SECTION 25

SECTION 25
FACTORY RECORDS
FACTORY BENELUX
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES75

発端は'77年11月にイギリス、ランカシャー/ブラックプールで、ラリー・キャシディ(bass,vocal)、ヴィンセント・キャシディ(drums)兄弟によるデュオで始められ、ブラックプール帝国ホテルでの国際児童年のチャリティーショー、ランカスターシティのFootball Clubなどで精力的にギグを行っていた。'78年にギタリストのポール・ウィギンを加え、セクション25は形成された。セクション25という名前は"精神保健法の支給"に由来したもの。
SECTION 25/ALWAYS NOW(FACT 45)
'80年にリリースされたファースト・シングル"Girls Don't Count"だけは、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスとマネージャーのRob Grettonによってプロデュースされている。ヴィン・キャシディはスタジオでこっそり座っていたイアンを思い出し"彼らは多くの援助を私たちに与えてくれた"と語っている。彼らの最初の作品はClock DVAやWah! Heat、Modern
Eonなどのノーザングループのひとつとしてショーケースに飾られ、ノーザン・サイケデリックの熱狂的で新しい試みとして評価されていた。ステージで客に向かって横向きに立ってプレイするポール・ウィギンのギタープレイは有名だ。その後、Moonlight ClubでCrawling ChaosやThe Royal Family and the Poor と、またサーテン・レシオとのアイントホーフェン、ロッテルダムダン・ハーグ、アムステルダム、ベルリン、ヴィニ・ライリーを加えた
ブリュッセルでの"Factory package tour"などのギグを重ね、'81年にファースト・アルバム"Always Now"をマーティン・ハネットのプロデュースによりリリース。'82年の北米ツアーの前にポール・ウィギンは飛行機(高所)恐怖症と、始めから終りまであらゆるギグを即興で展開することを提案したが拒否されたことでバンドを脱退する。直後に控えた'82年1月のCrispy Ambulanceとのヨーロッパツアーは、急遽バッキングテープと臨時のパーカッショニストJohn Grice、キーボードにアンジェラ・フラワース(Angela Flowers )などをセットして行われたという。その後、'82年にファクトリー・ベネルクスからセカンド"The Key Of Dreams"をリリース。先のヨーロッパツアーとセカンドアルバム発表を契機に再びバンドの音楽を見直し再考するため、ヴィンセント・キャシディは作曲に専念しセクション25は1年間は事実上バンド活動は停止した状態だった。'83年3月に12インチシングル"The Beast"をリリース。この曲は"すべての人々にとって醜悪な、全く無知で無気力な徹底的に邪悪な人々の生まれつき持つ能力"についての歌だが(当時のロックファンに対する痛烈な批判だったとボクは思っている。アイ・ラヴ・ユーと哀しげに歌うラリーの声がいまも耳に残っている)。ファクトリーのなかではジョイ・ディヴィジョンやイアン・カーティスの死を最も真摯にとらえ、音楽に反映され影響されていたのはニューオーダーではなく、このセクション25だっただろう。セクション25にとって不幸だったのは、常にジョイ・ディヴィジョンの暗いイメージがつきまとっていたことにある。