このアルバムにも聴こえるカリブ海の音楽のスタイルのひとつトリニダード・トバゴのカーニバルでのカリプソニアンや、ダブ/レゲエ、そしてジャズのようなサウンドならまだしも。彼もまたクラブカルチャーに侵入したことを当時喜ばしく思ったが、なぜかこのアルバムを最後に彼の音楽を聴かなくなってしまった。

THE DURUTTI COLUMN/THE TOGETHER MIX(FAC 284)
A:Tigether Mix
B:1.Contra-Indications(album version) 2.Fridays(up-personmix)
Written and performed by Vini Reilly
Published by The Movement of 24th January
The Together Mix mixed by Together
Contra-indications computed and engineered by Andy Robinson
Fridays recorded and mixed by Vini Reilly and Paul Miller
Design: 8vo
FACTORY 1991
カリビアン/ハウス・ミュージックに侵入したアルバム"Obey The Time"に収録されていた"Contra-Indications"をTogetherがリミックスしている(レイヴ・クラシック"Hardcore Uproar"で有名)12インチシングル。この12インチにはそのメンバーのJohnとガールフレンドのEmmaがイビサ島で起きたバイク事故で亡くなり、彼らに捧げたヴィニ・ライリーのゴッホ絵に似た"For John and Emma"が付録につけられている。90年代にはKLFのアルバム"The White Room"でもドゥルッティー・コラムの曲がリミックスされ再生されていた。

THE DURUTTI COLUMN/LIVE AT THE VENUE LONDON(VINI 1)
side one:1.Party 2.Mother From Spain 3.Jacqueline 4.Conduct 5.Sketch For Summer 6.The Beggar
side two:1.Never Known 2.The Missing Boy 3.Sigh Becomes A Scream 4.Self Portrait 5.Friends In Belgium
Bruce Mitchell(percussion) Vini Reilly(guitar/piano/vocals)
all titles written by Vini Reilly
this album released by Kind Permissions of Factory Records Manchester
a limited edition of 4000 copies
front cover photograph;Mark Warner
VU RECORDS 1983

THE DURUTTI COLUMN
http://www.youtube.com/results?search_query=THE+DURUTTI+COLUMN&search_type=
Official Site
http://www.column.freeuk.com/

2008年05月24日

SECTION 25

SECTION 25
FACTORY RECORDS
FACTORY BENELUX
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES75

発端は'77年11月にイギリス、ランカシャー/ブラックプールで、ラリー・キャシディ(bass,vocal)、ヴィンセント・キャシディ(drums)兄弟によるデュオで始められ、ブラックプール帝国ホテルでの国際児童年のチャリティーショー、ランカスターシティのFootball Clubなどで精力的にギグを行っていた。'78年にギタリストのポール・ウィギンを加え、セクション25は形成された。セクション25という名前は"精神保健法の支給"に由来したもの。
SECTION 25/ALWAYS NOW(FACT 45)
'80年にリリースされたファースト・シングル"Girls Don't Count"だけは、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスとマネージャーのRob Grettonによってプロデュースされている。ヴィン・キャシディはスタジオでこっそり座っていたイアンを思い出し"彼らは多くの援助を私たちに与えてくれた"と語っている。彼らの最初の作品はClock DVAやWah! Heat、Modern
Eonなどのノーザングループのひとつとしてショーケースに飾られ、ノーザン・サイケデリックの熱狂的で新しい試みとして評価されていた。ステージで客に向かって横向きに立ってプレイするポール・ウィギンのギタープレイは有名だ。その後、Moonlight ClubでCrawling ChaosやThe Royal Family and the Poor と、またサーテン・レシオとのアイントホーフェン、ロッテルダムダン・ハーグ、アムステルダム、ベルリン、ヴィニ・ライリーを加えた
ブリュッセルでの"Factory package tour"などのギグを重ね、'81年にファースト・アルバム"Always Now"をマーティン・ハネットのプロデュースによりリリース。'82年の北米ツアーの前にポール・ウィギンは飛行機(高所)恐怖症と、始めから終りまであらゆるギグを即興で展開することを提案したが拒否されたことでバンドを脱退する。直後に控えた'82年1月のCrispy Ambulanceとのヨーロッパツアーは、急遽バッキングテープと臨時のパーカッショニストJohn Grice、キーボードにアンジェラ・フラワース(Angela Flowers )などをセットして行われたという。その後、'82年にファクトリー・ベネルクスからセカンド"The Key Of Dreams"をリリース。先のヨーロッパツアーとセカンドアルバム発表を契機に再びバンドの音楽を見直し再考するため、ヴィンセント・キャシディは作曲に専念しセクション25は1年間は事実上バンド活動は停止した状態だった。'83年3月に12インチシングル"The Beast"をリリース。この曲は"すべての人々にとって醜悪な、全く無知で無気力な徹底的に邪悪な人々の生まれつき持つ能力"についての歌だが(当時のロックファンに対する痛烈な批判だったとボクは思っている。アイ・ラヴ・ユーと哀しげに歌うラリーの声がいまも耳に残っている)。ファクトリーのなかではジョイ・ディヴィジョンやイアン・カーティスの死を最も真摯にとらえ、音楽に反映され影響されていたのはニューオーダーではなく、このセクション25だっただろう。セクション25にとって不幸だったのは、常にジョイ・ディヴィジョンの暗いイメージがつきまとっていたことにある。しばらくの休止後パーカッショニストのLee Shallcrossと、ラリーの妻であるジェニー・ロス、そして新しいエレクトロニック器材ローランドTB303などを加え、セクション25は徐々にエレクトロの領域に侵入し、エレクトロニック・ダンス・ユニットとして方向転換していき、プロデュースにニューオーダーのバーナード・サマーを迎え8月にウェールズのRockfield Studioで録音した''84年のアルバム"From The Hip"とシングル"Looking From A Hilltop"を発表する。それはコンテンポラリー・ダンス・ミュージック、リズムミックの探求と、ジェニー・ロスの壊れやすいヴォーカルにより過去の砂漠のような不毛の過程を完璧なまでに補足し、彼らにつねに付きまとっていたカルト信者=ロックファンを裏切るほどに洗練された作品となっている。当時インタヴューに答えヴィン・キャシディは「私たちにはいつもカルト信者が付きまとっていて、今、それを突破してより多くの人に届く音楽を作りたい」と語っていた。8月にはロンドンのRiverside Studiosで行われたFactory seasonでDurutti Column、Quando Quango、52nd StreetとKalimaなどと共演している。'85年にはバーナード・サムナーとACRドラム奏者のドナルド・ジョンソンによって"Looking From A Hilltop"の12インチシングル(メガミックス)が再構築され、ニューヨークのクラブDJやシカゴのブラックステーションによりクラブヒットしている(90年代に入るとThe Shamen (1992) とOrbital (1993)たちが彼らのこの曲を採り上げている)。'82年の1-2月にかけてボストン、コロンブス、クリーブランド、シカゴ、デトロイト、ミネアポリス、パロアルト、サンフランシスコ、ロサンゼルス、アトランタ、バトンルージュ、ワシントンD.C.、トレントン、そしてニューヨークのリッツで終わる16日間にわたる2度目のアメリカ.ツアーを敢行している。80年代の終わりから90年代の頭にかけてクラブシーンで流行したアシッドハウスで多用されたシーケンサーとローランドTB303などの器材による反復パターンをセクション25は早くもこの時期に展開していた。そして'85年9月にファクトリ・ベネルクスから12インチシングル"Crazy Wisdom"がリリースされる。しかしセクション25のフルタイムのキャリアによって提供された乏しい報酬に一家の暮らしを立てることができないとの理由から'85年11月にヴィン・キャシディはグループを脱退することになる。その後を追うようにして翌年2月にアンジェラ・キャシディもグループを脱退。残されたラリーとジェニー・キャシディによって'87年5月にジョナサン・キングによる'65年のヒット(Good News Week)のカヴァー12インチシングル"Bad News Week"発売に続き、セクション25最後のアルバムとなる4枚目の"Love and Hate"が(87年に録音され1年遅れの) '88年にリリースされ、彼らの活動に終止符を打つ。このアルバムはエリック・サティのジムノベディの朗読によって完成されたもの。
近年では、2001年にセクション25は一度再編成されたがジェニー・キャシディのタイミングの悪い死によって2006年5月まで延期され、2007年にLTMから"Part-Primitiv"という2006年のライヴ・パフォーマンスが収録されたDVDが発表され活動を再開している。セクション25の当時の音楽的変遷とその苦悩のなかに80年代音楽と無責任なロックファン(音楽リスナー)との関係が垣間見えるのだが、彼らは外野で物見高く野次馬のようにミュージシャンのスキャンダルを楽しみ、お茶のみ話にしていただけにしか過ぎなかったのだと、いまにして思う。

SECTION 25/ALWAYS NOW(FACT 45)
side A:1.Friendly Fires 2.Dirty Disco 3.C.P. 4.Loose Talk(Costs Lives) 5.Inside Out 6.Melt Close
side B:1.Hit 2.Babies in the Bardo 3.Be Brave 4.New Horizon
Written by Section 25
produced by Martin Hannett
engineer John Caffrey
recorded at Brittania Row
disegnatori:Grafica Industria e Typografica Berthold
a Factory Records Product
FACTORY RECORDS 1981
ジャケットはピーター・サヴィルによるワックスのひかれたカードポジェット仕様で、内側と内袋にプリントされたマーブル模様はフランスのルーアンから供給されたものによって組み立てられ贅の限りを尽したジャケットデザイン。収録曲は暗くてジョイ・ディヴィジョンのようだと言われていたが、ボクはヴェルヴェット・アンダーグラウンドやカンに通じるモダン・サイケデリアだと解釈していた。

