FRED FRIT / DEREK BAILEY

フレッド・フリスのただ在るものとしてのノンセンス・ミュージックと
デレク・ベイリーのnon-idiomatic improvisation「非慣用的な即興」
FRED FRITH+DEREK BAILEY
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧
CASCADES 8

ティム・ホジキンソンと共にHENRY COWの創設メンバーであったフレッド・フリスはHENRY COWの終焉とともにART BEARSを始動させ、同時にソロ活動を活発に行う。ヘンリー・カウが解散した78年に単身アメリカへと渡り、ノー・ニューヨーク/ノー・ウェイヴ全盛のNYでマテリアルと合流し、リーダーのビル・ラズウェルと当時16歳のフレッド・メイヤー(ドラムス、後にスクリッティ・ポリッティに参加)と共にMASSACREを結成。(81年にセルロイドからリリースされたこのあたりの原盤は機会があれば紹介します)。'85年にフリスはSKELETON CREWで、CURLEWのチェリスト、トム・コラ、NEWS FROM BABELのハーピスト兼キーボード奏者のジーナ・パーキンスなどとパフォーマンスを展開するが、翌'86年には解散する。その後フリスは事実上音楽活動を休止した状態が続き、'88年に「The Technology Of Tears」、'89年にはサントラ「The Top Of His Head」をリリースし、FRENCH FRITH KAISER THOMPSONやジョン・ゾーンのNAKED CITYなどにベーシストして参加する。この頃にはルネ・リュシエとKEEP THE DOG、THE GUITER QUARTETなども組み活動(KEEP THE DOGのほうは'92年頃には解散)。そんな中'90年にはニコラス・フンベルトとヴェルナー・ペンシェルの監督により旅する人フリスを描いた映画「Step Across The Border」が作られ同名のアルバムもリリース。その後もヨーロッパ等での活動を活発に行いながらも映画やダンスの為の作曲も続け'96年には「Middle Of The Moment」や「Allies」等を発表。'97年はTHE GUITER QUARTETのアルバム「Ayaya Moses」をリリースし今も活動を続けている。
http://fredfrith.com/

FRED FRITH/GUITAR SOLOS
(Caroline Records C1508) 
' 74年キャロライン/ヴァージンから発表のファースト・ソロ・アルバム。アブストラクトではあるが、彼の音楽を、暴力的アヴァンギャルド・サウンドだとか、インダストリアル・ゴシック・ミュージックだとか言われ続けているが間違いだ。ギターというツールボックスによるオーディオ・インスタレーション/オーディオヴィシュアル・インスタレーション(視聴覚の、聴の装置)としてのクールで醒めた構造が強く感じられる。ギター1本による即興演奏によるこのアルバムも、「Glass c/w Steel」ではピックの変わりになる鏡に持ち替えて弦を擦ったり、「Ghosts」ではヴォリューム・ペダルを操作することによってワウァワウァ鳴る音を発てたり、「Out Of Their Heads」ではファズを使うことによってピアノの弦を叩いているかような音を合成し、現代音楽のプリペアド・ピアノを真似たものだしなどなど、楽器ではなく、音の出るギターというツールを使ったフリスのシンプルなアイデアによって構成されたアルバムである。こうしたギター・インプロビゼーションには意味などない。子供が玩具を手に取って自由に音楽遊びしているのに似た「お遊び」だ。こうしたエクスペリメンタルと言われる音楽が機能するのは、天井の高いコンクリート打ちっぱなしのアートスペースなどの、西洋近代建築のなかだけだ。 もう一度言っておこう、こうした音楽は、意味を思い問うものではなく、ただ在るものとしての音楽。人工的に創りだす空間のなかの空気感。気配。

side one:1.Hello Music 2.Glass c/w Steel 3.Ghosts 4.Out Of Their Heads (On Locoweed)
side two:5.Not Forgotten 6. Hollow Music 7.Heat c/w Moment 8.No Birds
all compositions by FRED FRITH
engineering:David Vorhaus
cryptic comments:Jack Balchin
sleeve photos and design:Ray Smith
1974 CAROLINE/VARGIN RECORDS