しばらくの休止後パーカッショニストのLee Shallcrossと、ラリーの妻であるジェニー・ロス、そして新しいエレクトロニック器材ローランドTB303などを加え、セクション25は徐々にエレクトロの領域に侵入し、エレクトロニック・ダンス・ユニットとして方向転換していき、プロデュースにニューオーダーのバーナード・サマーを迎え8月にウェールズのRockfield Studioで録音した''84年のアルバム"From The Hip"とシングル"Looking From A Hilltop"を発表する。それはコンテンポラリー・ダンス・ミュージック、リズムミックの探求と、ジェニー・ロスの壊れやすいヴォーカルにより過去の砂漠のような不毛の過程を完璧なまでに補足し、彼らにつねに付きまとっていたカルト信者=ロックファンを裏切るほどに洗練された作品となっている。当時インタヴューに答えヴィン・キャシディは「私たちにはいつもカルト信者が付きまとっていて、今、それを突破してより多くの人に届く音楽を作りたい」と語っていた。8月にはロンドンのRiverside Studiosで行われたFactory seasonでDurutti Column、Quando Quango、52nd StreetとKalimaなどと共演している。'85年にはバーナード・サムナーとACRドラム奏者のドナルド・ジョンソンによって"Looking From A Hilltop"の12インチシングル(メガミックス)が再構築され、ニューヨークのクラブDJやシカゴのブラックステーションによりクラブヒットしている(90年代に入るとThe Shamen (1992) とOrbital (1993)たちが彼らのこの曲を採り上げている)。'82年の1-2月にかけてボストン、コロンブス、クリーブランド、シカゴ、デトロイト、ミネアポリス、パロアルト、サンフランシスコ、ロサンゼルス、アトランタ、バトンルージュ、ワシントンD.C.、トレントン、そしてニューヨークのリッツで終わる16日間にわたる2度目のアメリカ.ツアーを敢行している。80年代の終わりから90年代の頭にかけてクラブシーンで流行したアシッドハウスで多用されたシーケンサーとローランドTB303などの器材による反復パターンをセクション25は早くもこの時期に展開していた。そして'85年9月にファクトリ・ベネルクスから12インチシングル"Crazy Wisdom"がリリースされる。しかしセクション25のフルタイムのキャリアによって提供された乏しい報酬に一家の暮らしを立てることができないとの理由から'85年11月にヴィン・キャシディはグループを脱退することになる。その後を追うようにして翌年2月にアンジェラ・キャシディもグループを脱退。残されたラリーとジェニー・キャシディによって'87年5月にジョナサン・キングによる'65年のヒット(Good News Week)のカヴァー12インチシングル"Bad News Week"発売に続き、セクション25最後のアルバムとなる4枚目の"Love and Hate"が(87年に録音され1年遅れの) '88年にリリースされ、彼らの活動に終止符を打つ。このアルバムはエリック・サティのジムノベディの朗読によって完成されたもの。
近年では、2001年にセクション25は一度再編成されたがジェニー・キャシディのタイミングの悪い死によって2006年5月まで延期され、2007年にLTMから"Part-Primitiv"という2006年のライヴ・パフォーマンスが収録されたDVDが発表され活動を再開している。セクション25の当時の音楽的変遷とその苦悩のなかに80年代音楽と無責任なロックファン(音楽リスナー)との関係が垣間見えるのだが、彼らは外野で物見高く野次馬のようにミュージシャンのスキャンダルを楽しみ、お茶のみ話にしていただけにしか過ぎなかったのだと、いまにして思う。

