obscure no.1
GAVIN BRYARS
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 44
GAVIN BRYARS/THE SINKING OF THE TITANIC(OBSCURE no.1)
ギャヴィン・ブライアーズのサイトにあるバイオグラフィーの冒頭で、アンソニー・ミンゲラ監督によって映画化された「イギリス人の患者」で'92年のブッカー賞を受賞した詩人、小説家のマイケル・オンダーチェは、ブライヤーズのことを"弟3の耳を持った新しい角度から音楽創造にアプローチする作曲家"だと評している。リチャード・ギャヴィン・ブライアーズ(Richard Gavin Bryars 、1943年1月16日~)は、ヨークシャー、グルー生まれのイギリスの作曲家、コントラバスの演奏家で、シェフィールド大学で哲学を専攻したのち、3年間音楽を学ぶ。'63年、デレク・ベイリー、ジャズ・ドラマーのトニー・オックスレイと組んだジョセフ・ホルブルック・トリオでジャズ・ベーシストとして参加したのが音楽活動の始まりで、当時ビル・エヴァンスやジョン・コルトレーンの曲などを演奏し、ジャズのアドリブや現代音楽などに触発され、'65年にはフリー・インプロヴィゼーションへと移行していた。その後、'66年にジョン・ケージやコーネリアス・ カーデュー、ジョン・ホワイトなどとのコラボレーシュンを経て、'69-'78年までポーツマスとレスター美術学校で教壇に立ち、それが後のポーツマス・シンフォニア設立の契機になる。
ブライアン・イーノのオブスキュアレーベルで、'75年に発表された「The Sinking Of The Titanic」は、'69年にポーツマスの美術学生のために書いた作品で、アルバムのなかに収録されている「Jesus' Blood Never Failed Me Yet」は、'71年に書かれたものである。「The Sinking Of The Titanic」は、'12年4月14日午後11時、北大西洋上でタイタニック号は氷山に衝突し、15日午前11時20分に沈没し「船尾から音が聴こえてきた。何という曲かは解からない。フィリップスが船尾へと走り、それが彼の生きた姿を見た最後だった・・船はアヒルが水に潜ろうとするときのように鼻先をめぐらしつつあった。私はひとつの事しか頭になかった・・沈没からのがれること。バンドはまだ演奏していた。バンドの連中は沈んでしまったと思っていた。そのときの曲は“Autumn”だった」と船が沈みつつある間、バンドが讃美歌を演奏しつづけたという実際にあった映画などでも有名なタイタニックの事故の逸話をもとにして作られたもので、人々を安らかな死へと送り出す賛美歌「オータム」は、「主よ、みもとに」として描かれている。レコーディングの際には、実際の楽団と同じ6弦構成で25分間「オータム」を繰り返し演奏している。この曲はWork in Progressと呼ばれる現在進行形の作品で、新しいヴァージョンは'90年、'95年にも発表されていて、'95年版には初回プレス特典としてイギリスのエレクトロニカのアーティスト、リチャード・D・ジェームズ/エイフェックス・ツインのリミックス"Raising the Titanic"がシングルCDに収められている。「Jesus' Blood Never Failed Me Yet」(1971年)は、歳とった浮浪者が賛美歌"イエスの血は決して私を見捨てたことはない"と、延々とループするヴォイスがミニマルに反復し、そのバックに室内オーケストラがドラマチックに流れる。この声のオリジナルは、'70年、友人のアラン・パウアーが制作したロンドンのユーストン、ウォータルー・エレファント・アンド・カッスル付近に居着いた浮浪者についてのドキュメンタリー・フィルムに録音されていた“Jesus' Blood Never Failed Me Yet”と歌う声を採用したもので、シンプルなピアノの伴奏とアンサンブルによってアレンジされたもの。この曲も同じく'93年に再録音されていてトム・ウェイツのヴォーカルで歌われている。
