HAROLD BUDD / MARION BROWN / BRIAN ENO / OBSCURE RECORDS

obscure no.10
HAROLD BUDD
MARION BROWN
BRIAN ENO
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 53

THE PAVILION OF DREAMS/HAROLD BUDD(OBSCURE OBS 10)
オブスキュアの最後を飾る10枚目の作品「The Pavilion of Dream」は、ハロルド・バッドが'72年に始めた広範囲な一連の作品で、サイド1の1曲目"ビスミラーイ・ラーマニ・ラーヒム"は、'74年にマリオン・ブラウンのために作曲したもの。マリオン・ブラウンといえば、'70年にECMから「AFTERNOON OF A GEORGIA FAUN」や、'75年作の「Vista」などをリリースしているフランスやドイツの前衛ジャズにも関わっていたアルト奏者で、ナイーブでアンビエントな乾いた叙情性をもった音楽家だと位置づけられているが、この曲も、マリオン・ブラウンの荘厳な佇まいを感じさせるアルト・サックスと、ハロルド・バッドの静謐なエレクトリック・ピアノのたおやかでチル・エアーな揺らぎで始まる。
アルバム・コンセプトは、戒告"神の名において、慈悲の、寛大な"というイスラム教の教典コーランが使われていて、'73-'74年に作曲された2つの歌、旋律は賛美歌で"ファラオ・サンダースによるヴァージョン"から「主の館へはいらん」、ジョン・コルトレーンの"アフター・ザ・レイン"を使用した「バタフライ・サンデー」の2曲目に続くこのあたりは、スピリチュアル・ジャズからインスパイアされたハロルド・バッドのジャズやビバップへの憧憬が感じられ、当時は単に”アンビエント"という記号でしか語られなかったが、30年ぶりに聴き直すと、これこそ正に"ジャズ的なるもの"だったのだと再認識させられた。彼は、ジャズ以外にも、ジョン・ケージの「ピアノとオーケストラの為のコンサート」などの曲に影響を与えたアメリカの作曲家で、世界初の図形楽譜の発案者であり、晩年は演奏時間の長い静謐な作品を発表していたモートン・フェルドマン(Morton Feldman)や、人生における安息や絶望を表現し不思議な詩情と崇高さを感じさせると言われている大画面をいくつかの矩形に区切り、ニューベーシックと呼ばれる独特のスタイルの抽象画を描いていた頃の作品、抽象表現主義の作家マーク・ロスコ(Mark Rothko/Markus Rotkovich)などの影響を最も大きく受けている。ラディカル・シンプリシティ「極度な単純性」というのがハロルド・バッドの音楽全体を流れる態度なのだが、アンビエント・ミュージックという言葉はまさに彼の音楽のためにあるものかも知れない。サイド2は、'72年作曲の「バラの天使のマドリガル」、「ロゼッタのノイズ」、「クリスタル・ガーデン」から、ジョン・バーガムスの為に作曲したローマ神話にでてくるジュピターの妻、結婚の女神「ジューノウ」へと続く。
ハロルド・バッド(Harold Budd)は'36年生れのカリフォルニアのロサンゼルス出身の作曲家/ピアニストで、幼少期をモハーベ砂漠で育てられ、幼時に電話線を吹き抜ける風によって引き起こされる激しいトーン、音響に衝撃をうけたという。作曲家としてのキャリアは'62年に始まり、次の数年間、地方のアヴァンギャルド・コミュニティですばらしい評価を得た彼は、'66年に南カリフォルニア大学の作曲コースを卒業している。大学卒業後、その作品はますますミニマルに傾倒してゆき、当時の代表的な作品は、"Coeur d'Orr"と"Oak of the Golden Dream"で、 "Oak of the Golden Dream"はバリ島のスレンドロ音階を用いたものだという。 "Lirio"と題した長い形式のソロ曲を作った後に, 彼はミニマリズムと前衛音楽に自らの限界を感じ、'70年には一時的に作曲を中止し、カリフォルニア芸術協会の教職に就いた。2年後、教職に就いたまま作曲家として再デビューし、'72年から'75年の間、後にオブスキュアで発表することになる"The Pavilion of Dreams"というタイトルの一連の4つの曲を作曲している。ブライアン・イーノのプロデュースによるオブスキュアのためのレコーディングに着手したのが、'76年に協会の教職を辞職した直後だった。その後、ブライアン・イーノとの合作である'80年「The Plateaux of Mirror」、'82年「The Pearl」、(カリフォルニア芸術協会からの仲間で、イーノとのコラボレーションにも参加しているジーン・ボーウェンと'81年にCantil Recordsを設立し3枚のアルバムを制作している)。'86年「Lovely Thunder」などの作品を立て続けに発表している。ボクは最近の作品を聴いていないが、そこではミニマリスト的アプローチへの回帰が見られるという。70-80年代当時の彼の多くの作品に共通するのは、ピアノのペダルを踏んだまま演奏を続けているかのような長い残響で、エフェクタを用いたその残響こそが、聴く者に揺らぎのなかで夢をみているかのような静謐で美しいイメージを拡張し、誘発しているのではないだろうか。当時ハロルド・バッドは自身のチル・エアーな音楽について、"私は一種の徹底した単純化(Radical Simplisity)によって、きれいなものを創りだすという考え方に興味を持っている。結局私の音楽は極度に静かで、古い時代のヴァーチュオージティという視点に立てば、ほとんどなにも起こらない。しかし、そうだからこそ思うのだが、多くの精神的ヴァーチュオージティを導きだすんだ”と語っている。