SECTION 25/ALWAYS NOW(FACT 45)
side A:1.Friendly Fires 2.Dirty Disco 3.C.P. 4.Loose Talk(Costs Lives) 5.Inside Out 6.Melt Close
side B:1.Hit 2.Babies in the Bardo 3.Be Brave 4.New Horizon
Written by Section 25
produced by Martin Hannett
engineer John Caffrey
recorded at Brittania Row
disegnatori:Grafica Industria e Typografica Berthold
a Factory Records Product
FACTORY RECORDS 1981
ジャケットはピーター・サヴィルによるワックスのひかれたカードポジェット仕様で、内側と内袋にプリントされたマーブル模様はフランスのルーアンから供給されたものによって組み立てられ贅の限りを尽したジャケットデザイン。収録曲は暗くてジョイ・ディヴィジョンのようだと言われていたが、ボクはヴェルヴェット・アンダーグラウンドやカンに通じるモダン・サイケデリアだと解釈していた。

SECTION 25/GIRLS DON'T COUNTS(FAC 18)
side A:Girls Don't Counts
side B:Knew Noise/UP Co You
A Fractured Production
Relevant Music
FACTORY RECORDS 1980
この12インチ以前に7インチでリリースされたピーター・サヴィルによるスリーヴはトレーシング・ペーパーが使われロシア構成主義的なデザインだった。ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスとマネージャーのRob Grettonによってプロデュースされたデヴューシングル。ジャケットはアンジェラ・キャシディ、ジェニー・ロス、およびジュリー・ウォディントンの異なった3種類の少女の写真が使われていた。

SECTION 25/CHARNEL GROUND(FAC BN 3-006)
side A:Charnel Ground
side B:Baunted
produced by Martin Hannett
engineered by John Brierley and Chris Nagle
FACTORY BENELUX 1980
"Haunted"はイアン・カーティスのメモリー。イアンの霊に取り憑かれたかのような"Charnel Ground"は霊安室というタイトルで不気味でシュールな曲。音楽的にはジョイ・ディヴィジョンとPILに影響された痕跡が見られる。ジャケットを逆さにみると脇の下の毛を想起させ猥褻だと当時騒がれていた。

SECTION 25/JE VEUX TON AMOUR.(FAC BN 5)
side A:Je Veux Ton Amour
side B:Oyo Achel Ada
recorded at Britannia Row,February 1981
engineered by John Caffery
produced by Martin Hannett
made in Belgium
FACTORY BENELUX 1981
'81年7月にファクトリー・ベネルックスからリリースされた"Dirty Disco"のフランス語によるユーロヴァージョン。ジャケットの庭の種子パケットの写真は、大量生産された既製品を用いた一連のオブジェ作品を"レディメイド"と名付けたマルセル・デュサンの 'readymade' の手法が使われたと書かれていたが、?。

SECTION 25/THE KEY OF DREAMS(FBN 14)
side 1:1.Always Now 2.Visitation 3.Regions 4.The Wheel 5.No Abiding Place 6.Once Before
side 2:1.There Was A Time 2.Wretch 3.Sutra
all selections produced from Section Twenty Five
produced and recorded by Section Twenty Five at SSRU.
FACTORY BENELUX 1982
録音された5時間以上のマザーテープから編集されたアルバムで、麻薬的/催眠剤的、モダン・サイケデリアといわれたアルバム。"The Wheel"や"Sutra"という曲は仏教に関心のあった彼らがピンクフロイドやウマグマ、カンなどの音楽に影響され創造したもの。セクション・トゥエンティー・ファイヴというと"From The Hip"でのテクノダンス寄りの音楽だと多くが誤解しているが、彼らの音楽はここでのノーザン・サイケデリックが本領だ。

SECTION 25/THE BEAST(FAC 66)
side A:The Beast・Sakura
side B:Sakura(matrixmix)・Trident
produced by Section 25 and Ian Blackburn
recorded at Cargo Studios April 1982
Trident* recorded live by J.Hurst,New York February 1982
front cover drawing by P.Devine
sleeve design Mark Farrow
a Factory Product
thanks to TD. and JG.Cassidy
FACTORY RECORDS1982

SECTION 25/BACK TO WONDER(FAC 68)
side A:Back To Wonder
side B:Beating Heart
The sleeve was designed by Mark Farrow
FACTORY RECORDS 1983

SECTION 25/FROM THE HIP(FAC 90)
side 1:1.The Process 2.Looking From A Hilltop 3.Reflection 4.Prepare To Live
side 2:1.Program For Light 2.Desert 3.Beneath The blade 4.inspiration
written by Section 25
produced by Bemusic and Section 25
engineered by S.Pickering
design by Key/PSA
FACTORY RECORDS 1984
過去のピーター・サヴィルのデザインからトレバー・キーによる山岳地帯の測量機器のコンピュータコードを象徴したポストモダンなデザインに変更された。過去のノーザン・サイケデリアを淘汰し、新たなコンテンポラリー・ダンス・ミュージックの道を歩むため彼らはクラフトワークのKling klangの構造を学んだという(Inspirationに顕著に表現されている)。"From The Hip"での世界は個人的にはコンテンポラリー・ダンス・ミュージックというよりも"アフター・イーノ"として位置づけ解釈している。当時音楽ジャーナリズムからは酷評され、ロックファンにもセクション25に対する評価は著しく悪かったが、ファクトリーのなかでは80年代の時代背景に最も敏感に反応し当時の状況を把握していたのはセクション25だった。その証拠に、時代に素早く反応するシチュエーショニストとして音楽変遷を繰り返し新しい音楽創造を展開していて素晴らしい作品を残している。
Section 25 - Inspiration
http://www.youtube.com/watch?v=TPWKPJKoYvg

