MANFRED MANN CHAPTER THREE

本格的ジャズを指向したマンフレッド・マン・チャプター・スリー
ブラスセクションを前面に出したフリーキーなスピリチュアル・ジャズと
R&Bのルーズなダウン・ジャジー・グルーヴ
MANFRED MANN CHAPTER THREE
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 39


リーダーのManfred Mannは、生まれ故郷の南アフリカでジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせ、1961年にロンドンに移り住んでから「MANFRED MANN」を結成した。南アフリカといえば当時、イギリスやアジア、北米との関係がアフリカの他の地域よりも深く、植民地時代はヨーロッパの教会音楽と融合させ独自のスタイルを確立したのが伝統的な南アフリカ音楽で、それにジャズやR&Bの情報が大量に南アフリカに持ち帰られ(Louis Armstrong、Cab Calloway、Duke EllingtonやCharlie Parkerらアメリカのジャズ・ミュージシャンたちの音楽を演奏している黒人ミュージシャンも多かったという)、そうした音楽が南アフリカの音楽といつの間にか融合され、独特の音楽が生まれるようになった。
MANFRED MANN CHAPTER THREE/MANFRED MANN CHAPTER THREE
(Polydor 4013)
「南アフリカはアフリカの他の地域に比べてもともとあった音楽の構造が南米の(ラテン)リズムのフォーマットよりも、北米でさかんだったジャズやR&Bやファンクに近い」という説や、南アで土地を所有することができた唯一の場所ソフィアタウンは、マンデラが黒人開放を求めて最初の演説を行った地であると当時に、南ア特有のタウンシップジャズが生まれ、ミリアム・マハーバら世界的に有名な歌手を輩出してきたとも言われていて、現在はさまざまなジャンルとスタイルの音楽が混在している。その中でもジャズは、ヨハネスブルグの「キッピーズ」やケープタウンの「グリーン・ドルフィン」などのジャズクラブでは、金曜の夜ともなるとジャズファンたちでごった返しているほど彼らの日常に欠かせない音楽だと言われている。クラブシーンでは馴染み深いアーティストをざっと挙げると、ミリアム・マケバやアブデューラ・イブラヒム、Dudu Pukwana(サックス奏者)、最近オネスト・ジョンズから再発された'67年のアルバム"Mbaqanga Songs"のGWIGWI MRWEBI、エレクトロニカ・ジャズ「Simple」というアルバムで、data80名義でHakan LidboとコラボしているAlex Van Heerdenなども南アフリカ出身のアーティストである。切りがないのでマンフレッド・マンの話に戻るが、60年代中期から後半を通してモッズ、ビート・グループだった初期マンフレッド・マンのメンバーであるマンフレッド・マン、マイク・ハグが、’69年に本格的にジャズを指向するためにサイドプロジェクトとしてエマノン(Emanon)を発足した後、バンド名をマンフレッド・マン・チャプター・スリーに改名して発表されたのが'69年リリースの「Manfred Mann Chapter Three / Manfred Mann Chapter Three」。ドラムスのマイク・ハグはヴォーカル/ピアノに転向し制作されたここでの音楽は、サックス、トランペット、フルートなどのブラスセクションを前面に出したフリーキーなスピリチュアル・ジャズで、R&Bのルーズなダウン・ジャジー・グルーヴに、当時としては珍しいギターレス編成が相乗効果して、渋いブルージーなメロディーに絡むエキセントリックなSaxのブローがより"ジャズ的なる"グルーヴを発生させている。現在のクラブジャズでのアブストラクト、ジャジーヒップホップのなかに隠し味としてミックスしDJイングも可能だ。
                   
side one:1.Travelling Lady 2.Snakeskin Garter 3.Konekuf 4.Sometimes 5. Devil Woman
side two:1.Time 2.One Way Glass 3.Mister, You're A Better Man Than I 4. Ain't It Sad 5.A Study In Inaccuracy 6.Where Am I Going
Manfred Mann(organ,vocal) Mike Hugg(vocal,electric piano,piano) Steve York(bass guitar,harmonica) Bernie Living(sax,flute) Craig Collinge(drums)
+Harold Becket(trumpet) Brian Hugg(acoustic guitar)
POLDOR 1969