VA/GUITAR SOLOS 2
(CAROLINE C 1518)
当時イギリス、ヨーロッパのフリーミュージック・シーンで活動していたフレッド・フリス、デレク・ベイリーなど4人のミュージシャンによるコンパイルアルバム。DEREK BAILEYは1932年にイギリスのヨークシャーで生まれ11才の頃より正式なギター教育を受け、'60年代からフリー・インプロビゼーションの世界に傾倒していき、'66年ロンドンでJohn Stevens、Evan Parker、Kenny Wheeler、Dave Hollandらと「The Spontaneous Music Ensemble」を結成。'70年にはEvan Parker、Tony Oxleyと共にINCUSレコードを設立。彼が注目されだしたのは、Brian EnoのObscureレーベルのGavin Bryars「Sinking Of The Titanic」でのギタープレイだろう。調性もリズムもストーリー性(起承転結)もなにもない彼の音楽は、non-idiomatic improvisation'(非慣用的な即興)と呼ばれ、音楽のどの文脈にも属さないものと定義付けされている。まるで東洋の禅のような音楽だな。残念なことに2005年12月24日ロンドンの自宅で逝去している。G.F.FITZGERALDといえばアシッッド、サイケフォークのギタリストで、ボクが彼の名前を知ったのはこのアルバムが最初で、次にロル・コックスヒルのヴァージンからのアルバム「Fleas In Custard」にクレジットされていた。このアルバム以前に70年に眼鏡猫で有名なアルバム「Mouseproof」がUK のUNIレーベルからリリースされていた。HANS REICHELは当時ドイツ、ベルリンのFMPから「Wichlinghauser Blues」などのアルバムを発表していたが、自作楽器ダクソフォンを操る即興演奏ギタリストとして知られている。この4人のなかで独自の非イディオマティック・インプロヴィゼーション、言葉どおりのフリーミュージックを確立したのはやはりデレク・ベイリーただひとりだった。といってもやはりこうした音楽はポストモダンな、あるいはモダンな西洋近代建築の空間だけで機能するもの。

side one:FRED FRITH 1.Water/Struggle/The North 2.Only Reflect
G.F.FITZGERALD 3.Brixton Winter 1976
side two:HANS REICHEL 4.Avantlore 5.Vain Yookts 6.Donnerkuhle DEREK BALLEY 7.Virginal 8.Praxis 9.The Lost Chord
all the piaces were recorded in Dec.75 or Jan.76,and are heard as played. 1 and 2 were recorded at at Tom Newman's barge(Argonaut Studio). 1 uses two guiters simultaneously-an Ormston-Burns black Bison,and a Gibson 345.Both are fitted with an extra pick-up mounted above the first fret,which,together with a contact microphone,an ambience microphone and slow echo repeat,make s a tatal or 9 separate tracks at once.
2 was played on the Gibson. on 3 the guitar,a Burns TR2,was treated with crocodile clips,crome pipe and a loudspeaker from the output of the main amp on the strings.The instrument was tuned BEAGBE,and the main loudspeaker was facing a piano frame.The recording was done on a Revox and cleaned up at Tom Newman's Studio.
5,5 and 6 were played on a home-made guiter (one neck of it pointing to the left,one to the right).the guitar on 2,8 and 9 was an Epiphone Blackstone Acoustic.
1976 CAROLINE RECORDS

関西には特にこうした音楽に幻想のようなものを抱いて支持している人間が多いという。はっきり言っておくが、そうした聴き方は間違っている。松岡正剛の「千夜千冊」でのデレク・ベイリー論もボクには?だ。こうした音楽は野呂芳雄が「ユリイカ」(1981年, 5月号, 青土社)の「夢・ノンセンス・宗教」で書いておられた"ノンセンスは何よりも「言棄のゲームで」あり、遊ぴである。遊びである以上は、こちらを支配するようないかなる情緒も認めないし、避けなければならない。私たちから情緒的反応を引き起こして、私たちを情緒の波に乗せて運んで行ってしまうような、美、性、愛などはノンセンスにとってタプーである”というノンセンスの効用でもある「シンボルに支配されずにシンボルを支配する」という音楽だ。空気のように気配だけを感じるノンセンスな音楽をシリアスに聴いているなんてアリスが笑うよ。キミたちはいま流行りのKYか? さて、キミに禅問答だが、フリー・インプロヴィゼーションはジャズかロックか現代音楽か? ・・・。