SECTION 25/GIRLS DON'T COUNTS(FAC 18)
side A:Girls Don't Counts
side B:Knew Noise/UP Co You
A Fractured Production
Relevant Music
FACTORY RECORDS 1980
この12インチ以前に7インチでリリースされたピーター・サヴィルによるスリーヴはトレーシング・ペーパーが使われロシア構成主義的なデザインだった。ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスとマネージャーのRob Grettonによってプロデュースされたデヴューシングル。ジャケットはアンジェラ・キャシディ、ジェニー・ロス、およびジュリー・ウォディントンの異なった3種類の少女の写真が使われていた。

SECTION 25/CHARNEL GROUND(FAC BN 3-006)
side A:Charnel Ground
side B:Baunted
produced by Martin Hannett
engineered by John Brierley and Chris Nagle
FACTORY BENELUX 1980
"Haunted"はイアン・カーティスのメモリー。イアンの霊に取り憑かれたかのような"Charnel Ground"は霊安室というタイトルで不気味でシュールな曲。音楽的にはジョイ・ディヴィジョンとPILに影響された痕跡が見られる。ジャケットを逆さにみると脇の下の毛を想起させ猥褻だと当時騒がれていた。

SECTION 25/JE VEUX TON AMOUR.(FAC BN 5)
side A:Je Veux Ton Amour
side B:Oyo Achel Ada
recorded at Britannia Row,February 1981
engineered by John Caffery
produced by Martin Hannett
made in Belgium
FACTORY BENELUX 1981
'81年7月にファクトリー・ベネルックスからリリースされた"Dirty Disco"のフランス語によるユーロヴァージョン。ジャケットの庭の種子パケットの写真は、大量生産された既製品を用いた一連のオブジェ作品を"レディメイド"と名付けたマルセル・デュサンの 'readymade' の手法が使われたと書かれていたが、?。

SECTION 25/THE KEY OF DREAMS(FBN 14)
side 1:1.Always Now 2.Visitation 3.Regions 4.The Wheel 5.No Abiding Place 6.Once Before
side 2:1.There Was A Time 2.Wretch 3.Sutra
all selections produced from Section Twenty Five
produced and recorded by Section Twenty Five at SSRU.
FACTORY BENELUX 1982
録音された5時間以上のマザーテープから編集されたアルバムで、麻薬的/催眠剤的、モダン・サイケデリアといわれたアルバム。"The Wheel"や"Sutra"という曲は仏教に関心のあった彼らがピンクフロイドやウマグマ、カンなどの音楽に影響され創造したもの。セクション・トゥエンティー・ファイヴというと"From The Hip"でのテクノダンス寄りの音楽だと多くが誤解しているが、彼らの音楽はここでのノーザン・サイケデリックが本領だ。

SECTION 25/THE BEAST(FAC 66)
side A:The Beast・Sakura
side B:Sakura(matrixmix)・Trident
produced by Section 25 and Ian Blackburn
recorded at Cargo Studios April 1982
Trident* recorded live by J.Hurst,New York February 1982
front cover drawing by P.Devine
sleeve design Mark Farrow
a Factory Product
thanks to TD. and JG.Cassidy
FACTORY RECORDS1982

SECTION 25/BACK TO WONDER(FAC 68)
side A:Back To Wonder
side B:Beating Heart
The sleeve was designed by Mark Farrow
FACTORY RECORDS 1983

SECTION 25/FROM THE HIP(FAC 90)
side 1:1.The Process 2.Looking From A Hilltop 3.Reflection 4.Prepare To Live
side 2:1.Program For Light 2.Desert 3.Beneath The blade 4.inspiration
written by Section 25
produced by Bemusic and Section 25
engineered by S.Pickering
design by Key/PSA
FACTORY RECORDS 1984
過去のピーター・サヴィルのデザインからトレバー・キーによる山岳地帯の測量機器のコンピュータコードを象徴したポストモダンなデザインに変更された。過去のノーザン・サイケデリアを淘汰し、新たなコンテンポラリー・ダンス・ミュージックの道を歩むため彼らはクラフトワークのKling klangの構造を学んだという(Inspirationに顕著に表現されている)。"From The Hip"での世界は個人的にはコンテンポラリー・ダンス・ミュージックというよりも"アフター・イーノ"として位置づけ解釈している。当時音楽ジャーナリズムからは酷評され、ロックファンにもセクション25に対する評価は著しく悪かったが、ファクトリーのなかでは80年代の時代背景に最も敏感に反応し当時の状況を把握していたのはセクション25だった。その証拠に、時代に素早く反応するシチュエーショニストとして音楽変遷を繰り返し新しい音楽創造を展開していて素晴らしい作品を残している。
Section 25 - Inspiration
http://www.youtube.com/watch?v=TPWKPJKoYvg

SECTION 25/LOOKING FROM A HILLTOP(FAC 108)
side A:Looking From A Hilltop
restructure from Fact 90
side B:Looking From A Hilltop
megamix from Fac 108 A
produced by Bemusic and Dojo
FACTORY 1984
ダンストラックとしてニューオーダーのバーナード・サムナーによってリミックスされた12インチシングル。アンドリュー・ウェザーオールのお気に入りのシングルでもあった。

Section 25 "Looking from a Hilltop" (Version 1)
http://www.youtube.com/watch?v=eO2PGJdgtiA

SECTION 25/CRAZY WISDOM(FBN 45)
side 1:Crazy Wisdom
side 2:Dirty Disco/The Guitar Waltz
produced by Dojo B-music
engineered by Mike Johnson
design Joel V.A.
FACTORY BENELUX 1985

SECTION 25/BAD NEWS WEEK(FAC 157)
side 1:Bad News Week
side 2:Bad News Week 2 (Cough Mix)
Written by Section 25
Produced by Bernard Sumner
Engineered by Chris Nagle
FACTORY RECORDS 1987

SECTION 25/LOVE AND HATE(FACT 160)
side 1:1.Sweet Forgiveness 2.Conquer Me 3.Spinking Petals into Hell 4.The Last Man in Europe
side 2:1.Bad News Week 2.Tim Lick My Kness 3.Shit Creek No Paddle 4.Warhead 5.Carcrash
17 alternative titles:It's: be in two weeks -Dance if you can-Woodentops go apeshit-i'll ring you back-Speyn-Have you got a problem you want me to iron out-Rhythm Chief-Spiritual criminal flights back in Love dilemma-Infatuation-With sex on their minds...-Jaccuse-I'll let you know-Clever Dick-Young Urban Proletariat-Duck Head
produced by Larry Cassidy
engineered by Phil Ault
additional guitar by Dave Crabtree
additional drums by Stewart Hilton
design/artwork by A.S.K. design Co
photo by Ian Tilton
FACTORY RECORDS 1988
ラリーとジェニー・キャシディによって最後に制作された4thアルバムは、80年代初頭のポストパンク/ニューウェイヴの世界に逆戻りしている。このアルバム全体を支配している感性はジェニーのもので、女性独特のロマンティシズムと言えるものだ。常に思うことだけれど、男と女は音楽に関して同じ曲を聴いていても、視点がまるで違う。ロックに関して言えば男は少なからず論理的なその音楽の文脈や構造的なもの、リズムの身体的なものにこだわり、女はミュージシャンのルックスや音楽の雰囲気、歌詞にある文学的リリシズム、情緒のようなものでとらえる。ロックミュージックはだから元来、女性的なもの、女性のものと言えるだろう。夢の象徴として男性的なものとは"知識、論理、合理性、自立、創造力、覚醒した意識"などを意味し、女性的なものとは"感情、非合理、依存や受身、他人との関係を築く能力、無意識性"とされているが、金子光晴著の「下駄ばき対談」(現代書館)のなかで稲垣足穂は"女性的なものとは、抽象的精神の欠如をいう"と言ってたが。

