DAVID TOOP / MAX EASTLEY / BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.4
DAVID TOOP
MAX EASTLEY
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 47

DAVID TOOP+MAX EASTLEY/NEW AND REDISCOVERED MUSICAL INSTRUMENTS(OBSCURE no.4)
「新しく、再発見された楽器」と題されたこの作品。サイド1に収録されたマックス・イーストレイの"Hydrophone"、"Metallophone"などの4つの作品について、"視覚的な芸術にたずさわる人が音を使おうとすると、様々な問題があり余る程出てくる。たとえば音の速度は比較的遅いので少し遠くにいると、音とその音を発するものとは切り離されてしまう。また材質の問題もある。音楽的にはつまらないものでも、視覚的には魅カ的なものがある。反対に作曲家が彫刻的な事を企てたとしても、自分の選んだ題材がつまらないばかりか、自分の考えの実現をさまたげるということになるかも知れない。私が関係している仕事は、これらの問題を解決しようとする試みである。それは動カ学と音楽と楽器の研究の合成。このうちのどれから始まったかという事はいえない。私の目的とするところは、これらの要素の解放と、新しい形への完全な合成である。このレコードの片面に入っている、とぎれなく続くダンス・ミュージックは3つのセクションに分かれている"と説明されている。
イーストレイが設計し組み立てた、"メタルーフォーン"、水中聴音機"セントリフォーン"や"ハイドロフォーン"などの手製の器具が、果たしていまでも新しい楽器と呼べるものか疑わしいが、風の音すらもこの手で掴んで聴いてみたい衝動、ロックミュージックに飽き食傷していた70年代中期の音楽リスナーの多くは、そのような内に内にと向かう精神的ベクトルを持っていたのは事実だ。素粒子が踊るごとく、すべての存在するものはダンスしている、物質(音楽)はエネルギーでありエネルギーは物質(音楽)である、振動こそ音楽であるなどと、フリッチョフ・カプラの「タオ自然学」から引用し、当時ボクもよく言ったものである。しかしこうした音響はレコードに録音されているレコード音楽で完結され、それがすべてで、ひとつのインスタレーションとして音楽(レコード)の外に持ち出し成立させようとするべきものじゃない。そうしたパフォーマンスの多くはあまりにも退屈で無意味で道化じみた行為だ。'70年代以降一般化した装置芸術、設置芸術と呼ばれるインスタレーションは、映像、彫刻、絵画、日常的な既製品(レディメイド)や廃物、音響、スライドショー、パフォーマンスアート、コンピュータなどのマルチ・メディアを使用した、場所や空間全体を作品として体験させるもので、空き瓶を数人で吹いてノイズ音を発てたからといって、それをパフォーマンス・アート/インスタレーションとは言わないのだ。サイド2、デヴィッド・トゥープの“DO THE BATHOSPHERE”は'73年に書かれ同年9月24日独唱で初演されたものだが、これを聴いていたひとがその母から、幽霊が出るからレコードを止めてと言われたらしいが、デヴィッド・トゥープ、クリス・マンロ、ブライアン・イーノ、フィル・ジョーンズたちのヴォイスが"さあ、Bathosphereを聴いて そうBathosphereに耳かたむけて Bathosphereのやり方さえ学べば もう泣くことなんていらない Bathosphereしない? Bathosphereしない? Bathosphereを聴きたくない? Bathosphereを聴いて、聴いて"などと歌っていることすら白けてくるが、こうした音響は傾聴する必要のない単なるBGMで充分だ。しかし当時こうしたノンセンスな音響をも感情移入して間違った聴きかたをしていたひとは多かったのだろうな。デヴィッド・トゥープの関わった作品には'77年に彼が設立した「!QUARTZ」レーベルで発表していたバンブー・トランペットと声と民族的器具との組み合わせなどによるMADANG「Sacred flute Music From New Guinea」のVol.1-2(!Quartz001-002)、Paul Burwellとのコラボレーシュン「Wounds」(!Quartz 003)や、BREDレーベルでの数枚の作品、CHOO CHOO TRAINレーベルでのThe 49 Americans、ペンギンカフェ・オーケストラなど素晴らしい作品が数多くある(彼のこの周辺の作品は後日機会を見つけて詳細にとりあげます)が、あの時代はほんとに特別な時代だったのだ。この作品が好きな人もおられるだろうから、ジャケ裏に記されているライナーを掲載しておきます。
“THE DIVINATION OF THE BOWHEAD WHALE”
音の高さを時間の函数として関係させる。これは7つの部分に構成されている。その開始の前/その終了の後/2つの、ゆっくりと移動してゆく音のブロツク/2つの沈黙。各々のパートの区切りは合図の鐘である。沈黙の長さは、この鐘の物理的な特性によって決定される。この作品では、5つの弦楽器が使われている。そのうちの2つは、オーソドックスな20世紀の楽器。そして3つの新しい楽器。コードフォンは、薄紙の膜をはった、円筒状の共鳴器を持っている。これは、弓形に曲げれば、低い音を発し、弦をしめれば、ドラマティックなグリッサンドを弾くことができる。原理的にも、効果音も、indian khamakに酷似している。2弦フィドルはポウル・バーウェルが竹で創ったものである。2本の弦はユニゾンに調律されている。グリル・ハープはヒュー・デイヴィスの発明による。これは小さな金属性の焼き網(グリル)で作る。一本の弦が足からグリルまで引っぱられ/もう一本の弦が、グリルから手まで引っぱられ/全体が張りつめた状態におかれる/上側の弦を空いた方の手でこする。この作品はある一定の周波数帯でのコミュニケイションに関する研究と平行するレ.ポートの第一弾でもある。このコミュニケイションというのは、コウモリのシグナルや人間の口笛、マッコウクジラの声などのことである。

