QUANDO QUANGO
ALAN DAVID-TU
FACTORY RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES73
クアンドゥ・クアンゴーは'80年にロッテルダム(オランダ)でMike Pickeringと、Gonnie Rietveld、Reinier Rietveld兄妹で始められ、その後'82年にマンチェスターに移住した彼らは、ハシエンダを拠点にしピッカーリングの友人Rob Grettonをメンバーに加え活動を始めるが、レーニエ・リートフェルトがロッテルダムのバンドSpasmodiqueでの活動をメインとするため脱退し、その跡を埋めるためにア・サーティン・レシオを脱退したサイモン・トッピングがパーカッショニストとしてメンバーに加入する。
QUANDO QUANGO/GO EXCITING(FAC67)
リートフェルトのプログラミングによるエレクトロニック・サウンドにピッカーリングの歌詞とメロディーからなるクアンドゥ・クアンゴーのダンスミュージックはフェラ・クティ+クラフトワークが合体したものと言われ、トロピカル、エレクトロ、ジャズファンクが一体となった当時としては近未来サウンドを予感させるものだった。いまではファンカラティーナ/ダンスクラシックとも言える彼らの音楽は、「LOVE TEMPO」をTR-9のMARK KAMMINSがリミックスしたり、多くのクラブDJたちに支持されDJイングされ続けていた。トータルプロデュースに(トーキングヘッズのデヴィッド・バーンや、UB40、Beastie Boysのアルバム・プロデュースで有名な)Mark Kaminsの名前がみられる'85年にファクトリーからリリースされた唯一のアルバム「Pigs + Battleships」(タイトルは今村昌平監督の映画"豚と軍艦/Hogs and Warships"から採られた)には、52nd StreetのBeverley McDonaldや、Derek Johnson、Barry Johnson兄弟、ACRのAndy Connell、Vinni Reilyなど多くのアーティストが関わっていたし、快楽主義的なそのパーカッシヴなラテンジャズ・サウンドは、80年代がなによりもディスコが音楽発生源としてのリアルな場だったことを証明している。グループが解散した後、ピカリングやトッピングはT-COYというDJユニットを作り80年代後半にはディスコ/クラブシーンに侵入している。クアンドゥ・クアンゴーの音楽はいまも色褪せてなく、まだまだ捨てたものじゃないが、それよりもオランダのアーティスト、Alan David-Tuによるジャケットアート/スリーヴデザインは、80年代のイギリス美術の"ニュー・ブリティッシュ・スカルプチャー"のブリティッシュ・モダンを想起させるほどに美し過ぎる。
QUANDO QUANGO
http://www.youtube.com/results?search_query=QUANDO+QUANGO&search_type=
QUANDO QUANGO/GO EXCITING(FAC67)
A:Go Exciting
B:Tingle
recorded at Strawberry Studios
engineered by Chris Nagle
produced by Quando Quango & Donald Johnson
sleeve deaign by Alan David-Tu
FACTORY 1982
ア・サーティン・レシオのドナルド・ジョンソンがプロデュースに名を連ねているQQのファースト・マキシ・シングル。
QUANDO QUANGO/LOVE TEMPO(FBN 23)
A:Love Tempo
B:Love Tempo(Mix)
recorded Spring 1983 revolution Studios Cheadle Hulme
engineer-Stewart Pickering A Dojo-Be Music Production
sleeve-Alan David-Tu
made in Belgium
FACTORY BENELUX 1983
いまでは当時のQQの音楽紹介もレコードショップのクレジットでは「ガラージ古典でもあるラテン・エレクトロ"Love Tempo"。UKハウス草創期の大御所DJ Mike Pickeringも在籍したQuando Quangoのガラージ・クラシック。ガラージュ玄人派に人気のMark Kaminsがプロデュースする85年のクラシックでHouse Regendにも紹介されたB1 "Genius"を含む、Quando Quangoの'03年リイシュー版。カップリングもレアクラシックスとして人気の高い"Love Tempo - Mark Kamins Mix"と"Atom Rock - Mark Kamins Dub"Garage Classic好きは勿論のこと、UKアンダーグラウンド/Disco Dub好きの方も買い逃し厳禁!」となる。
QUANDO QUANGO LOVE TEMPO
http://www.youtube.com/watch?v=yuVh3Xof_1k
QUANDO QUANGO/ATOM ROCK(FAC102)
A:Atom Rock
B:Triangle
recorded at Revolution Cheadle Hulme 83/84
engineer Stewart Pickering A Dojo-Be Music Production
musicians:Gonnie Rietveld;synths,drum programes,vocals
Mike Pickering:sax,vocals Berry Johnson:bass guitar Simon Topping:percussion,trumpet Johnny Marr:guitar
artwork:Alan David-Tu
FACTORY 1984
この12インチシングルで特筆すべきは、イギリスのマンチェスター生まれのギタリスト、ジョニー・マーがクレジットされていることだ。彼は'82年のザ・スミス結成後、バンドの人気に伴い一躍有名になり多くのギタリストに影響を与えた。しかし人気絶頂の最中であった'87年にバンドを脱退し、その結果ザ・スミスは解散してしまう。'88年にザ・ザのギタリストとして、'89年にはニュー・オーダーのバーナード・サムナーと完成度の高いピュアなポップ・ミュージックを展開していた"エレクトロニック"を結成するなど、80年代のイギリスの音楽シーンを語るうえでは外せない存在だった。
QUANDO QUANGO/GENIUS(FAC 137)
A:Genius
B:Rebel
a mark kamins production
FACTORY 1985