SECTION 25
http://www.youtube.com/results?search_query=SECTION+25&search_type=

2008年05月26日

NEW ORDER 1 981-1984

NEW ORDER
FACTORY RECORDS
FACTORY BENELUX
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 76

NEW ORDER-1 1981-1984
ニューオーダーのレコードは90年のDJ Copyでの12インチ"World in Motion..."まですべて聴いているが、正直なところ'85年のアルバム"Low Life"から'89年の"Technique"までは資料としてレコードやシングルを買い聴いていた程度で、初期のように思い入れたっぷりに感情移入していたわけではない。ボクにとってのニューオーダーはやはり'84年で終わってしまった。
NEW ORDER/POWER CORRUPTION AND LIES(FACT 75)
だから、80年代後半から90年代初頭にかけてニューオーダーがボクが思っていた以上にニッポンでは人気があったことも知らない。そういえば90年代中期にボクが経営していた"cafe blue"で、当時の20代のDJやテクノ・フリークスたちがクラブイヴェントの"オマンチェ・ナイト"をオーガナイズし、ハシエンドのマッドチェスター・ムーブメントを再現していたことがある。
イアン・カーティスの死後、ギターのバーナード・サムナー(Bernard Sumner)がヴォーカル、ギター、キーボードを担当し、ピーター・フック(Peter Hook) のベース、ドラム、スティーヴン・モリス(Stephen Morris) のドラムとキーボード、そして新メンバーにジリアン・ギルバート(Gillian Gilbert) のキーボードとギターを加えニュー・オーダーは活動を始動する。ギターとエレクトロニクスを融合させた83年のダンス・ヒット"ブルー・マ
ンデー"のようなニューウェイヴ・ダンス・ミュージックへのアプローチを試みはしたが、'85年に"パーフェクト・キス(The Perfect Kiss)がヒットするまでの'84年頃までは、やはりジョイ・ディヴィジョンの影を重く引き摺っていた。ファーストシングル"セレモニー"が発表された直後の'81年3月22日にニューオーダーのライヴを観て無名のライターは次のように書いていた。"わたしはこのコンサートで来るべき未来の不気味な光景を目撃した。誰も踊らず、どの足もタップを踏まず、誰も叫ばない。聴衆は氷のように青いスポットに照らされて、凍ったように立ち尽くしている。そのグループはニューオーダーである。彼らの言葉は、あたかもジョ−ジ・オーウェルの小説のごとくである。その音楽はエーテルのようなエレクトロニックであり、陰鬱なものである。その音楽はなにかを失った80年代の若者達がまさに求めているものなのだ。ただ見て聴くだけの”。ニューオーダーの音楽と人気が確立され高まるのと比例して、不思議なことに年を追うごとにジョイ・ディヴィジョンの人気が高まっていたのも、この頃である。実質上ニューオーダーが過去の暗いイメージを払拭したのは、'83年の"ブルーマンデー"とセカンドアルバム"Power Corruption & Lies"でだった。それは80年代後期のEカルチャーと、90年代のテクノハウスの始まりを意味するものだったし、それに加えあのピーター・サヴィルによるアンリ・ファンタン・ラツールの薔薇のイメージ(静物油画)とカラーコードが配置されたカヴァーアートワークが新しいエレクトロニック・ダンスの時代の象徴として強烈な印象を人々に与えたからだろう。

NEW ORDER/CEREMONY(FAC.33)
A:Ceremony
B:In A Lonely Place
written by Joy Division
produced by Martin Hannett
FACTORY RECORDS 1981/1/22
ニューオーダーの最初の12インチシングル。2種類の異なったジャケットが使われ、収録曲ヴァージョンも一方はジリアン・ギルバート加入以前のジョイ・ディヴィジョンによるCeremonyと、以後のSeremonyが収録されている。Bサイドの"In A Lonly Place"は2枚のシングルとも同じヴァージョン。ピーター・サヴィルによる犬が赤い植物を銜えているマークや、クラシック・グリーンのジャケットデザインは、1937年のBerthold WolpeのAlbertus type specimenがベースになったもの。

NEW ORDER/CEREMONY(FAC 33)
A:Ceremony
B:In A Lonly Place
written bu Joy Division
produced by Martin Hannett
FACTORY RECORDS 1981

NO/OFF THE WALL,S.O.36 BERIN MAY '81(Ref.NO 53)
A:1.ICB 2.Dreams Never End 3.Chosen Time 4.The Him
B:1.Everything's Gone Green 2.Seuses
フランスで発売された海賊盤。'81年の5月のベルリンでのライヴが6曲録音されたもの。
REF 1981

NEW ORDER/EVERYTHING'S GONE GREEN(FAC.53)
A:Everything's Gone Green
B:Processin
A Factory Communications Products
FCL Stereo
45 rpm
Publishing Bemusic
Production Martin Hannett
Manufactured Factory
FACTORY RECORDS 1981
ニューオーダーの7インチ・セカンドシングル。9種類の異なったカラーによって印刷されている。1927年のFortunato Deperoの発電機にインスパイアーされたピーター・サヴィルによるアートワーク。

NEW ORDER/EVERYTHING'S GONE GREEN(FBNL8)
side A:1.Evrything's Gone Green
side B:1.Cries And Whispers 2.Mesh
written by New Order
produced by Martin Hannett
recorded in UK
made in BNL
FACTORY BENELUX 1981
ベルギーのファクトリー・ベネルクスからの12インチシングル。

NEW ORDER/1981-FACTUS 8-1982(FACTUS 8)
side 1:1.Everything's Gone Green 2.Procession 3.Mesh
side 2:1.Temptation 2.Hurt
cover painting by Martha J. Ladly; design by Peter Saville-spa10.
FACTORY RECORDS 1982
上記のシングルの曲に5曲追加されリリースされた12インチシングル。

NEW ORDER/MOVEMENT(FACT.50)
side A:1.Dreams Never End 2.Truth 3.Senses 4.Chosen Time
side B:1.I.C.B. 2.The Him 3.Doubts Even Here 4.Denial
produced by Martin Hannett
engineered by Chris Nagle
assisted by John and Flood
published by B Music
designed by Peter Saville and Grafica Industria
printed by Garrod and Lofthouse Limited
FACTORY RECORDS 1981
バウハウスやロシア構成主義を思わせるジャケット・デザイン。それも赤と黒ではなく、貧血気味の当時のニューオーダーを象徴したスカイブルーと紺の。"我々の音楽はカー・クラッシュのように、いつも無計画で予期できないものだ"というバーナード・サムナーの発言は、良く言えばまさに資本主義制度を批判し、生産体制を含めて状況を構築しようとした状況に合わせてカメレオンのように変態するシチュエーショニズムの運動のようでもあり、なにごとに関しても、もともと深く考えていない楽観主義者ともとれる。既にイアン・カーティスの自殺という物語りを音楽のなかに抱えたニューオーダーは、新たにムーヴメント(運動)というカードを切り、フィジカル・ダンス・ミュージックを選択した。

NEW ORDER/TEMPTATION(FAC63)
side A:Temptation
side B:Hurt
written and produced by New order
engineer:Pete Woolliscroft
Artwork by Peter Saville.
April 1982
published by bemusic
a factory communications product.
FACTORY RECORDS 1982

NEW ORDER/BLUE MONDAY(FAC 73)
side A:Blue Monday
side B:The Beach
produced by New Order
engineered by Michael Johnson
assisted by Barry Sage + Mark Boyne
published by B Music 1983
古い5.25"のフロッピー・ディスクから発想されたピーター・サヴィルによるジャケット・ワーク。プレス加工された穴の空いたジャケットにかかった経費は大変なものだったらしい。

NEW ORDER/POWER CORRUPTION AND LIES(FACT 75)
(ジャケットは最上段の3枚の写真参照)
side A:1.Age of Consent 2.We All Stand 3.The Village 4.5 8 6
side B:1.Your Silent Face 2.Ultraviolence 3.Ecstasy 4.Leave Me Alone
Produced by New Order
Engineered: Michael Johnson assisted by Barry Sage and Mark Boyne.
cover-Roses:Henri Fantin-Latour (1936-1904) Canvas,0.489×0.603m
reproduced by Courtesy Of The Trustees,the National Gallery,London
A Factory Record
Published by Bemusic 1983
Pete Wooliscroft
FACTORY RECORDS 1983
ニューオーダーのセカンドアルバム。この頃になるとシーケンサーにも慣れたのか、エレクトロニクスによるリズム感もよりきめ細かくなり、彼らの前に立ちはだかっていたイアン・カーティスの死とロックの古い過去の文脈からやっと抜け出したかのようなピーター・フックのベースラインを核にした事実上のニューオーダー誕生を意味する作品となっている。ピーター・サヴィルによるアンリ・ファンタン・ラツールの薔薇のイメージ(静物油画)とカラーコードが配置されたカヴァーアートワークは、最もニューオーダーの音楽を象徴していたものかも知れない。このカラーコードは、12インチシングル"Blue Monday"、"Congusion"にも使用され当時の彼らの運動としての音楽の連続性がみてとれる。ピーター・サヴィルはロンドンで同時に開催されたピ−ター・サヴィル・ショーにもこのカラーコードを使用していた。

NEW ORDER/CONFUSION(FAC 93)
Side 1:1.Confusion and 2 Confused Beats
written by New Order and Arthur Baker
produced by Arthur Baker and New Order for ABI and FCL
published by Shakin' Baker Music (BMI) and Bemusic
recorded at Unique Studios, New York.
engineers:F. Heller and C. Lord
mixed by Arthur Baker and John "Jelly Bean" Benitez at Ears, New Jersey. mix engineer:John Robie
A Factory Record - Of Factory 9. (P) 1983.
side 2:1.Confusion Instrumental and 2 Confusion Rough Mix.
written by New Order and Arthur Baker
produced by Arthur Baker and New Order for ABI and FCL
published by Shakin' Baker Music (BMI) and Bemusic
recorded at Unique Studios, New York
mixed by Arthur Baker and John "Jelly Bean" Benitez at Ears, New Jersey and Unique Studios, New York
mix engineers:John Robie at Ears, F. Heller and C. Lord at Unique
A Factory Record - Of Factory New York made the arrangements. (P) 1983.
FACTORY RECORDS 1983
ピーター・サヴィルによるアートワークは、4色の浮き彫りにされたNEW ORDERとCONFUSIONのタイポグラフィが重なり合わせてある。ヒントはdot matrix lettersから得たものらしい。またこのシングルは後にニューヨークの90年代を代表するエレクトロハウスDJアーサー・ベイカー(Arthur Baker)によってヘヴィーなグルーヴにリミックスされている。98年に公開された映画"ブレイド"のサウンドトラックにも"コンフュージョン"が使われていて、それは90年代初頭のイギリスのライジングハイ・レーベルで聴かれたトランステクノ・リミックスだった。