ブライアーズは楽団ポーツマス・シンフォニアで音楽の素養がない素人の学生たちを集めクラシック音楽を演奏させるという試みを行っているが、こうした偶然性の音楽とも言える手法は、ボクがロンドンでブライアン・イーノから直接聞いた話だが、すべてサイバネティックス科学理論の実践(イーノはコーネリアス・ カーデューの音楽理論によってそのことを教わったと話していた)で、数10人の素人ミュージシャンにスコアもなにもなく自由に音楽を演奏させたり歌わせたりすると、不思議とある決まったミュージック・セオリーや文脈が表れ、ひとつの秩序に似た法則が生まれるという。イーノのオートポイエティック(自己形成の)ミュージックというその話から、音楽だけではなく、ひとはある目的をもって行動するとき、大きなミスやアクシデント、間違いが発生しても必ず自らコントロールし、その目的は達成できるものなんだということをボクは教えられた。目的さえあれば人生での間違いすらも、ひとつのチャンス・オペレーションに変えられる。作曲家による音の厳密なコントロールから逸脱して、もっと自由な音楽のありようを求め続けているブライアーズの80年代以後の作品には、'84年にロバート・ウィルソンディレクターによって上演されたパリでのオペラ、'98年イギリスのNational Operaのためにカナダ人の映画監督のアトム・エゴヤンによって上演された「Doctor Ox's Experiment」、2002年ドイツのマインツオペラ・ハウスでの「G」、その他The Hilliard Ensemble including Glorious Hill (1988)、 Incipit Vita Nova (1989)、 Cadman Requiem (1989,revised 1998) 、The First Book of Madrigals (1998-2000)、works for the opening of the Tate Gallery in Liverpool (1988)、Chateau d'Oiron, Poitiers French Ministry of Culture Commission (1993)、 the Tate Gallery StIves (1997)などがある。
Gavin Bryars - Jesus' Blood Never Failed Me Yet
http://www.youtube.com/watch?v=ZGqkq_nNwO8&feature=related
最近の動向など詳しくはギャヴィン・ブライアーズのサイトで。
Welcome to Gavin Bryars' official Web-site
http://www.gavinbryars.com/index.html
side one:"The Sinking Of The Titanic"
strings:The Cockpit Ensemble(directors Howard Rees and Howard Davidson) with John Nash,violin and Dandra Hill,double bass, Conducted by Gavi Bryars.
Additional tapes using music playd by the strings of the New Music Ensemble of San francisco Conservatory of Music directed by John Adams,prepared at the studio of the Department of Physics,University College,Cardiff,with technical assistance of Keith Winter and Graham Naylor.
Gavin Bryars,piano;Angela Bryars,music box;Miss Eva Hart,Spoken voice.
side two:"Jesus' Blood Never Failed Me Yet"
Orchestra consisting of The Cockpit Ensemble8director Howard Rees and Howard Davidson);Derek Bailey,guitar;Michael Nyman,organ;John Nash,violin;John White,tuba;Sandra Hill,double bass.Conducted by Gavin Bryars.
produced by Brian Eno
OBSCURE 1975
※Obscureレーベルは、ブライアン・イーノの"Obscure"というコンセプトに基づいて'75年に設立されたレーベルで10枚の作品が残されている。70年代の中期のブリティッシュ・ロックシーンというのは、ロンドンパンクやニューウェイヴ直前の、それこそクイーンやなんやかやで、フリーやエクスペリメンタルな音楽にはそれなりの作品が残されているけれど、ポッカリと穴の空いた過渡の時代だった。そのなかでブライアン・イーノのオブスキュアはやはり特筆すべき出来事だったように思う。現在ボクの立っているヴィジョン、"ジャズ的なるもの"から最考察しても70年代初期の取り上げたい作品はまだまだあるのだが、ひとまずこのあたりでCASCADESは次の段階、70年代中期から後期にかけての回顧に入っていこうと思っている。