プロデューサーMARK KAMINSが絡んだ初めての12インチシングル。
QUANDO QUANGO/PIGS + BATTLESHIPS(FACT 110)
side1:1.Genius 2.Go Exciting 3.Happy Boy 4.Rebel
side 2:1.This Feeling 2.S.T. 3.40 Dreams 4.Low Rider
recorded at Strawberry Studios Stockport England,December 1984
engineer Tim Oliver:mixed at Shakedown Studio New York,Februaly 1985,engineer Alan Meyerson:Ace Snip Job on Genius Ivan Ivan:This Feeling mixed at Genetic Studio England,engineer Paul 'Groucho' Smylik
musicians:Gonnie Rietveld(keyboards,vocals) Mike Pickering(sax,vocals) Berry Johnson(bass,rhythm guitar) Simon Topping(percussion,vocals)
also thanks to Derek Johnson Toaster Supremo
Vinni Reilly(guitar) Beverly McDonald(vocals) Andy Connell(keyboards) The A Team(trombone,trumpets)
sleeve design Alan David-Tu
goup photograph Kevin Cummins
A Mark Kamins Production
FACTORY 1985
いまではニューウェイブ・トロピカル・ダンス/ガラージ・クラシックスとしてカテゴライズされているが、クラブジャズ系のラテンダンス・ナンバーとしても古さを感じない作品である。なんといってもドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリー、スミスのジョニー・マー、スウィング・アウト・シスターズ(ex ACR)のAndy Connellなどのゲスト陣が豪華だ。プロデュースはMark Kaminsの下、クレジットされていなので明確ではないがNew OrderのBernard Sumnnerも担当しているらしい。
Hillegonda
http://www.myspace.com/hillegonda
いまにして思えば80年代に入ると音楽シーンは世界規模で大きく地殻変動を起こし、その核はロックからダンスミュージックへ移行し、ロックの文脈はインダストリアル・ノイズやゴチックロマンスの病いへ、または息の根も絶え絶えになっているネオ・アコースティックなどの脳のドーパミンD2受容体やセロトニン受容体を遮断する精神安定剤に似たものしか生き延びることができなく、気がつくと世の中は急変し、ロックのそれとは正反対にドーパミンの分泌を高揚するかのようなディスコ/ダンス・カルチャーの時代へと変遷していて、シリアスでメランコリックな時代は終わりを告げ享楽的快楽主義の"常に何かが起こる華やかなパーティのような時代"が音連れ(訪れ)ていた。あの時に、生真面目なロックファンは時代に置き去りにされ取り残され、いまでもそのトラウマの残っている人は少なくないだろう。60年代に伝説的なロック・バンド、ヤードバーズの、そしてT Rexのマーク・ボランのマネージメントだったプロデューサーSimon Napier Bellは"I'm Coming to Take You to Lunch"という著書のなかで、『音楽ライターやロックファンは、ロックがあたかもダンス・ミュージックのライバルであるかのような捉え方をする。僕からしてみれば、むしろダンス・ミュージックこそが今まで危機や問題に直面した音楽業界を救い再活性化し、新たな利益を生み出す原動力になってきたと思うんだけどね。・・・ダンス・ミュージックはポップミュージック・ビジネスの半分を占めているもので、それは何も今に始まったことじゃない。ロックン・ロールだって言ってみればダンス・ミュージックだったわけだし、その意味で現在のロックだって本当はそうあるはずなんだ。・・・ダンス・ミュージックは道徳的でクリーンな生活というものを常に脅かす有害な存在なんだ…セックスや快楽主義、ドラッグ、そして責任からの逃避など、人生を楽しくそして魅力的にする全てのものを奨励しているんだからね。・・・だから、ダンス・ミュージックは、伝統的な文化を宗教的までに守ろうとするくだらない考え方を持っている連中にとっては、破壊分子的そのものといった存在になってしまうわけなのさ』と語っていた。
ディスコの語源はフランス語のdiscothèque(ディスコテーク、ディスコテック)でレコード置き場を意味するものからきたものだが、ディスコ(disco)、ディスコテーク(discothèque)は、客にダンスさせる飲食店の形態を持つ風俗営業店のことを言い、70年代のディスコはクラブDJのようなレコードに録音された数枚の曲をミックスしたりせず、単純に客を踊らせ場を盛り上げるためだけにレコードを繋いでいくだけのもので、DJがナイト・プレジャー=パーティーを司る役割を
担い、その場を盛り上げるためにレコードから乗りのいい曲を選曲し短い曲紹介や客へのアナウンスを交え、なによりもDJの選曲こそが重要であった。80年代に入ると現在のクラブ・カルチャー/ダンス・カルチャーの発生源であるニューヨークの黒人やヒスパニック系などのアーティスト、ファッション関係者の流行の先端にいたマイノリティなゲイ・シーンの社交場としてのメンバーズ・オンリーのディスコ"パラダイス・ガレージ"が登場する。
そこではディスコ、ロック、ヒップホップ、ラテン音楽、ソウル、ファンク、テクノ・ポップなどありとあらゆる音楽をDJイングし朝まで客を踊らせ、まるで夜ごと行われる都会の祝祭儀式のように人々を"ハレ"の世界へ誘導し、トランス状態にさせ、パラダイス・ガレージのDJラリー・レヴァンはいまもクラブカルチャーでは伝説となっているシャーマンDJのひとりだ。その後、90年代を前にしてディスコはダンスミュージックという音楽の差別化/細分化が起こりクラブとして派生してゆき衰退していく。そしてシンセサイザーを超えるサンプリングやMIDIなどの新時代の器材の登場により、過去の曲や音源の一部をソースとして引用、転用し、それらにコラージュが施され再構築して楽曲を創造するリミックス、サンプリング技法を駆使したDJがミュージシャンから音楽をパラサイト/横取りしてしまうDJカルチャー/クラブカルチャーの時代が80年代後半から90年代初頭にかけて確立される。