NEW ORDER/BLUE MONDAY 1988(FAC 7312)
side A:Blue Monday 1988
written and produced by New Order
production supervisor on remix:Quincy Jones.
additional production and remix:John Potoker for Direct Eject Inc.Los Angeles.
mix engineer:Tokes.
publ.by Bemusic/Warner Bros Music
A Factory Records
side B:Beach Buggy
written and produced by New Order
remixed by Michael Johnson.
published by Bemusic/Warner Bros Music
A Factory Records
FACTORY 1988
米国市場に対して発売されたクインシー・ジョーンズのリミックスによる"Blue Monday"88年版12インチシングル。80年代後半にはシカゴやデトロイトを拠点にクラブカルチャー(ダンスカルチャー)が台頭してきて、音楽のメインストリームとして一気に世界に波及していき、ロックカルチャーは廃れ跡形も無くなってしまった。

NEW ORDER/THIEVES LIKE US(FAC 103)
side A;Thieves Like Us
side B:Lonesome Tonight
written by New Order/Arthur Baker
Produced by New Order
Engineered by Mike Johnson
Recorded and mixed at Britannia Row Studios
Published by Be Music / Warner Bros Music / Shakin' Baker Music (BMI). Design Key / PSA.
FACTORY RECORDS 1984
アーサー・ベイカーとのセカンド・コラボレーション。ディスコ・クラシックのような美しいリミックスが施されている。ジョイ・ディヴィジョンやPILの音楽であっても84年にもなればスノッブな若者は当時のニューウェイヴ・ディスコでこうした曲に合わせて踊っていたんだよ。それはまったく正しい判断だった。

NEW ORDER/MURDER(FBN 22)
side A:Murder
written by New Order
produced by New Order
engineerd by Mike Johnson
recorded and mixed at Britania Row Studios
side B:Thieves Like Us instrumental
written by New Order/Arther Baker
oroduced by New Order
engineered by Mike Johnson
recorded and mixed at Britania Row Studios
published by Be Music/Warner Bros. Music/Shakin' Baker Music(BMI)
design Key/PSA
FACTORY BENELUX 1984
クレプスキュールからリリースされた"Thieves Like Us"のアーサー・ベーカー・シリーズの別ヴァージョン。以前から形而上学の断片的なアプローチをしたかったピーター・サヴィルとフィル・ペーニントンは、カヴァーに18世紀のボードゲームとジョルジョ・キリコの'The Evil Genius of a King'を引用。人々がニューオーダーの音楽に不可解で不吉なメッセージを読み取るための仕掛けだ。

NEW ORDER/DREAMS NEVER END(GOTH 1)
3枚組の海賊盤。21曲が何のクレジットも無くホワイトラベルで発売されている。恐らく'81年のニューヨークかベルリンでのライヴが収録されたものだろう。イアンの死直後の緊張感溢れるプレイが聴こえてくる。海賊盤にしてはよく出来ていて、時代の暗い空気までも録音されていた。

New Order: Dreams Never End @ NYC 1981
http://www.youtube.com/watch?v=GXuRe0GkXyA

(後半の'85年から'90年までのNEW ORDER-2に続く)。

2008年05月27日

NEW ORDER 2 1985-1990

NEW ORDER
FACTORY RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 77
CASCADES 77

NEW ORDER-2 1985-1990
ニューオーダーの曲に"ブルー・マンデー"などと並ぶ代表曲"ビザール・ラヴ・トライアングル(Bizarre Love Triangle)"という曲があるが、そのプロモーション・ヴィデオは現代美術家/映像作家のロバート・ロンゴ(Robert Longo)が製作したもので、耽美で退廃的な映像の数々がコラージュされていた。
Robert Longo Dance
http://www.youtube.com/watch?v=YREEk0EWqdk
歌のサビの部分のスーツ姿の男と女が真っ青な空の中を飛び跳ねるように宙を舞い落下していく印象深い映像や、ロンゴの"Men In The Citys"のアクロバティックで躍動感を感じる人間の動きをスローモーションで捕らえたカメラアイのモノクローム写真も、ニューオーダーの音楽と1980年代の没意味/空白の時代を象徴しているように思えてならない。ロンゴの名前を知ったのはニューヨークのNo Waveでの99レコードから'81年にリリースされていたグラン・ブランカ(Sonic Youth)の"The Ascension"のジャケット写真だった。
New Order - Bizarre Love Triangle
http://www.youtube.com/watch?v=w77T0AncLKo

NEW ORDER/TRUE FAITH(FAC 183)
ニューオーダーの'90年の作品を最後に、その後と最近の活動に関してはまったくの無知だが、'93年の通算6枚目にあたるアルバム"リパブリックRepublic"を発表後、2001年の"ゲット・レディ(Get Ready)"制作までに8年近くのブランクが生じていたことや、'07年にピーター・フックが複数のメディアで"バーナードとはもう一緒にやっていかない"と述べニュー・オーダーは事実上解散したと記憶していたが、バー
NEW ORDER/TRUE FAITH REMIX(FAC 183R)
ナードとモリスは今後も2人で活動を続けて行くとの噂も流れている(えー〜、まだやるの!)。現在彼ら3人はニューオーダーの権利に関して泥試合の様相を呈しているようだ。ジャズミュージシャンは歳を重ねるほどその音楽や存在感に渋さも増すが、いまもまだロック・イディオムを信じている30代後半ー50代の、年老いたロックミュージシャンやパンクス、ノイズフリークスやロックファンだけは見るに偲びない。ファクトリー・レコードのアーティストはなによりもトニー・ウィルソンの資金的バックアップと精神的加護があってこそ存在できたのだけどね。マンチェスターのテレビ局グラナダ・テレビの番組 "So It Goes"の司会者だった彼が、'78年にファクトリー・レコード (Factory Records) を設立したことによって、すべての物語が始まった。若かりし頃モータウンやノーザンソウルの音楽の光をみたトニー・ウィルソンのペリーボーイズとしてのモッズでスノッブな美意識と、アーティストの権利を何よりも優先させるという方針、ひとつの美術作品/オブジェのようなレコードジャケットの贅の限りを尽くしたフェティシズム、そんなトニーの人間性ゆえにファクトリー・レコード自体は資金的には常に苦境に立たされ最終的に経営破綻してしまった。
そして'82年のハシエンダの立ち上げ、19世紀の織物工場の建物跡を再利用したクラブ"ハシエンダ"は、80年代の終わりから90年代初めのマッドチェスター (Madchester)・ムーヴメントを先取りしていたが、クラブシーンの衰退と時を同じくして90年代半ばには閉鎖を余儀なくされ、2002年には取り壊されてしまった。トニー・ウィルソンはその5年後、'07年8月10日、腎臓癌の闘病中に心臓発作で倒れ帰らぬ人となってしまった。享年57歳。もう遅過ぎるけれど、裏で音楽シーンを支えてきたインディビジュアリストとしての生き方に徹した一匹狼的な彼の存在をもっと評価してあげるべきだったと思う。彼のような大きなことは出来なかったけれど、ボクにとっては、いつの間にか気がついたら若い頃の夢が指先からポロポロとこぼれていったのが80年代後半だった。色んな意味で、80年代中期から90年代初頭は音楽だけではなくすべてのものと時代が激変した特別な時代だったのだ。あのような時代は2度と訪れることもないだろうし、2度ともう体験できないだろう。

TONY WILSON
http://www.gothamcityinsider.com/2007/08/tony-wilson-center-with-peter-saville.html

NEW ORDER/LOW-LIFE(FACT 100)
side 1:1.Love Vigilantes 2.The Perfect Kiss 3.This Time of Night 4.Sunrise
side 2:1.Elegia 2.Sooner Than You Think 3.Sub-culture 4.Face Up
Produced by New Order
Engineered by Michael Johnson
Recorded and mixed in London at Jam and Britannia Row Studios
Tape operators; Mark, Penny and Tim
33 1/3 rotations per minute
Written by New Order
Photographed by Trevor Key
Designed by Peter Saville Associates
inside cover detail - photograph of Bernard Sumner by Trevor Key
Factory Record, Manchester, England
Published by Bemusic / Warner Bros. Music
FACTORY RECORDS 1985
シングルカットされた"パーフェクト・キッス"や”コンフュージョン"を収録したニューオーダ−3枚目のアルバム。酸性紙で覆われたスティーヴンの顔が使われたジャケット。80年代後半のマッドチェスター・ムーヴメントに続くニューオーダーの音楽がやっと確立されたといっていいアルバムだろう。

NEW ORDER/THE PERFECT KISS(FAC 123)
1 The Perfect Kiss
2 The Kiss of Death
3 The Perfect Pit
Produced by New Order
Engineered by Michael Johnson
Recorded and mixed in London
at Jam and Britannia Row Studios
Tape operators; Mark, Penny and Tim
45 rotations per minute
Written by New Order
Published by Bemusic / Warner Bros. Music
FACTORY RECORDS 1985
12インチシングル。ピーター・サヴィルによるタイトルが浮き彫りにされたシルバーカラーのスリーヴ。内袋の色はシアン、マゼンタ、ブラックの3パターンが使われていて黄色いヴァージョンが存在していて未確認だと書かれていたが、ファクトリーはレコードコレクターのフェティッシュな物欲をくすぐり刺激する戦略に長けている。個人的にはこのシングルヒットによってNEW ORDERは新しいダンスバンドとして生まれ変わることが出来たと思っている。