SECTION 25/LOOKING FROM A HILLTOP(FAC 108)
side A:Looking From A Hilltop
restructure from Fact 90
side B:Looking From A Hilltop
megamix from Fac 108 A
produced by Bemusic and Dojo
FACTORY 1984
ダンストラックとしてニューオーダーのバーナード・サムナーによってリミックスされた12インチシングル。アンドリュー・ウェザーオールのお気に入りのシングルでもあった。

Section 25 "Looking from a Hilltop" (Version 1)
http://www.youtube.com/watch?v=eO2PGJdgtiA

SECTION 25/CRAZY WISDOM(FBN 45)
side 1:Crazy Wisdom
side 2:Dirty Disco/The Guitar Waltz
produced by Dojo B-music
engineered by Mike Johnson
design Joel V.A.
FACTORY BENELUX 1985

SECTION 25/BAD NEWS WEEK(FAC 157)
side 1:Bad News Week
side 2:Bad News Week 2 (Cough Mix)
Written by Section 25
Produced by Bernard Sumner
Engineered by Chris Nagle
FACTORY RECORDS 1987

SECTION 25/LOVE AND HATE(FACT 160)
side 1:1.Sweet Forgiveness 2.Conquer Me 3.Spinking Petals into Hell 4.The Last Man in Europe
side 2:1.Bad News Week 2.Tim Lick My Kness 3.Shit Creek No Paddle 4.Warhead 5.Carcrash
17 alternative titles:It's: be in two weeks -Dance if you can-Woodentops go apeshit-i'll ring you back-Speyn-Have you got a problem you want me to iron out-Rhythm Chief-Spiritual criminal flights back in Love dilemma-Infatuation-With sex on their minds...-Jaccuse-I'll let you know-Clever Dick-Young Urban Proletariat-Duck Head
produced by Larry Cassidy
engineered by Phil Ault
additional guitar by Dave Crabtree
additional drums by Stewart Hilton
design/artwork by A.S.K. design Co
photo by Ian Tilton
FACTORY RECORDS 1988
ラリーとジェニー・キャシディによって最後に制作された4thアルバムは、80年代初頭のポストパンク/ニューウェイヴの世界に逆戻りしている。このアルバム全体を支配している感性はジェニーのもので、女性独特のロマンティシズムと言えるものだ。常に思うことだけれど、男と女は音楽に関して同じ曲を聴いていても、視点がまるで違う。ロックに関して言えば男は少なからず論理的なその音楽の文脈や構造的なもの、リズムの身体的なものにこだわり、女はミュージシャンのルックスや音楽の雰囲気、歌詞にある文学的リリシズム、情緒のようなものでとらえる。ロックミュージックはだから元来、女性的なもの、女性のものと言えるだろう。夢の象徴として男性的なものとは"知識、論理、合理性、自立、創造力、覚醒した意識"などを意味し、女性的なものとは"感情、非合理、依存や受身、他人との関係を築く能力、無意識性"とされているが、金子光晴著の「下駄ばき対談」(現代書館)のなかで稲垣足穂は"女性的なものとは、抽象的精神の欠如をいう"と言ってたが。

SECTION 25
http://www.youtube.com/results?search_query=SECTION+25&search_type=

« VINI REILLY - THE DURUTTI COLUMN | メイン | NEW ORDER 1 981-1984 »