MANFRED MANN CHAPTER THREE/VOLUME TWO
(VERTIGO 6360012)
'70年にヴァーティゴから発表された2nd「Volume Two」。vol.1以上にダイナミックにブロウするブラス・セクションとハグのハスキーなヴォーカルが印象的な作品に仕上がっている。一昨年からボクはブルーノートなどの60-70年代のハードバップを主に再構築したDJイヴェント「Hard Swing Bop」を展開しているが、次のステップは70年代のスピリチュアル・ジャズやフリー・ジャズでのハードバビッシュなグルーヴを取り込みながら昇華させようと考えている。このアルバムの数曲からは、そのコンセプトにはピッタリのアフリカ的でスピリチュアルな黒っぽいジャズグルーヴが聴こえてくる。(サイド2の「Virginia」でのブギグルーヴはT・REXを想起させるという部分もあるけれど)。このアルバムを最後に録音済みの3rd「Volume Three」未発表のままマンフレッド・マン・チャプター・スリーは解散するが、その後、マンフレッド・マンはシンセサイザーを大幅に導入したマンフレッド・マンズ・アース・バンドを結成し、ハグはソロ活動でマフレッド・マン・チャプター・スリーの音楽性を引継ぎながら、ヴァーブから'72年「Blue Suede Shoes Again」、「Fool No More」などのアルバムを発表し活動を続ける。アースバンドの音楽を聴く限り、彼らの音楽に底流していたジャズやアフリカ的なグルーヴはやはりマイク・ハグあってこそだったと言えるのではないだろうか。なおマンフレッド・マンの「Chapter Three」とはビート・グループ時代のポール・ジョーンズ在籍時を「Chapter One」、マイク・ダボ在籍時を「Chapter Two」としてカウントしたもの。

side one:1.Lady Ace 2.I Ain't Laughing 3.Poor Sad Sue 4.Jump Before You Think 5.It's Good To Be Alive
side two:1.Happy Being Me 2.Virginia
Mike Hugg (vo, p, el-p) Manfred Mann (org) Steve york (b) Bernie Living (as) Dave Brooks (ts) Clive Stevens (ts, ss) Sonny Corbett (tp) David Coxhill (bars) Brian Hugg (g, vo) Craig Collinge (ds)
recorded at Maximum Sound Studio,Old Kent Road
produced by Hugg,Mann,Hadfield
VERTIGO 1970
http://en.wikipedia.org/wiki/Manfred_Mann#Albums

MANFRED MANN/GO UP JUNCTION
(Universal UICY-9248)
ビート・ポップ時代のManfred Mannの最高作と言われている'68年のアルバム。当時のスウィンギング・ロンドンの華やかなりし時代の終焉を意味するサイケでジャジーなモッズ・ビート・サウンド。英国の女流作家ネル・ダンが書き下ろした当時のユースカルチャーの若者を題材にしたピーター・コリンスン監督の映画「Up The Junction」のサントラのために制作されたもの。マンフレッド・マンはこの映画以外にも'65年の「なにかいいことないか?子猫ちゃん」の主題歌「マイ・リトル・レッド・ブック」も手掛けている。彼らのモノラルなEMI時代のブルーズのカバー、ヤードバーズのカバー、ポップ感覚を持つドゥワディディやシャララ、ポール・ジョーンズのボーカル、'76年に大ヒットしたブルース・スプリングスティーンのカヴァー"Blinded by the Light"などを聴くと、ブリティッシュ・インベーション時代のモノクロ映像がなぜいまもあんなにモダンなのか理解できるだろう。こうしたビートと呼ばれる音楽の多くに、当時モッズたちが愛好して聴いていた50年代ジャズのスキルを持ったミュージシャンたちが関わっていたことはマンフレッド・マンの音楽を聴けばよく解る。ハーマンズ・ハーミッツ、アニマルズ、ホリーズ、マンフレッドマン、キンクス、ゼム、ホリーズ、ザ・フーなどなど懐かしいね。それにモッズの象徴、イギリス空軍のラウンデル(蛇の目)のロゴ・マークも。

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