NEW ORDER/SUB CULTURE(FAC 133)
A:Sub-culture
B:Dub-vulture
Written by New Order
Remixed by John Robie
Produced by New Order
Engineered by Michael Johnson
Published by Bemusic / Warner Bros Music
45 rotations per minute
A Factory Record. Fac 133
FACTORY RECORDS 1985
アルバム・ヴァージョンから本格的にリミックスしたといわれる最初のシングル。John Robieによるソウルフルなバッキングコーラス、4つ打ちのディスコ・トラックで、当時のYazooの"Situation" などにもみられるブレイク、ヴォーカルの処理など打込みを多用したハウスミュージック独特の4つ打ち"ドンドン"リズムパターンは,その後のDance Musicの原型となった。いま聴いてもダサいけれど、当時ピーター・サヴィルはこのリミックス・シングルが大嫌いだったので、ジャケット・デザインを拒否し仕方なくそのまま発売したという。これを最初聴いた時、そのダサさに愕然としたが、愈々没意味の時代が始まったと、ボクは評論と音楽業界から足を洗うことを決心した記念すべき(^^~)シングル。それも曲のタイトルが"Sab Culture"というのだからなんとも皮肉で可笑しい。

NEW ORDER/BROTHERHOOD(FACT 150)
side 1:1.Paradise 2.Weirdo 3.As It Was When It Was 4.Broken Promise 5.Way of Life
side 2:1.Bizarre Love 2.Triangle 3.All Day Long 4.Angel Dust 5.Every Little Counts
written and produced by New Order
recorded at Jam Studios,London;Windmill Lane Studios,Dublin;Amazon Studios,Liverpool
engineered by Michael Johnson
designed by Peter Saville Associates
photographed by Trevor Key
published in 1986 by Bemusic/Warner Brothers Music.
FACTORY RECORDS 1986
ニューオーダ−4枚目のアルバム。いつも不可解な現象だと思っているのだが、先端の音楽やバンドに、時間の経過とともに初期のような衝撃度や新鮮さを感じなくなり興味を失ってゆく場合がある、すると、必ずそれらの音楽はマスに認知されだしレコードも売れ大衆にまで下りて行きメジャーになってゆく。言い直せば、ある音楽やバンドが大衆での認知度が高くなればなるほどその音楽は聴いてられないほどダサくなっていくというひとつの絶対的法則がある。ニューオーダーのこのアルバムでのポップミュージックも、ピーター・サヴィルのジャケットワークの素晴らしさがなければ、レコードも買っていなかっただろう。ニューオーダーの音楽が一般的な大衆相手の音楽に成り下がってしまいつまらなくなったのは、このアルバムからだろう。

NEW ORDER/STATE OF THE NATION(FAC 153)
side A:State Of The Nation
recorded April 1985 in Tokyo,Japan
side B:Shame Of The Nation
written and produced by New Order and John Robie
recorded October 1985 to april 1986 in Manchester,New York and Los Angeles
engineered by Mike Johnson
mixed at Britannia Row Studios
designed by Peter Saville Associates
photographed by Trever Key
Published by Be Music / Warner Bros Music / Shakin' Baker Music (BMI). Design Key / PSA.
FACTORY RECORDS 1986

NEW ORDER/BIZARRE LOVE TRIANGLE(FAC 163)
side A:Bizarre Love Triangle
side B:Bizarre Dub Triangle
Written by New Order
Produced by New Order
Engineered by Mike Johnson
Recorded and mixed at Britannia Row Studios
Published by Be Music / Warner Bros Music / Shakin' Baker Music (BMI). Design Key / PSA.
FACTORY RECORDS 1986
アルバム"ブラザーフッド"に収録されていた'86年のヒット曲。全英チャートで56位、全米のダンスチャートでは4位を記録した。

NEW ORDER/TRUE FAITH(FAC 183)
A:True Faith
B:1963
written by New Order and Stephan Hague
produced by Stephan Hague and New Order
FACTORY RECORDS 1987
(ジャケット写真は最上段を参照)

NEW ORDER/TRUE FAITH REMIX(FAC 183R)
A:1.True Faith Remix 2.1963
B:1.True Dub
written by New Order and Stephen Hague
produced by Stephen Hague and New Order
remix by Shep Pettibone
sleeve design by Peter Saville Associates and Trevor Key
FACTORY RECORDS 1987
イギリスでのトップ・オブ・ザ・ポップスの地位を確立したニューオーダーを象徴する2枚の12インチシングル。それと比例するようにピーター・サヴィルとトレヴァー・キーのデザインも美術界で認知されだし成功を収め始める。ペルシアンブルーの下地に1枚の枯葉を配したものと対になったリミックス盤は、数ある彼らのアートワークのなかでは、デザイン的に最高作だと思う。(ジャケット写真は最上段の2枚を参照)

NEW ORDER/TOUCHED BY THE HAND GOD.(FAC 193)
A:Touched By The Hand Of God
Touched by the Hand of God from the Beth Film 'Salvation!'
written and produced by New Order
mixed by Arthur Baker
published by Bemusic/Warner BrosMusic
B:Touched By The Hand Of Dub
written and produced by New Order
mixed by Arthur Baker
design by Peter Saville Associates
photography by Trevor Key
FACTORY RECORDS 1987

NEW ORDER/SUBSTANCE 1987(FACT 200)
side A:1.Ceremony 2.Everything's Gone Green 3.Temptation
side B:1.Blue Monday 2.Confusion 3.Thieves Like Us
side C:1.Perfect Kiss 2.Subculture 3.Shellshock
side D:1.State of the Nation 2.Bizarre Love Triangle 3.True Faith
all title written and produced by New Order
except A1 written by Joy Division ,produced by Martin Hannett(2,3)、
except B2 & 3 wrotten by New Order/Arthur Baker and 2
engineered by Michael Johnson
except C1 produced by NO/Michael Johnson, C2 remixed by John Robie,C3 written by NO/John Robie
exceptD2 remixed by Shep Pettibone,D3 written by NO/Stephen Hague
Sleeve design by Peter Saville Associates and Trevor Key
FACTORY RECORDS 1987
ニューオーダー初の81-87年にリリースされたシングル12曲を集めたコンピレーション・ダブル・アルバム。

NEW ORDER/FINE TIME(FAC 223)
A:Fine Time
B:1.Don't Do It 2.Fine Line
Written and Produced by New Order
recorded by Michael Johnson
mixed by Alan Meyerson
Recorded and mixed at Britannia Row Studios
Engineered by Mike Johnson
cover by Peter Saville Associates and Trevor Key after a painting by Richard Bernstein
FACTORY RECORDS 1988

NEW ORDER/FINE TIME SILK MIX(FAC 223R)
A:Fine Time Silk Mix
written and produced by New Order
recorded by Michael Johnson
mixed by Alan Meyerson
additional production,remix and editing by Steve 'Silk' Hurley
engineered by Grant Austin at Tanglewood Recording Studios,Chicago
B:Fine Time Messed Around Mix
written & produced by New Order
recorded by Michael Johnson
mixed by Alan Meyerson
additional production,remix and editing by Steve 'Silk' Hurley
engineered by Grant Austin at Tanglewood Studios,Chicago
FACTORY RECORDS 1988
ファクトリー・レコードがマンチェスターで経営していたクラブ"ハシエンダ(The Haçienda)"は、'82年5月にオープンし、80年代後半のマッドチェスター・ムーブメントの中心となったところだが、この"Fine Time"がリリースされた'87年頃からシカゴのDJ Pierreが古いアナログ・シンセサイザー"ローランド・TB-303"のフィルターな波形変調/音色変化やミキサーのEQを駆使したミニマルでヒプノティックなアシッドトラックを生み出し、そのLSDの幻覚作用を思わせる幻想的なサウンド、アシッドハウス・ムーヴメントが世界のクラブシーンを席巻していて、ハシエンドやロンドンのクラブもその影響を直に受けていた。この動きは90年代初頭のセカンド・サマー・オブ・ラブのレイヴ・カルチャーで頂点を迎えるのだが、ニューオーダーの"Fine Time" でのピーター・サヴィルによるジャケットデザインは当時のエクスタシー/ドラッグカルチャーを思わせる(この頃ボクも90年に立ち上げたクラブM2'マセマティック・モダン'”の構想を練っていた時期だった)。当時ハシエンダは麻薬売買の場となり傷害事件が多発していた。

NEW ORDER/ROUND AND ROUND(FAC 263)
A:Round & Round
written by New Order
co-produced by New Order/Stephen Hague
recorded by New Order/Michael Johnson
B:Best & Marsh
written and produced by New Order
recorded by New Order/Michael Johnson
cover by Peter Saville Associated and Trevor Key
FACTORY 1989
サイドBの"Best & Mash"はITV showの伝説的なフットボール選手George BestとRodney Marsh特集のテーマ曲に使ったものをフィーチャーしたもの。

NEW ORDER/ROUND & REMIX(FAC 263R)
A:1.Round & Round Club Mix
B:2.Round & Round Detroit Mix
recorded by Michael Johnson
remixed by Kevin Saunderson
cover by Peter Saville Associates and Trevor Key
FACTORY 1989
ホアン・アトキンス、デリック・メイらと共にデトロイト・テクノのキーマンであるDJケヴィン・サンダーソンのリミックスが愈々登場する。80年代が終わる頃、アシッドハウスとデトロイトテクノは現在のFinn Jazzやnu jazzにまで繋がるボクのクラブカルチャーにおける活動の発端となったものだった。決してニューオーダーによってクラブカルチャーに侵入したのではない。