Max Eastley
サウンド・スカルプチュアと音楽を結合させる作家。60年以後、彼はチャンス・オブ・ミュージックと芸術、風や水などの環境の効力に魅了され、風と海の流れの自然の効果をキネティック・サウンド・マシーンを使いその研究を始めた。'72年、ミドルセツクス工芸大学で彫刻の学位を取り卒業した後、エクセター・カレッジ・オブ・アートの音響・照明工学部に、特別研究員として1年在籍、その後、自分の専門分野で本を出版。ロンドンヘもどり、新しい/再発見された楽器に関する本のシリーズの初版に寄稿した。彼の音響装置(サウンド・インスタレーション)は、 Brian Eno、Peter Greenaway、Evan Parker、Thomas Köner、Eddie Prévost and The Spaceheadsなどのミュージシャンや映像作家とのエキシビジョンによって発展していく。2000年には東京でもインスタレーションの展示会を開催している。2002年にはSiobhan Davies Danceによる"Plants and Ghosts"の音楽を作曲している。現在も彼は世界の至る所で未知のサウンドを蒐集し続けている。
David Toop
'49年5月5日生まれミドルセックス、アンフィールド。(彼の詳細なバイオグラフィーは次の機会に)

NEW AND REDISCOVERED MUSICAL INSTRUMENTS
side one:Max Eastley
"Hydrophone" recorded in Llanfyllin,North Wales
"Metallophone" "The Centriphone" "Elastic Aerophone/Centriphone"
recorded in Wiltshire
all compositions by Max Eastley
side two:David Toop
"Do The Bathophere" "The Divination Of The Bowhead Whale" "The Chairs Story"
all compositions by David Toop c.Quartz Publications.
recorded at Basing St.Studios,London 12.4.75 and 24.4.75
engineered by Rhett Davies.
produced by Brian Eno.
OBSCURE 1975

"音楽に感情移入するということ"
ボクの知人のウェブ・デザイナーは年齢相当の音楽を聴いてきたにも関わらず、傍から見ていると滑稽なくらいに今も感情移入して音楽を聴いている。彼が過去にどのような暗い経験を重ねてきたのか知らないが、自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分との融合を感じる意識作用は、ロクな結果をもたらさないことを彼の病んだ言動や生活態度からもうかがい知れる。そういうひとは音楽よりも自分を鏡に映すように一種のナルシシズムに酔い、アイデンティティー・クライシス(自己認識の危機)のグローバル時代に不安を感じ、音楽に自分のアイデンティティーを投射/投影させているに過ぎない。誰でも子供のうちはナルシシズムをもっていて、すべての幼児は自分が世界の中心だと感じている。一次性のナルシシズムは人格形成期の6ヶ月から6歳でしばしばみられ、発達の分離個体化期において避けられない痛みや恐怖から自己を守るための働きであって、かわいいものだが、二次性のナルシシズムは病的な状態で、思春期から成年にみられ自己への陶酔と執着が他者の排除に至る思考パターンである。ボクの知人のナルシシズムは、まさに二次性ナルシシズムの特徴としてあるもので、二次性ナルシシズムは自己愛性人格障害の核となると言われている。親の助けが足りなくてナルシシズムを育ててしまった大人は、自尊心の働きで自他を観念的にきわめて重く見ること(観念化)と、逆に軽く見ること(デバリュエーション)の間で揺れ動くという。

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