THE POP GROUP / Y RECORDS

THE POP GROUP
Y RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 61

THE POP GROUP/Y(RadarScope Records RAD 20B)
イングランド西部にある港町ブリストルは多くの移民をかかえる多民族都市だが、'90年代半ばにクラブジャズのヒップホップとダブやテクノが融合したトリッキーでルーズなダンスミュージック、トリップホップというジャンルの発祥地として再び注目された。ブリストルはUKダブの聖地で、そのダブテクニックによるブリストル・サウンドは、'77年に結成された5人組"ポップ・グループ"のサウンドに対して形容されたものだ。
ポップ・グループの'79年の7インチシングル「She Is Beyond Good And Evil」、1st.アルバム「Y」は、レゲエ・バンドのマトゥンビのデニス・ボヴェルがプロデュースしたもので、ダブ処理されたレゲエ、パンク、ファンク、フリー、現代音楽などが融合したダウンで重厚なグルーヴが構築されていた。'80年にシングル「We Are All Prostitutes」、2ndアルバム「For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?」をリリースし、2年もたたないうちに早々と解散し、ポップ・グループのメンバーの流れがPig Bag、Rip Rig & Panic、Maximum Joyへと繋がる現在のクラブカルチャーの原点ともいえるダンスミュージックを展開することになる。解散後のMark Stewartはソロで活動を始め、よりダブ色を強めたON Uサウンドへと変遷していく。マーク・スチュアートの音楽的態度からか、政治的要素を盛り込み現代社会に究極のステイトメントを叩きつけた攻撃性あるサウンドと言われ誤解されているが、そのグルーヴはファクトリーレコードのA CERTAIN RATIOや、後のPIGBAGと同じように、当時からとてもダンサブルなダンスミュージックとしてニューウェイヴ・ディスコでDJイングされ我々は狂った兎のようにポゴダンスしていたのだ。

POP GROUP/FOR HOW MUCH LONGER DO WE TOLERATE MASS MURDER?(ROUGH TRADE Y RECORDS 9/Y2)
79年前後の音楽シーンはPILを初め、シェフィールドからキャバレー・ヴォルテール、スロッビング・グリッスル、クロックDVAなどのインダストリアル・ミュージック、マンチェスターからはジョイ・ディビジョン、ア・サーテン・レシオなどが次々と表出し、ブリティッシュ・ロック・シーンにとってはある意味ではブリティッシュ・インヴェイジョン、ロンドンパンク以上の重要なターニングポイントでもあった。短絡的に言えば音楽ファンにとってはロック・イディオムを採るのか、ポストモダンな記号音楽を採るのか、ダンスミュージックを採るのかという究極の選択に迫られた時代でもあった。ファースト・アルバムのマーク・スチュアートの「Words Disobey Me」にある"俺の鼓動の叫びを知っている奴らは 何も言わない 言葉にならない言葉を話すんだ 幼児の初期の言葉のように 言葉 それは白黒をはっきりつける 言葉 それは人を怒らせる 言葉 それは周囲を悲しませる 俺の鼓動の叫びを聞いてくれ 真実は感じることだ 俺たちに言葉なんかいらない すべてどこかにやってしまえ"という詩は、いまでも音楽を聴いたり美術を鑑賞したりするときのボクにとっての大きな教訓になっている。ポップ・グループは、ブリストルの高校で同級生だったリード・ボーカルのマーク・スチュアートとギターのギャレス・セイガー、ドラムスのブルース・スミスが、76年頃THE POP GROUPとしての活動を始め、そこにギターのジョン・ワディントンとベースのサイモン・アンダーウッドが参加することによって結成された。その後、ストラングラーズのオープニング・アクトを務め、ストラングラーズの専属ツアー・マネージャーだったディック・オディールがポップ・グループのマネージャーをかって出て、ロンドンに進出することになり、当初はスティッフの創始者ジェイク・リビエラとアンドリュー・ラウダーが設立したレーベル"レーダー・レコード"でアルバムがリリースされる予定だったが、'79年末にレーダーがWeaに資本吸収されることとなり、結局マネージャーのディック・オディールの自らのレーベル「Y」を設立し、ラフトレードを通じて流通された。1st,アルバムを発表後、サイモン・アンダーウッドはいち早くバンドを離れPIGBAGへの道を歩み、彼のサポートとしてグラクソ・ベイビーズのギタリストだったダン・カトゥシスをベーシストとして迎え入れ、'79年の10月に「We Are All Prostitute / Amnesty Report」、80年の3月にスリッツとのカップリング・シングル「Where There's A Will」などを発表するが、セカンドアルバム「For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?」のレコーディング中には、既にバンドは瀕死の状態で、ブルース・スミスはスリッツのツアードラマーとして、ジョン・ワディントンとダン・カトゥシスはマキシマム・ジョイ結成へと動き始め、セカンドアルバムのリリース前の'80年半ばにはバンドは事実上解散していた。ポップグループのメンバー間にみられる摩擦や軋轢は、人種問題や、失業問題といった80年代の英国が抱える病理そのもののようで、当時の日本の"ジャパン・アズ・ナンバーワン"という華やいだ状況に浮かれた病理が、サブカルチャーという記号で結びつき、現在のオタク文化の始まりを意味する、わけの解らない気色悪い時代だった印象だけが強く残っている。

The Pop Group / She's beyond Good and Evil
http://www.youtube.com/watch?v=sL0tYowbIxE
The Pop Group / The Boys from Brazil
http://www.youtube.com/watch?v=Cjbpr5L2wZ4

THE POP GROUP/Y
side A:1.Thief of Fire 2.Snowgirl 3.Blood Money 4.Savage Sea 5.We Are Time
side B:1.Words Disobey Me 2.Don't Call Me Pain 3.The Boys From Brazil 4.Don't Sell Your Dreams
produced by Dennis Blackbeard Bovell and Pop Group
Gareth Sager,Willie Smith,Mark Stewart,Simon Underwood,John Waddington
RADAR SCOPE RECORDS 1979

POP GROUP/FOR HOW MUCH LONGER DO WE TOLERATE MASS MURDER?
A:1.Forces of Oppression 2.Feed the Hungry 3.One Out of Many 4.Blind Faith 5.How Much Longer
B:6.Justice 7.There Are No Spectators 8.Communicate 9.Rob a Bank
ROUGH TRADE Y RECORDS 1980

POP GROUP/SHE IS BEYOND GOOD AND EVIL(RADAR SCOPE ADA29)
A:She is Beyond Good and Evil
B:3.38
RADAR RECORDS 1979

POP GROUP/WE ARE TIME(ROUGH 12/Y5)
A:1.Trap 2.Thief of Fire 3.Genius or Lunatic 4.Colour Blind 5.Spanish Inquistion
B:6.Kiss the Book 7.Amnesty Report 8.Springer 9.Sense of Purpose 10.We Are Time
ROUGH TRADE/Y 1980

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