NEW ORDER/TECHNIQUE(FACT 275)
side 1:1.Fine Time 2.All The Way 3.Love Less 4.Round & Round 5.Guilty Partner
side 2:1.Run 2.Mr. Disco 3.Vanishing Point 4.Dream Attack
Written & produced by New Order.
Recorded by Michael Johnson.
Mixed by Alan Meyerson.
Recorded at Mediterranean Studios, Ibiza & Real World Studios, Box. Mixed at Real World Studios.
Assistants - Box: Aaron Denson, Richard Chappell, Richard Evans.
Thanks to Denis Harman & all the staff & the dog in Ibiza, Miguel at Mama's Bar, Mike Large & all the staff & ducks in Box, Intelligent Music, Robert Gretton, Andrew Robinson, Rebecca Boulton, Oz, Jane, Jacko, Shan, and Factory Workers worldwide & all the Box party people.
cover by Peter Saville Associates & Trevor Key
FACTORY RECORDS 1989
ニューオーダー5枚目のアルバム。シカゴ/デトロイトのアシッド・ハウス・ムーヴメントは、もの凄い勢いで当時のロンドンのクラブにも感染し始めていた。しかしニッポンではこうしたクラブミュージックをリアルタイムにDJイングするクラブや、聴いていたDJやクラウドはそんなに多くはなかった。80年後半から表出したアシッド、チルアウト、ブリープ、デトロイト、そして90年代中期のドラムンベースまでのクラブシーンは熱いほど盛り上がっていた。このアルバムの音楽もそうしたクラブシーンを直に反映したものだ。でもロックファンがこのニューオーダーでクラブミュージックにイニシエーションしたなら、それはちょっとダサ過ぎる。

NEW ORDER/RUN 2(FAC 273)
side A:1.Run 2 2.Run 2 Extended Version
written and produced by New Order
recorded by Michael John son
remix by Scott Litt
additional beats on extended version by Afrika Islam
side B:1.MTO 2.MTO Minus Mix
written and produced by New Order
recorded by Michael Johnson
additional production and remix by Mike 'Hitman' Wilson for Real House Productions
engineered by Chris Andrews
cover by Peter Saville Associates after Bold
FACTORY 1989
20000コピーされた12インチシングル。ピーター・サヴィルのジャケットデザインは、BOLD粉石鹸の包装からインスパイアされたもの。ニューオーダーはこの頃2度にわたる盗作容疑で訴えられている。ひとつはアルバム"Technique"収録のシングルカットもされたこの "Run" で、ジョン・デンバーの曲 "Leaving on a Jet Plane" とそっくりだと裁判を起こされた。結局ニューオーダーは裁判に負けたが。 ふたつ目は'90年サッカーワールドカップの英国公式応援ソングの堂々全英1位に輝いた "World In Motion" で、これがBBCのテレビ番組のテーマ曲と同じじゃないかとケチがついたこと。

NEW ORDER/WORLD IN MOTION...(FAC 293)
A:World In Motion
Recorded and produced by Stephen Hague at The Mill and Mayfair Studios. Engineered by Spike.
The Squad: Peter Beardsley, John Barnes, Paul Gascoigne, Steve McMahon, Chris Waddle, Des Walker.
Thanks also to Craig Johnston
B:The B-Side
Recorded and produced by Roli Mosimann at Real World Studios. Engineered by Felix.
Naff football chants and JB impersonation by Keith Allen.
Apologies to the real footballer, David Bloomfield of the FA.
Design and art direction by Peter Saville Associates London
FACTORY RECORDS 1990

NEW ORDER/WORLD IN MOTION REMIX(FAC 293R)
A:1.Carabinieri Mix... 2.No Alla Violenza Mix...
written by New Order and Keith Allen
published by Gainwest/Warner Chappell Music Ltd. and EMI Music Publishing Ltd.
recorded and produced by Sephan Hague at The Mill and Mayfair Studios
mixed by Andrew Weatherall and Terry Farley at The Townhouse
home side:1.Subbutero Mix.. & 2.Subbuteo Dub
recorded and produced by Stephen Hague at The Mill and Mayfair Studios
additional production and remix by Graeme Park and Mike Pickering
engineered by Spike
The Squad:Peter Beardsley,John Barnes,Paul Gascoigne,Steve mcMshon,Chris Waddle,Des Waiker
thanks also to Craig Johnston
FACTORY RECORDS/MCA RECORDS 1990
アンドリュー・ウェザオールと言えば90年にプライマル・スクリームの”I'm Losing More Than I'll Ever Have”のリミックスで有名になり、ワ−プ・レーベルではセイバース・オブ・パラダイス名義で活動していたDJだが、その彼がリミックスした12インチシングル。

NEW ORDER/WORLD IN MOTION...(WFACX 293)
A:World In Motion...
B:The B-Side.
advanced DJ Copy Not For Resale
Original sound recording made by Factory Communications Ltd. / MCA Records Ltd.
(P) Factory Communications Lrd. / MCA Records Ltd. © 1990 Factory Communications Ltd. / MCA Records Ltd.
FACTORY RECORDS 1990

NEW ORDER
http://www.youtube.com/results?search_query=NEW+ORDER&search_type=

http://www.neworder.cc/

※発生時のアシッドハウスやデトロイトテクノや、クラブカルチャーのレコードが資料室に山ほど眠っている。あの頃から多くの音楽ファンや音楽業界人は真実の音楽情報を見失っていて、いまだにフジ・ロック・フェスなどというロックのコミュニティを利用する猾い商売人の、罠にハマった若い無垢な音楽ファンを騙し続けている業界人がいるのだから。80年代音楽は記録しておくことが多々あるので、クラブカルチャーの始まりを回顧するまでには、ウーン、まだまだ先の話で時間がかかりそうだな。

2008年05月29日

SWAMP CHILDREN / KALIMA

SWAMP CHILDREN
KALIMA
FACTORY RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 78
CASCADES 78

KALIMA
SWAMP CHILDREN を前身とするKALIMAの、そのバンド名は70年代後半のエルヴィン・ジョーンズの曲にちなんで名付けられた。
KALIMA/FOUR SONGS(FAC 127)
83年10月結成時のグループのラインアップはスワンプ・チルドレンと変わりなくそのままだったが、'85年にリリースされた"Four Songs"発表時には歌手のアン・キグリー、ベースプレーヤーのトニー・キグリー、ギタリストのジョン・カーカム、サックスのクリフォード・サッファー、およびドラムスのマーチン・モスクロップに加え、新しいメンバーとしてア・サーティン・レシオのモスクロップの友人でもありバンド仲間であるピアニストのアンディ・コネルとベース(兼ヴァイヴ)・プレーヤーのジェレミー・カーを補強しカリマは事実上形成された。カリマでの音楽はスワンプ・チルドレンよりも、よりジャズ寄りのファイクジャズとでも言うオシャレなジャズサウンドに変容している。その後'86年にモスクロップとクリフォード・サッファーは仲間から抜け'87年のセカンドアルバム"Kalima!"ではサクソフォーン奏者のマシュー・テイラーとフルート奏者のバーナード・モス、およびドラム奏者のデヴィッド・ヒギンズ、ベースのウォレン・シャープルズが新加入している。

KALIMA/FOUR SONGS(FAC 127)
west side:1.Trickery 2.Land Of Dream
east side:1.Sparkle 2.Sosad
recorded at Yellow 2 Manchester, February 1985
production:Kalima
engineer:Tim Oliver
painting:Clifford Saffer
cover photography:Marshall Walker
band photography:Graham Proudlove
sleeve:Trevor Johnson
Andrew Connell(piano) Chris Hornerman(percussion) Jeremy Kerr(bass) John Kirkham(guitars) Martin Moscrop(drums) Ann Guigley(voice,lyrics) Anthony Quigley(soprano sax) Clifford Saffer(tenor sax)
guest musicians:Andrew Diagram(trumpet,flugelhorn) Paul Latham(trombone)
songs by Kalima
published by Swamp Music
manager:Nathan McGough
Factory Records:86 Palatine Road Manchester 20
FACTORY RECORDS 1985

KALIMA/THE SMILING HOUR(FAC 87)
A:1.The Amiling Hour
Ivan Lins/Aloysio de Olivein/Victor Martins
produced by Kalima for the Swamp Children
featuring The Jazz Defectors(backing vocals)
B:Fly Away
written by Kalima/Swamp Publishing
produced by Kalima for Swamp Children
FACTORY 1984

KALIMA/WHISPERED WORDS(FAC 147)
side A:Whispered Words
side B:Sugar and Spice
Written and produced by Kalima
Recorded at Yellow 2, January 1986
Engineered by Chris Nagle and Paul Harrison
Assistant Engineer - Julia Adamson
Woodcut - Clifford Saffer
Sleeve - Trevor Johnson
FACTORY RECORDS 1986