Harold Budd + Brian Eno "The Plateaux of Mirror" (1980)
http://www.youtube.com/watch?v=lLQPzjPW7LM
Brian Eno H.Budd The Plateaux of Mirror The Chill Air
http://www.youtube.com/watch?v=AVlnbMNFLN4
HAROLD BUDD youtube
http://www.youtube.com/results?search_query=HAROLD+BUDD&search_type=

暗いイメージだけど個人的にはベストの映像
Brian Eno and Harold Budd
http://www.youtube.com/watch?v=Oa8pqe4cfsk&feature=related


side one:1.Bismillahi 'Rrahmani 'Rrahim
Marion Brown8alto saxophone) Harold Budd(electric piano) Maggie Thomas(harp) Richard Bernas(celeste) Gavin Bryars(glockenspie) Jo Julian(marimba) Michael Nyman(marimba) John White(marimba) Howard Rees(marimba)
2.Two Sons "Let Us Go into The House Of The Load" "Butterfly Sunday"
Lynda Richardson(mezzo soprano) Maggie Thomas(harp)
side two:1.Madrigals Of The Rose Angel "Rosetti Noise" "The Crystal Garden"
Maggie Thomas(harp) Richard Bernas(electric piano) Gavin Bryars(celeste) Nigel Shipway(percussion)
chorus(conducted by Harold Budd):Lynda Richardson,Margaret Cable,Lesley Reid,Ursula Connors,Alison Macgregor,Muriel Dickinson
2.Juno
Harold Budd(piano,voice) Gavin Bryars(glockenspiel,voice) Jo Julian(vibes,voice) Michael Nyman(marimba,voice) John White(percussion,voice) Howard Rees(vibraphone) Brian Eno(voices)
recorded at Basing Street Studios November 1976.engineered by Rhett Davies.
produced by Brian Eno
OBSCURE 1978

Harold Budd
http://en.wikipedia.org/wiki/Harold_Budd
MARK ROTHKO
http://www.nga.gov/feature/rothko/rothkosplash.html

※追記 70年代中期のブリティッシュ・ロックといえば、'76年のセックス・ピストルズによってもたらされたパンク・ムーヴメントが旋風のように過ぎ去り'78年の初頭にはすでにその影さえもみられなかった頃で、ブライアン・イーノのオブスキュア・レーベルはそうした最中にリリースされていたのだから驚きだ。オブスキュアは78年のこのハロルド・バッドのアルバムでピリオドをうち、そのコンセプトを引き継いだ'78年のブライアン・イーノの"Music For Airports"でAMBIENTシリーズが始まり、'82年の"On Land"の間に4枚の作品をリリースするのだが、当時の実質上のロックシーンのリアリティはやはりイーノの音楽にあったのだと思う。しかし今考えれば自然発生したニューヨーク・パンクをイギリスにと目論んだマルコム・マクラレーンがメディアを操り、その罠にはめられた集団ヒステリックともいえるあの時代のイギリスは、よほどの不満やストレスを抱えた労働階級の若者たちの鬱積した感情が高ぶっていたとしか思えない。当時PILの頃のジョニー・ロットンにもインタヴューしてるけど、いまや40歳代後半になった彼や、当時ロックマガジンに出入りしていたあれほどいたロックファンは、いまどうしてるのだろう。みんなサラリーマンかな? 実はニッポンのこの40代世代の抱えている病こそが自覚症状を表し始めているのが現代の世相でもあるんだけど・・・。それでも、ロンドンのキングスロードのパンクスの鶏冠のように逆立てた髪型や、ヴィヴィアン・ウェストウッドの店"セックス"や"セディショナリー"で見たゴッド・セーブ・ザ・クーンの破れたTシャツ(実はボクも着ていたのだが)や、スパイダーマンボンデージジャケットなどのファッションは楽しく懐かしい思い出だ。

Comment ( 1 )

東山 聡 :

オブスキュアは当時存在自体は知っていましたが、難解なイメージが先行してしまい、結局手を出せませんでした。
確かブッケ ヴェッセルトフトやニルス ペッター モルヴェルもイーノの”Never Net”を聴いて衝撃を受けたとか。何かの雑誌で読んだ事があります。
ジャンルを越え、各方面に影響を与えてるなんて、やっぱり凄い人なんですね。

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