MICHAEL NYMAN / BRIAN ENO - OBSCURE RECORDS

obscure no.6
MICHAEL NYMAN
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 49

MICHAEL NYMAN/DECAY MUSIC(OBSCURE no.6)
'76年にオブスキュアのno.6で発表された「ディケイ・ミュージック」(Decay Music)は、マイケル・ナイマンのデビューアルバムだが、この曲は当初ピーター・グリナーウェイが監督した映画「1-100」のために'75年12月19日に書かれた音楽で、映画には使用されなかった。2004年にナイマンの60才の誕生日記念にCDでも再発されている。マイケル・ナイマン(Michael Nyman, 1944年3月23日 -)は、イギリスのミニマルミュージックの作曲家、ピアニスト、オペラの台本作家、音楽学者でもあり音楽評論家でもある。彼の音楽を聴き続けていたのは'81年にピアノ・レコードからリリースされていた「LUSY SPEAPING」や、'85年の「The Kiss and Other Movements」あたりまでで、80年代頭に一度だけロンドンでマイケル・ナイマン・バンドの室内楽オーケストラ仕立てのステージを観たことがある。そのマイケル・ナイマン・バンドは確か、小さなオペラハウスのステージに所狭しと並んだ弦楽のカルテッ
ト、テナー、アルト、ソプラノの3つのサックス、バストロンボーン、エレクトリックベース、ドラムス、ピアノの編成だったが、その時の印象としては、場末のキャバレーで売れない若手クラシック・ミュージシャンがチープな三文オペラのバックを演奏しているのようなミニマル、室内楽で、B級センスのコミカルな気配を漂わせたものだった。ナイマンは80年代後半になるとシンメトリーな映像が印象的だったピーター・グリーナウェイ監督の映画「英国式庭園殺人事件」の音楽を担当したことを契機に、'85年にはグリーナウェイ監督の「ZOO」、'91年「プロスペローの本」、「数に溺れて」、「コックと泥棒、その妻と愛人」などグリーナウェイ映画の音楽での活動が顕著で、80年代後半には、気が付くといつの間にか彼の音楽からも遠のいてしまっていた。80年代中期から現在までのナイマンの活動は華々しいほどで、'97年にはハリウッド映画へも進出し、ぼくの知らないうちにいまでは現代音楽や映画音楽の作曲家の中でもっとも重要な人物の一人としてイーノ以上の成功を収めている。ロックミュージックの最終的な回答、インダストリアル・ノイズのクライヴ & ナイジェル・ハンバーストーンの"イン・ザ・ナーサリー"や、クラブ系アブストラクト・ジャズの"シネマティック・オーケストラ"も2003年のアルバム「Man With The Movie Camera」の音楽のコンセプトで使用していたジガ・ヴェルトフ監督の'29年作のサイレント映画「カメラを持った男」(1920年代のモスクワの都市生活を描いた映画)のサントラを、マイケル・ナイマンは2002年に再構築し直し、劇場で上演したりもしている(ナイマンはこの作品が自身の映画音楽作品の中で最高傑作だと述べている)。新しいところではジョニー・デップ主演の2004年の映画「リバティーン(The Libertine)」の音楽も制作している。

Man With The Movie Camera - Part 1 of 9
http://www.youtube.com/watch?v=AInQ1x5_r3o
(ソヴィエトの20年代といえば、ボクにはロシア構成主義やマヤコーフスキーだが、革命の時代、発展途上段階の時代の空気が記録されたこのMWTMCの映像に胸がドキドキしないか?)
Michael Nyman en Tenerife - Man with a movie camera - Gianco
http://www.youtube.com/watch?v=RGlSiN7lHNM