KALIMA/NIGHT TIME SHADOWS(FACT 155)
side A:1.Mystic Rhymes 2.After Hours 3.Green Dolphin Street 4.Black Water 5.In Time
side B:1.Father Pants 2.Start the Melody 3.Token Freaky 4.Love Suspended in Time
all tracks written and produced by Kalima
lyrics by Ann Quigley (A1, A4, B1, B3) Written by Kalima / Connell (B4) by Kalima / Connell / Kerr (A3) by Kuper / Worthington
engineered by Chris Nagle and Paul Harrison
assistant Engineer Julia Adamson
recorded at Yellow 2. January 1986
woodcut - Clifford Saffer
sleeve - Trevor Johnson
Ann Quigley: vocals Clifford Saffer: tenor saxaphone John Kirkham: guitars Martin Moscrop: drums Anthony Quigley: bass / soprano saxaphone Chris Manos - percussion
Guest Musicians
Andrew Connell - Piano (A1, A4, B1, B3) DX7 (B3) Vibes (A4)
Jeremy Kerr - Bass Guitar (A1, B1) Vibes (A4)
FACTORY RECORDS 1985
'85年リリースのファーストアルバム。

KALIMA/WEIRD FEELINGS(FAC 187)
side A:Weird Feelings
side B:The Dance
all songs written by Kalima
recorded at Yellow 2,Stockport,Manchester,February 1987
co-produced by Paul Harrison and Kalima
engineered by Paul Harrison
sleeve design:Johnson/Panas,Manchester
band photography:Graham Proudlove
Ann Quigley(vocals,lyrics) John Kirkham(guitar) David T.Higgins(drums) Martin Hennin(bass) Mathew Taylor(alto saxophone) Bernard Moss(flute) Anthony Quigley(soprano saxophone)
special guests:Khairie Gedal(trumpet,flugel horn) Chris Manis(percussion)
FACTORY RECORDS 1987

KALIMA/KALIMA!(FACT 206)
side 1:1.That Twinkle (In Your Eye) 2.Casabel 3.Sad and Blue 4.Over the Waves 5.Now You're Mine
side 2:1.The Strangest Thing 2.Special Way 3.Autumn Leaves 4.Julan
produced by Michael Johnson
engineered by Tim Oliver
recorded at Square One Studios, Bury, November / December 1987
all Songs Written and Arranged by Kalima
except Autumn Leaves by Prevert / Kosma. Lyrics: Mercer
published by SDRM / Peter Morris Music
photography: James Martin
design: Johnson/Panas | Manchester
Special Thanks to:Everyone at Factory, Geese, Square One, Brick Top, Gregor, Tim & Mike, Wear It Out, Elizabeth Rochford, Chris M, Howard
Ann Quigley: Vocals / Lyrics John Kirkham: Guitar Anthony Quigley: Soprano Sax / Keyboards* David Higgins: Drums Matthew Taylor: Alto / Tenor Saxaphones Bernard Moss: Flute Warren Sharples: Bass
special Guest: Chris Manis: Percussion
Factory Communications Ltd, 86 Palatine Road, Manchester 20, 061-434 3876
Printed and Manufactured in the UK
FACTORY RECORDS 1988
ファッション雑誌ヴォーグ(VOGUE)の50年代の表紙を飾ったモデルのようなアン・キグリーの写真がジャケットカヴァーに使われた'88年のカリマのセカンドアルバム。黒いバギースーツに身を包んだカリマのメンバー、黒いカルテルドレスを身にまとい歌うアン、このアルバム"Kalima!"からは初期のスワンプ・チルドレンにあった創造的で独創的な音楽は聴こえてこない。いわゆる"どジャズ"に違いないのだが、オリジナルナンバーをやっていることだけは評価できる。が、しかしB2の"オータム・リーヴス"だけはちょっとダサ過ぎる。それはアシッドジャズが表出した頃の音楽に共通したフェイクジャズのようなダサさが感じられる。古いスタンダード・ジャズや50年代ジャズを演奏していても、そこに新しい解釈、構築がみられないと、ノスタルジアだけが強調され、いくらテクニックがあるからといってもFinn Jazzやnu jazzを聴いている耳の肥えた若いジャズファンからは"どジャズ"と一蹴されるだけだ。若いジャズミュージシャンがプレイしているからといってスタンダードジャズなんて、わざわざジャズクラブに行って聴きにいくものじゃない。どジャズとジャズ的なるものはなにが違うかって? そりゃなによりもリズムやグルーヴ感の違いだろうよ。そして有名なジャズミュージシャンの作曲した過去のジャズナンバーをただジャズクラブでプレイしていたって、それなら部屋でオリジナルのレコードを聴いているほうがよほどましだ。ニッポンのジャズミュージシャンはバンドマンか?きっと彼らはオリジナルも作曲できる才能もないのだろう。あれから20年の時が流れ永遠のクラブ・アンセムなどと言ってKALIMAやSWAMP CHILDRENが再評価 されCD化され、若いDJがプレイしている。Finn Jazzやnu jazzも結局はここに原点があるのだろうか?。

KALIMA/FLYAWAY(FACD 219)
1.Zamba Zippy taken fron LP"So Hot" Ann Quigley,John Kirkham,Anthony Quigley,Martin Moscrop,Cliff Saffer,Len Evans + Elvio Ghigliordini 2.Tender Games guest musicians-Jazz Defektors 3.Smiling Hour 4.Flyaway 5.Trickery 6.Land of my Dreams 7.Sparkle 8.Whispered Words 9.Sugar and Spice 10.Mystic Rhythms 11.After Hours 12.Start the Melody 13.Token Freaky 14.Love Suspended 15.Weird Feelings 16.The Dance
all songs written by Kalima
except Smiling Hour,written by Ivor Lins/Aloysia De oliveria/Victor Lins
photography James Martin
outer Roger Saville
design Johnson/Panas
FACTORY COMPACT DISC 1989

SWAMP CHILDREN
KALIMAの前身SWANP CHILDRENは、1980年にマンチェスターでAnn Quigley(アン・キグリー/ボーカル)、Tony Quigley(トニー・キグリー/サクソフォーンとバス)、John Kirkham(ジョン・カーカム/ギター)、Ceri Evans(セリ・エヴァンス/キーボードとバス)、Cliff Saffer(クリフ・サッファー/サックス)、および後にア・サーティン・レシオのメンバーとなるMartin Moscrop(マーチン・モスクロップ/ドラム)の6人からなるオリジナル・ラインアップによって形成された。
SWAMP CHILDREN/LITTLE VOICES(FAC 49)
当時ア・サーティン・レシオやスワンプ・チルドレンの音楽はアヴァンファンクと呼ばれ他のニューウェイヴ・バンドとは一線を画していた。スワンプ・チルドレンの名前はアンが16-19歳の頃に打ち込んでいたファンジンに由来している。アン・ギグリーのヴァーカルを中心にした音楽は当時彼女たちが聴いていたレコードでのマイルス・デイヴィス、ブラジリアン・ジャズフュージョン、ダンスフォロアー・ヘヴィーファンクに影響されたラテン、ボサノヴァ、ジャズ、ファンクを作因とした新しい音楽を追い求めたものである。決してポストパンク・バンドとしてカテゴライズされるものではない。バンドのデヴューは'80年5月にマンチェスターのBeach Clubで行われたエリック・ランダム(Eric Random)のサポートとしてだった。ファクトリー・レコードは彼女達を勧誘し'81年3月にシェフィールドのウェスタンワーク・スタジオで、ACRのフロントマン、サイモン・トッピンッグとキャバレー・ヴォルテールのステファン・マリンダーのプロデュースのもと"Little Voices"、"Call Me Honey"、"Boy"の実験的な3曲が録音されファクトリーからのデヴューシングル"Swanp Children/Little Voices"が'81年にリリースされる。その後'82年にベルギーのクレプスキュールのミシェル・デュバルの誘いを受け"Taste What's Rhythm"がリリースされる。80年代の頭にはこうしたジャズテイストを持つバンドと言えばWeekend、ファンカラティーナ風のホーンが特徴だったAnimal Nightlife、そしてFrench Impressionists、Carmelなどが存在していたが、マンチェスターではDJ Hewan ClarkeやColin Curtisがスワンプ・チルドレンやア・サーティン・レシオやジャズ・デフェクターなどのレコードを選曲しクラブでかかっていた程度で、まだそうした小さな店が数軒点在していただけだった。当時ロンドンではポール・マーフィーやジル・ピーターソンなどのDJが既にこの周辺の音楽に注目し始めていた。'82年8月にアルバム"So Hot"がリリースされ、そのアルバムの"Samba Zippy"や"El Figaro "、"Secret Whisper"などの曲は現在のクラブジャズにも劣らないほど傑出している。ジャズやラテン、サンバ、ボッサテイストのこのアルバムは82年のヴァージン・ロック・イヤーブックで5つ星に格付けされメロディメーカー紙でも絶賛されていた。しかし彼女たちも当時のエレクトロニックの時代的風潮には逆らえず'86年のKALIMAに変異するまでに4年の歳月を費やすことになる。現在イギリスでクラブジャズやFinn Jazz、nu jazzに関わっているDJたちの原点はSwamp ChildrenやA Certain Ratioにあるといっても間違いないだろう。

SWAMP CHILDREN/LITTLE VOICES(FAC 49)
A:Little Voices
recorded Western Works,March,81.
produced by Simon Topping,Stephen Mallinder.
cover Ann/Graham
B:1.Call Me Honey 2.Boy
recorded Holagram,June,81.
produced Simon Topping,engineere Tim.
song written by Swamp Children
FACTORY RECORDS 1981

SWAMP CHILDREN/TASTE WHATS RHYTHM(FBN 16)
side 1:Taste Whats Rhythm
recorded at Pluto Studios,Manchester,March 1982
engineered by Phil Bush
side 2:1.You've got Me Beat 2.Softly Saying
recorded at Plute Studios,Manchester,March 1982
engineered by Phil Bush
all selections written by Swamp Children
made in Belgium
FACTORY BENELUX 1982