Comment ( 7 )

miru :

はじめまして、時々文章拝見いたしております。
一音楽愛好家です。
書かれていること、すべてを理解できないことが残念ですが。
率直に思ったことをお伝えします。

『ノンセンスな音楽』の空気はそれなりの空気に過ぎず、やはり音楽は結果である空気であると思います。その空気をつくるのはベタな言い方ですが、「人となり」ではないかと。
近頃思うのは、音楽を他力本願的な宗教のように捉えている人が多いのではないかということ。そもそも音楽の本質的なを考えると線引きはできないような気もしますが。
結局は音楽の聴き方も『人となり』であるような気がします。
フリーインプロゼイションは宗教でいうと宗派の垣根を取り払おうとする試み、そう考えると分類は無意味な気がします。
逆に音楽のカテゴリーはカテゴリーがあるからこそ、そこに一定の価値観を生み出そうとするものかと思いますが。


東山 聡 :

フレッドフリスはイーノのBefore and after Saienceで数曲参加しているのを聴いた程度です。その当時は中学生で、その手の音楽を聴くには自分自身相当、背伸びをしていたと思います。

その当時は、友人何人かとジャーマンロックとか訳もわからず聴いていて、そう言った少しアバンギャルドなものでも、シリアスに捉えずに逆に笑いに変えて聴いていました。
相当、レベルの低い話ではあるのですが、ワンフレーズごとにこの音が面白い。とか... 決してちゃかしてるのでは無く、子供なりの感性で素直にその手の音楽を理解しようとしていました。

音そのものに意味は無いと思うし、ジャズやロックなどカテゴリーなんて必要のないものなのかも知れません。それより、遊びの中で音楽を共有して、その中から発生する空気や言葉、そしてそれらに触発されて自分自身どう行動するかが大事と言うか...興味があります。

音楽は決して、部屋でひとりで聴くものでは無いと思います。
今回のテーマから相当離れてしまったと思います。すいませんでした。

萩原 敏弘 :

今日、中古レコード屋に行ったらFRED FRITH/GUITAR SOLOSがあったので購入し、先ほど聴いてみました。
「Glass c/w Steel」なんかはサスペンス映画の中で目撃者が回想するシーンとかに使えそうですね。こういったフリー・インプロヴィゼーションとかサウンド・インスタレーションって音楽というよりも絵画みたいな感覚ですよね。

miru :

その後、自分の文章に矛盾を感じたので。

フリーインプロヴィゼイションは「試み」ではなく、「結果」ジャンルの垣根が取り払われると考えます。
アプローチの方法は違えども到達するところは同じ、という感じでしょうか。

音楽だけでなく芸術全般、自己解放に向かうのではないかなぁ、と思います。

阿木 譲 :

miruさん
こうしたノンセンス音楽と自己解放についてだけど、うーん、ボクにとっては例えれば、澱んだ部屋の窓をあけて新鮮な空気を入れ換えるような、空間に流れる空気感のようなもので、それこそサティの家具の音楽のようなものです。
東山クン
同じ音楽を聴いている者どうし、同じ価値観を共有していることから生まれるコミュニティというのを信じて、ロックマガジン時代には大きな挫折感を味わったのだけれど、そうだと、いいね。
萩原クン
このCASCADESを書くために、30年ぶりにネットを調べたら、すべてというレコードがリイシューされているよ。絵画みたいな感覚とはいい表現だね。正解だよ。

miru :

お返事有難うございます。
阿木氏のあまりにも知識の豊富さに臆して、こちらもつきつめた解答をしてしまいましたが、音楽に対する基本的スタンスは近いものを感じて安心しました。
ところでイベントでバップをメインにDJなさったとのこと、私の独身時代にDJ文化はありませんでした。(年齢がわかりますね)個人的にはその後のモードが好みです。モードメインにDJなさる時にはぜひ行ってみたいものですが。30歳前後がターゲットのようでしり込みしております。
機会があれば一応、場の「空気」に合わせた格好でいくつもりですが。

萩原 敏弘 :

ありがとうございます。阿木さんに正解なんて言って頂けると嬉しい限りです。『cascades』ってぴったりの言葉ですね。カンタベリーサウンドには全く暗かったので大変参考になります。

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