このピーター・グリーナウェイのフィルムのサウンド・トラックとして書かれた“1-100”でのフィルムは、ロケや合成で撮影された1から100までの数字を、その順序に従って編集したものである。このレコード裏でこの曲の解説を次のようにナイマン自身が記している。
「グリーナウェイはこの累積してゆくプロセスに合致する音楽を、この算術的な連続をうまくまとめるリズムを要求した。この単調に累積してゆくという考えは私の興味を引き、またこの撮影された数字は、より広範な「関係」システムヘと進んでゆくような“付随的な”イメージを多く含んでいたので、私は以前の作品の体系化を思いついた。その頃、私は偶然Blue Danube Waltz(美しき青きドナウ)を調べていて、この曲の最初の楽章の小節数をいささかうんざりしながら数えていた。驚いたことに、それはきっちり100小節であった。このことで私は次々と小節をつなぐことで作品を組み立てるというアイデアを思いついた。最初は1小節、次は2小節、その次は3小節というように。100
小節の構造が完成するまで続ける。しかし、この方法ではフィルムの長さをオーバ一してしまうという理由で、グリーナウェイの他のフィルムのサウンド・トラックに使おうということになった。私は小節という考えを捨て、同じことを和音でしようとした。しかし、これもまた長すぎる。そこで結局、100の和音はそのまま使うが、各々、順々に一度だけづつ弾くようにした。“1-100”で、私は1~9とか、10~19といった数字に相当するように特別の方法を考案した。すなわち最初の「セクション」は、3和音(トライアッド)と長7度を交互に並べる。10~19は7度のひとつづき。20~29は7度と9度というように。全体的には1~59は主として長7度を基にした和音によって成り立ち、後の部分は短及び属7度、9度、11度を主(メイン)として成り立っている。演奏の手順も、これと同じように数の累積に一致するようにデザインされている。それは和音の濃度(ピアノの音域の高いところからスタートし、段々と低い方へと進んでゆけば和音は自としだいに「濃く」なってゆく。)と単調さである。このレコード版“1-100”は、4つの異った解釈を含んでいる。“BELL SET №1”は1971年6月に作曲され、これもまた段々と引きのばされてゆく「崩壊」をフィーチャーしている。しかし、今度は主観的ではなく、あらかじめきちんと区分され前もって決定されている。この作品はもともと、1970年にトルコで集めたベルの特性を利用しようという意図を持つものだった。この作品が用いている精密で数学的なシステムは、2つの主要な特色のあるベルの音を聴かせるためにデザインされた。---2つというのは、その鋭さと持続時間の長さである。私の意図は、ひとつのベルから、他のベルヘと、その重さを段々に移し変えてゆくことにあった。そのため、私はあるリズム原理を案出した。これは組織的に4つの独立したリズム構造にあてはめられ、(その4つは)各々、速くはじまり、段々とゆっ<りになっていく。各々のリズム構造は最初から最後まで変化することのない、ある単位の囲りに対称的に8分音符を加えながら大きくなってゆく。最初の構造は中央の8分音符を(ひとつ)含む3拍のリズム。2番目の構造は、中央の4分音符を含む4拍のリズム。3番目は、中央の付点4分音符を含む5拍のリズム。4番目は中央の2分音符を含む6拍のリズム。最初、これらの「中央の」音符は、両側に8分音符を持ち、外側の音符は定期的に加えられていく。8分音符、また8分音符。各々のリズム・ユニットは演奏者が自分の判断で次のものに移動するまで何度でもくり返される。“BELL SET №1”は、1973年、ロンドンのコックピット・シアターで初演された。後にこれはべつにベルに限らな<てもよい事に気づき、従って鋭い音と長い持続時間を持つ金属性の楽器なら、何を用いてもよい事になった。このレコーディングでは、ベル、トライアングル、ゴング、シンバル、タムタム等を使つている」(この部分の翻訳はEno's Scrap Sight/ENO:ENO BRIAN から引用させて頂きました)。

Michael Nyman Band - Sheep 'n' Tides
http://www.youtube.com/watch?v=aycvDjhTB1c&feature=related
Vexations - Michael Nyman
http://www.youtube.com/watch?v=ov0fOVqqcyo&feature=related

MICHAEL NYMAN/DECAY MUSIC
side one:1-100 Michael Nyman(piano)
side two:Bell Set No.1 Nigel Shipway,Michael Nyman(percussion)
OBSCURE 1976

このアルバムがリリースされるまでのマイケル・ナイマンは、英国王立音楽院とキングス・カレッジ・ロンドンで作曲法、音楽史、イギリスのバロック音楽を中心に学び、在学中にルーマニアの民俗音楽に興味を持ち、 卒業後、'65~'66年まで、ルーマニアで民族音楽のコレクションなどもしている。当時のシュトックハウゼンやピエール・ブーレーズなどが主流の現代音楽になじめず、作曲活動よりも音楽雑誌などで音楽評論家として活動し、'68年にはコーネリアス・カーデューの作品"The Great Digest"に関する評論で、抽象絵画などを表現する時に用いていた単語「ミニマリズム」を文中で用い音楽評論で初めて「ミニマル」の概念を持ち込む。 '74年には実験音楽についての研究論文「実験音楽/ケージとその後(Experimental Music: Cage and Beyond)」を著す。'76年にイタリアの劇作家カルロ・ゴルドーニの作品"Il Campiello"の上演で使われる18世紀のヴェネツィア音楽のアレンジと演奏を委託され、レベックやショーム等の古楽器と、ドラムやサックスなどの近代的な楽器を取り入れた楽団を編成したことが、現在の映画やオペラの作品を作曲することに繋がる経験になったのだろう。そしてこの「Decay Music」の、ピーター・グリーナウェイ監督の映画「1-100」のための音楽を作曲し、ブライアン・イーノのObscure Recordsからリリースされることになる。'80年にはキング・クリムゾンのロバート・フリップと、デヴィッド・カニンガム/フライング・リザーズのアルバムにもゲスト参加していた。
http://www.michaelnyman.com/

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