SWAMP CHILDREN/SO HOT(FACT 70)
side one:1.Samba Zippy Part one 2.El Figaro 3.Tender Game 4.Magic 5.Sunny Weather
side two*1.Samba Zippy Part Two 2.No Sunshine 3.Spark The Flame 4.Secret Whispers
personnel:Ann Quigley(vacals) Ceri Evan(keyboards,bass,percussion,background vocals) John Kirkham(electric & acoustic guitars,metalaphone,percussion) Martin Moscrop(drums,percussion,trumpet) Tony Quigley(bass,metalaphone,percussion) Clif Saffer(saxaphone,clarinet) Elvio Ghigliordini(flute on tracks 1-1,2,5. 2-1)
recorded at Revolution Studios,Hulme,Manchester,August 12/22 1982
recording engineer Stuart Pickering,assistants John and Pablo
all songs written,arranged and produced by Swamp Children
album design and layout,Ann
special thanks to,Russ for Time and engineering of Demo Tape
Erick for synth programming and Elvio
also many thanks to;Gareth,Simon,Donald,Jez,Pete,Tony and Michel
FACTORY RECORDS 1982
このアルバムは'82年の名盤の1枚だと言えよう。打楽器だけのサンバのポリリズムから始まり、グルーヴィーなボサノヴァ"Tender Game"や"Sunny Whether"や、ジャズファンク"Secret Whisper"などジャズ、アバンギャルド、ファンク、サンバ、ボサノヴァを横断するエクスペリメンタルなサウンドが収録されている。これこそ時代に色褪せない"ジャズ的なるもの"だ。安定して繰り返される構造化された時間的パターンのリズム(律動)、音楽の三要素のメロディ(旋律)、ハーモニー(和声)が例え欠けたとしても、リズムさえあれば音楽は成立する。それほど音楽はリズムこそが要なのだ。個人的にはKALIMAよりもSWAMP CHILDRENの音楽のほうが、ボクの体質にあっているかも。

2008年05月30日

52ND STREET

52ND STREET
FACTORY RECORDS
FACTORY BENELUX
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 79
CASCADES 79

52ND STREET
52ND STREETは'80年後半にマンチェスターで形成されたジャズファンク・バンドで、不思議と80年代を通して彼らの曲はアメリカのビルボード・チャートに20位にランクインされたり、イギリスのクラブシーンで常にDJイングされ話題に取りあげられるほど注目度が高かった。現在まで変わることなく流れ続けているハウスミュージックの鋳型がここにある。
52ND STREET/LOOK INTO MY EYES(FAC 59)
トニー・ヘンリー(ギター)、デリック・ジョンソン(ベース)、デズモンド・アイザックス(キーボード)、トニー・トンプソン(ドラムス)、およびジェニファー・マックロード(ヴォーカル)から成り、途中からはラインアップがジェニファー・マックロードの変わりにビーヴァリー・マクドナルド(リード・ボーカル)、デズモンド・アイザックスの変わりにジョン・デニソン
(キーボード)とメンバーチェンジを繰り返し、時にヴォーカルにローズ・ウィリアムズ、サクソフォーンにエリック・ゴッデンをフィーチャーしながらマンチェスター周辺の様々な地方で活動を続け、ローカルのファンクDJ Mike Shaftが彼らのデモテープをPiccadilly Radio showsで流したり、 DJ Richard Searlingや元サドカフェのマネージヤーDerek Brandwood(RCAレコード)などがデヴューシングルまでの道のりを作り、デリック・ジョンソンと兄弟のア・サーティン・レシオのドナルド・ジョンソンを通じて彼らのシングルがファクトリーからリリースされることになる。最初トニー・ウィルソンはファクトリーの初期にリリースしたレゲエバンドX・O・DUSの失敗から、52nd Streetの音楽にあまり乗り気ではなかったらしい。'82年にリリースされた12インチシングル"Look into My Eyes/Express"は、ドナルド・ジョンソンのプロデュースの下に発表されている。その後、'83年に52nd Streetはニューヨークのヒップホップ・コミュニティと、ビル・ラズウェルがジャズキーボーディスト、ハービー・ハンコックとコラボレートした作品などに影響されエレクトロニック・サウンドとドラムマシーンを駆使した12インチシングル"Cool As Ice/Twice As Nice"を発表する。この曲はその後、多くの海賊盤がアメリカで出回わり、ビルボードの20位まで上昇したことでも有名だ。当時その成功を目の当たりにしたA&Mが次のシングルを要求したが、ファクトリー・レコードはそれに対して決定的な答えをだせず、いつの間にかその話は宙に消え、52nd Streetのメンバー間で内輪もめが起こり始める。ヴォーカルのビーヴァリー・マクドナルドはクアンドゥ・クアンゴーに移り、その跡をDiane Charlemagneが埋め、マネージャーも変更してバンドは再編成されサードシングル"Can't Afford"がリリースされる。当時トニー・ウィルソンは、この変化に嬉しくなく、この決定が52nd Streetの迅速な終焉に通じると述べていたが、結局この言葉通り'84年にリリースされたサード・シングルを最後に52nd Streetの幕は下りてしまった。

52ND STREET/LOOK INTO MY EYES(FAC 59)
A:LooK INTO MY EYES
B:Express
Vocals: Beverley McDonald
Bass vocals: Derek Johnson
Guitar vocals: Tony Henry
Keyboards: John Dennison
Drums: Tony Thompson
Synth F/X: Be Music (Bernard Sumner)
Engineered by Phil Ault
Produced by Donald Johnson
Recorded at Revolution Studios, Cheadle
FACTORY RECORDS 1982

52ND STREET/COOL AS ICE(FBN 20)
A1:Cool As Ice
restructured by John'JellyBean'Benitez
engineered by John Gluck/Oz
produced by Donald Johnson
A2:Twice As Nice*
engineered by John Gluck/Oz
poduced by Donald Johnson
A2 mix:Oz
A Factory Benelux Product
made in Belgium
FACTORY BENELUX 1983

52ND STREET/COOL AS ICE(FBN 20)
A1:Cool As Ice
engineered by John Gluck/Oz
produced by Donald Johnson
52nd Street are Beverley McDonald/Derel Johnson/John Dennison/Tony Henry/Tony Thompson
*saxaphone:Mike Pickering
synth prog:BeMusic
A2 mix:Oz
recorded at Revolution Studios Cheadle
A2:Twice As Nice*
engineered by John Gluck/Oz
produced by Donald Johnson
A2 mix:Oz
A Factory Benelux Product
made in Belgium
FACTORY BENELUX 1983

52ND STREET/CAN'T AFFORD(FAC 118)
A:Can't Afford
written by 52nd Street
produced by BeMusic
B:Unorganised Mix
written by 52nd Street
produced BeMusic
52nd Street are Tony Thompson(drums) Tony Henry(guitars,vocals) Derek Johnson(bass,vocals) John Dennison(keyboards) Diane Charlemagne(lead vocals)
engineered by:Chris Nagle
assisted by Nigel Beverly
recorded and mixed at:Strawberry North.
edited at Ikon F.C.L. by Malcom Whitehead
FACTORY RECORDS 1984

VA/FACTORY BENELUX GREATEST HITS(FBN 27)
side 1:1.A Certain Ratio - Guess Who? (Remix) 2.52nd Street - Cool As Ice * 3.Quando Quango - Love Tempo **
side 2:1.Cabaret Voltaire - Yashar *** 2.The Wake - Something Outside 3.Stockholm Monsters - Miss Moonlight
Production: see individual releases.
Design: Albert Pepermans
* "Re-edited by John Jellybean Benitez".
** "Re-structured by Mark Kamins".
*** "Re-make re-model by John Robie".
Thanks to Alexander 'Mac' Macpherson for imagery. Thanks to OMNY for info.
FACTORY BENELUX 1983
ベルギー、クレプスキュールからのアヴァンファンクのコンピレーション。

52ND STREET
http://www.youtube.com/watch?v=YOhYu0dwK2c

52ND STREET ※52nd Streetとは、マンハッタンの52丁目のこと。マンハッタンの5番街とセヴンスアベニューの間のニューヨーク52番街は、20世紀半ばまでジャズとストリートライフの街としてジャズ・クラブがひしめき合い、その絶頂期'30 年から'60年まで、ニューヨーク52番街のクラブはチャーリー・パーカー、ビリーホリデー、マイルス・デイビス、ディジー・ガレスピー、アート・テイタム、セロニアス・モンク、ファッツ・ウォーラー、ハリー・ギブソンなどのジャズがつねに流れ多くのジャズ伝説を生んだ。モンクの"52nd Street Theme"という曲にあるようにビバップとジャズ・スタンダードの象徴としての街でもあった、しかしマイルスの"自伝"にも述べられているように、60年代までに伝説的なクラブの大部分がつぶれ、最後のクラブは'68年にそのドアを閉じたという。現在52nd Streetは、銀行やショップ、デパートで溢れていてほとんどジャズ史の跡を残していない。なのになぜジャズミュージシャンはいまもニューヨークなどに行き、レコーディングするのだろうか。それは年間約15万人が訪れるというビートルズのあのアビーロードの横断歩道で写真を撮って喜んで帰ってくる観光客と変わらないだろうに。現在のニューヨークのストリートにジャズなどない。いま52nd Streetとはジャズと同意の暗喩でもある。

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